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CROW  作者: Luluwa
1/4

東京

父の急な転勤で徳島県女塚(めづか)村から東京都目黒区へ引越す事になった。

かなり急な話だった……

小学校卒業式の前日の夕刻に突如両親から、卒業式の翌日にここを出て東京へ移ると伝えられ、気持ちの整理が追いつかなかった。

頭の中で瞬時に浮かんだのは、親友の莉子と離れ離れになってしまう……

それが何よりも杏奈を辛い気持ちにさせた。

約二週間後には、初めての地で中学生になる。

タイミング的には悪くないのかな。

そう自分自身に言い聞かせ、なんとか納得させる。

女塚村の小学校は今の日本全体の少子化問題と相まっているのか、もしくは大半が都会への利便性に魅力を感じ、移住をしての村人口減少なのだろうか……

小学校のクラスは全体で一クラスのみだった。

一年生から六年生まで皆、同じクラスで授業を受けていた。

先生自体も校長、副校長、学年主任兼担任と、わずか三人だった。

クラスは全部で七人いた。

一年生一人、二年生一人、四年生一人、五年生二人、そして六年生が杏奈と莉子。

唯一同じ年齢で、六年間一緒に通った学校生活は莉子が居たから楽しかった。

卒業式が始まる日の朝、最後の学校への登校途中で莉子に明日早朝にはここを出て東京の目黒区へ引越す事を伝えた。

あまりに突然な内容だったからか、莉子は言葉が見つからない様子だった。

当然の反応だと思った。

自分の事だけれど、どこか他人事のような感覚にもなっている。

村の小さな卒業式が、午前中が満たない速さで終わり、莉子と最後に慣れ親しんだ帰路を共にした。

もう後少しで莉子の家に着いてしまう。

莉子の家は杏奈の家よりも手前に位置している。

片道徒歩三〇分があっという間だ。

学校を出てもお互いに俯いてしまい、何を言ったら良いのかが分からなかった。

莉子の家の前に到着すると、莉子が口を開いた。

「あまりにも突然すぎて…… ショックが大きくて言葉が見つからなくてごめんね。 杏奈がこの地からいなくなるのは、実感が湧かないし、寂しいね…… ずっと一緒にいることが当たり前すぎて、中学も高校もいつまでも隣に杏奈がいると思っていたから……」

杏奈は急に実感が湧いたのか、莉子の言葉に思わず、瞬く間もなく大粒の涙がこぼれ落ちてきた。

「私も自分の事なのに、突然すぎて受け入れられていなくて…… きっと離れていく人より、残される人の方が辛いよね。 私が逆だったら泣きじゃくって行かないでってなっちゃうのかも」

莉子の目も今にも溢れそうな、涙が浮かんでいた。

「私だってそうしたいし、一緒について行きたい。 まだまだ先だけど、大学は東京へ行きたいと思ってる。 この辺りは本当に何もなくて不便だし、将来は杏奈のいる近くで家を借りて、一人暮らしする!」

最後は頑張って笑顔を作り、言い切ったと同時に涙が溢れ、一緒に行くはずだった女塚中学校の制服の袖で、急いで涙を拭った莉子の表情は美しかった。

杏奈もその未来を想像すると、頑張れる気がしてきた。

「六年後、一緒の大学に行こう」

莉子はその言葉がとても嬉しかった。

「うん、約束」

二人はしばらく莉子の自宅前で抱き合った。

お互いの体温を感じて、しばらく泣いた。

落ち着いてきた莉子が、杏奈の手を握って聞いてきた。

「……明日は何時にここを出る予定なの?」

杏奈も卒業式用の服の袖で軽く涙を拭いてから答えた。

「長く見て車でここから一九〜二〇時間ほどかかるみたいだから、夜中の一時には出るみたい」

「そっか…… 私も夜中一時まで起きて待っているから、最後に杏奈の顔を見せに来てほしい」

そう伝えられ、毎日当たり前に見ていた、莉子の家に入っていく最後の後姿を見送った。

杏奈はまだもうしばらく歩かなくてはならない、自宅までの道中にふと思いついた。

莉子へのプレゼント……

私の気持ちが伝わる、肌身離さず持っていられる物ってなんだろう?

