キニキィ〜世界で一番幸せなうさぎ〜
街外れにあるおもちゃ屋さん。そのショーウィンドウにキニキィはいます。
キニキィは気高いうさぎ。
真っ白なムートンの生地でできたふわふわの体に、ルビィの瞳が埋め込まれた。それはそれは美しいうさぎでした。
キニキィはとても高飛車で、ごうつくばり。自分を買うべき人間はお金持ちであるべきと思っていました。他の人形たちが売れると、
「あらま、貧乏人に買われてかわいそうに」
そう意地悪な顔して笑うのでした。
美しい豪邸の美しい窓辺で陽の光を浴びながら、飾られるのがキニキィの夢です。たまにお金を持っていそうなご婦人が店の前を通るとルビィの瞳を輝かせ、とびっきりの愛想を振る舞います。でも、お金持ちというものは滅多にいるものではなく、キニキィはいつも、愛想のない顔でショーウィンドウの前を通る普通の人々を見送るのでした。
「まぁ、なんて可愛らしい子」
ある寒い冬の日。ショーウィンドウの前で弾んだ声が響きました。店の前に小さな少女が立っていました。冬だというのに、少女はぼろぼろの服を来て、その体に合わない大きな靴を履いています。痩せっぽちでボサボサの黒髪。ほっぺはりんごのようで、赤い瞳をキラキラさせてショーウィンドウを見つめていました。
「なんだか汚い子供だな」
キニキィは相変わらずの無愛想にそれを見つめていました。
それでも少女は毎日キニキィを見に来ました。
「私とおんなじ目の色ね」
「あなたとっても素敵」
「貴方と友達になれたら、どんなにいいか」
そうして、いろんな言葉をかけていくのです。最初は鬱陶しがっていたキニキィでしたが、今まで彼を気にかけてくれる人間なんていなかったものだから、次第に彼女が店に来るのを楽しみにするようになっていきました。
お金持ちが店の前を通っても、以前のように愛想よくすることはありません。今はただ、毎日彼女に会いたかったのです。彼は彼女にだけは心からの微笑みを浮かべるようになりました。
それからどれほどの時がたったでしょうか。少女の背丈は伸び、靴のサイズもちょうどよくなりました。キニキィを見上げていた視線は、真っ直ぐ彼の目をとらえるようになっていました。
その日の彼女は今までにないくらいにキラキラの赤い瞳をしていました。その煌めきはキニキィがルビィでも埋まってるのでは?と思ったほどです。
彼女は嬉しそうにキニキィに話しかけました。
「やっとね!やっとお金が貯まったの。貴方を買えるのよ!ずっと待たせてごめんね。今日、仕事が終わったらすぐに迎えに行くから!」
まくしたてるように言って、彼女は軽い足取りで去って行きました。
「あーあ。僕はお金持ちのお家に行きたかったのに、誰よりも貧乏な家に行くのか」
そう、悪態をついていましたが、彼のルビィの瞳は彼女と同じように美しく輝いていました。人形たちは知っていました。この数年ですっかり彼も彼女に情がわいてることを。素直になれない高飛車うさぎにやれやれと、顔を見合わせて微笑みました。
その日の午後のことでした。店の前に立派な車が一台停まり、上等な服を着た婦人が店の中に入ってきたのです。
「ご主人。ショーウィンドウにあるうさぎのぬいぐるみはおいくら?とても美しい瞳をしてるのだもの。窓から見かけて一目惚れしたの」
キニキィはショーウィンドウから紙の袋に入れられ、婦人に買われていきました。
エンジンのぶおんという音がして、どんどん車は店から離れていきました。
キニキィは袋から出されると、婦人の娘に手渡されました。綺麗な髪飾りをつけ、フリルのたくさんついた服を着た可愛らしい少女。少女は婦人にお礼を言ってキニキィと遊び始めました。ダンスをしたり、口紅を塗ってあげたり、お茶会に招いたり。
しかししばらく経つと、彼はおもちゃ箱に放り投げられました。おもちゃ箱には次々と飽きられたおもちゃたちが押し込まれていきます。暗い暗いおもちゃ箱の奥底で、キニキィは泣きました。夢だったお金持ちの家に買われたのに、彼の頭の中にあるのは赤い瞳の彼女のことでした。
会いたい。彼女に。お金持ちなんかじゃなくていい。彼女がいい。彼女といたい。そう願ってもキニキィにはどうすることもできませんでした。
それからまた何年経ったでしょうか。
次におもちゃ箱の蓋が開いたのは、大きな戦争が始まった年でした。お金持ちの家は戦火の中で没落し、家の全て一切合切を差し押さえられました。ルビィの目を持つキニキィもどこかに売られて行きました。
戦争が終わった頃、キニキィは小さなアンティークショップで売られることになりました。
ルビィの瞳は外され、どこへ行ったことか。白い皮だけでも残ってよかったとキニキィは悲しみの中で思いました。
それからキニキィはいろんなところに行きました。ある時は船乗りに買われて海に落ち、ある時はサーカスと旅をして、途中で置き去りにされました。ある時は王様のお墓に備えられたかと思うと、カラスに攫われ空を飛びました。ある時はどろうぼうに拾われて、二束三文で売られました。
そうして多くの人々の手を渡り、キニキィは旅をしました。長い長い旅でした。
寒い冬のことでした。キニキィは箱の中にいました。昼下がりのガレッジセール。いろんなガラクタと一緒に箱の中でひしめきあって、キニキィは、何も考えないでいました。
そんなキニキィの体を小さな手が拾い上げました。彼はびっくりしました。赤い瞳、黒い髪。その子はキニキィが会いたくて会いたくてたまらなかった少女にそっくりだったのです。
「ねぇ、このうさぎ。おめめがないよ。なんだか汚ないぬいぐるみね」
それを聞いて、キニキィはひどく恥ずかしくなりました。自分にはもう、あの赤く輝くルビィの瞳も、美しい白い毛皮もない。がらんどうの瞳に色んな汚れが混ざり合ってできた灰色の毛皮。あのおもちゃ屋に並んでいた自分と少女は気づいてくれないだろう。そう思うと涙が出そうになったのです。
「どれどれ」
しわがれた声が響いたかと思うと、キニキィは少女の小さな手から、皺だらけの痩せた手に渡されました。
皺だらけの老婆は眼鏡の奥の赤い瞳を細め、キニキィをひとしきり撫でました。白髪混じりの髪は彼と同じ灰色でした。
「まぁ、なんて可愛らしい子」
老婆はキニキィを抱きしめました。
優しく優しく抱きしめました。
キニキィには分かりました。ぎゅぅとされて分かったのです。
ああ、あの子だ。あの子だ。ずっとずっと会いたかったんだ。あったかい。あったかいなぁ。
キニキィは泣きました。嬉しくて嬉しくてたまらなかったのです。
それは、奇跡のような再会でした。
小さな家がありました。お世辞にも裕福とは言えないけれど街外れにあった小さな家。その家の小さくて暖かな窓辺には灰色のうさぎが飾ってあります。
うさぎの名前はキニキィ。
世界で一番幸せなうさぎです。