カオリの葛藤
蔵田弁護士。
以前ジイ様が縁談の話を持ってきた人物だ。彼は自分を偽って生きている。無論、私としては自分で言って照れるのだが「愛」のない婚姻はするつもりはない。共同生活の相手は私には必要ないと思っているからだ。いずれ私はここを離れて「合気」の道を究めるために放浪するつもりである。九州の同志には前々から誘って貰っているし、全国を行脚するのも悪くない。少々歳も食ってしまったが、なに、何歳になろうと志しあれば何とかなるのだ。サトの3人の子供の手がいらなくなったら、ヒスイの件がうまくいったら…サトはぎゃあぎゃあ言うだろうが身一つで出て行く事を心に決めている。
「それじゃあ、これで。」
「よろしく頼みます。それと、これを。」
「…いつもありがとうございます。」
「遠慮なく。」
蔵田先生を見送り、いつもの紙袋を渡す。サトには内緒だが私たちは月に1度は街で会っているのだ。しかし、それは「この」蔵田先生ではない。それに彼の心根はとても優しい人なのですぐに私たちは打ち解け、今では大親友なのだ。両親に厳格に育てられた故に歪んでしまった本当の彼はジイ様に出会って開花したのであろう。「大先生が本当の自分を受け入れてくれて人生に光がさした。」彼はジイ様の話になるとそう言う。ジイ様の褒められたものでない「夜遊び」で唯一、人の役に立った出来事に違いない。
数日経って村長から連絡があった。「ヒスイ」に一度会いたいとの事だった。
その日はサトが選んだ「賢そうに見える服」をヒスイに着せた。黒い金属製の眼帯は目立つので医療用の眼帯に変えてやった。ヒスイは終始何も言わず私がすることに無言で従う。サトと話し合って、ヒスイが「捨てられる」ような錯覚を起こさないように細心の注意を払い、回りくどいことはせずに正直に話すことにした。
「このままヒスイがこの家で暮らすには色々と手続きがあるんだ。その為に村で一番偉い人に会いに行くんだよ。それに…私と暮らすよりヒスイにとって良いところが有ればそちらに行けばいい。」
歩きながら二人で行く道の途中、そう、ヒスイに言った。つないだヒスイの手に「ギュッ」と力がこもった。それは一瞬だったが、私には心臓を掴まれたような感覚だった。少し歩いてヒスイが立ち止まる。顔を上げるとまっすぐに私を見て言った。
「カオはわしが居ると迷惑か?」
迷う素振りもないまま首を横に振り、答えてやる。
「ヒスイが居たいならずっと居てもいい。」
「…そうか。」
「心配するな。今日は顔を見せるだけだ。」
微笑んで言うとヒスイもにこりと笑った。子供は笑顔に限る。
「こうして二人で歩いていると親子のようだな。」
そう言うとヒスイが固まった。母親のイメージをさせることは禁句だったろうか。「顔も覚えていない」と言っていたのだが。私では理想の母親像を壊してしまうのだろうか。不味いことをいったか…。
悶々と考え込んだ私を横目にヒスイはぼそりと
「カオを母と思ったことはない。」
と言った。色々世話を焼いてやっていた手前その言葉はショックだったが致し方ない。少し落胆した様子を感じ取ったのかヒスイは村長の家に着くまで握った手に力を入れてつないでいた。
「賢そうな子だね。」
村長の家に着くとすぐに応接室へと案内された。
村長は少し小太りの誰がどの角度から見ても温厚で人の良いおじさんだ。自慢のひげの手入れを欠かさないらしいが道場の子供たちには「カー〇おじさん」と呼ばれている。
「はい、賢い子です。」
なぜか自慢げに答えてしまった自分に苦笑する。
「ヒスイくん、あっちの部屋であのお姉さんと遊んでおいで。おじさんとカオリちゃんはお話があるから。」
ジイ様を慕っていた村長は今でも私をカオリちゃんと呼ぶ。私が頷いてそうするように促すとヒスイがこちらを伺いながら遠慮がちに村長の娘さんについて行った。バタンと扉が閉まるのを見届けてから村長が話し出す。
「戸籍の話は蔵田弁護士から聞いているんだがね。それとあわせて話があるんだよ。」
「話…ですか。」
