うつくしいひと
翡翠視点です。
水の國で起きていた45年に及ぶ統治争いが終焉し我が父群青が水の國の王となり平穏な時代がやっときた。荒れ果てた城下の復興も随分進み、兄萌葱の婚礼の儀も慎ましいものではあったが行われた。
城も落ち着き、跡継ぎとなる兄も無事に嫁をもらった。わしはこれで隠居して剣術などを伝えながら生きていこうと思っていた。武将としてもう戦う必要は無い。城に残ったところで政務の手助けができるとは思わなかったし、未だくすぶる跡継ぎ問題で担がれてはたまらない。そう思っていた矢先に父上が陸の國に留学をする話しをもってきた。貧しい水の國とは違い、陸の國は豊かだと聞く。陸の國の武芸にも興味があったわしは二つ返事で承諾した。「門」を開き、従者であり幼なじみの戦友琥珀と陸の國へと向かったのだが…。
「ここは…。」
目の前には幼子が二人。大きな目を見開いてわしのことを見ていた。…二人は兄弟なのだろうよく似ている。
「どこからきたの?」
少し大きい方の子が聞いてきた。ここは陸の國なのだろうか…。それにしても奇妙な格好をしている。陸の國で流行っているのであろうか。
「水の國からきたのだが…。」
言いかけて違和感に気づく。どうしてこんな幼子と目線が合うのだ?しかも自分の声が酷く高い。嫌な予感がして池の縁に立ってのぞき込んだ。
水面には先ほど出会った幼子と変わらない小さな子が映っていた。事態を受け入れることができず、惚けていると後ろから声がする。
「キラレンブルーでしょ?」
…何をいっているのかさっぱりわからんがきらきらした目がこちらを見ている。
「おれ、ヒロ。おれ、キラレンレッド!」
「…翡翠だ。」
「ミチはぁ、ブルーれしょう?」
「ブルーはキスイだよ!」
「ミチはキラレンゴーユド!」
「もう!そんなのないだろ!ミチ!」
「りゅうはのけん!やあ~~ッ!」
「おれ、のちゃから~!(←ちから)」
いきなり二人が襲いかかってきたと思えば向こうから黒い服を着た男がやってきた。
「おやかたさまだ!」
「おやかたしゃまら!」
その言葉でようやくここが誰かの屋敷の一部であることに気づいた。どうやらこの男がこの屋敷の主であるようだ。すこし目尻のあがった艶のある男。しかし立ち振る舞いは一部の隙もない。ただ者ではないようだ。
「みずのくにからのししゃがまいりました!」
「…そうか。」
二人の子供がじゃれるように男に寄っていくと男は優しく頭を撫でた。この兄弟の父親なのかもしれない。
「あちらで茶菓子でもどうかな?そなたたち。」
…そういえば腹が減った。向こう(陸の國)の方が食事情がよいので、ついてから食べようと琥珀が言ったので昼食を抜いたのだ。
「ヒロ、友達か?」
「うん。キスイっていうんだって。」
その言葉で男がわしを見た。思ったより優しい視線だったのはわしが今幼子の姿だからかもしれない。
「キスイは男の子か?」
その言葉に思わず頷いた。そういえば小さいときはよく間違えられた。
「わしは水の國から来た第二王子の翡翠だ。ここは陸の國であるか?」
とにかく事情を話して助けを求めるしかないだろう。男は少し考える素振りをすると
「キスイじゃなくてヒスイというのか?お母さんはどうした?ここで遊んでいるのは知っているのか?」
なんとも意思の疎通というものが皆無だ。この男が着ている服も奇妙だし…。
とにかく何か食べるものがもらえそうな雰囲気になったので取り敢えずはご相伴にあずかることにした。
幻想的な行灯が回る部屋の中に祭壇らしきものがあり、厳格そうなじいさんの絵が置いてあった。周りには見たこともない花と果実が置いてある。どうやら死者を祀っているようだ。
「モナカ」という菓子も「ジュース」という飲み物も甘くとてもおいしかった。
夢中で食べていると「好きなだけ食べていい」とおかわりもさせてくれた。
ひとまず腹の虫も収まったので話しを切り出した。
「わしは先に話した通り、水の國からきた。陸の國に行く筈だったのだが従者ともはぐれ、どうも道を誤ってしまったようだ。すまぬがここがどこなのか教えていただけないだろうか。」
