ドライブ 4-2
休憩は、こまめに取るようにした。運転の疲労を取るためではなく、まず彼女たちがトイレに行けるようにすること。それから、真理ちゃんのお化粧直しのためだ。1時間走って、15分休憩。こんなペースで私たちは進んだ。 この方が、立ち止まってじっくり周囲の景色を眺めることができる。
鋸南町の、道の駅で休憩した。すると二人が、「交代で助手席に座りたい」と言い出した。もちろん、助手席の方が眺めは良い。最初は、なんと涼ちゃんが座ることになった。まいったな。私は気まづさを感じた。さて、何を話せばいいだろう?音楽は、真理ちゃんの選曲に変わった。これも私の知らない曲だ。女の子アイドルの歌か、あるいはアニメソングか。
涼ちゃんが、助手席に乗り込んだ。私の緊張は、さらに高まった。まるで、若い頃みたいだ。昨日のことがあるし、彼女の表情はまだ厳しかった。真理ちゃんとは、二日続けて夕食を食べた。AKBのライブもいっしょに見た。真理ちゃんは、とてもおおらかな性格なのだと思う。人付き合いが上手だ。きっと、友だちもたくさんいるだろう。 涼ちゃんは違う。彼女はとても繊細だ。容易に心を許さず、あの鋭い視線で相手をじっと見つめる。そして相手を追い払う。そんなタイプに見えた。
細い国道が、トンネルをいくつもくぐった。風景は、向かって左が森、右はずっと海。たまに、ポツポツと家があるだけ。しばらく進むと、小さな駅が現れて、その周りに小さな町が現れる。古い造りの商店があって、地元の特産品を売っている。町を抜けると、また森と海だけになった。
「おじさん」と、涼ちゃんが私に話しかけた。
「はい」
彼女に話しかけられたのは、これが初めてだ。緊張を表に出すまいと、私は必死に笑顔を作った。
「なんだい?」
「おじさんは、名前はなんていうの?」
「拓郎、吉田拓郎の拓郎」そう説明した後で、彼女たちは吉田拓郎を知らないだろうなと思った。
「じゃあ、拓ちゃんだね」と、涼ちゃんは言った。口ぶりに、意外な明るさがあった。
「おいおい、俺は48歳のオヤジなんだ。いまさら、ちゃん付けはきついよ」
「いいの。拓ちゃんで。ねえ?」と、涼ちゃんは真理ちゃんに同意を求めた。彼女の親しげな態度に面食らった。海を見たせいだろうか。
「いー。拓ちゃんでいー」と、真理ちゃんも同意した。これで、決まってしまったぞ。やれやれ。
「私、学校やめたの」と、涼ちゃんは一転して乾いた声になった。
私はまた驚いた。こんな得体の知れないおじさんに、身の上話をするのか?。
「なんで?」
「気に入らなかったから」と、涼ちゃんは答えた。
高校中退か、と私は心の中で頭を抱えた。今の彼女に、帰る場所はないということだ。
「ところで、涼ちゃんはいくつなの?」
「18になった」
「てことは、高校三年生だったんだ」
「うん」
「真理ちゃんは?」
「同い年。でも、まだ17才」
「真理ちゃんも学校やめたの?」
「ううん、真理ちゃんはやめてない」と、涼ちゃんが答えた。「でも、7月から学校に行ってない」
「そう」私は努めて、落ち着いて返事をした。「涼ちゃんが、学校辞めたのはいつ?」
「7月」 と、涼ちゃんが答えた。今度は投げやりな言い方だった。
7月に、何かがあったようだ。だが私は、今それを聞こうとは考えなかった。彼女たちが話したくなったときに、聞かせてくれればいい。
「7月に、二人で家出したってこと?」
「そう」と、真理ちゃんが答えた。
「それで、都内でインターネットカフェとかに泊まってたの?」
「そう。それが一番安くすむから」 と、真理ちゃん。 7、8、9。三ヶ月も、二人は都会を彷徨っていたわけだ。社会からドロップアウトし、何も目指すものがなく。私は、真理ちゃんの欠勤数を計算してみた。7月は、20日頃から夏休みだ。仮に7月は10日欠勤として、9月は20日。今日は10月6日だから、合計で35日になる。卒業に必要な出勤日数は、何日だったけ?退学しちゃった涼ちゃんは仕方ない。でも真理ちゃんには、いつか学校に戻ってもらいたいと思った。
「ねえ、拓ちゃん」と、涼ちゃんが言った。 「私と真理ちゃんは・・・」と涼ちゃんは、何か言いかけて口ごもった。彼女が隣で、逡巡しているのを感じた。
まるで、教会の懺悔室みたいな雰囲気になってきた。私が牧師で、涼ちゃんの告白を聞くのだ。私に、そんな役目はできるだろうか? しばらくの沈黙の後、彼女は話を再開した。
「私と真理ちゃんは、付き合ってるの。レズビアンなの」
「知ってるよ」と、私は答えた。
助手席で、涼ちゃんが驚いているのがわかった。私は説明した。
「君たちは覚えてないと思うけど、俺たちは目黒駅のホームで会ってるんだよ。うちに来る二日前に。君たちはずっとキスしてた。それを見て覚えてたから、電車で寝過ごしたときに声をかけたんだよ」
「そうだったんだ・・・」涼ちゃんはそう言って、また少し黙った。一生懸命、何か考えている様子だった。
「ねえ、レズって変だと思う?」 と、涼ちゃんが聞いた。
「いいや、全然」と、私はすぐ答えた。
車内がシーンとなった。涼ちゃんが、息を飲む気配を感じた。
「全然?」
「全然」
「どうして?」
「ある調査によると、現代では、約8%の人が同性愛者なんだって。でも、そんな話はどうだっていい。実際、俺の友だちにもいるよ。わりと身近なことなんだ」
「・・・」 涼ちゃんと真理ちゃんは、黙って聞いていた。
「君たちはまだ若いから、知らないことが沢山あっても仕方がない。これから覚えていけばいいんだよ。時間はたくさんある。焦ることはない」と私は言った。
「うん」と、涼ちゃんがうなずいた。
「同性でも異性でも何でもいい。お互いに好きってことは、素晴らしいことだ。長く生きてみて気がついた。“お互いに好きでいられる時間は、びっくりするほど短い”って。だから俺は、涼ちゃんと真理ちゃんが羨ましいよ」
二人は、私の言ったことについてしばらく考えていた。難しいことを言い過ぎたかな、と私は少し不安になった。
「ねえ、拓ちゃんは恋人はいるの?」だいぶ時間が経ってから、涼ちゃんが私に聞いた。
「いないよ」
「どうして?」
「インポだから」と、私は答えた。「うつ病になって、その副作用なんだ。医者によると、10%くらいの患者はそうなるんだって。だから、恋人はいらない」
「寂しくない?」と、涼ちゃんは私にたずねた。痛みをいたわるような、優しい聞き方だった。
「少しは寂しいよ。でも仕方がないし、我慢できる範囲だよ」
おいおい、女子高生にインポの説明なんかしていいのか?まあ、話の流れだ。どうしようもない。




