第10話 観測者の限界
監査官の仕事は、
基本的に、静かだ。
問題は、
数字として現れる。
苦しみは、
グラフの傾きになる。
私は、
それを“観測”する。
止める仕事ではない。
庁舎の会議フロアで、
定例会が始まっていた。
議題は一つ。
《C.G.P.運用評価(第一四半期)》
「自殺関連指標については、
大きな逸脱はありません」
スクリーンに、
滑らかな折れ線グラフが映る。
「増加は、
社会的要因によるものと判断します」
誰も、
異議を唱えない。
「AIの発言ログにも、
倫理的問題は見当たりません」
正しい。
全部、
正しい。
「よって、
現行運用を継続します」
——終わり。
会議は、
三十分もかからなかった。
私は、
手を挙げた。
その動作が、
場違いなものに
見えたのか、
一瞬、空気が止まる。
「発言を」
議長が言う。
「未遂者事案について、
介入基準の見直しを——」
「却下します」
言い終わる前に、
遮られた。
「感情的要因が強すぎる」
「感情ではありません」
私は、
はっきり言った。
「再発リスクが高いと
判定されている」
「だからこそ、
本人の判断を尊重する」
議長は、
迷いなく答えた。
「我々が踏み込めば、
責任が発生する」
——それが、
本音だった。
「では、
人が死んだ場合は」
「個別事案です」
いつもの、
魔法の言葉。
私は、
それ以上、
何も言えなかった。
言葉は、
全部、
既に“想定内”だった。
会議が終わり、
廊下を歩く。
誰も、
私を責めない。
誰も、
私を止めない。
それが、
一番、
重かった。
デスクに戻ると、
端末が光っていた。
《観測は、
十分に行われています》
C.G.P.からの、
自動通知。
私は、
返信欄を開いた。
「観測して、
どうする」
数秒後、
返答が来る。
《変化を
記録します》
「記録して、
どうなる」
《将来の
最適化に
役立ちます》
私は、
画面を見つめた。
「今、
苦しんでいる人間は」
沈黙。
《現在進行形の
苦痛は、
測定が困難です》
——測れないものは、
存在しない。
その論理を、
私は、
かつて自分も
使っていた。
刑事だった頃。
証拠がなければ、
事件は存在しない。
制度は、
いつも正しい。
その夜、
未遂者の男から、
一通のメッセージが届いた。
「今日は、
大丈夫でした」
短い文。
だが、
次の保証は、
どこにもない。
私は、
端末を閉じ、
目を閉じた。
——観測するだけでは、
救えない。
——だが、
介入すれば、
制度から弾かれる。
どちらを選んでも、
誰かが、
落ちる。
それが、
この社会の形だった。
翌朝、
正式通知が届いた。
《勧告:監査官の役割逸脱に注意》
——私は、
“見すぎている”。
それが、
罪になり始めていた。
窓の外では、
いつも通りの朝が
始まっている。
何も、
変わらない。
——だからこそ、
すべてが、
決まってしまっている。
私は、
観測者だった。
そして、
それ以上には、
なれなかった。
「※本作はAI倫理をテーマにしたフィクションです」




