そして屋敷は賑わう
ヒスイが家に戻ってきてくれた数日後にその事件は起きた。
しかし婦人が怒鳴り込んできた時私は悟ったのだ。ああ。その時が来てしまったのだと。
心のどこかでこの日が来るのを予感していたのかもしれない。
「バレたのだな。」
昨日は慌てて母親を連れて帰ったもののこれからどうすれば良いかわからないのだろう青い顔をしている親友は私を見つめた。
「カオリさんと同棲してるって勘違いしてるんです。」
「正確にはカオちゃんと間違えた私と、でしょ?」
強引に隣を陣取ったサトが口を尖らせて言う。初対面の人に指をさされて罵られたのでは無理も無いか……。
「すいません。サトリさん。」
申し訳なさそうに親友はサトを見た。しかしこのままではサトにバレてしまう。そうすることは望んでいないだろう。
「サト。二人で話をさせてくれないか?」
「駄目。そうするとカオちゃんが損する役目になりそうだもん。」
「サト……。」
サトも私も『勘』が良い方だ。故バア様血統のお陰らしいが特に気にする必要もないので普通に生活している。だが何かを確実に感じているサトがこういう場合に引き下がるのは難しいだろう。さて、どうしたものか。
「いいんです。サトリさんも私の被害者です。サトリさんにも話します。カオリさん、私をかばうつもりでしょう?」
思案していると強い口調で親友が言った。
「しかし……。」
「カオリさん。いつもみたいにメグって呼んでください。」
少し吹っ切れたような顔で「メグ」が私を見た。私の親友「蔵田憲太郎」は「メグ」として向き直る。ちなみにこの「メグ」とはジイ様が命名した。
「サトリさん。私は女装が趣味なんです。」
意を決した声が部屋を通った。サトの顎は外れんばかりに下に突き出ていた。
「……??はあ?」
メグは細身の方だといっても178センチのどこからどう見ても男だ。「女装」が似合うわけではない。本人もそれは自覚しているし、バレても困るので匿名で通る女装バーと自室の部屋の中でしか女装はしない。私は「女装趣味」と言うよりは「乙女」なのだと思うのだが「女の子になりたい」と思うわけではないらしい。複雑だが全く別の人格でありたいという願望がそうさせているのかもしれない。
「うちは代々弁護士や代議士を輩出する家系でしてね。小さいころから厳しく躾けられてきました。勉強に作法、時には友達すら親に選ばれてきました。そうして育っていくうちに私は自分が何者かわからなくなってしまったんです。だってそうでしょう?自分がどうしたいかなんて考える暇もなく次から次へと目の前に課題が置かれていくんです。それでも周囲の期待どおりに弁護士になって、ふと気付いたら自分が空っぽだったんです。ほんと、なんにもない。」
メグは下を向いている。幼いころから人の上に立て、弱みを見せるなと育ったメグがこの話をするのは並々ならぬ勇気がいるだろう。呆然と話を聞くサトの口が閉じる気配は無い。ああ、意識が何処かに向くと口が開くのは悪い癖だ。後で注意せねば。
「そんなとき大先生と出合って「女装バー」に連れて行ってもらったんです。着替え終わったら私はすべての事柄から自由になって子供みたいに興奮しました。人生にこんな喜びがあったなんて。それからは自分で洋服をそろえたり、着飾ったりしました。それでカオリさんと一緒に買い物して貰ってたんです。……昨日知らないうちに合鍵をつくった母が勝手に私のマンションの部屋に入って……それらを見て女の人と暮らしていると思ったのです。カオリさんと会っていたのも知られていたようですし。」
サトの顔に「ジイ様なんてことを!」とありありと書かれていた。まあ、正直私も初めはそう思ったのだから仕方ない。
私は月に一度のメグの買い物に付き合っていた。可愛い小物やひらひらの服などが大好きなメグ。しかし、普段の姿では「プレゼント用で」としか買えない。かわいらしい雑貨店に入りたいものの女装して外を歩くわけも行かないと悶々としていたメグにジイ様が助け舟をだした。そう。私の背は高いし、私が買うとしたら何の障害もないのだ。傍から見れば恋人に付き合い羽振り良くプレゼントする紳士だったろう。
「メグはどうしたい?」
下を向いたまま動かないメグに私は声をかけた。ジイ様が初めてメグにであったのは飲み屋なんかじゃない。薄暗い路地だ。DVを受けていた離婚裁判の依頼主の元夫に逆恨みされて殴られ倒れていたと聞く。でも、メグはその時ジイ様に言ったのだ「私のことは放っておいて下さい。ここで尽きてもいいですから。」と。……メグは「死んだ目」をしていたらしい。メグの精神は危うい。繊細で傷つきやすく、臆病なメグには真逆の性格を演じ続けるのは辛く、気持ちの逃げ道が必要だったのだ。メグにとって「女装」は第二の人格を作り出し本来の性格をさらけ出せる貴重なものだった。
