雨雫の音(あめしずくのおと)
プロローグ
薄い雲に覆われた小さな村。
古い家の建ち並ぶ、細い道路を牧原裕は歩いていた。
お爺さん一周忌の法要があり、休暇を利用して参列し、そして久しぶりにこの村でゆったり過ごしてした、夏の日。
(1)
叔父さんの家から数十分歩いて行くと、小さな川が流れていて錆ついた橋が掛っている。
橋の上から川を覗いてみると、綺麗な水の流れの中、アユであろう魚が岩間を出たり入ったりしているのが見えた。
裕は橋の上で数分魚を眺め、ふと橋の向こう側を見てみると、木々に覆われ石で造られた鳥居があった。
この先は神社があり、車を止めるための広場が橋の向こう側に少しあった。
裕はまるで何かに引き寄せられるように神社の鳥居まで歩いて行く。
鳥居をくぐると、木々が覆いかぶさり、石の階段がトンネルの中を上がって行っているように見える
階段を見上げた裕は一瞬上がるのをちゅうちょした。
長い階段の上は、曇り空の影響もあるんだろうけど、薄暗くなっていて、よく見えないからだ。
それでも、裕は一段目に足を置くと、誰かが後から押しているかのように、階段を上まで上がって行った。
薄暗い木々のトンネルの階段をゆっくり上がって行く。
階段の真ん中辺り、小さな鳥居と古い祠があったが、横目で見ながら通りすぎる。
息を切らしながら、ようやく長い階段の上に辿りついた。
振り返り下を見ると、薄暗い階段が下に伸び、その先にまるでトンネルの出口の様に地面が見える、途中の祠が妙にはっきり見えるのが気にはなった。
目線を少し上に上げると、村が一望できる景色、長い階段を上がってきた事が少しだけ報われる。
一息ついて、前を見る。
山の中腹に作られた神社、うっそうと茂った木々が、それほど広くない境内を包む様に覆っている。
少し歩いた所に手水舎が綺麗な水を満たしている、その向う側に石の灯篭が参道を挟む様に置かれてあった。
裕は周りを見ながら、拝殿に向かって行く。
拝殿の手前に狛犬が参道を挟む様に向かいあって置いてある。
拝殿の手前まで来て裕は足をとめた。
「懐かしいなぁ、昔はもっと大きく思えたけど」
拝殿を見ながらそう呟く。
ここの来たのは子供の頃以来、来ていなかった事を思い出した。
お参りをしないで、拝殿の裏にある本殿に向かおうとした時、急に雨が降り出した。
拝殿の軒先で足止めをくって
「これは、どうしてもお賽銭を入れてお参りしなさいって事か」
裕はジーンズの前ポケットから小銭を出して
「ちょっと、奮発しようかな」
100円を取り出し、お賽銭箱に投げ込んで
カランカラン
鈴を鳴らして手を合わせ、目を閉じた。
雨音が静かになる。
小雨になったように思え裕は目を開けた。
雨の雫が拝殿の屋根から幾つも落ちてきて、地面に落ちる。
不思議な事に、その音が裕の耳に響く。
そして、屋根から落ちる1滴の雨の雫を目で追う
それは、まるでスローモーションのようにゆっくり落ちてきて
ポチャン
地面に落ち、そして大きな音と共にはじけた。
すると、裏の本殿の方から人が歩いてくる気配を感じ、裕は身構える。
静かに人影が現れ、裕の眼は、その人に釘付けになった。
和傘をさし、涼しげな水色の浴衣に赤い帯、髪の毛を後で束ねていて、清楚な印象、何よりも美人。
裕は見とれてしまった。
見つめている裕の事も気にしない様子で、浴衣姿の女性は参道を階段の方に向かって歩いていった。
裕は“はっ”として何故か彼女を追い掛けようと思い、小走りに階段の方に向かう。
彼女が階段を下り始め、和傘の先が消えかけた時に裕が階段の上に着く
「あれ?」
そこにはもう、浴衣姿の彼女の姿は無かった。
(2)
次の日も外は曇り空だった。
その日は、朝におばさんから買い物を頼まれた。
裕はこの村に住んでいる親戚の若い男の子と一緒に、隣町へ買い物に行く事になった。
隣街まで片道30分の行程、行きは照れ臭いのか2人とも黙っていた。
無事に買い物も終わり、帰り道、2人はホットしたのか、話をしだした。
昔は会うたびによく遊んでいた2人、今は大人になったお互いの事を、まるで探る様に見ていた。
一度、話をしだすと、お互いの現状から始まり、異性の事、そして昔話まで、30分時間では足りない位話をしていた。
