第二章 女王様はシバかれる
第一節
「正気ですか?」
更衣室でいそいそと着替え始めたシルヴィアに、マリアが聞いた。
「もちろん! 貴女も私の腕は知っているでしょう?」
シルヴィアが自信満々に胸を張る。
「それはまあ……」
歯切れの悪いマリアであるが、シルヴィアが素人で無いことは承知である。
シルヴィアは輿入れ前、剣術大会の女性部門で優勝したことがあった。
まだ下級貴族の身であったことから、不正の根回しなどしようもなく、その実力を疑う者はいない。
何よりもその出来事がきっかけで、フリードリヒとのロマンスが生まれたのは有名な話であった。
だがしかし、問題はシルヴィアが剣術を離れて久しいことと、当のエリカは男の武芸者ですら鎧袖一触にしている点である。
「ですが――」
「貴女の心配は分かるわよ」
マリアの懸念を汲んで、シルヴィアが続けた。
「あの子が不自然に勝ち続けている理由、実はそこに付け入る隙があるの」
「不自然に……ですか?」
「ええ」
着替え終わって、シルヴィアが木剣を手に取った。
ちなみに装束は、エリカと同じく麻製の運動着である。
「よく考えてごらんなさい。ブラッドフォード男爵にキングストン家のジョナサン、それにスクリムジョー卿……。いずれも王国が誇る猛者たちよ。ちょっと剣術を齧ったくらいの箱入りお姫様に負ける訳がないわ」
「はあ……。〝ちょっと齧った〟ですか……」
「そうよ。大方、身分の差に恐れ入って、無意識に手心を加えてしまったってところでしょうね。要するに忖度よ」
「とは言っても、仮にも彼らは求婚者なんですよ? しかも、勝てば王様になれるんです。そんなことあり得るんですか?」
「重要なのはそこよ!」
切っ先をビシッとマリアに向けて、シルヴィアが続ける。
「たとえ勝ったとしても、必要以上に傷付けたら外聞が悪いでしょう? それに、本当にあの子に懸想していたら、それこそもっとやりにくいはず。そうやって深層心理が色々と働くから、余計あの子に勝てなくなるって寸法なのよ」
「うーん、そう言われてみると、一理有るような無いような……。でもでも、それがじょおー様の勝機と、一体どう繋がるんですか? そう言えばさっき、付け入る隙がどうとか仰ってませんでしたっけ?」
「まったく鈍いわね。貴女らしくもない……」
首を傾げるマリアに、シルヴィアが眉をひそめた。
「あの子にとって、私は母親で女王でしょ? ここまで言えば分かるかしら?」
「……それって、姫様の無意識の油断に期待するってことですか?」
「その通り!」
マリアの答えに、シルヴィアがほくそ笑む。
「えーっと……」
「何よ、その顔は?」
腕を組んで黙考するマリアを、訝るシルヴィアであった。
「いえ、何か大事なことをお伝えしなきゃいけないような……」
「ははーん。貴女、私が負けると思っているわね?」
マリアの深謀遠慮を余所に、シルヴィアが邪推する。
自身の勝利を信じて疑わないシルヴィアである。「いえ、決してそういうものじゃ――」というマリアの弁解は、今の彼女に届かない。
「心配いらないわよ!」
言いながら、シルヴィアがドアノブに手をかける。
「ほら、昔取った杵柄って言うでしょ? 私だって、ズブのド素人じゃないのよ。まあ、見てなさい!」
自信満々に、シルヴィアが練兵場に向かった。
「昔取った杵柄って、往々にして当てにならないんですが……って、ああっ! ちょっと待って下さ―い!」
シルヴィアを追って、マリアが駆けだした。
第二節
「待たせたわね!」
意気揚々と、練兵場に降り立つシルヴィアである。
陽はとっくに暮れていた。もっとも月明かりは強く、周囲には篝火が焚かれていて、視界に支障は無い。
「準備はいいかしら?」
「はい。ですが……」
「あら? 今更臆したの?」
「いえ、審判がいません」
「あ……」
エリカの指摘通り、周囲は完全な無人である。
夜風がビューと吹いて、木の葉がハラハラと舞った。
「えーっと……」
バツが悪くなって、シルヴィアの目が泳いだ。
