この想いはこの胸に
寒い……な。
流石に野宿はキツイ。
川原で寝転んでいたが、寒くなってきた。何かで暖をとらなくては。最近覚えた漢字を思い出す。
確か…。
「火」
と指で地面に書いてみる。
ボッと小さな火が出現して消える。燃やすものが無ければ使えないか。
試行錯誤の結果、こちらの文字でも数種類の文字に言霊が宿る事がわかった。元の世界で操る文字は「神語」という。文字通り「神」の宿る文字にわしのような特殊な能力の有る者が言霊をのせるとそのものの本質が出現する。縦の空間で移動するわしの世界ではこのような方法で互いの空間を移動するのだ。ただし、相手側にもその意思がないと門は開かないので勝手に移動は出来ない。
元の世界の名称が判れば門が開くかもしれない。そう考えて以前「水の国」(水の國とも)と書いてみたが水が出て紙が濡れてしまっただけだった。こちらの世界から見ての名前なのか。そんなものが有るのかは解らなかった。いつか、わしは帰れるのであろうか。
……水の國に帰るとしていつも浮ぶのはカオの顔。今少し離れただけでもカオに会いたいと思うのはどうしてだろう。カオの言葉が思い出されては頭の中で響く。
こうして二人で歩いていると親子のようだな
わしはカオに母親を重ねていたのだろうか。生まれてこのかた見たこともない母に?
もちろんカオを母と思ったことなど無い。あれだけ世話になったのだ大切に思うのは当たり前だろう。
……当たり前なのだろうか。
答えを出したくなくてわしはごろりと寝返りを打った。
「カオ……。」
ポツリとその名を呼ぶ。
そういえばカオは真名はどう書くのか。確か…。
何の気なしにわしは指で「門田カオリ」と土に書いた。すると、意外なことが起こり始めた。目の前にきらきらと光の粒が集まってきたのだ。
まさか……。「門」は相手側の意思が無ければ出現しないのだ。そう思うも目の前の光の粒はどんどん大きくなってくる。やがて光で出来た門が完成した。元の世界で使用していたものとなんら代わりの無い門だ。恐る恐る光の門をくぐる。緊張か寒さでか体が震える。くぐったその先は……
初めてこの世界にやってきた所と同じ門田の屋敷の池の前であった。
****
池の前では一人しくしくと泣く女が居る。
それが誰だかわからぬ筈がない。
ああ。カオは泣き虫なのだ。あんなにいつも凛としているのに些細な事でも涙ぐむ。
そういえばわしの傷を見るたびいつも涙ぐんでいた。優しい。優しすぎるカオ。
カオの幸せの為に離れたのに結局こんなに泣かせてしまった。意地を張らずにすぐに帰れば良かったと今更後悔しても仕方が無い。
「カオ。……すまない。」
「……っ!ヒスイ!?」
いつものカオならば気配ですぐわかった筈なのにわしが背中に手を置くとびくりとカオは体を震わせて驚いた。
「ヒスイ!」
次の瞬間がばりとカオに抱きしめられる。確認するようにカオの細い指が震えながら顔をなぞっている。
「こんなに冷えて……。顔も殴られたのだな。酷い目に…酷い目にあわせてしまってすまない。ほかに怪我は無いか?お腹は空いてないか?ここまで一人で逃げて来たのか?」
矢継ぎ早に聞かれても返答に困ってしまう。ああ。カオだ。カオの匂いがする。わしは抱きしめ返してカオを堪能する。わしの顔を覗き見ながらもカオの瞳からはぽろぽろと大粒の涙が流れていた。
「許してくれ。ヒスイ。もう二度とお前を何処かにやったりしない。私がなんとかヒスイを育ててみせる。だから……私のところへ帰って来てくれないか?」
カオの声色も顔も切羽詰った状態だった。恐らくわしが追い詰めてしまったのだ。この優しい人を。わしが見つからない間ずっと泣いていたに違いない。こんなに目を腫らしてわしを探していてくれたのか。
「カオ…。わしは母はいらない。カオに母親になってもらいたいわけじゃない。」
「……。私が…嫌いか?」
鼻をすすりながらひどく切なそうにカオがわしをみつめてくる。きっとカオはわしの信頼を裏切ったのだと誤解しているだろう。もう、降参だ。ここで認めなくてどうだというのだ。目の前の女がこんなに愛しいのだ。こんなこどもの形でしかも異世界人のわしが。釣り合うわけもない。与えられるものは何一つ持っていない守られるだけのわしだ。でも……少しでもカオの心が軽くなるなら恥も掻き捨てて言えばいい。
「わしはカオと夫婦になりたい。だから、母では駄目なのだ。」
半ばから投げやりに言うとカオがぽかんとわしを見た。そしてわしの言葉の意味を理解したらしく、ふわりと笑った。
……その笑顔は反則だ。
「私は嫌われていないのだな?」
カオがほっとした笑顔で言う。
「わしはカオが好きだ。」
耐えられず視線を逸らすとカオがギュウギュウと抱きしめてきた。
「私もヒスイが好きだよ。」
カオもそう言ってくれる。正直うれしい……が、わしの心は複雑だ。カオにとってわしは幼子に過ぎんからな。まったくわかっているのだろうか。
「カオ、わしが元の姿に戻ったら、結婚してくれるか?」
「ああ。いいぞ。いいぞ。」
うれしそうにカオが答える。その答え、後になって必ず後悔させてみせる。
「約束だからな。」
にっこり笑って「わかった。」と答えるカオが少し恨めしかった。