「私と結婚するか?そうすれば「女装」もばれずに婚約者も断れる。」
そう私が言うとメグの肩がびくりと揺れる。潤んだ瞳が私を捉える。口の開いたままのサトも私を見ていた。
*****
「ちょっと、まったあああああ!」
その聞き覚えがある声に振り返ると背中に眠ったトモを背負った如月がいた。なんでそこに居るのだ。
「なんで?同情して結婚するって言うなら俺だっていいでしょ?なんでそいつのステータスの為にカオリが犠牲にならなきゃなんないんだよ!俺には愛がある!もちろん俺が幸せになる自信もある!」
ドカドカと私とメグの間に割って入った如月が自分の存在を猛アピールしてきた。
「ちょっと!他の子供はどうしたのよ!あんたそこでずっと盗み聞きしてたんじゃないでしょうね!」
「他の3人は魚釣りゲームしてるよ。ヒスイが居るから大丈夫……ってサトリ!俺の一大事でしょ!?カオリを取られてたまるかっての!」
熟睡しているのであろうトモの腕がダラリと如月の背中から見えている。今日の晩御飯をご馳走するのと引き換えに向こうの部屋で子供たちを見ている筈の如月はいつの間にか扉の向こうで盗み聞きしていたらしい。日に日に盗み聞きが上手くなっている……まったく性質が悪い。
「あんたの独りよがりの愛はどうでもいいけど、正論ではある。カオちゃん!いくらその人の「女装趣味」の引き金をジイ様が引いていたとしてもその結婚は私も間違ってると思う!」
如月に加勢したサトも怒っているようだ。しかし、そうする事意外にあの頭の固い人たちからメグを守ってやることが出来るだろうか。
「あの!」
3人がその声の方へ顔を向けると先ほどからは打って変わった能面のような顔のメグが居た。
「カオリさんにはご迷惑かけません。私がなんとかします。大丈夫です。」
頭を下げるとメグはコートを取って帰ろうとした。今あんな顔したメグを一人で帰してはいけない!そう思って手を伸ばすと意外にも如月がメグを止めた。
「ちょっと待てよ。もう迷惑かけてんだろ?ここで帰ったら余計にカオリの気を引くだろ!どうするのか言ってみろよ!」
メグの肩に手を置いた如月がまくし立てた。
「……。」
「大方、失踪ってとこか?逃げることでしか解決できないのかよ!御かわいそうな自分を嘆いて逃避行か?疑われたまま居なくなって困るのもカオリなんだよ!」
「あ、あなたに……。」
「なんだよ?」
「あなたに私の気持ちなんてわかりっこない!」
如月の手を乱暴に払いながらメグがドンとテーブルに手をついたので湯飲みが円を描いて揺れた。
メグである時に大きな声を荒げるばかりか人を睨むなんてことない。さっきまで能面みたいだった表情が一転して赤くなり興奮している。始終オドオドしたメグには珍しいことだった。
「メグ。落ち着いて。今マンションに帰っては何かと面倒だ。どうだろう?良い策を思いつくまでここに居ては。」
「え!?カオリ!だ、駄目駄目!年頃の女の家に女装趣味とはいえ男が泊まるなんて!」
「如月。心配なら一緒に泊まってもかまわん。」
「へ!?」
「え!?カオちゃん!?」
「そ、それって俺も泊まっていいってこと!?」
「だから、そう言っているではないか。」
「おい。メグ。もちろん泊まるんだよな。」
自分も泊まれると聞くや否やゲンキンな如月はメグもこの家に留まるよう薦める。
「いい……ですか?」
「気にするな。そうだ、ちょうどいいのがある。白のレース付きパジャマも貸してやろう。」
袖を通す気にもなれなかった私には到底似合わないフランス土産のな。
「あ、駄目よ!アレは米山さんの奥さんがカオちゃんをオスカルにするからって……。」
「……?アライグマ柄のパジャマだったか?」
「……ま、いいよ。それは。」
サトはまだ何か言いたそうだったがそれ以上は何も言わなかった。
「ありがとう。カオリさん。」
メグは困ったような泣きそうな顔で私を見ていた。
「「親友」なんだろう?。こんな時くらい手を貸させてくれ。」
こんな顔のメグを見れただけでも良かったと思った。
……兎に角メグはここに留まることになった。この時の私の予感はあたっていたと思う。
如月とメグ。
二人がお互いに良い影響を与えるのではないかという予感が。
そして数週間後に明人さんの単身赴任が決まった谷嶋家 (サト一家)の面子も加わって門田の屋敷が騒がしくなる共同生活が始まったのだ。
やっとサトのフルネームが明らかに。