そう考えた杏奈は、両親に相談をしてみる事にした。

徳島の県庁所在地からは、だいぶ離れた山奥の女塚村に住んでいると、どうしても情報量が少ない……

今の時代ではきっと珍しく、携帯電話も普及していない。

情報は二時間程車を走らせて、やっと辿り着くコンビニに売っている種類が少ない雑誌や、テレビのNHKからくらいだ。

家に着くと、靴を乱雑に脱ぎ、タッタッタ……と、急いで居間へ向かうと卒業式後の両親が待っていた。

「ただいま! お父さん、お母さん、莉子に何か最後にプレゼントをしたいと思うんだけど、何が良いかな!?」

プレゼントを渡す案が閃いて(ひらめ)からは、途中から急足で帰ってきたので、息を切らしながら聞いてくる娘に、父は言った。

「おかえり。 プレゼントか…… この辺りにはそういうオシャレな物は売っていないからなぁ」

そうだよね…… と、言わんばかりに俯いてしまった娘を気の毒そうに母が見つめている。

しばらくの沈黙の後、母が思い付いた。

「杏奈、ミサンガとかどうかしら?」

初めて聞く物の名前だった。

母は元々この村の出身者ではない。

杏奈から見て、祖父と祖母が田舎暮らしに憧れ、母が大学卒業と同時にここの村に引越しをしてきたという経緯があった。

本当は母は東京での就職を希望していたが、祖母は高齢出産で母を産んでいる為、この時点で両親だけでの生活が心配だったこともあり、一緒に引越してきたのだった。

そして数年後、元々この村で生まれ育った父と知り合い、結婚をした。

母の事情を知っていた父は、祖父と祖母と母の住む家に一緒に同居をする形となった。

その後、杏奈が生まれ、杏奈が九歳の時に祖父がガンで亡くなった。

しばらくして、祖母も病を患い、亡くなってしまったのだった。

母は二〇年以上、東京で育ってきた。

知識もそれなりに持っていた。

「ミサンガはお母さんが、高校生の時に流行っていたのよ。 少し太めの糸を編み込んで、足首に着けるの。 離れてしまう人に贈って繋がりを心で感じたり、願い事を込めればミサンガが切れた時に、願いが叶うなんていうジンクスもあるのよ」

母は懐かしそうに話しながら、教えてくれた。

「私、それが良い! ミサンガを莉子にプレゼントするよ」

話した甲斐があったようだ。

「お母さんの裁縫セットに、糸が何色か入っているから、一緒に選んで作りましょうね。 でもまずはお昼ご飯をみんなで食べてからね」

「うん!」

卒業式は昼前には終了していたので、時間はとっくに正午になろうとしていた。

母の作ってくれたオムライスを家族三人で食べ、洗い物も終えた母は、すでに段ボールにしまっていた、裁縫セットを取り出し、糸を何色か取り出してくれた。

「うーん…… 色がたくさんあって、何色が良いか迷っちゃう」

裁縫セットの中には、想像していた以上に糸の種類や色が入っていた。

「そうね。 確か友情ジンクスでは、黄緑とオレンジを掛け合わせると繋がりが深くなると言われていたわ」

杏奈は初めて聞くミサンガという物、そしてジンクス……

とてもワクワクした気持ちになった。

「お母さん、私黄緑とオレンジを合わせたミサンガを作りたい!」

娘の積極的な姿と、東京での生活がここで活きてくる事が嬉しかった。

「二つ作りたいんだけど、すぐ出来るかな?」

「お揃いにしたいのね。 お母さんの教え方ならすぐに出来ちゃうわよ」

少し自慢げに話す母に、杏奈はクスッと笑った。

母がまずはゆっくり説明をしながら、一つ見本で作ってくれた。

工程は多少理解したので、早速杏奈も糸を編み込んでいった。

「ここが緩んでしまっているから、もう少しきつく絞めてみて」

杏奈は母からアドバイスをもらいながら作っていった。

初めての創作で二つ作るのに、二時間近くはかかっただろうか。

「で、出来たー!」

 元々手先は器用ではない杏奈だったが、母の熱心な指導と補助のおかげで、上手く完成した。

「素敵なミサンガが作れたわね。 きっと莉子ちゃんも喜んでくれるわ」

「お母さん、ありがとう」

ミサンガを莉子の為に作れて嬉しい想いと同時に、明日の夜中一時頃に莉子へプレゼントをしたら、もうこの場所を離れてしまうという実感が一気に押し寄せてきた。

時刻はすでに一六時を過ぎていた。

「夜中にはここを出るから、杏奈の荷物は元々少ないから、残りはそこの段ボールに入れておいてくれ。 大きい物や後で良い物は別の段ボールに入れてあるから、あとは業者が東京まで運んでくれる手筈になっている」

