応援
1,いつゴブリンが戻ってくるかわからない。
2,ここからは洞窟の内部が見えない。
3,ゴブリンは一度戻ってきている。
4,また洞窟の入口付近で外の様子を窺っているかも知れない。
……そう思うと、とてもじゃないが、茂みから一歩が踏み出せない……。
「洞窟の中が見えない」ことで、無限に恐怖が膨れ上がる。
何度も自分があのゴブリンに斧で殺される場面が頭に浮かぶ。
そのたびに心臓が縮まり、はあはあと、息が荒くなる。
(死にたくない……。まだこの人生でなにもしていない……)
(“ピギー”のままで死にたくない……。豚とからかわれたまま、終わってたまるか……)
恐怖を跳ね返すために、何度も心のなかでそう唱える。
だけど、「怖さ」を越えることほど難しいことはないのだろう。
一歩も動けないまま、さらに三時間が過ぎた。
(まずい……陽が暮れてきた……)
このままだと、別の魔物が近づいてくるかもしれない。
(このまま逃げるか、勇気を出して、死体から装備を剥ぎ取るか……)
(ふたつに一つだ……。どうする……)
ごくりと唾を飲む。
さっきから無性に喉が乾いている。
極度の緊張状態のままこうしてずっと動かないでいるのだ。
身体も精神も消耗しきっている。
(行こう、行くんだ、行こう……)
何度もそう胸のなかで唱えて、茂みのなかで立ち上がった。
足を震わせながら死体へと歩いていく。
(死んでる……ほんとうに、死んでる……)
改めてそう確認する。
前に見た水場の死体よりも、さらに頭部の損傷が激しい。
頭があった部分は、もうほとんど水っぽくなっている。
なにかが胃の辺りからこみ上げてくる。
(ダメだ……吐く、まずい……、ここで音を立てたら、ゴブリンがやってくる……)
口を手で抑えて、必死に嘔吐感を抑える。
口のなかに酸っぱい液体が広がり、それを無理やり飲み込む。
(うう……、最悪の、気分だ……)
恐怖を抑えながら洞窟の入り口を振り返る。
……ゴブリンの姿はなかった。
(良かった……、もう興味をなくして、中に戻ったらしい……)
……
やっと一息つき、死体を見下ろした。
(これは、ブロードソードではないな……)
(なんだろう、シミター、かな……)
男の握っている剣は不思議な形状をしていた。
曲剣と呼ばれる類の剣だろう。
(これなら、ブロードソードより、高く売れそうだ……)
(なんだ……? 腰にもうひとつ、なにかある……)
男の腰に革製のなにかがあって、ボタンで留められている。
そこから柄が出ていた。
(小型のナイフかなにかかな……)
屈み込んでボタンを外し、革から外してみた。
(やっぱり、小型のナイフだ……。俺の持っているものより、良いものらしい……)
(これも貰っていこう……)
男の死体の足元で立ち上がった。
毎回思うことだが、死体漁りをすることに罪悪感が湧く。
だが、その罪悪感もすでに軽く薄らいでいる。
すくなくとも前回ほど罪の意識は感じていない。
「……」
(それでも、一応、謝ってはおこう……)
(すいません、すいません、装備、いただきます……)
……
帰りもかなり慎重に歩いて帰った。
二回目ともなると、自分のなかに気軽になっている部分がある。
(こんなことで油断していたら、あっという間に死ぬぞ……)
(いいか、本当に死ぬんだ、本当に、命を落とすんだ……)
必死に、自分にそう言い聞かす。
でなければ簡単に慣れてしまうのだ。
(すでに死体漁りには慣れてきている……。森を徘徊することにも慣れたら、あっという間に、魔物に食い殺される……)
そう唱えていないと、緊張が保てそうにないのだ。
完全に陽が暮れてから、森を抜け出た。
街道にひとの気配はない。
(油断するな、街に戻るまで、油断するな……)
自分にそう言い聞かせながら、街の入り口まで歩いていく。
周りに魔物の気配はないが、とにかく、油断したくない。
(やっとだ、やっと街に着いた……)
門をくぐってから、やっと深いため息をつく。
毎回のことながら生きて帰れたことに奇蹟を感じる。
俺にはなんの戦闘能力も、魔術もないのだ。
修理士など、本来は街から出て戦うタイプの職業ではない。
それなのに、魔物の徘徊する森まで行って無事に戻ってきているのだ。
奇蹟としか言いようがない……。
一旦宿屋に戻って、夕飯を食べた。
それから手に入れたふたつの装備を机に並べ、「修理」を行ってみた。
(こうしていると、気持ちが安らぐ……)
(職業に合った行動を取ると、気持ちが落ち着くのかな……)
シミターはかなり刃こぼれしていたから、修理すると、見違えるほど綺麗になった。
一方新しく手に入れた小型のナイフは、始めから綺麗だった。
(こっちのナイフのほうが、性能が良さそうだ……)
(なら、もともと持っていた方のナイフを売りに出すか……)
そう考えて、もともとのナイフの方にも「修理」スキルを当ててみた。
すると、若干ではあるが、ナイフの表面は綺麗になった。
(王から支給されたこのナイフ、一回も使ってないんだけどな……)
(なのに刃こぼれてしていた……。粗悪品を渡されたということか……)
窓の外を見ると、とっくに深夜になっている。
今から行っても武器屋はもう閉まっているだろう。
(明日行くか……。今日行きたかったが……)
武器屋に行くことは諦めて、この日は眠りについた。
……
早朝に起きて武器屋に行くつもりだったが、起きれなかった。
昨日のことで全身が疲れ果てていたのだろう。
ベッドから起きようとしても、身体が錆びついたように動かなかった。
やっと起き上がって宿の外に出た。
街のなかはすでにエルフのひとびとでごったがえしている。