その時である。
「ああ、もう! こんな時だけ足が早いんだから……って、あれ? どうしました?」
マリアが追い付いて、不穏な雰囲気に疑問符を浮かべた。
「いや、審判がね――」
シルヴィアが状況を説明する。
「ああ、審判なら私がやりますよ」
「え? でも貴女、剣術なんかやってないでしょ?」
マリアの申し出に、シルヴィアが難色を示す。
「大丈夫ですよ。私、王国剣術連盟の公認審判員の資格を持ってますから」
「連盟の審判員って……、あの滅茶苦茶試験が難しいやつ?」
「ええ、まあ」
「に、憎たらしい!」
さらりと出たマリアの自慢に、シルヴィアが唇を噛んだ。
そんなシルヴィアの視線を気にも留めず、
「さあさあ、お2人とも。もっと近くに寄って」
とマリアが指示を飛ばした。
シルヴィアとエリカが歩みを寄せる。
「はい、その辺で止まって下さい」
5メートルくらいの距離で止まる2人。
「……それでは、試合を始めます。お互いに礼!」
マリアの合図で、シルヴィアとエリカは木剣を顔の前に立てた。
「構えてぇ……」
一足一刀の間合いまで、ジリジリと近づく2人。
ちなみにシルヴィアは上段で構えて、エリカは下段であった。
「始めぇっ!」
マリアが言うなり、まずシルヴィアが仕掛けた。
鋭い打ち込みが、エリカの頭上を襲う。
だがしかし、
「へ?」
剣先が空を斬り、シルヴィアが目を丸くする。
木剣が打ち込まれる直前、エリカはシルヴィアの右に捌いて避けたのである。
その風のような動きを、シルヴィアは全く認識できないでいた。
「せいっ!」
気合いと共に、エリカがシルヴィアの木剣を叩き落とす。
「一本! 姫様の勝利!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
マリアの審判に、異議を申し立てるシルヴィア。
「……エリカ。ちょっといいかしら?」
木剣を拾って、シルヴィアがエリカに向き直る。
「剣を叩き落とすだけなんて、私を馬鹿にしているのかしら?」
「いえ、決してそんなことは……」
「敵を侮るにも程があります。母とは思わずに、遠慮なく打ち込みなさい!」
「……分かりました」
不承不承にエリカが頷いた。
実はこの時、エリカは静かに癇筋を立てていたが、それに気付いたのはマリアだけだったりする。
「じょ、じょおーさま⁉」
「マリア! もう一度合図を!」
マリアの制止を聞かず、シルヴィアが指示を飛ばす。
「もう、どうなっても知りませんよ。……始めぇっ!」
マリアの合図で、もう一度シルヴィアが構えた瞬間――。
「ゲホォッ!」
体をくの字にして、シルヴィアが吹っ飛んだ。
エリカの渾身の突きが、シルヴィアの鳩尾に直撃したのである。
「ゲボッ! オエェェー……」
5メートルばかり転がって、吐瀉物をまき散らすシルヴィア。もはやそこに、淑女の面影はない。
もっとも、木剣を手放さない点だけは、見上げた根性と言えた。
「ゲホゲホッ! くっ! このっ!」
髪を振り乱し呼吸を整え、シルヴィアが立ち上がろうとした時である。
「へ?」
眼前に迫ったエリカに、シルヴィアが目を点にした。
そんなエリカは木剣を大上段に構え、今にも振り下ろさんばかりである。
「ちょ、ちょっと待っ――」
「母上、お覚悟!」
無慈悲な攻撃が、シルヴィアを襲った。
「アッーーーー!」と言う悲鳴が周囲に木霊した。
何かをビシバシ打ち付ける音が鳴るも、30秒くらい経って静かになった。
「一本! 姫様の勝利!」
マリアが宣言して、無意味な試合は終わった。
第三節
次の日。
麗らかな、昼下がりのひと時であった。
場所はグリトニル城の奥に設けられた、後宮の庭園である。
木々が綺麗に剪定され、多様な花々が植えられた庭園は、大きな池までが掘られている。東屋は全面ガラス張りで、中から四方を見渡すことが出来、贅沢ここに極まれりと言えた。
今、池の畔に女が腰を下ろしていた。
ドレスが汚れることを厭わず胡坐をかく女は、シルヴィア女王その人である。