父がそう言い、母も裁縫セットの片づけや残りの細かい荷物を段ボールへ入れ始めた。

夕食とお風呂を済ませ、二〇時前には布団に入っていた。

この家で寝る最後の夜。

寂しさでなかなか寝付けなかった。

夜中の一二時三〇分、母が起こしに来た。

全然寝た気にならなかった。

身支度を整えて、莉子に渡すプレゼントのミサンガをバッグの中に入れた。

この家ともさよならか……

四LDKの元々中古だった平屋。

杏奈にとっては、一二年過ごしてきた思い出がたくさんある。

最後に一つ一つの部屋やキッチン、リビング、ダイニング、トイレ、お風呂場を回った。

見慣れた柱の傷、所々傷んだ畳、家具を置いた際に付いてしまった床の削れ、祖父と祖母が過ごしていた部屋……

古い家だったが、家族みんなで一緒に過ごしてきたので、ここに思い出を置き去りにするような…… とても複雑な気持ちだった。

ありがとうと、家の外からお辞儀をした。

車に荷物を積み込み終えた、両親が車の外で待機をしていた。

大きなバンだが、車内は荷物でぎゅうぎゅうになっている。

後部座席へと乗り込み、莉子の家へ寄ってもらった。

街灯もほとんどない夜中の山道を進み、莉子の家にたどり着いた。

村の家は大体が平屋で、木とガラスでできたスライド式のドアで、インターフォンがない。

莉子の家のドアをコンコンッと、ノックをした。

今日この時間だけの為に寝ないで待ってくれていたのであろう、莉子がガラガラッと、スライドドアを開けて出てきた。

「夜中にごめんね、眠たいよね」

杏奈が申し訳なさそうに伝えた。

それに対して莉子は、寂しげに笑顔を作り、答えた。

「私は大丈夫。 それより急いでるのにわざわざ寄ってくれてありがとう。 杏奈の顔が最後に見れて嬉しい」

そう言いながらも、唇を途中途中に噛み締めて、無理をしながら涙を堪えているのが伝わり、それが杏奈にとって辛かった。

このままではいけないと思い、杏奈がバッグからミサンガを取り出し、莉子に手渡した。

「私の手作りなんだ。 ミサンガって言うの。 昨日お昼過ぎにお母さんから作り方教えてもらって…… お揃いなんだよ」

杏奈がそう言いながら、自分の利き手側の右足首に巻いた、ミサンガを見せた。

初めて見るミサンガに莉子は嬉しそうな表情に変わった。

「利き手側の足首に巻くみたいだから、莉子の場合は左だね。 色も黄緑とオレンジの組み合わせは友情の意味があるんだって。 そして、願いを込めて結んで、自然に切れると願いが叶うってジンクスがあるんだよ」

