拝啓
あの頃気付けなかった当たり前の気持ち。
時代がどんなに変わっても、その音だけは変わらなかった。
世界でたった一つしかない大切なもの。
その存在に、気付けるだろうか。
そんな話だったり。
拝啓 お母さん
お元気ですか。
そちらはずっとお天気なのでしょうか。
花が綺麗な所だそうですね。きっと素敵な所なのでしょう。
私は高校生になって初めての夏休みを迎えています。
先日、部屋の整理をしていたら懐かしい物を見つけました。
楡の木で作られた小さな置時計です。
覚えているでしょうか。
あれは、まだ私が小学校へ上がる前の誕生日でしたね。
「他の子と同じように祝ってあげられなくてごめんね」と。
申し訳なさそうに言いながらあなたがくれたものでした。
けれど、その頃漸く時間という概念を理解し始めた私にとって、それは最高のプレゼントで。
小さな私の手には大きすぎると知りながら、肌身離さず持ち歩いていたものでした。
おかげで綺麗だった木目模様はすっかり薄汚れ、黒ずんでしまったのをよく覚えています。
そうして私と共に時を歩んできたその時計も、あなたがそちらへ行ってしまってから不思議と動かなくなり、私自身、あなたを思い出すようで辛く、どこか奥へしまったきりでした。
偶然にも、あなたの日にこの時計を見つけたことは、何か意味があったのかもしれません。
電池を入れ替え、再び刻みだした時の音を聞きながら、私はそう思ったのです。
それはいままでずっと目を逸らし続けていたあなたの一件と、きちんと向き合う事ではないかと。
あなたの写真の前で、時計の音を聞きながら、ずっと、ずっと考えて。
私は一つの結論を出しました。
あなたはもうここにはいない。
それは当たり前の事実。
けれど、あなたとの思い出は私の中に生き続け、そこにあなたはいるのだと。
もう触れることも、声を聞く事もできないけれど。
この時計の音と一緒になって、あなたは今も。
見守っていてくれているのだと。
勇気を与えてくれるのだと。
そう思うと、感謝が溢れて止まりません。
ありがとう。
たくさんの愛をくれてありがとう。
見守ってくれてありがとう。
困難にも負けない勇気をくれてありがとう。
私の母でいてくれてありがとう。
私を生んでくれてありがとう。
私はこれからも、前を向いて歩いていきます。
あなたの遺した、この時計と一緒に。
敬具
ありがとうございました!
何か一言あれば遠慮なく仰って頂けると喜びます。