ドライブ 4-1
次の日、私は6時に目を覚ました。シャワーを浴び、ていねいにヒゲを剃った。時間をかけて、朝食の準備をした。外はまあまあの天気だ。私の部屋は1階で、ささやかな庭がある。2m近い木製の塀があって、その向こうは広い公園だ。
庭の向きは東南なので、朝日をまともに浴びる。塀の向こうを、人が行き交うのが見える。というのは、横板を重ねた塀に隙間があるからだ。歩いている人は、圧倒的に高齢者が多い。健康を維持するために、朝の散歩を日課としている人たちだ。
テーブルに座って一息つくと、久しぶりに煙草のことを思い出した。けれど、吸いたいわけではない。こんな朝に、一服した記憶が蘇っただけだ。うつ病が一番ひどいとき、私はひっきりなしに煙草を吸った。一日に、三箱、四箱くらい。
塀の向こうを、グレーのスーツを着た中年男が歩いている。会社に行くのだろうか。今日は土曜日なのに。そんなに忙しいのか。それとも、家にいたくないのか。どちらかにしても、つらい人生だ。
時計が、8時を指した。しかし、涼ちゃんも真理ちゃんも起きてこない。しびれを切らして、私は8時10分に二人を叩き起こした。この子たちは、いつも何時まで寝ているのだろう? 二人は着替えて、ダイニングルームにやってきた。
涼ちゃんは、水色の長袖ニットシャツに、膝丈の格子柄スカートを着ていた。今日は、肩まで伸びた髪を縛っていなかった。
問題は真理ちゃんの化粧だった。今日の涼ちゃんは、ほぼすっぴんだった。真理ちゃんは、鏡の前で念入りにメイクした。これが長い。8時30分を過ぎても終わらなかった。仕方ない。8時45分になって、ようやく洗面台から出て着た。
今日の彼女は、オレンジ色がベースのワンピースだった。襟や袖やスカートの裾に大きなフリルがあって、腰には巨大な二本の布がついていた。彼女はその布を、腰の後ろでリボン結びにしていた。涼ちゃんが、誇らしそうに真理ちゃんを見つめた。
私たちは早々に朝食を済ませ、出発することにした。ここで、少し手違いが起きた。涼ちゃんが、革ジャンを着ないで玄関を出たのだ。昨晩私が怒ったから、革ジャンをやめたのかもしれない。ニットシャツだけじゃ、海辺では寒いだろう。私は部屋に戻って、登山用のウインドブレイカーと雨具をリュックに積めこんだ。
私の車は、ミニワンという名の小さな車だ。スリードアで、後部座席は申し訳程度のものだった。まさか女の子二人を乗せて、ドライブに行く機会がくるなんて思わなかったのだ。こんなことなら、ファイブドアにしておけばよかった。
涼ちゃんと真理ちゃんは、狭い後部座席に並んで座った。二人とも、最近では珍しい小柄な女の子だった。この座席でも大丈夫らしい。
「ねえ、君たちのiPhoneの曲をかけられるよ」と、私は提案した。
「えっ?いいの?」
「Bluetoothでつなぎなよ。順番に、二人の好きな曲をかければいいじゃん」
いつものように、二人は小さな声で熱心に話し合った。討議の結果、まず涼ちゃんの好きな曲をかけることになった。それは、日本語ラッパーの曲だった。もちろん私の知らない曲だ。でも、二人の気分が良くなれば、それでいいじゃないか。
家を出発して、館山道を目指した。館山道に乗ると、スピードを上げて一気に富津まで行く。館山道は、その名の通り館山まで続いている。けれど私は、あえて富津で高速を降りた。下道を南下すると、やがて道は海沿いの崖に沿うようになる。そこに差し掛かったとき、目の前に海がパッと見えるのだ。私はその景色が、若い頃から好きだった。
「わああっ」
海が見えた瞬間、二人が歓声を上げた。10月の東京湾は穏やかで、私たちの心を和ませた。遠くに大きな貨物船が見えた。貨物船の後ろに、緑豊かな三浦半島がくっきり見えた。
後部座席の二人は、キャッ、キャッと大騒ぎを始めた。昨日のことなんて、すっかり忘れてしまったようだ。
「ねえ、今日は房総半島を一周するんだよ。これから、飽きるほど海を見るからね」と、私は釘を刺した。
しかし、二人の気分は高揚したままだった。目の前に広がる風景に夢中だった。