その場に屈んで、莉子はとても小さい声で何を言ったのか杏奈には聞き取れなかったが、お願い事を言って左足首にミサンガを結んだ。

「ありがとう! 大事にするからね。 杏奈、元気でいてね」

莉子は杏奈を引き寄せるように、抱きしめた。

その瞬間、ずっと我慢していた感情が涙として溢れ出してきた。

「手紙書くよ。 また必ず会いに来るからね。 大好き、莉子……」

名残り惜しくも杏奈は車に乗り、窓を全開に開けて身を乗り出し、莉子の姿が見えなくなるまで手を振り続け、莉子と別れた。

しばらく杏奈は窓の外を眺めていたが、通り過ぎる景色は森林が続いて、真っ暗だ。

ナビで表示された新しい住所までの到着予定時刻は、二十一時だった。

途中でパーキングエリアや朝昼夜ご飯を挟むとしたら、きっと新居へ着くのは遅くて二十二時頃だろうと、父が言っていた。

寝てはご飯を食べ、また車の揺れでいつの間にか眠りに落ちてを繰り返していた。

「着いたぞ」

最後一九時頃ドライブスルーで買った、ジャンクフードを食べて以降に眠ってしまっていた杏奈は父の声に目を覚ました。

時刻は二十二時を少し過ぎたところだった。

途中何度かパーキングエリアで、車から降りてはいたが、やっとゆっくり足を伸ばせるとホッとした。

車から降りると、三月下旬の夜の東京は肌寒かった。

夜中の一時に村を出ていた事もあり、また夜の外を見て何だか時差がおかしくなったような気分だった。

そして両手を組んで背伸びをすると、あくびが出た。それと同時に出てきた涙に霞んだ横目に建物が見えた。

再度出そうなあくびを飲み込むと、着ていたパーカーの袖で両目を擦って再度建物側を正面に視線を向けた。

ベージュ調の立派な、二階建ての一軒家がそこには建っていた。

「ここが私の新しい家なの……?」

初めて見るオシャレな作りに、杏奈は少し表情が緩んだ。

都会ではありふれた、一つの家に過ぎないが、杏奈にとっては初めて見る造りの家だった事もあり、驚きを隠せなかった。

家の前の道路寄りから周りを見渡しても、村では見た事のない情景が広がっていた。

街灯が至る所にたくさんあって、夜といえども村の夜より何倍も明るかった。

道の街頭に加え、家の一軒一軒から漏れる光、そして玄関の明かり達……

家と家の間隔は村とは違って、狭くて圧迫感も否めないが、街並みが整っていて、閑静な住宅街といったところだろうか。

ライトに照らされた自宅の表札が目に入り、一応確認してみると、〈山口〉と書いてあり、本当に今日からここに住むのだという、実感が更に湧いてきた。

自宅裏側から数メートル歩いた場所には、コンビニやスーパーマーケットがあるらしい。

徒歩でコンビニに辿り着けるなんて、今までではあり得なかった。

夢かもしれないと思うような、現実ってあるんだな…… と、ふわふわした感覚を感じている最中、母の呼びかけで一旦我に返った。

「杏奈、手伝ってちょうだい」

村で見慣れたスライド式ではない、お洒落な棒状の外からは引き戸のドアノブに、鍵はカードキーらしい。

そういえば、お父さんのお兄さんからの手紙に、カードが三枚送られてきていたのを思い出した。

それが新居の玄関に使われる物だとは思ってもみなかった。

でも確かあれを見たのは、もう二〜三ヶ月前にもなるような……

引越しも決まっていたのなら、その時に言ってくれていたら良かったのに。

そんな事が少し頭の中をよぎった。

だが、たらればを言っていても仕方がないし、早く聞いていたとしても、もしかしたら刻一刻と迫る日付に対して抵抗をしていたのかもしれない。

そう自分に言い聞かせ、深く考えることをやめた。

玄関の中に入ると、オフホワイトで統一された優しい空間が広がっていた。

右側に全身鏡があり、靴箱がその隣にあった。

左側にはスーツケースや小型の自転車などが置けるのであろう、余白スペースになっていた。

これが新築の匂いなんだ……

生まれて初めて新築の香りを知った。

今まで自分の家の匂いは良く分からなかったが、人の家に行くと、その人の独特の匂いというのがあるのは知っていた。

莉子の家だったり、村の近所のよそのおばあちゃんやおじいちゃんの家など上がらせてもらった時に、自分の家とは違う匂いがすることは良く感じていた。

早く中に入って、一つ一つの部屋やキッチン、お風呂場などを見て回りたいところだが、まずは車内に詰め込まれた荷物を車から玄関へ移動させなくてはならない。

玄関には一人分通れる動線を作り、荷物を順に玄関の両端に置いていく。

 家族三人分の布団や枕や掛け布団、一四〇サイズの段ボールを一〇箱ほど運んだだろうか。

「よし、中に入ろう!」

父が車の施錠をし、玄関のドアを閉めて、家の中へ先に進んだ。

家具や家電は後日届くので、まだ中は何もない状態だった。

玄関から少し廊下を進むと左側にトイレがあった。

トイレはボタン式でたくさん機能が付いている。

トイレの対面にスライドドアがあり、開けるとリビング、ダイニングスペース、左手奥にキッチンがあった。

キッチン横の奥のドア先には、洗面台とお風呂がある造りだ。

「天井が高くて、広い……」

初めて見る建物の中があまりにも異次元で、杏奈は今日からここに住むのが、信じられない気持ちだった。

父は空っぽなリビングスペースで、すぐに使うお風呂場用品や、キッチン用品などを取り出し、段ボールの荷崩しをしながら、誇らしげに言った。

「父さんの兄がこっちで不動産関係の仕事だから、色々と気を利かせてくれてな。 建売だけど駅近で、杏奈の新しい学校までもなるべく近いようにって、色々と条件の良い場所で探してくれたんだ」