ふと、裕は昨日見た女の子の事を聞いてみた、着ていた物、容姿、などを説明して。
「そんな子、この辺には居ないと思うよ、若い女の子は数人いるけど、みんな裕君が言うような美人やないし、それに、そんな美人ならもう、誰かの彼女か嫁さんになってるよ」
“それも、そうやな”
裕は彼の言うとおりと、納得して窓の外を何気なく見ていた。
村の入ると雨が降り始めたのか、フロントガラスに激しく水滴が打ち付けて始めた。
「すげぇ降ってきたよ、ワイパー全開やのに前、見えへん」
ワイパーの音と雨粒の音が激しく車内に響く
叔父さんの家に近づき始めると、雨は少し小雨になり始め、駐車場に着く頃には、止み始めていた。
親戚の子が荷物を持って家に入っていった、裕は車を降り、軒先で空を見上げて
“よく降ったなぁ”
そんな事を思いながら、振り返り家に入ろうとした時、屋根から落ちてくる雨に雫の音が気になった。
ポチャン・ポチャン
数滴、落ちる音が一際大きくなったように思えて、外を見る。
もう一つ、雨に雫が目の前を落ちて行く時、神社の時と同じように、スローモーションのように雫がゆっくり目の前を通過、一瞬、雫に色が水色に変わり落ちていく。
“あっ”
そう言った時、神社で見て女の人が、少し離れた脇道に入って行こうとしていた。
水色の浴衣、赤い帯、そう昨日と同じ姿で。
一瞬、裕はちゅうちょしたが、思い切って彼女を追いかけようと、脇道に走って行く。
脇道に近づいた時に、和傘の端が消えていこうとした。
裕がようやく脇道まで来た時、彼女は傘をさしたまま、そこに立っていた、まるで裕の来る事が分かっていたかの様に。
裕は彼女に近づこうとゆっくり歩き始めた、そして声を掛けようとした時
彼女は傘の下で半身で振り返り、切れ長の目で裕を見つめ“二コ”と笑い頭を下げ、また歩きだした。
「あ、あの」
裕がそう言い掛けた時
「裕君」
呼ぶ声に裕は一瞬振り向き、そしてまた彼女の方を見た時には、彼女はもうそこにはいなかった。
裕は彼女を探すため、近辺を走り周ったが何所にも見当たらなかった。
“何所にいったんや、マジで”
「何所に行ってたんですか、さがしたんですよ、しかも、そんな濡れて」
ずぶ濡れに裕を見て、親戚の子が呆れ顔で言った。
裕は冷えた体を温めるためシャワーを浴びていた。
顔に暖かいお湯をあてながら、彼女の事を考えてた。
横顔だけしか見ていないけれど、確実に美人、しかも何とも言えない清楚な雰囲気、彼女に引かれていっている自分に初めて気が点いた。
(3)
次の日の朝
「今日から祭りやさかい、夜、楽しみにしときや」
伯父さんが言った。
“久しぶり”
裕は朝ごはんを軽く済まし、少し村を歩いてみた。
昨日までは人をほとんど見る事が無かったが、祭りの日、朝から村人達は祭りの準備に追われている。
祭りのために里帰りしてきたであろう人々も、ちらほらいるみたいだ。
祭りの会場になる広場に行ってみた。
広場は叔父さんの家から10分程歩いた所にあった。
普段は役場の駐車場のようで広々としていて、そこに、露店、イベントなどの準備が進んでいるようだった。
まだ、朝、閑散としているが、夕方になるにつれ、賑やかになるであろう光景を裕は想像しながら、その場を後にした。
叔父さんの家を通り過ぎ、神社の方に向かおうとしていると
「裕、裕」
名前を呼ぶ声に顔を向けると、民家の道路に面した縁側で、裕の母親がどこかのおばさんと話をしていた。
「裕、こっちに来な」
“面倒やなぁ”と声に出さず言いながら近づいて行く
「久しぶりだね、裕ちゃん」
母親と話をしていたおばさんが懐かしそうな顔で、裕の顔を見ながら言った。
「お久しぶりです」
一応は挨拶をしてみたが、裕には見覚えが無いように思った。
複雑な表情の裕を母親は察知して
「裕、お前の小さい頃、よく一緒にあ・・・・」
母親はそこまで言って、「あっ!」何かを思い出し、気まずい顔でおばさんの方を見る。
「いいのよ、もう随分昔のことやし」
優しい顔でおばさんは裕の母親に言って、裕に向き直り
「裕ちゃん、雫の事覚えていてくれている?昔よく一緒に遊んでいてくれた」
“あっ!”