「実は3ヶ月前にこの村に越してきた村田さんという40代の夫婦が居るんだが、2年前にお子さんを亡くされていてね。生きていればヒスイくんと同じ歳の頃らしい。先日たまたま飲みに行った時に旦那さんと会ってヒスイくんの話をしたら興味をもって是非会いたいと言っているんだ。カオリちゃんはまだ独身だし、ヒスイくにとっても悪くない話じゃないかと思って。」
「ヒスイを引き取るってことですか。」
「もちろん、会ってみないと分からないと思うよ?お互いの相性も有るだろうし。」
「…そうですね。」
答える私の声が少しだけ震えた。
頭の中では分かっていたことなのに何故だかしっくりこなかった。突然の村長の申し出は上手くいけばヒスイにとって良いものにちがいない。でも、私は村長にそう答えるだけで精一杯だった。
「また近々連絡するよ。じゃあね、カオリちゃん、ヒスイくん。」
にこやかに手を振る村長に軽くお辞儀して門を出た。
信号の前で教えられた通りにヒスイが私の手を握ってきた。
軽く握り返して私は気がつく。
ジイ様が亡くなってからあの家の中で寂しく感じなかったのはこの小さな存在があってのことだったのではないか。現に私は「ヒスイ」を手放したくないと感じている。今、繋いだこの小さな手が愛しい。武道の話となると目を輝かせて饒舌になるおかしなヒスイ。例え焦げていようとも出されたものは綺麗に食べるヒスイ。膝の中で絵本を見ながら眠ってしまうヒスイ…。
…この子の未来のためには両親が揃っていたほうが良いだろう。まだそうとも決まっていないし、考えても仕方ない…だが、そのときは笑って送り出してやらねばならない。村長の話ではとても感じの良い夫婦らしいし。
…今のうちに覚悟はしておこう。
ヒスイに私の寂しさを悟られぬように。
******
数日過ぎた日曜日に早速夫婦から会いたいと連絡が入った。
既に覚悟していただけにすんなり了承して再び村長の家で会うこととなった。何も知らないヒスイをまた連れて行く。見合いのようにテーブルに対面した村田夫婦は少し年齢より老けて見えた。香水の匂いが鼻につく少女趣味なピンクのスーツを着た奥さんは涙を浮かべて机越しのヒスイの手を握った。
「なんてかわいい子なのかしら。」
隣で休日ゴルフのような格好をした旦那さんが頷く。ニコニコとする一見人の良さそうな夫婦に…なぜか気に入らない感じがした。
「どうだい?カオリちゃん。なかなか良い感じじゃないか?」
村長が私に満足げに言った。そうなのだろうか。なんだか私は気に食わない。
「試しに家に遊びに来てください。」
奥さんが軽く目頭をハンカチで押さえながら私にそう言った。…ヒスイはどう感じているのだろう。隣のヒスイを見ると不安そうに私を仰ぎ見ていた。軽くヒスイの頭を撫でてやって、「ヒスイと相談します。」と夫婦に笑顔を向けた。その場はそれで別れて、家に帰ってからサトにも相談した。
「う~ん。村長さんの勧めだったら悪くない気もするなぁ。変な施設に入れるよりヒスイにはいいかもねぇ。」
サトはそんなことを言った。
「ちょっと嫌な予感がしたんだ。」
「…。普通ならカオちゃんの「勘」を信じるところだけど、カオちゃんはヒスイのこと気に入ってるでしょ?」
「…確かに。」
「それに、このまま一緒に居たいでしょ?そういう気持ちで見てたらどんな人が引き取りにきても取られちゃう気がして嫌な感じすると思うよ?」
「 ……。」
「それに私はいつでも会える村の人に引き取ってもらうほうが理想的だと思うけど。ヒスイはカオちゃんに「お母さん」を求めてるのかな…。」
「サトは痛いところを突くな。ヒスイには「母と思ったことはない」と言われたよ。」
「…ヒスイが気に入ったらそうするしかないかもね。」
その言葉には私は答えなかった。そうするしかないだろう。明日、ヒスイを一人で遊びに行かせよう。
お互いに気に入ったら…。
…そのときは潔く送りだしてやろう。
そうは心に決めたものの
ヒスイはあっさり村田家に遊びに行くと言い、次の日に遊びに行って帰ってくると「村田さんの家に行く」と言い出した。
それを聞いた私は…
モヤモヤした気持ちをどうすることも出来ずに「そうか。」とぶっきらぼうに言うことしか出来なかった。
次回は翡翠の視点の予定です。