父の兄は二人の両親が他界してしまった、しばらくの後、東京へ行ってしまったのだそう。

もう村を離れてから、一四年程経つのだとか。

兄弟の関係は当時から良好で、手紙のやり取りを良くしていたのは杏奈も知っていた。

プルルルル……

キッチンカウンター辺りから何かが鳴り出した。

父はキッチンへと向かい、置いてあったスマホから電話に出た。

「もしもし、兄さん。 今さっき無事に着いたよ。 あぁ、色々と手配してくれて助かった。 ありがとう」

杏奈は初めて見るスマホを珍しそうに見ていた。

村では固定電話すら、持つ人が少なかった。

うちにも莉子の家にも、固定電話はなかった。

大抵は村内での伝達で済んでしまうのと、何より電波が入りづらいらしい。

唯一のNHKですら、電波が飛び飛びで映りづらくてストレスを感じていたのも確かだ。

「お父さんのスマホはお義兄さんが用意してくれていたのね」

段ボールを玄関からリビングスペースへと運びながら、母が言った。

東京ではスマホがないと生活が不便らしい。

「私、お父さんの電話が終わるまで、自分の荷物だけでも二階へ運ぶね」

杏奈の荷物は服と文房具の段ボール一つで足りたので、さほど重くはなかった。

掛け布団と枕、最後に布団を持ち上げ、階段を上がって突き当たりのスペースに一旦置いた。

二階には右側に二部屋、左手前にトイレと奥にもう一つ部屋がある造りだった。

「私はどの部屋にしようかな」

一度全ての部屋に入り、一部屋づつ窓を開けて外を眺めてみた。

三つの部屋は各六畳ほどの広さだった。

階段を上がったトイレと隣の左側の部屋は特に、先の二部屋よりも眺めが気に入った。

ここに着いて車から降りて、軽く見渡した景色よりも、高さがあるからか更に美しく見えた。

そして、初めて見る上からの街並みの眺めが、杏奈にとってはとても新鮮だった。

この部屋を自室にしようと決めた。

お父さんとお母さんもきっと隣同士が良いだろうという理由を建前に、両親へ報告しようと思った。

置いたままにしていた、段ボールと布団や掛け布団と枕を部屋に運んだ。

 段ボールには服と文房具が詰め込まれているが、机はまた後日届く予定であり、ハンガーが入っている段ボールはきっと下の玄関端に置いたどれかに入っているだろうと、後回しにすることにした。

時刻も時刻なので、布団を敷き始めた。

今日は疲れた一日だったな……

そして何よりも感情が忙しかった。

莉子と離れて寂しいのに、この新しい景色や場所に簡単に浮かれてしまった自分がいた事も確かで、それが何だか悪いような気持ちにもなった。

その感情と共に、田舎娘がこんな大きい東京という場所で受け入れてもらえるのか、友達がちゃんとできるのだろうかと、思春期にありがちな不安感も当然出てくる。

「莉子…… もうすでに会いたいよ……」

涙がジワッと少し浮かんできた。

「……杏奈?」

母の声にハッとした。

気付くと布団や敷布団を敷くだけなのに、思考ばかりに意識がいって、手が動いてなかったらしい。

「お母さん…… どうしたの?」

開けっぱなしにしていたドアから、母がゆっくり部屋に入り、かがんで目線を合わせて杏奈に言った。

「さっきから一階から呼んでいたのだけど、全然反応がないから心配して上がってきたのよ。 大丈夫?」

「う、うん、大丈夫だよ!」

とっさに笑顔を作った。

「杏奈には無理させてしまってごめんなさい。 莉子ちゃんと離れるのはとても悲しかったわよね……」

ちょうど莉子の事を思い出していたので、母に的確な心内を言い当てられた事で喉の奥が熱くなった。

父にはこれからここでの仕事があるし、莉子の所へは、またすぐにでも会いに行けるだろう……

自分を気遣い、心配する母に負担をかけたくなかったので、表面上の気持ちを一瞬で整理し、母に伝えた。

「莉子にはまたいつか会いに行くからさ! その前に入学式がお互い終わって、落ち着いたら手紙を書こうと思っているから、お母さんもあまり私を心配しないで大丈夫だよ」

母は少し無理をしながらも、新しい生活に気持ちを切り替え、進んでいこうとする娘の意図を汲んだ。

「そうね…… そのうち会いに行きましょうね」

そう言って、杏奈の頭を優しく撫でた。

母と一度一階へ戻ると父はすでに電話を終えて、大きな見たことのない薄型テレビが繋がれていた。

杏奈はその迫力に圧倒され、一瞬言葉に詰まった。

「えっ! ……お父さん、これってまさかテレビじゃないよね!?」

父の兄がキッチンカウンターにスマホを置いていく際、足元に新しいテレビも一緒に置いてくれていたらしい。

村を離れる際に、ブラウン管テレビを手放してきた。

今のテレビはこんなに薄くて、どう映し出しているのか、本当に不思議だった。

身長一五二センチほどの杏奈が横になったら、身長とテレビ幅は同じくらいあるだろう。

まだテレビ台がなく、目線を少し落とされなければならないが、大きさがあるとの同時に、持ってきていた座布団を三枚テレビ前に置き、一旦観やすくしてくれていた。

座布団の一枚に杏奈は座り、ここで生まれて初めて、NHK以外の番組を観た。

(なんて綺麗な女性だろう……)

