人は傷つき傷つけあいながら生きるもの
人は生きていれば誰かに傷つけられる。そして誰かを傷つける。
誰も傷つけたくないし自分も傷つきたくない、と多くの人が思っている。
しかし、それを実現するには生きることをやめるしかない。
否。その死によって傷つく者もいるだろう。
誰かを傷つけ、誰かに傷つけられるのは、この世に生を受けた者の宿命である。
例えば、怖い顔をした男性がいたとしよう。
彼の顔を見て子供が泣き出した場合、彼は子供を怖がらせようとしたわけではないのに結果的に怖がらせてしまう。
また、彼が繊細な心の持ち主であったなら、子供に泣かれてしまったことに傷つくだろう。当然ながら子供は彼を傷つけようとしたわけではない、ただ彼の顔が怖かっただけなのだ。
人は、ただ生きているだけで誰かを傷つける。
そして、ただ生きているだけで誰かに傷つけられる。
そのことを自覚しなくてはならない。
とりわけ、人に読ませる文章を書く者は、気を付けなくてはならない。
これは、「誰も傷つけないような文章を書け」と言っているのではない。まして「いかなる文章も書くべきではない」と言いたいわけでは絶対にない、そうではなく、「どんな文章でも誰かを傷つける恐れがある」そのことを自覚しろと言いたいのだ。
自覚を持てば無闇矢鱈に他人を傷つける文章を書こうとは思わないだろう。
ここまで少し厳しいことを書いてきた。だが安心して欲しい。
人はただ生きているだけで人を傷つける存在であると同時にただ生きているだけで誰かを救う存在でもあり得るのだ。
ただ健気に生きている誰かに心癒され、ただ懸命に生きている誰かかから生きる勇気を貰う。
だから生きよう、一所懸命に一生懸命に。
だから書こう、ひたすらに根気強く。
あなたの生きる姿が誰かの憧れになる。
あなたの書く文章が誰かの宝物になる。
傷つき傷つけあいながら
それでも僕らは生きていく。