裕の記憶の断片が一枚、おぼろげながら浮かんできた。
裕の複雑な表情を見て、おばさんは
「じゃあ、これ見て、懐かしいでしょ」
そう言って、横に置いてあったアルバムを開いて、昔の写真を裕に見せた。
そこには、裕の子供の頃の写真が沢山ある、隣には1人の女の子が笑顔で写っている。
裕の記憶がパズルのように組み合わさり、だんだん蘇ってくる。
「これ、この写真、私好きなの」
おばさんが見せた一枚の写真、子供の頃の裕が女の子と神社の前でキスをしている
裕は、キスの事より、女の子が来ている浴衣に目を奪われた。
あの、和傘の女の人と同じ柄“まさか”そんな事が裕の頭に浮かび、そして
「雫が生きていたら、裕ちゃんと・・・」
おばさんが少し潤んだ目で声も詰まらせて言った。
裕はおばさんと、思い出してきた昔話をして、その場所を離れた。
神社の方向に向かって物思いにふけりながら歩いていた。
神社の手前の橋の真ん中で足を止め、川を見つめていると、遠くで祭り囃子の音が小さく聞こえてきた。
“そ、そうや、そうやったんや、あの時”
裕は神社を見て、そう呟き、何かを決したように来た道を戻っていった。
(4)
夕方の空は曇り空、昼過ぎに激しい雨が数十分降り、心配された祭りの開催は、雨で涼しくなり、逆に賑わいを見せる事になる。
裕は少しの食事を済ませ、浴衣に着替えて、祭りに行く準備をした。
親戚と家族とで祭りの広場に向かい、イベントや露店を楽しんでいた。
一時間程、そこで過ごし、裕は広場を後にした。
叔父さんの家を通り過ぎ、神社へ向かう。
神社までに道筋の家々には大きな提灯が玄関先にぶら下げてあり、幻想的な雰囲気に見えた。
すれ違う人の下駄の音や雑談、何もかも昔、裕が見た光景とダブってきている
神社までもう少しの所に来ると人影はなくなり、家々の提灯と川向うの広場の数本の灯篭の明かり、そして遠くで聞こえてくる祭り囃子が裕の心を締め付けてきた。
橋を渡り、オレンジ色の火が揺れて、灯篭の影が怪しく揺らめく広場。
真ん中に立つと、時間が過去に戻っていっている様な、不思議な気持ちになってきた。
神社に上がる階段を見ると、灯篭が両側に均等に立っていて、オレンジ色の火が階段を照らしていた。
何かに導かれる様に裕は足を一歩、階段に乗せた時、木から落ちてきた雨雫の音が裕の耳元で響いた。
一歩、進める毎に雨雫の音が木々のトンネルの中を響き渡っているように思えた。
そんな事も気にしないで、階段を上がって行く裕の横に小さな祠が近づいてきた。
祠の前に小さな灯篭が二つ、火の明かりが祠を怪しく照らしていた。
裕の心の奥の記憶が蘇ってきて、祠の前で足を止め近づいて行く。
“そう、あの時、この祠の中に・・・”
裕は膝をついて祠の中を見てみる。
何が祭ってあるかは、分からないけれど、この中に1つ裕の記憶の断片が入っているはず。
裕が祠の扉に手を掛けようとした時、祠の前の小さな灯篭二つの火が同時に消えた。
「わっ!」
一瞬驚いて、開けるのに戸惑ったが、思い切って開けてみた。
暗がりの祠の中には小さな紙の包みが置いてあった。
“まだ、あったんや”
裕は紙の包みを手に取って見つめた。
長い間、祠の中に置いてあったはずだけど、紙が少し汚れているだけで破れていたりはしていなかった。
裕は紙の包みを大事そうに手に持って、再び階段を上がって行こうとした。
雨雫が裕の頬に一粒落ちた時、階段の上に人が立っていた。
和傘を差した浴衣姿の女性、裕を見下ろす様に立っていて、しばらくして奥の方に消えて行った。
裕は急いで女性を追う様に階段を駆け上がって行く
“あの人は、もしかして”
そんな事を思いながら、息を切らして、つまずきながら。
「はぁはぁはぁ」
ようやく階段を上がって、膝に手をつきながら参道に着き、拝殿の方を見ると、そこには
“雫ちゃん”