落ち着いて話したつもりだったが返ってきたのはこんな言葉だった。
「え~と、迷子になっちゃったのかな?」
サトと呼ばれていた子供らの母親が答えたのだがどうもわしのことは幼子だと思っているようだ。
「お名前、全部言えるかな?ここには初めてきたの?」
「真名は家族になるものにしか言わん。ここは初めてだし、なぜか今は幼子の姿になっておるが、わしは大人だ。」
「…つまり名前を言わないように言われていて知らないところに居たと。あと…キラレンブルーは次回呪いがとけて元の大きさに戻れるんだよね?」
「ドクロだいみょうがのろいをかけてちっちゃくなっちゃったんだ!。とうっ!」
また訳のわからん単語が出てきて混乱する。何を言ってもいっこうに伝わらない。
夫婦はわしの両親が迎えに来るのを心待ちにしているようであったが、無論、そんな者は来るはずもない。夜も更けてきていよいよ放り出されるかと思ったが放り出されるどころか上手い食事にありつけた。
幼子と決めつけているであろう夫婦はわしの言うことを信じようとしないので地図を見せて欲しいと頼んだ。母親はすぐに地図を持ってきてくれて目の前に広げた。さきほどのじいさんの絵といい、まるで何かを写し取ったような絵が紙についているものもあった。そこに書かれている文字は完全に見たこともない文字で、一連の事を思い返すとここが陸の國ではあり得ないということと知らない世界に来てしまったということが推測できた。水の國を出るときに言葉の呪術をかけていたので言葉は通じるようになっているのかもしれない。唯一天の國には行ったことが無かったが、あそこの人間は皆金髪だと言うし、ここは雲の上でもなさそうだ。
親子が風呂に入りに行き、先に上がった赤子を男が器用に服を着せてやっていた。この世界の男は子育てに協力的らしい。
後から三人が風呂から上がってきてわしは男に連れられて風呂へと向かった。
ためらいもなく男が服を脱ぎ捨ててわしの方へやってきた。
男?
なめらかな白い肌はきめ細かく、胸には小振りだがしっかりとふくらみを持つふたつの丘があった。淡い桃色の先端は上を向き、柔らかそうな下の毛の中にはついているはずのものが当然のようについていなかった。
お、おんな!
子供らの父親だと思って疑いもしなかったが、よく見れば線も細い。
「わ、わしは女子と風呂は入らん!」
見ているのが憚られて背を向けた。すると男だと思っていた女が言う。
「この館の主は私だ!従えぬというのか?」
低い声で屋敷の主にこういわれては逆らうのもためらわれる。何しろ相手は自分のことを幼子だと思っているのだ。
「せめて何かで体を隠してはもらえぬか。」
なんとか体を隠して貰って一緒に風呂に入ることとなったのだが眼帯を取って顔を見上げると女が驚いた声をあげた。無理もない。片眼は数年前の戦でつぶれているのだから。
しかし、この女は情に厚いのかわしの目や傷を見て目を潤ませていた。確かに幼子がこんな目に遭っていたら尋常ではないだろう。
ここでふと考えた。
このまま幼子であればここで面倒をみてもらえるのではないだろうか。
ここはどうも異世界らしいし、帰る手だてが今はない。
もうしばらく今のままで様子を見よう。
そうすることにしてその晩から「門田 カオリ」の元でしばらく暮らすことにした。
次の朝早くに目を覚ますとなにやら向こうの部屋から気配を感じた。幼子の姿だからかやたら眠い体にむち打ちながら足を運ぶと大きな部屋にでた。ここは道場だろうか。使い古されてこすれ上がった床板がそれを肯定している。
「カオリ」が道場の真ん中にいた。
白いきものに紺色の袴姿でなにか稽古をしている。その動きはなめらかで、舞を舞っているようにも思えた。ほのかに朝日に照らされる舞台の上で舞ううつくしい女。
今までこんなにうつくしい女をみたことがあっただろうか。
わしは魂を捕まれたようにその場から離れることさえできなかった。