05.
魔のもの。形状は様々だが人に害をなす物、それを総称して魔物と呼ぶ。例え、愛玩動物の形をしていようが、はたまた人間の形をしていようが関係はない。人に害をなした時点でそれは魔物となる。どれほど大切にしていたものでも、地に落ちたその瞬間にゴミになり果ててしまうのと同じように。以前の姿が何であっても、魔物は魔物として扱われるのだ。
「確かにこれは近付けないな」
土地から感じる禍々しい雰囲気というのは、特殊な能力なんぞなくとも肌で感じるものだ。僕は背負っているルピシアの様子を横目に見る。体質上、色々と敏感な彼女にはこの場所は辛いのではと思ったが案の定だった。いまや焼死体のように黒焦げてしまった彼女は小さな口から静かな呻き声をあげていた。
この先には彼女を苦しめる何かがある。近づけたくはない、が。
『聖女を救うには花に触れればよい』
司祭のその言葉がある限り、僕はルピシアを置いていくことはできない。どれほど彼女が苦しんでいたとしても、それは彼女の命を諦める行為に等しいから。
僕は唇を噛んだ。またしても感じる無力感。彼女を苦しみから救い出したいというのに、そのために別の苦しみを味合わせなければならないなんて。彼女の痛みは彼女だけのものだが、僕は胸が締め付けられて仕方がなかった。
「……魔物を減らせば少しは楽になってくれる?」
返事がないのはわかっているよ。でも何かをしないと僕は僕を許せない。あの日から感じ続けた無力感が僕を苛んでいるんだ。僕は彼女を救いたいと言いながら自分自身も救われたがっている愚か者だ。
だけど、これが僕なんだ。
僕はルピシアを木を背にするような形にして座らせ、その身体にコートをかけた。今は冷たくなってしまっているけど、何かの拍子で目を覚ましたその時に。少しでも暖かさを感じて欲しくて。僕の匂いを感じていて欲しくて。
「待ってて」
僕は荒廃したその家に近付く。積み上げられた石の壁は破壊されたまま。そしてかつてこの地にあったであろう家族の団欒の証である家具などもそのままだ。目を背けたくなるほどの酷い有様だった。血の跡とかそういうのがあるわけではないけれど、また別の生々しさを感じて僕は胸が痛む心地があった。
この光景からは先日僕らの身にも襲い掛かってきた世界の膿を思い起こさせる。恐らくだがこの家にも同様のことが起こったとみて間違いない。平和に、何事もなく暮らしていたはずなのに。空から降ってきた闇に全てを奪われた者の末路。これは、僕らの未来の姿…とも言えるだろう。
「来る…な」
「……驚いた。魔物が喋るなんて」
人に語れるほどの魔物への知識があるわけではないが、僕は知性を持ったそれに出会ったことは初めてであったために物珍しさを感じた。見目も人間のものに等しい。ただ、言わばゾンビと言ったところか。身体の四肢に力が入っているようには見えないし、背骨が変なところでぐにゃりと曲がっている。骨が支えという機能を失い、もはや肉と肉と繋ぎとめるだけの道具に成り下がっていた。
「君は人間、だったのかな」
「来る…な、くるな、くるな」
「……」
会話が成り立つ気はしないが、目の前の魔物が「入ってくる」ことに対して強い拒絶を抱いているのは感じ取れる。耳を傾ける必要もない戯言だ。僕の目的がこの中にある以上、目の前の魔物に気を取られているのは時間の無駄だ。
僕は武器を取り出した。剣でも、ピストルでも。拳でも杖でも。槍でも魔法でもない。僕だけの武器。僕だからこそ使える武器。腰に下げたいくつものそれを指の間に挟む。
「悪いけど本当に時間がないんだ」
僕はこの武器で、彼女との未来を切り拓く。
◇◇◇
「武器、ねぇ」
一時間前に遡る。ノプシスの家に訪れる前に僕は武器周りを整えようと街の小さな工務店にやってきた。昨今では魔物による人間に与えられる被害は直接的なものも間接的なものも増加傾向にあり、必然として人々はそれに対抗するための手段を強いられた。
自分の身は自分で守る。
ここのような比較的平和な街にはその意識が少ないようだが、それでも必要最低限の準備はしてあるらしい。目の前の武具がそれを語っている。
「それは初心者用の武器だ。片手剣に盾のセットで10000フィオース」
「高くない?」
「この街ではほとんど必要のないものだからな。買っていくのは別の場所でボロボロになった冒険者くらいだ」
「……需要と供給、か」
藁にもすがる思いで詐欺まがいな値の武具を買っていく哀れな冒険者のことを考えると思わず苦笑してしまう。僕も似たような立場にいるのは間違いないが、同類になるつもりは毛頭ない。しかしそうとなれば生身で魔物に向かって行くしかなくなる。それこそ哀れで愚かなのは言うまでもない。
……さて、どうしようか。
「届け物だよ」
「ああ、そこに置いておいてくれ。今ハサミを持ってくる」
配達業者から荷物を受け取った店主は事務用のハサミを探しに行こうとする。しかし年がたたったのか、腰を痛そうにさすっていた。
「……」
別に同情したわけではないさ。だが彼が必要としているものを持っているのに名乗り出さないのはそれはそれで不愉快だと思っただけ。つくづく面倒な性格をしていると思うよ、自分でもね。
「ハサミならここにあるよ。紐、切ってもいいの?」
「ああ、頼む。助かるよ」
僕は中指を中心に長い刃を持つそれを動かした。手に馴染む道具というのはやはりいい。自分の持たぬもう一つの器官であるような気すらする。刃が紐をかすっただけでそれは簡単に千切れる。
「凄いな…ここまで切れ味がいいものは見たことがない」
「そこがいい所なんだ」
僕の使うハサミは切れ味が抜群なあまり、安全性というものが壊滅的に低い。使う者が一つ間違えれば凶器になる。そんな業物。
「……そうか、これでいいんだ」
「どうかしたか?」
「いや、なんでもないよ。それはそうとして店主さん、ここに刃を研ぐ道具はある?」
「ああ、一式は揃えてある」
「貸してくれない?」
「いいが、何に使うんだ?」
僕は腰をポンポンと叩いた。武器周りを整えるも何も、僕は最初から必要なものは全て持っていたんだ。
「この子たちを磨き上げるためにさ」