04.
「穢らわしい……」
その言葉の矛先は僕らに向けられているのか、それとも他の誰かに向けられているのかはわからないが、僕は気に留めずに彼女を背負いなおした。まるで氷塊のような、そんな冷たいルピシアを感じると目頭が熱くなる。冬の寒さだって二人で寄り添って温めあったのに。今の僕にはそれすらできない。
……いけない。いつまでもこの調子じゃ。
僕は気を紛らわすために、改めて周囲を見回してみた。住んでいた場所からたった一歩踏み出しただけで今までとはまるで違う世界が待ち受けている。後ろにルピシアがいるということもあるが、僕の心は落ち着きそうにない。今後への不安。もちろんある。だが、まだ見ぬ花への出会いがあるかもしれないということも僕の心を掻き乱す要因のひとつだったのは間違いない。
「怒らないでくれよ? 僕をこうしたのは君なんだから」
背負っている彼女が今にも飛び起きて「シラン、わたしのことを心配してくれるんじゃないの!?」って叫び出しそうな気がする。いや、こんな状況ならルピは「わたしもお花みたいのに」と駄々をこねていたに違いない。そんな想像だけで僕の心は少し明るくなった。
と、司祭から指定された町に辿りついて暫くしたのはいいが、肝心な花が見つかりそうにない。僕は別にセンサーなんかが搭載されているわけではないただの人間なので、花の場所は人伝いに探す他なかった。幸いなことに僕の顔はある程度良い。そのため、人に抱かれる第一印象はそんなに悪いものではなかった。
「そこの可愛い人たち」
少し声のかけ方が独特なだけであって。
「わ、すっごいイケメン」
「そのお化粧、もしかしてハウンド族?」
「はは、まあね」
若い女性は噂というものに敏感だ。もし美しい花がこの町にあるのだとしたら目を付けないはずがない。その思いで声を掛けたのだが、彼女らは同時におしゃべりが大好きだ。そこの予測ができていなかったのは失敗だった。
「なんでハウンド族ってそんな化粧してるの?」
「……色々とあってね」
「お兄さん彼女いる?」
「結婚する予定の子がいるんだ」
「え~もったいない。お兄さん若いんだから遊んどかないと。ねね、私とかどう?」
「それこそ僕にはもったいないお誘いかな」
なんでこんな生産性のない会話をしているんだ僕は。
時間がないんだって。早くしないとルピシアが本当に手遅れになってしまう。焦りと怒りが顔に出そうになっているのをすんでの所で押させて、僕は当たり障りのないように彼女らに花の話を聞きだすことにした。
「こんなに可憐なお嬢さん方には『花』がお似合いなんじゃないかな」
「花? お兄さん知ってるの?」
「ああ、君たちみたいな素敵な女性に贈るものに最適なものだって知ってるよ」
「まあ!」
まるで手の届かない宝石が目の前にあるかのような輝いた目を向けてくる。
「ねぇ、この人なら『花』を手に入れてくれるんじゃない…!?」
「本当! どうする? お願いしちゃう?」
僕は目を丸くさせた。口ぶりから彼女らが花の居場所を知っているのはほぼ間違いないように思えるが、これは……
少し嫌な予感がするのは気のせいか?
「……もしかして、花は手の届かない場所にあるの?」
「届かないっていうか……ねぇ」
「危なすぎて近付けない、というか」
やっぱり。一筋縄ではいかないか。
「詳しく聞かせてくれないかな?」
「ええと、ここには一年前までノプシスって女の子がいてさ。その子、花を咲かす力があったみたいで」
先日聖堂で聞いた話と合わせると簡単にわかる。恐らくそのノプシスという少女こそ、先代の聖女なのだろう。花を咲かすことのできるのは聖女だけ。
「その子のおうちの周りに咲いているって噂があるんだけど……」
そして聖女がこの地にいたという証拠もまた、その花だけ。
「その周りに魔物がうろついてて近付けないんだよね」
「わたしも一回見てみたけどすっごく怖い目をしててさ。もうトラウマ」
魔物。久しぶりな響きだ。前に住んでいた村では平和すぎてすっかり耳から遠ざかっていたそれだが、僕はかつて魔物なる存在と毎日対峙する生活を送っていた。それには彼女らが興味を持っていた『ハウンド族』というのが大きく関わってくるのだが……この話はまたの機会に。
「ここはそんなに危険な場所には見えないけど?」
「そうなの。だから私たちもびっくりしちゃって。今は危険だから人の通りがないように閉鎖しているの」
僕は人差し指を口の前にまで持ってくる。少しかさついた唇を撫でながら、今後の行動について考えてみた。ノプシスの家には魔物が引き寄せられるだけの何かがあるということは間違いなさそうだ。彼女がかつて聖女としての能力を持っていたことから、それが『花』である可能性も高い。
行ってみる価値は大いにある。
「ありがとう。素敵なお嬢さん方。向かってみるよ」
「ね、ねぇ! もしよかったら花を……」
持って帰ってきて。
そう言いたいのだろう。
僕は彼女らへにこやかな笑顔を見せる。彼女らは「きゃあ」と小さな悲鳴を上げた。期待がこもった黄色い歓声だ。僕はそれを背中に受けながら、鼻から息を吐いた。
申し訳ないけど、それはできないんだよね。
彼女と約束したから。
◇◇◇
「シラン! 花は切っちゃダメ!!」
「……そんな大きな声出す?」
「出すよっ。だって今切りそうになってた!」
ルピシアは効果音にぷんぷんとつきそうな感じで怒っている。激昂というわけではないものの、彼女がこうも怒りにも似た感情を僕の前であらわにするのは初めてで、僕は目を丸くした。
「どうして? ここ一帯を同じ色の花に揃えるのにこれは邪魔だろ?」
僕には何かを大切に思う気持ちとか、そういうのよりも『こうすべき』という、理といったものしか考えてこなかった。感情なんて二の次で、己が今必要とされている行動をするのみ。だから何故ルピシアがこうも怒っているのかが理解できなかった。
花は美しいからそこにある。それだけが花の価値。
その美しさを少しでも損なうのであれば切り落とすべき。
「……」
そうだろう?
なのになぜ怒る?
「美しくなくったっていいの。ただそこにいてくれるだけで」
美しくなくったっていい。その言葉は酷く無責任に思えた。花の唯一の価値である美しさ。それを取ったら何者でもなくなるというのに。それがなくてもいいだって?
彼女の言葉はかつての自分をも否定しているように感じられて僕は苛立ちを覚えた。価値がなければ存在の必要がない。そう教えられ続け、刷り込まれ続け。僕は日々己の価値とは他人によって決められるものとして懸命に努力してきた。
それすらもなくていいというのか、君は。
「馬鹿げてる」
「そうかもね。でも本当にそう思っているの。大きく咲けなくても、綺麗な色で咲けなくても。花が花であるだけで私は心が満たされるんだ」
特別な能力なんてなくっても。
あなたがあなたでいれば、それでいい。
そう言われているような気がして、僕は胸が締め付けられた。
「……本当に馬鹿だよね、君」
「そ、そんなに言わなくても」
「思ったことは口にしたいタチでね」
そんな君に心を動かされる僕も、取り返しのつかない程の馬鹿だ。
「とにかく!お花は絶対に切らないこと!わかった!?」
◇◇◇
「わかってるよ、ルピシア」
君が愛した子供たちを僕は傷つけないさ。