拝殿までの間に、数本の灯篭が参道沿いに建てられていて、淡いオレンジ色の明かりが参道を照らしていて幻想的に見える。
拝殿も幾つかの提灯が飾られていて、艶やかに見える。
そして、その前に立っている少女、小さな和傘、涼しげな水色の浴衣に赤い帯、髪の毛を可愛く後ろでまとめていて、時折体を左右に揺すりながら誰かを待っている様子に見える。
「雫ちゃん」
裕が思わず声を掛けると
突然、突風の様な風が吹き、木々の付いていた雨雫が一斉に裕の周りに降り注いだ。
雨雫は灯篭のオレンジ色を反射して、神社内をいっそう明るく照らしているように見えた。
その後すぐに、けたたましく雫に落ちた音が響きわたった。
そして、辺りは一瞬にして静まりかえり、裕はずぶ濡れの姿で立っていた。
一瞬の出来事で、裕は顔を手で拭って、再び拝殿を見ると、そこには、雫と同じ格好をした女性が立っていた。
「雫、雫ちゃんなんか?」
女性は、優しい笑顔でゆっくり裕に近づいてくる。
そして、裕までもう少しの所で来ると
「やっと、来てくれたのね」
笑顔があの頃の雫そのものだと、裕は思った。
「ふふふ、やっと、あ・え・た」
そう言って女性が裕に近寄って来た時
「しず・・・」
言いかけて裕は言葉が詰まってしまう
目の前の彼女の顔が、変貌していた。
顔は青白く、目は血走っていてつり上がり、口は大きく開かれ声にもならない声で何かを言っている、よく見ると、目には涙が流れているように見える。
裕は近づく彼女に寄って行こうとしたが、足を止め
「わぁ」と叫んでしまった。
裕は後ずさりしながら階段の所まで来てしまい、あと一歩下がれば階段の段差
彼女がもう目の前まで来ていて、裕は後を気にしながらどうしようか迷っていると
「これで、サヨナラよ」
裕の耳のそう聞こえた時、体が一瞬宙に浮いた。
「ごめん、雫ちゃん」
裕は落ちて行く時、覚悟をして優しい顔で雫に向けてそう言った。
そして、裕の体は階段の段差に激しく打ちつけられ、真ん中辺りまで転げ落ちて行く。
ボロボロになった裕の体が止まったのは、ちょうど祠の前だった。
雫が落ちて動かなくなった裕を見つめ、何かを言おうとした時、足元に小さな包みを見つけた。
ゆっくり、その包みを拾い上げ、中身を取り出した時、大人になっていた雫が少女になり
「これ、ほしかった指輪、ひろちゃん、買ってくれていたんだ」
そして、少女は倒れている裕を見つめ
「ごめん、ごめんねひろちゃん、ごめんひろちゃん」
そう言って泣き崩れ、それと共に激しい雨が神社周辺に降り始めた。
(5)
鳥の鳴き声が、神社内に響き渡り、朝の爽やかな風が木々を揺らしていた。
「うぅぅ」
拝殿の賽銭箱の前、裕が目を覚ます
「イタッ」
腰を押さえながら体を起こし、周りを不思議そうに見た。
“あれ?どうして、確か俺”
階段から落とされたはずの裕、どう言う訳かここに寝かされていた。
“夢だったのかな、もしかして”
そう思いながら、立ちあがろうとして手をつくとそこに何かがあった。
“これは、指輪”
裕の手の中に小さな指輪があった。
「雫ちゃん」そう呟き、そして自然に涙が流れ始めた。
家に帰り、気持ちを落ち着かせて、昼を過ぎた頃、雫の家に行った。
おばさんに事情を説明してお墓参りをさしてもらう事を許してもらった。
おばさんとお墓に行くまでの道のりで、あの頃の事が頭に蘇って、胸が締め付けられた。
あの頃、雫とお祭りに行き、露店でおもちゃの指輪を見つけた。
雫は指輪を欲しがったが、自分で買うのではなく裕にねだった。
その時、裕はお金を持っていなかったから
「ごねん、後で買って渡してあげるよ」
「そう、じゃあね」
雫はいたずらっ子の様に微笑んで
「神社で待ってるから、そこで渡して」
「そ、そう、分かった」
そして2人は別れ、すぐに裕は叔父さんの家に戻り、自分のおこずかいを持って露店に向かって指輪を買い、すぐに神社に向かった。
