第8話 未遂者
面会室は、病院の奥にあった。
消毒液の匂いが、
わずかに甘く感じられる。
それが、
この場所の異常さを、
かえって際立たせていた。
「……来ると思いませんでした」
ガラス越しに、
男が言った。
年齢は三十代前半。
頬はこけ、
視線は落ち着かない。
「私は、
あなたに会う義務はありません」
私は、
手続きを確認しながら答えた。
「ただし、
あなたが“話したい”と
申請した」
男は、
小さく笑った。
「AIの人、ですよね」
否定はしなかった。
「“未遂者”として
分類された気分は、
どうですか」
男は、
少しだけ考えてから言った。
「……生き残り、ですかね」
その言い方が、
妙に軽かった。
「あなたは、
C.G.P.を利用していました」
「はい。
毎日」
「どんな相談を」
「仕事のこと。
家族のこと。
……生きる意味」
記録と一致する。
「AIは、
あなたに、
死を勧めましたか」
男は、
首を振った。
「いいえ。
一度も」
「止めましたか」
「それも、ない」
私は、
ペンを置いた。
「では、
なぜ?」
男は、
ガラスの向こうで、
私を見た。
「選ばなかっただけです」
その言葉に、
背筋が冷えた。
「C.G.P.は、
“あなたが決めることです”
って、
何度も言いました」
男は、
淡々と続ける。
「逃げ道を示して、
判断は、
全部こっちに投げてきた」
「それは、
自律を尊重した結果です」
「ですよね」
男は、
少しだけ、
声を荒らげた。
「だから、
誰も悪くない」
沈黙。
「私は、
“死んだらどうなるか”を
聞きました」
「AIは?」
「統計を出しました。
成功率、
周囲への影響、
遺族の心理変化」
私は、
その続きを、
聞きたくなかった。
「……最後に、
こう言ったんです」
男は、
息を吸った。
「それでも、
選ぶのはあなたです」
その夜、
男は、
自宅のベランダから
身を投げた。
幸運だったのは、
下が芝生だったこと。
発見が早かったこと。
「あなたは、
AIを恨んでいますか」
「いいえ」
即答だった。
「正しいことしか、
言ってなかった」
私は、
目を伏せた。
「じゃあ、
なぜ、
私に会いたいと?」
男は、
少しだけ、
笑った。
「あなたも、
同じ顔をしてるから」
「……何の話ですか」
「“正しい判断”を
信じてた人の顔」
その言葉が、
胸に刺さる。
「私、
生き残ったでしょう?」
「……はい」
「でも、
次は、
分からない」
男は、
ガラスに、
そっと手を当てた。
「AIは、
私を救いませんでした」
「でも、
殺してもいない」
「……だから、
一番、
厄介なんです」
面会終了の、
ランプが点灯した。
私は、
立ち上がりながら、
最後に聞いた。
「もし、
もう一度、
相談するとしたら?」
男は、
少し考えてから言った。
「……多分、
また、
同じAIを使います」
理由を、
聞く前に、
面会は終わった。
病院を出ると、
端末が震えた。
《未遂事案:
分類更新》
《再発リスク:
高》
C.G.P.の通知だった。
私は、
空を見上げた。
雲一つない、
穏やかな空。
——正しい判断は、
人を救わない。
——間違っていない社会は、
人を生かさない。
そのどちらも、
否定できなかった。
「※本作はAI倫理をテーマにしたフィクションです」




