心壊れる前に
遅くなってすいません。
地下の牢獄のような場所ではその男の声は低くずしりと響く。
「与えられた仕事はやらないといかんよなぁ。」
頭に血が上っていた私は高瀬から繰り出される拳を掴み切れず、鳩尾にその衝撃を受けた。
高瀬は私が女だからと言って力の加減をするような男ではない。
私はその一撃で倒れ、高瀬が付けていたネクタイで高瀬の良いように両腕を後ろ手に縛り上げられてしまった。口の中に鉄の味が広がる。
「いいかっこうだねぇ、お嬢ちゃん。あんたの仕事ぶりを見てからとは思ったが……一筋縄ではいかないようだしなぁ。」
高瀬に顎を掴まれ顔を上げさせられる。精一杯の抵抗は奥歯を噛みしめるだけだ。
「……足は結構きれいじゃないか。」
その凶暴な手が私の太ももを撫で上げた。ぐ、と息を飲むことしかできない。
高瀬の手が大胆になろうとしたとき高瀬の後ろから黒服の男が現れた。
「高瀬さん。ヒサノ様が……。」
何やら後から現れた黒服の男が高瀬に耳打ちした。
チッ、と短く舌打ちすると高瀬は私から離れた。だがその眼は私を捕らえたままだ。
「歳も歳だ。可能性は十分あった筈だ。裏を取ったはずじゃないのか?」
「今、取り直しています。」
「もう、いい。ガキは来てるんだろ?」
何の話をしているかはわからんが高瀬の方に問題が起きたようだ。高瀬は少しイライラしながら口を開いた。
「お前さんの子供が会いに来たってよ。」
「え……。」
私の子供?
「女だっていうじゃないか。ってことはお前の長女ってことだな。」
「長女?」
「ヒスイという名に覚えがあるだろう?」
まさか。ヒスイ?
「まて、ヒスイは!」
「ふうん。あながちウソでもないのか。……ヒサノは取り込みたいだろうな。ふふ。なあ、柴山は甘い。そもそも長女に継がれる力ってなんだ?柴山の未来なんて俺にはどうだっていい。俺は今、柴山の力が欲しいんだ……能力のあるお前の夫って立場がな。」
「何を……。」
「邪魔なものはいらねぇ。」
高瀬が面白そうに私の瞳を探った。
「お前の娘、助けてやってもいいぜ。良い子にして俺の女になるんならな。」
「ヒスイは娘じゃない!!」
「……どっちだって同じさ。よおく考えておくんだな。どうすればいいかを。」
そう言って高瀬は黒服の男と扉の向こうに消える。残されたのは縛られ、転がされた私とキタヲの呻き声だった。
私に今何が出来るだろう。
あの男からサト親子を、ヒスイを……
守らなければ。
*****
「史也!史也!」
高瀬が去ってからまるでそれを待っていたかのように現れたのは璃音だった。キタヲを膝乗せ、目に涙を浮かべながら私に抗議した。
「酷い!酷いわ!ただ声を聞いてやれば良いだけの話しじゃない!良い暮らしができたらあんただって満足でしょ!?なんでこんな!」
「……私はここに居たくているんじゃない。」
相変わらず自分のことしか考えていない璃音にあきれる。私を誘拐し、両親を殺害したお前たちに私が協力するとでも思っているのだろうか?