(やっぱり、エルフってみんな美しいんだよな……)
認めたくないが、それは事実だと思う。
普通に歩いているひとりひとりが、信じられないくらい容姿が整っているのだ。
(こんな世界だったら、俺が気持ち悪がられるのも仕方ないよな……)
ついそう卑下してしまう。
俺の身体は小柄で、顔は子豚のような形をしている。
どうしてか、髪だけは赤くなっていた。
それだけが唯一、俺は気に入っていた。
(見ようによっては、この赤い短髪が、かっこよく見えなくもないと思うんだが……)
(いや、よそう……。このエルフの国では、俺はあまりにも醜いのは確かだ……)
武器屋のドアを開くと、
「……あんたか」
微かに笑いかけてもらえた。
始めは嫌悪されていると思ったのだが、どうやら、単純にこの店主の愛想が悪いのかも知れない。
今も素っ気ないが、俺が再び来たことに多少の喜びを感じてくれているように見える。
哀しいことに、それだけで、あまりにも嬉しいと感じさせられる。
今俺はこの世界に誰一人心を許せる相手がいないのだ。
笑いかけてくれるひとも、話しかけてくれるひとすらもいないのだ。
そんななかで、微かに口角を上げただけのことだが、この店主は笑いかけてくれる。
それが、あまりにも嬉しい。
「またなんか持ってきたのか」
カウンターに肘をついた店主が言った。
「ええ、今回は、このふたつを……」
俺はカウンターにシミターと王に支給されたナイフを置いた。
店主が黙ってそれを見つめる。
(不機嫌に見えるけどそうでもないんだろうな……。これが普通なのかもしれない)
「……やっぱり、質が良いんだよな。まるで新品みたいだ」
と店主が言う。
「いくらぐらいになりますかね……」
「そうだな、これなら銀貨6枚で良いよ」
銀貨六枚か。
前回売ったブロードソードが銀貨三枚だったから、その倍だ。
剣の種類によってこれほど値段が違うのは驚きだが、とにかく銀貨六枚は嬉しい。
これで当分の宿と飯はなんとかなる。
と言っても、安心できるような蓄えとはとても言えないが……。
「こっちのナイフは……質は悪くないんだが、ものが良くない」
「そうなんですか。安物のナイフなんですか? 」
「というかこれ、果物ナイフだよ」
思わず絶句する。
あの王、これから冒険する転生者に果物ナイフを渡したのか。
つくづく舐められているというか、下に見られている。
「それでも売りたいっていうなら買い取るけど、正直に言って大した金額にならないよ」
「いくらぐらいですか」
「出せて、銀貨一枚」
「じゃあ、売ります。どのみち使わないんで」
「あっそう。うちとしては良いけど……」
店主がじろじろと俺を見てきた。
まあ見られるのは慣れているというか、嫌な顔を向けられるのには慣れている。
だけどこの店主にじっと見つめられるのは初めてのことだ。
「じゃあ、悪いから、そこの棚にある薬草を好きなのひとつ持っていって良いよ」
「薬草ですか」
「うん。あんた街の外に行くんだろう。回復薬とか持っておいた方が良いぞ」
「薬草か……」
棚を見ると数種類の薬草が並んでいた。
体力快復とか、魔術量快復とか、いろんなラベルが貼ってある。
「じゃあこの、体力快復の薬草ください」
「おーけー。じゃあこれ、武器ふたつ合わせて、銀貨七枚」
「はい。ありがとうございます」
そう頭を下げて帰ろうとしたところだった。
「ピギー」
突然店主にそう呼び止められる。
「はい」
思わず返事をする。
「やっぱりあんたがピギーか。豚みたいな才能なしの転生者がいるって話は聞いていたんだが」
「……」
「いや、ごめん。馬鹿にするつもりで言ったんじゃないんだ」
「じゃあ、どういうつもりですか」
「まあ、そう警戒するなよ。ほら、見てみろよ」
そう言うと店主はさらっと長い髪をめくった。
「あれ、長い耳がない……」
「うん、俺、エルフじゃないからな」
「え、違うんですか」
「違うよ。ごく普通の人間だよ」
正直に言って全然そうとは思えなかった。
店主は三十代後半ぐらいの男に見えるが、その容姿は美しく整っていたのだ。
背も高くて手足もすらりとしている。
俺からすればどう見てもエルフにしか見えないがそうじゃなかったらしい。
どことなく遊び人っぽい笑みを浮かべて店主が続けた。
「この国でエルフじゃないっていうのは苦労するんだ。あいつら見た目に厳しいからな」
「良く分かってます」
「才能のある転生者には優しいけどな。普通の人間だとか、旅行者には厳しいんだよ」
「はあ」
「俺も散々苦労したもんさ。……今でこそやっと店を持てているけど」
そうだったのか。
このひとも俺ほどでないにしろ差別を受けてきたのだろうか。
店主は続けた。
「まあ俺が言いたいのは、この国も案外一枚岩じゃないってことさ。エルフの高慢さに頭に来ている奴らは俺以外にもいる。エルフのなかにすらいるんだ」
店主が苦労を感じさせる笑みで頷く。
「ピギー。俺はあんたのことを応援しているよ」
俺はあっけにとられて頷いた。
応援している。
それだけの言葉に腰が砕けそうなほど感動している。
「あ……」
とお礼を言おうとするが、店主はもう別の作業に戻っていた。
なんとなく恥ずかしくなって店を出た。
手には、俺が稼いだ銀貨7枚が握れられていた。
宿に向かって通りをふたつ曲がってから、誰もいないのを確かめて、
少しだけ泣いた。
現在のステータス
愛称:ピギー
種族:人間
所持品:小型のナイフのみ
所持金:銀貨7枚
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