柔かな光
「あなたの過去、話してくれてありがとう。大変だったのね……」
「ああ、だから、無理だ。一緒に幸せ、なんて有り得ない」
俺は昨夜、俺と幸せになりたい。という彼女に過去を話したところだった。
「でも、あなたは悪い人じゃないわ。家族思いじゃないの。お母さんのために夜の世界に入って、勝手に連帯保証人にした叔父さんの借金を、お母さんとお兄さんと一緒に返して……」
「結局お袋も死んでしまったし、な。今は生活をするのに必死なんだ。幸せなんて考えられない」
彼女とは夜の世界とは全く関係ないところで知り合った。……いや、全く、とは言いきれない。彼女は深夜のコンビニアルバイトだった。
仕事帰りに寄ったコンビニで、毎日、顔を合わせるようになり挨拶を交わす間柄になっていた。
ある日、珍しく店に出る前にコンビニに寄った。ちょうど出勤前だったのか、彼女もいたのだが、やはりというか、今まで全く無かったのだろうか? というか。
要するに、若い女性が深夜にコンビニアルバイトをしている事を知った、馬鹿な男が、彼女に絡んでいるところに出くわした。
それを、追い払った俺は、彼女に感謝をされて、そこから徐々に距離が縮まった。……いや、正確に言うと彼女が距離を縮めて来た。
色々話したい、とラインのやり取りを始めて、なんだか出勤前に会う回数が増えて。まぁなんとなく好意を持たれていることは解ったし、嫌では無かったが。……一歩踏み込んで、恋人になりたい、と言って来た彼女に、過去を話した。
彼女が嫌じゃないから、恋人に出来ない。出来るわけがない。俺にそんな資格は無い。
「でも、あなたは悪い人じゃないわ。全部家族の為で……」
「そうだとしても! 俺が女を騙して稼いで来た事に代わりない。それに、今さらどんな仕事につけばいいのか、解らない。高校さえ出てない俺を、全うな会社が拾うわけ無いだろう?」
彼女が言葉に詰まる。
「……頼む。俺1人ならなんとかなる。なんとか出来る。君に対する感情がどうのこうの、というわけじゃない。だが、無理だ。それを解ってくれ」
頭を下げる。仕事でなら、いくらでも歯の浮くようなお世辞を並べ立てられるのに、仕事抜きだとこんなにも言葉が空回りをして、無様な格好しか見せられない。
だが、それしかない。
頭を下げて、率直な言葉を並べる以外、何も出来ない。自分で笑いたくなった。
「……解った」
彼女がため息にも似た小さな声で、了承の言葉をこぼした。俺が顔を上げると泣き顔みたいに見える笑顔で、俺を見ていた。
「ありがとう」
俺が礼を述べると彼女は頭を振る。
「でも、友達のままでいたい。友達で居させて」
震える声でそう言われて断れる程、俺も鬼じゃないつもり……いや、断れなかった。
「すまない」
彼女が嬉しそうに微笑んだ。俺も涙を見なくてホッとした。もう、女の涙を見たくなかった。お袋の涙を見過ぎていたから、女の涙を見るのは嫌だった。
「友達付き合いって、どんな感じでした?」
いきなり話題を変える彼女に戸惑う。だが、とにかく返答をした。
「中学までだし、それなりに遊んだ記憶はあるけれど、覚えてないな」
記憶を掘り起こす。
「女友達はいたの?」
「いや。居なかった」
「私が初めてですか?」
「初めてです」
なんか、彼女の言葉遣いに釣られてしまう。……考えてみれば、女性とこうして話す事なんて無かったから、どうしていいのか解らない。
「そうですか」
本当に嬉しそうに笑う彼女を見て、こちらも嬉しくなった。なんだろう、兄貴が結婚をした時より嬉しい気持ちになるなんて。
……ああ、そうだ。お袋が生きていた時、銀行からの借金を死にものぐるいで返済し終わった時に、ホッとして泣き笑いの顔を浮かべた時だ。
あれ以来の嬉しい気持ち。……俺は、女に弱いのかもしれない。女を騙すような仕事なのに。
「じゃあ帰ります」
「送る。前みたいな事になったら困るだろうし」
彼女は大丈夫だ、と笑うから途中まで送る事にした。あのコンビニの裏手に住んでいるから、コンビニまで送る。ついでに、俺は酒と弁当を買って帰る事にした。
会話というより、彼女が喋っていることを俺が聞いているだけだが、それでも俺は楽しい、と思えた。
昼間だから太陽の光が暖かいのは、当たり前だけど。何故だろう。ずっと凍てつく風が吹いていた俺の心に、柔らかな光が射し込んだ気がした。
帰り道、俺は久しぶりに太陽の光を感じた気持ちになっていた。
次の休みには、お袋の墓参りに行こうか。なんて考えてみたり、兄貴と久しぶりに連絡を取ってみようか。なんて考えてみたり。
少しだけ、俺の毎日の風景が変わった気がする。なんていうか、色が付いたというか、明るくなったというか。どうしてだろう。
彼女と少しずつ、距離が縮まっていくごとに、少しずつ風景が鮮やかになっていくんだ。今まで見えていた時は、なんだか窓ガラス越しに見えていた気がした。
けれど、今は実際に見えているし触れられるような感覚。俺の視界は変わらないはずなのに、確かに感じられるものが違う。一体、これはなんなんだろう。
……昔、親父もお袋も兄貴も一緒にいた頃のような見え方。どうして、今、こんな見え方になるのか解らないが、色付いた風景を楽しんだ。
それから、彼女と俺の友達付き合いは続いた。なんだか、お互いにどこまでが友達としての線引きなのか、探っているような気がした。
だが、少なくとも俺はそんな探り合いが嫌では無かった。言葉の裏の裏を読んで、相手の表情を窺って、叔父のように、優しい顔を見せながら、とんでもない事を考える相手じゃないか。
そんなことを考えながらの探り合いじゃないから、だろうか。単純に楽しめる範囲の探り合いだから、嫌じゃないのかもしれない。
もちろん、探り合いという言葉そのものが与える不穏さはあるものの、実際は不穏とはかけ離れた会話の掛け合いや、行動で、ゆっくりと、また距離を縮めていった。
こういうことの積み重ねを、何て言うのだろうか。
「えっ? ゆっくりと距離が縮まることの積み重ねを何て言うか?」
「うん。ぴったりの言葉が有る気がするけど、思い出せない」
彼女に尋ねると、驚いたように質問を返されて、俺は、そう答えた。
「信頼っていいます」
彼女の答えに、俺はようやくパズルのピースが嵌まったような気持ちになれた。そうか。これが、信頼か! 納得出来た。
お題は「信頼」でした。
前話と対になる話でした。




