1話
増田孝治は、生まれて初めて乗った飛行機で非常ベルが鳴るのを体験した。誰も彼もが泡を食った、といいたいところだが実際はにわかにざわついたものの、思ったよりはベルの音が小さく機内中央から響く。そのうち乗客の一人、でっぷりとした中年の男がシャツにくっきりと肌着を透けさせるほどの大汗をかきかきして、カバンから目覚まし時計を取り出した。
男はさらにシャツのシミを大きくしながら16方位に頭を下げて、周りからはシラけたような声と安堵感のあるまばらな拍手が上がった。
このとき孝治は「東京までもうひと眠りできるか」とのんびりしていた。
出産の予定日から半月も遅れてこの世に顔を出したように、孝治は非常にのんびりした子だ。口数が少なく目も細くて感情が顔に出ない。
「お前は刑事に向いている」と万年巡査部長の祖父がよくほめていたが、なにを考えているのかハッキリしないアカギレのような目を言っていた。
一方で体はデカい。なんせ3800gで生まれてきた。幼稚園の発表会も他の子たちから頭がいくつも違っていた。薄ノロくて目立つ孝治に「お前みたいなのは独活の大木っていうんだよ」と母は言った。母は本当は女の子が欲しかったのはうちにある立派なひな人形を見てわかった。