「あ、あの、陛下……」
「……」
メイドが声をかけるも、シルヴィアは池の方を向いて微動だにしない。
「お召し物が汚れてしまいます」
「……」
具体的な用件すらも、悉く無視するシルヴィアである。
「あの――」
「うっさいわね!」
しつこいメイドに、シルヴィアが怒った。
振り返ったシルヴィアを見て、メイドが「ひいっ!」と悲鳴を上げる。
「ちょっと! 『ひいっ!』とは何よ!」
「し、失礼しました!」
「……もういいから、そっとしておいてちょうだい」
「はいっ!」
メイドを追い返して、シルヴィアが再び池を向いた。
その直後である。
「じょおーさま……って、ああ、ここにいらしたのですね」
メイドと入れ替わりに、マリアがやって来た。
「何よ?」
シルヴィアが振り返り、
「うへえっ!」
マリアが顔を顰めた。
そんなマリアの反応に、シルヴィアがブスッと不貞腐れる。
「アンタに至っては『うへえっ!』なのね。そうなのね……」
「いや、だって……、その顔じゃあ仕方ないですよ」
呆れるマリアであるが、主張は的を射ていた。
偉そうに勇んだシルヴィアは、碌な抵抗も出来ずエリカに嬲られた。
その顔面は無残に腫れ上がっており、元の面影は見られない。
うっかり他人とすれ違おうものなら、ゾンビと勘違いされかねない――それが現在のシルヴィアである。
当然公務に出ることは叶わず、シルヴィアは不本意にも、久しぶりの休暇を満喫していた。
もっとも、正直に真相を言えるはずはないので、欠勤の理由は階段から派手に転がり落ちた際の負傷となっている。
「まったく、あのクソ小娘、今度会ったらどうしてくれようかしら……」
怨嗟をまき散らしながら、シルヴィアは一心不乱に池に向かっていた。
「ところで――」
シルヴィアの手元を背中越しに覗き込みながら、マリアが続けた。
そんなシルヴィアの横には、バケツがデンと置かれている。
「さっきから何をしていらっしゃるので?」
「見て分からないの?」
「いえ、予想はつきますが――」
「ザリガニ釣りよ!」
胸を張るシルヴィアであるが、決して誇れる物ではない。
ザリガニ釣りは庶民の、しかもどちらかと言えば、男児の遊びである。
「おいたわしや、じょおーさま……」
マリアがヨヨヨと足をよろめかせる。
「ショックで幼児退行を引き起こされるとは……」
「誰が幼児退行よ!」
シルヴィアが怒って振り返った。
「あのね、私は元々貴族とは名ばかりの、地方領主の娘だったのよ。先王陛下(あの人)との結婚も、ぶっちゃけ貴賎婚よ」
「とは言っても、歴とした部門の誉れ高いお家柄ですけどね」
「そんなクソ田舎じゃあ、遊ぶ手段なんて限られていた訳。せいぜいが、魚釣りくらいのものよ」
マリアの茶々を無視して、シルヴィアは続けた。
「だから、私が余暇に釣りに興じても、何ら不思議はないわけ。お分かり?」
「それでも、貴族の令嬢としては、十分お転婆だと思いますが……。でも、だったら尚の事、魚を釣ればよろしいのでは?」
「池にいるのは、どれも高級な観賞魚よ! こんなの、いつの間にか住み着いたザリガニで十分……って、ほら釣れた!」
話の途中でシルヴィアが、池に垂らした糸を引き上げる。糸の先に括られた煮干しには、確かに赤いザリガニが掴まっていた。
「うわぁ、本当に釣れてる……」
バケツの中にウジャウジャいるザリガニを見て、マリアが顔を顰めた。
第四節
「さあ、まだまだ釣るわよ!」
そのままウキウキ気分で、餌を付け直すシルヴィアである。
こんな有様では、もはや幼児退行的な現実逃避は否めない。
「はぁ……」
溜息をついて、マリアが懐から30センチ程の杖を取り出した。
「じょおーさま」
「何よ」
「ちょっと失礼」
釣りに夢中なシルヴィアを無視して、マリアは杖の先端をシルヴィアの頬に近づけた。
「回復!」
「え?」
突然なマリアの行動に、シルヴィアが顔を上げた。
その直後である。
杖の先から、白い光が生じた。