「史也をこんな目にあわして……あんたは人でなしよ!」
「私が人でなしならお前たちは何だ?お前に言われる筋合いはない!」
璃音の言葉で体の血が沸騰する。自分が酷く感傷的なのはわかっている。しかし、もうそれを止められそうにもなかった。
「なっ!そんな恰好でよく口答えできたものだわ!あんたなんか高瀬にめちゃくちゃにされたらいいのよ!……ここから逃げられるわけないわよ?逃げたってあんたの妹がひどい目にあうだけよ。利用できるものは何だって利用する男なんだから!高瀬の本当の恐ろしさを教えてあげようか?」
「璃音……。」
体を苦しそうに折り曲げたキタヲが璃音の声を遮ろうと声をかけた。しかし。興奮した璃音には届かない。
「あの男は私の血のつながった父親なのよ?最低なね!昨日だって私を抱いたのよ!反吐が出るわ!あの男には倫理も人間的な感情もないのよ!あんただって思い知るわ!」
璃音の目に涙が浮かぶ。
以前からよくサトは柴山の家のことを伏魔殿だと言っていた。ここで生きるのは生き地獄だということだ。
だけど璃音、今の私にはお前を同情してやれる度量は無いのだ。
私は絶縁した。
ここがどうなっても私の知ったことではない。私は自分の大切なものしか守る気は無い。
******
「璃音。私の手のネクタイを解け。」
「なによ、命令するつもり?」
「お前では赤井の応急処置も出来んのだろう?このまま放っておくと酷いぞ。」
「……。」
「解いたところで私はここから出れるわけもない。」
璃音はひと睨みすると諦めたように私の腕のネクタイを解いた。見かねて軽い応急処置をしてもキタヲは青い顔をして痛みを遣り過ごすだけだ。
「赤井を病院に連れて行かないのか?」
「連れて行けるなら連れて行くわよ。ほとぼりが冷めたらあの男だって史也を助けてくれるわ。」
「そんな事、本当に思ってるのか?おめでたいな。先ほどあの男がどんなに最低か教えてくれたのはお前だろう?璃音。」
「……。」
「ここから出してくれたら上まで赤井を運ぶのを手伝おう。」
「そ、そんなこと……で、出来ないわ。」
「では、見殺しにするんだな。」
「そんな!見殺しだなんて!」
「そうだな……死にはしないだろう。せいぜい腕が曲がるくらいだ。生活に支障は出るだろうが。」
そう私が璃音に告げる。璃音の唇がわなわなと震えた。私の勘が当たったようで、璃音にとってキタヲは特別な存在であるようだった。
「り……璃音……俺のことは放っておけ。」
「で、でも、史也!」
「逃げることは今まで何度も考えて来たんじゃないのか?今逃げないでいつ逃げるんだ?私が居なくなれば高瀬は私を追うだろう。こんなチャンスはもうないぞ。」
畳み掛けるとわかりやすいくらい璃音の瞳が揺れた。
「ここに来たのがバレたらどっちみちお前だって無事ではいられないだろう?璃音。」
璃音は私の言葉にますます動揺した。高瀬が日頃璃音をどんなふうに扱っているか手に取るように分かる。
暫らく沈黙が続いた。
「逃げよう。璃音。」
そう、言ったのはキタヲだった。
寄り添うようにしている二人をどこか壁の向こう側から見ている自分がいた。
******
ガチャリ
地下からの扉は3枚あって、すべてが施錠されていた。久しぶりに肺に外の空気を入れる。ひんやりとした空気が夜であることを物語っている。
上で何かあったのだろう、すんなりと私たちはキタヲを連れて上に上がることができた。
見張りがいない……。
ヒスイに何かあったのだろうか。
どうしてこんなところへ来たのだ。……私を助けようと?
お前のことをどんなに大切に思っているか分からないのだろうか?
目くばせだけで璃音はキタヲを連れて行った。車で逃げるのだろう、こちらの為にも時間を稼いでもらわないと困る。
私は……
盛大に逃げたと思えるよう牢の扉をあけっぱなしにして来た。これで奴の気も逸らせるだろう。
ヒスイ。お前はどこにいる。
心が壊れそうだ。
先ほどから感じていたように屋敷の奥で騒ぎが起きている。
どうやら相当な人手が集中しているらしい。私や璃音が地下からあがってこれたのもこのお蔭だろう。
まさか、
ヒスイ?