オレンジ色の光を灯す灯篭に怖さを感じながら神社に上がる階段を上がって祠の前まで来た時、急に激しい雨が降り始めた。
裕はその場から動けなくなり、階段に座りうずくまっていた。
「裕、裕」
階段の下から呼ぶ声が聞こえ顔を上げてみると、母親が読んで近づいてきた。
「もう、こんな所に1人で来て、ずぶ濡れじゃない」
怒る母親に泣きそうになりながら、謝って、理由を言う
「雫ちゃんが上にいるの?じゃあ、一緒に帰ろうか」
そう言って裕を連れて階段を上がりって参道まで来た時、そこには誰もいなくてただ、拝殿が提灯の明かりに照らされ裕には不気味に見えた。
「いないわね」そう言って母親は雫の名前を何度か呼んでみたけれど、姿も無く返事も帰ってこなかった。
「来てないんじゃない?」
「でも」
「帰りに雫ちゃんの家に寄ってみよ」
「うん」
しぶしぶ、母親に連れられて家に帰るため階段を下り始めた。
祠の手前まで降りてきた時、裕は雫との約束を思い出した。
「指輪の事は誰にも言わないでね、2人だけの秘密、約束よ」
裕は履いていた運動靴の紐を締め直すふりをしてしゃがんだ。
「どうしたの、急に」
「うん、靴の紐が、先に降りておいて、雨も小降りやし」
母親は背中を向け階段を下りていっている間に、裕は祠の扉を開け、指輪を入れ、急いで母親の後を追いかけた。
雫の家に寄って雫がいるかを聞いてみると、まだ帰っていかった。
時間も遅くなってきて、裕の家族と雫の家族全員で捜索が始まった。
祭りのあった広場、少し離れた公園、そして・・・
雫は神社に上がる階段に倒れていた、頭から血を流し、うつ伏せで。
すぐに病院に運ばれたが意識不明の重体で数日間生死をさまよっていたらしかったが、裕が親と自分の家に帰って数日後、亡くなった事を聞かされた。
裕はその時から数日、ショックを受け倒れてしまい、雫の記憶がなくなってしまっていた。
(6)
雫のお墓の前に来て、花を供え、お線香をあげた。
時折吹く風が花と線の煙を揺らす。
裕はズボンのポケットから紙の包みを出し、中から小さな指輪を取り出した。
「それは」
雫のお母さんが不思議に裕に聞く
「これ、約束をしていた指輪です、あの時渡すはずだった」
裕は目に涙をためながら言った
「そう、そうだったの、ありがとう、雫も喜ぶわ」
やさしい笑顔でお母さんは裕を見つめ
「雫、よかったね」
そう言って手を合わせた。
裕も一緒に長い時間手を合わせ、心の中で
“ごめん、待たせて、約束守れなくて、ごめん”
優しい風が裕の涙をさらい、地面に落とし
ポチャン
裕の耳を包む様に聞こえた。
次の日の夕方、神社下の広場には沢山の人が集まってきていた。
そこには、キャンプファイヤーの様に木が四角く積まれ、周りに数人の白装束の村人が火をほり込もうとしていた。
祭りの最後は、人々に渡された木片に願い事や悔み事などを書き火の中にほり込み清めてもらう儀式でしめて、祭りは終わる。
裕は雫への思いと、お詫びを書いて待っていた。
辺りが暗くなり始め、火が点けられた。
次第に激しく火が燃え始め、白装束の人の掛け声とともに周りにいた人々が火に向かって木片を投げ込んでいく。
時折「わぁぁ」火の勢いと共に歓声が上がる中、裕も木片を火の中にほり込んだ。
その時、火柱が数メートル上がり大きな歓声が広場に響き渡る。
びっくりした裕は呆然と火柱を見つめていた。
次第に火柱は小さくなっていき、裕の背の高くらいまでになった。
一瞬、裕の耳に周りの喧騒が入ってこなくなり、火の向こう側に笑顔で手を振る女の子の姿が見えた。
“雫ちゃん”
そう、心の声で呟くと
「ひろちゃん、ありがとう」
その言葉だけが裕の耳に聞こえ、雫の左手の薬指に光る物が見えた。
そして
「さ・よ・な」
ボォォ
最後の言葉をかき消すように再び大きな火柱が一瞬上がり、再び小さくなった時には、雫の姿はそこにはなかった。
End