光は光球となって、シルヴィアの顔全体を覆う。
10秒程経って光が消えた時、
「な、何をしたの?」
とシルヴィアが聞いた。
「何って、回復魔法ですよ」
「回復魔法って……、貴女、魔法が使えるの⁉」
「そんなことより、ご自分の顔を確かめてください」
マリアに言われて、シルヴィアが水面を覗く。
そこには確かに、元のシルヴィアの顔が写っていた。
「呆れた。本当に回復魔法だわ……」
頬を擦りながら、シルヴィアはしきりに感心してみせた。
魔法を使える者は、今となっては希少な存在である。
例えば、アルフヘイム王国では、程度を問わず何らかの魔法を使える者が全人口の10パーセント、自在に行使し社会的影響力を持つ者は1パーセントもいない。
当然、国主シルヴィアすらも使うことは出来ない。
「と、とにかく礼を言うわ。ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
「でも、何で魔術師が役人なんてやってるのよ?」
シルヴィアの疑問はもっともである。
魔法を自在に使える者は魔術師と呼ばれ、それこそ仕事に困ることはない。自前で事務所を構えれば、それこそ億万長者も夢ではない。社会的身分も極めて高く、倣いとして貴族に準ずる扱いを受ける――それが魔術師である。
ちなみに、回復魔法の行使は魔術師を名乗るための登龍門である。
「まあ、私にはこっちの方が肌に合ってるんですよー」
「そ、そう……。ならいいけど」
マリアの主張に釈然としない物を感じつつ、一応納得したシルヴィアであった。
「それはそうと、問題はエリカよ!」
バケツをひっくり返してザリガニを逃がしつつ、シルヴィアが現実に戻った。
「あの娘、何であんなに強いの? もう訳が分からないわ!」
「あー……、やっぱりご存じなかったんですね」
「な、何がよ?」
「姫様って、今となっては、王国最強って目される程の戦士なんですよ」
「はあっ⁉」
マリアの説明に、シルヴィアが目を丸くした。
そんなシルヴィアを置いて、マリアが続ける。
「何せ、この4年間、寝る暇も惜しんで鍛錬を続けた姫様です。剣を振れば岩を斬り裂き、走れば騎兵よりも速いそうですよ。こんなの兵はおろか、正規の騎士すら含めても、誰も敵いませんって」
「岩を斬るって、そんな大げさな……」
「それ多分ホントです」
「何で分かるのよ?」
「姫様の剣術ですけど、あれって実は魔術を使ってるんですよね。まあ、こればかりは魔術師じゃないと見極めがつきませんが」
「ま、魔術って……、一体誰に師事したって言うのよ? 宮廷魔術師が空位になって、一体どれだけ経ったと思って……。まさか――」
シルヴィアの疑いは、当然マリアである。
「私じゃありませんよ」
マリアが首を横に振る。
「たまーにいるんですよねー。魔術の世界に独覚される人が」
「でも、そんなのどうやって……?」
「あまり知られてはいないんですけど……。何かを極めた達人が、突然魔力を発現することがあるんですよ。おそらくですが、姫様もそのパターンかと。当然、本人にその自覚はありませんし、そもそも魔術師と呼べるほどのレベルでもありませんけど」
「そ、そうなの」
「無意識に不完全な強化魔法を使って、剣の強度や身体能力を底上げしてるんでしょうね。いやー、それにしても良かったじゃないですか、じょおーさま」
「なにが良かったのよ! こっちはボコボコにされて散々だわ!」
「だって、姫様が本気だったら、じょおーさま今頃グチャグチャの、それこそミンチよりも酷い状態ですよ」
「え……」
マリアの指摘に、シルヴィアの顔から血の気が引いた。
「手加減されたってことは、4年も続いたネグレクトも根に持ってないってことです。いやはや、結果オーライですよ!」
「……」
好き勝手に言うマリアを、シルヴィアは否定できなかった。
そのまま目線を泳がせつつ、
「ネ、ネグレクトなんてしてないわよ……」
絞り出すように、それだけを言ったシルヴィアであった。