見つかっては元も子もないので慎重に物陰を進む。奥の様子を伺うと大勢の男の輪の中にヒスイと如月、さらに知らない男が背中を預け合って立っていた。周りの様子からも三人を捕らえようとしているのが分かる。
なにか、手は。
そう思ったとき、一人の男がヒスイに掴みかかって行った。
「小手返し!!」
ドスン!
思わず叫んだ私の声にその場が静かになった。私の声に気付いたのかヒスイが相手の手首を上手くつかんだようで相手の男はお手本通りに畳に落ちた。上手く技を決めたヒスイが私を射抜くように見る。
「カオ!!」
一瞬で。
一瞬の間で大人をすり抜けてヒスイが私の元に走ってくる。
一直線。そこに何も障害などなかったように。
思わず強く抱きしめるとヒスイからも強く抱き返された。
「カオは、わしが守る。」
ヒスイからそんな言葉が漏れる。心が震える気さえした。
「では、わたしはヒスイを守ろう。」
私の言葉にヒスイは大人の様に微笑んた。ヒスイと並んで立つとパチパチと手を叩くものがいた。
「親子の感動の再開だなぁ。」
その声には聞き覚えがある。男たちの輪が崩れ、現れた男に道を開けるように移動しだした。
「どうやってあそこから出たってんだ?お仕置きが必要だな?」
私とヒスイの顔を見比べると高瀬が力任せに襖を叩いた。
バリ
音を立てて襖に穴が開く。高瀬の怒りがビリビリとその場に広がると見ていた男たちが体を堅くしていった。
「ヒサノ。この二人を捕まえて地下に押し込んどけ!」
高瀬は後ろに控えていた女にそう、言い捨てる。あの女が現当主ヒサノなのだろう。
「高瀬は、柴山の未来など知らないと言った。能力のある私の夫になれればいいのだと。」
「なっ!!」
私の言葉に指示を出そうとしていたヒサノが動揺して高瀬を見ると高瀬が軽く舌打ちしたのが見えた。
「まったく、一筋縄にはいかねぇな!捕まえろ!」
男たちが私たちに向かってくる。この人数では私一人では捌ききれない。
どうする?
どうにかヒスイだけでも逃がせないかと思ったとき、ヒスイが私の服の裾を掴んだ。
「カオ、この下に空洞がある。穴をあけるから身を伏せてくれ。」
空洞、とは今まで私が居た祠のついた地下室の事だろうか?そう思っている間にヒスイが床に何やら描き出した。途端、目の前に穴が開いた。
ドスン
ヒスイが指で何かを描く度に目の前の床に穴が開く。
そうして瞬く間に私たちの周りに堀のようなものが出来上がった。
堀の向こうに立つ男はぽかんとその光景を見ていた。
「おい、なんだ?何をした? ヒサノ!なんだ、あの力は!?」
「……。」
前方に立つ、高瀬とヒサノが黙ってヒスイを見ている。驚くのは無理もない。私だって驚いているんだからな。ただ、この場を利用しない手もない。
「璃音は赤井と逃げたぞ。」
そう、ヒサノに告げると不快そうにヒサノが眉間にしわを寄せた。
「その男が自分の娘を犯していたのを知っていたのか?」
その言葉にヒサノは増々青い顏になった。
「まさか……。」
ヒサノが高瀬を仰ぎ見る。私が思った通り、ヒサノは高瀬をパートナーだと信じていたようだ。
「この、アマッ!!」
高瀬の顔は反対に赤くなっていく。そうだ、仲間割れをすればいい。もう、お前たちの思い通りにはさせてやらん。「うそ、うそよね?」とヒサノが高瀬に詰め寄るのを横目で見ながら私はヒスイが開けた穴を覗き込んだ。そこはちょうど祠の中のようだった。アレが封印している岩なのか。格子の外からしか見えていなかったが岩が何かを塞ぐように置いてある。このままだと、どうなる?祠の主が出てくる時間は近いのだろうか?
そう思う私の足元から尋常ではない冷気が漏れ出ているのを感じた。
次回はヒスイ視点です。サブタイトルは「再会」で。
宜しくお願いします。