映し出されたドラマに有名な俳優達が出演していても、杏奈には誰なのかが分からない。

ただ、一つ言える事は世の中には同じ女性でもこんなに見惚れてしまうくらい、美しい人がいる。

「お父さん、テレビ観られるようにしてくれてありがとう」

両親が顔を見合わせて、微笑んでいた。

娘の思っていた以上の反応が可愛らしかった。

「そういえば、先ほどの兄からの電話ですごい情報を聞いたんだ。 今は契約すればテレビで映画やアニメも観られるってな。 それでやり方を教えてもらって早速観られるようにしたんだ」

「時代はハイテクね」

父と母が話で盛り上がった。

「今入力切り替えするから、どんなのがあるか見てみると良いぞ!」

そう言って父がリモコン操作をすると、たくさんの映画やアニメがずらっと出てきた。

杏奈もその画面を見るとテンションが上がってしまった。

「オススメは、こうして目立つ場所に出てくる。 スマホを買ってから今人気の作品を調べて観るのも良し、気になる作品を観ても良しだな!」

作品数が多すぎて迷うなぁ……

しかし、一番最初のオススメに並んだのは、ホラーやミステリー系だった。

「あなた、さっきホラーやミステリー映画をチェックリストに入れたから、この類がオススメで出てきてしまったんじゃないのかしら?」

そう言う母はあまりホラーや心臓に悪いような作品は好きではないらしい。

父は逆にそういった類が好きなようで、ついさっきまで観たい作品をチェックリストに入れていたようだ。

その中のタイトルに〈陰陽師〉と書いてある作品とあらすじがなぜか気になった。

「お父さん、この陰陽師(いんみょうじ)って何?」

 父は娘の読み違いが可愛らしく思えた。

「あぁ、これか。 読み方は陰陽師(おんみょうじ)と言うんだ。 昔日本では目に見えない悪霊などを退治したり、呪いをかけたり、呪い返しなんかで功績がある有名な人を、そう呼んだ時代があったんだ。 古典に載っている人物だと安倍晴明が有名だな」

だが母は、娘にこういった作品を見せたくないといった様子だ。

「観ても良い作品なら、観たいな」

そい言う杏奈に対し、持ってきていた目覚まし時計を母が見せると、時刻はすでに二十三時三〇分を過ぎていた。

「杏奈、今日はもうお風呂へ入って寝なさい。 明日以降に何か作品を観るなら、もっと明るくておもしろそうなアニメや映画にしてちょうだい。 怖くなっても自業自得よ」

母の発言は最もだった。

〈陰陽師〉…… 気になって仕方がなかったが、呪いや目に見えない悪霊が出てくるとなると、確かに怖い思いをするかもしれない。

「おっと! 今気付いたが、これはどちらにしても杏奈は観れない作品だな」

そう言う父に対し、画面に目をやると、年齢制限がR一五だった為、どちらにしても観る事は許されなかった。

少しホッとしたような、残念なような、複雑な心境になった。

そしてこの日はお風呂に入り、すぐに就寝した。

翌日から入学式までの約二週間の間に家具や家電が全て届いた。

前の家から使っていた冷蔵庫や洗濯機は引越し業者へ父の兄が依頼をしてくれていた。

それ以外の居間で使っていたテーブルやテレビ台は、かなり年季が入っていた事もあり、向こうで別の業者に引き取り委託をしてきたそうだ。

杏奈の使っていたデスクと椅子も届き、やっと文房具を段ボールから取り出して、しまうことができた。

父が兄から教わったと言う、ネットショッピングでソファやダイニングテーブルセット、テレビ台などが着々と新居へ届いた。

そして家族念願のベッドも三セット購入をした。

日々届いた物を組み立て終わるたびに、家族三人でハイタッチをするくらい、作業は連日大変だった。

だが、家の中が便利な状態に整ってきて、やっと我が家という実感がし始めてきた。

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