****
無事に門田家に帰って来れたわしはカオの作る温かい食事と日の匂いのする布団にありついた。サトリや如月も心配してくれていたらしく皆、涙を流しながらわしの帰りを歓迎してくれた。一晩明けた後は一度ちゃんと話をするといってサトリのマンションという集合住宅に連れて行かれた。色々面倒な事があるようでわしはサトリのところの子供として「戸籍」というものを作る事になったとサトリの夫に説明された。この明人という者、なかなか頭の良さそうな物腰の柔らかい好人物であった。
「ヒスイ君がよければ僕のこと「お父さん」って呼んでもいいんだけどね。」
頭をかいてそう言ってくれた無精ひげの良く似合う良い男だ。ヒロは「ぼくがおにいちゃんでいいよね?」と何度も確認してはサトリに「それは無理。」と言われていた。皆良い人物だ。今のわしにはもったいない。こんな人たちをこのまま騙していい訳はない。その日はヒロたちと子供部屋で一緒に眠った。幼子の柔らかい寝息を聞きながら一晩考えてわしは決心をした。
次の日に仮にも親になってくれたサトリからに本当のことを話すことにした。理解してもらうまで今度は諦めずに話すつもりだった。サトリの夫は朝早く仕事に出て行って居なかったのでヒロとミチを幼稚園に送って行ってから門田の屋敷に向う。カオは道場で稽古をつけていてトモも寝てしまったので部屋でサトリと二人きりになった。ここが良いだろうと勝手に思い、門田のジイ様の遺影の前で背筋を正してサトリを見据えた。
「……で、つまりヒスイは異世界からやってきて本当は24歳だと。」
確認するサトリにわしは頷く。サトリもかしこまって何事だと言っていたが、私と向き合って正座をして聞いてくれている。ここの姉妹は姿勢が美しい。
「はあ。マジですか。思えば出会った時もそんなことを言っていたような。いやいや、でも…知り合った頃だと信じられないけど、今は…。はああ。」
「信じてくれるか?」
信じてもらえるよう事細かには説明もしたし、状況の説明がどれだけ出来るかを知ってもらうためにあの夫婦に受けた仕打ちなども詳細に聞かせた。
「大人びてるっていうにはもうおかしいよね…。作り話にしては出来すぎてるし。その、変な…いや、超能力みたいのも見せてもらったし。だからって…。う~ん。」
先ほど「水」と書いて見せたので畳の上が濡れていた。それを虚ろに見つめながらサトリがわしに言った。動揺しているようだが話は受け入れてもらえそうだ。このままカオにも話そう。そう思ったとき、サトリが口を開いた。
「ヒスイ。この話は秘密に出来ないかな。ヒスイの中身が成人だと色々面倒な事が……。」
「……。」
「確か、カオちゃんとお風呂も入ったよね……。」
「……。」
「一緒に寝た事も……あるよね。」
「……。」
「カオちゃんはそういう方面は駄目なの。ああ、駄目。駄目すぎる。開き直れない。落下。落下する。」
「落下…気落ちするということか?」
頭を抱えたサトリが恨めしそうにわしを見た。
「あのさ、ヒスイはぶっちゃけカオちゃんどう思ってんの?元の世界に戻れたらどうするの?」
「出来れば付いてきて欲しいと思っている。その時は生涯全身全霊で守る。」
「はっ。」
鼻で笑ってサトリが「プロポーズかよ。」と壁に向ってブツブツなにか呟いている。
「で、姿もそのまま、元にも戻れない時は?」
「……そのときは。」
「そのときは?」
「……男らしく諦める。けれど出来るかぎりはこちらの世界でもカオを守りたい。」
「……はぁ。決意は固い?」
「うむ。」
「じゃあ、尚更元の姿に戻るまでは今のままで頑張って。元の場所に帰る時にカオちゃんが付いていく付いていかないはカオちゃんが決める事だけど、今のままで帰れない場合はカオちゃんへの想いと異世界人だという秘密を抱えたまま墓に入ってちょうだい。そのくらいの覚悟を持ってカオちゃんと暮らして欲しいんだけど。」
「……わかった。」
「唯一人、ヒスイの秘密を知る者としては出来る限り協力するよ。でも、今日からは寝るのはカオちゃんとは別の部屋。カオちゃんにけしからん事をしたら追い出すからね。」
「恩人に不埒なまねはせん。が……あいわかった。」
わしがそういうと「はああ」とサトリが盛大にため息をついてわしを見た。
*****
昼食時に本当にこれでいいのかと思い、サトリを見るとすごい形相で首を振られた。……カオには絶対に秘密を漏らすなと言いたいのであろう。周りを混乱させるだけなら今のまま黙っていた方が良いのかもしれん。サトリの言う通りこの姿のまま帰れない場合もあるのだ。その時はカオへの想いも葬らなければなるまい。
「なんだ、親子になる人たちは随分仲が良くなったのだな。うらやましい。」
こちらを見ながらカオが言った。わしが打ち解けてきたのがうれしいと言わんばかりだ。
「味噌汁のおかわりはいるか?」
その言葉を聞くと同時に空になった椀をカオに差し出す。くすりと笑いながらカオがそれを受け取った。
わしとカオのやり取りを見ていたサトリがわしをジッと見て何か言いたそうにしていた。出来れば見逃してくれ……そう心苦しく思った時、騒々しい足音が聞こえた。
「門田カオリって人はどこ!?」
いきなり人の家の食卓に現れた派手な婦人は口を開くなりそう言った。驚いたカオがそれでも名乗ろうとしたが婦人が指差す方が早かった。
「貴方ね!うちの憲太郎を誑かしてるのは!!」
激昂している婦人の指の先にはポトリと焼魚を箸から落としたサトリが居た。
憲太郎くんとはあの人です。