料理
ジュージュー。
あちこちでハンバーグを焼く匂いと音が立ち込めている。そのあちこちの一人が私だ。生まれて初めて包丁を持つ仲間も多い中、私は筋が良い。様になっている。と褒められた。
どうやら独身時代、簡単ながらも料理をしていた経験が役に立つらしい。……ここは、男性の為の料理教室。講師も男なら当然習う側も男だ。私はその一員でここの料理教室に通い出して、1年あまりだ。
教室仲間の料理を習う理由は様々で。妻子と別れて自炊せざるをえない者。病の妻に食事を作ってあげたいと思う者。趣味で料理をやりたい者……
その中で私は、感謝を込めて妻に作ってやりたい、と料理教室で奮闘をしていた。
「はい、では自分で作ったハンバーグを試食してみましょう」
講師の言葉に一斉に「いただきます」の声がした。各々の感想は、「ちょっとしょっぱい」とか「焦げた」とか「いびつだ」とか様々だ。
私? 少々形がいびつでも味に申し分ない。多分これなら妻も喜んでくれる。……はずだ。早速、帰ったら作ってみよう。そう思って、ああ……とため息をついた。
妻は家出しているのだ。行き先は妻の実家だと解っている、と安堵していて、全く迎えに行ってないし、連絡もしていない。
そのために、私は料理教室に来ていた事を忘れていた。妻が実家から帰って来るために、料理を習っているのだ。
帰宅して、誰もいない日曜日の午後は、3ヶ月経った今も慣れない。
そもそも妻の誤解は1年あまり前に遡る。その頃は、まだ妻も家出していなかった。家出そのものは、3ヶ月前だが、誤解はその頃から始まっていた。
純粋に妻を労いたくて、料理教室に通いたい。と言い出した私に、何を勘繰ったのか、浮気を疑ったのだ。結婚してから、妻以外の女性に見向きしたことは、無い。
ただ。
「疚しい(ヤマシイ)事があるから料理教室なんて、嘘を言うんでしょ!」
と、喰ってかかって言った妻の言葉に、少し躊躇った事は確かだ。
「い、いや、本当に、ただ君を労いたくて」
躊躇った上にどもった事が悪かったらしい。完全に誤解をした。
それでも、必死に妻を宥めて(ナダメテ)説得して、料理教室に通い始めた。覚えた料理は、妻のために腕を振るった。妻も「まぁ食べられなくないわね」などと言いながら食べてくれていた。
そうして、妻との距離をまた縮めた頃。
私は彼女と久しぶりに再会した。
妻と付き合う前に、本気で愛した女性。……ただ、彼女とは結婚出来ない事情があった。彼女も私を意識してくれただろうが、彼女は……既婚者だった。
それでも彼女が真剣に私を思ってくれていたのは、解った。彼女が決断をすれば、私は彼女を奪う気があった。しかし、彼女の決断は私を忘れる事だった。
彼女の決断も苦しみも、妻と結婚してから理解出来た。それ以降は全く会わなかったのだが。
彼女と久しぶりに街中でばったりと会った。私は妻がいたし、彼女はだいぶ大きくなった子ども連れだったから、言葉も交わさなかった。
ただ一瞬だけ視線を絡ませた。
それだけで、互いに充分だったし、互いが幸福である事を理解出来た。……しかし、妻はその一瞬で、私と彼女に何かあった、と悟ったらしい。
そこから私と妻の間に少し溝が出来た。全く女性の勘とは凄いものだ、と呑気に感心している場合ではなく、問い詰められた私は、また躊躇って言葉に詰まった。
実は、以前に言葉に詰まったのも、疚しいの一言に動揺したからだった。妻と付き合う前とはいえ、既婚者と恋愛関係に陥った事が脳裏に過ったからだった。今回は、まさに、その彼女の事。
動揺するな、という方が無理だった。
妻に洗いざらい話すべきか否か迷い……
結局話せなかった。
既婚者と恋愛関係に陥った事を知った妻が去って行く事を恐れたという、我が身可愛さである。
それが逆に妻の不信を買い……3ヶ月前の家出に至った。ただ妻の居所は解っていたし、そのうち帰って来るだろう、と迎えにも行かず、連絡もしていなかったのだ。
いつの間にか3ヶ月経った。いい加減、頭を下げて帰って来てもらうべきではないか? いつか帰って来る。と、過信をして帰って来なかったら……そんな不安がようやく私の中で芽生えた。
彼女と再会した事に、いつまでも動揺をしている時では無い。私は思い立って妻の実家へ向かった。途中、妻の好きな花とケーキを買って。
機嫌取りだ、とか、色々詰られても構わない。
私が、妻が居ないとダメなのだ。それを妻に伝えなくては。
妻の実家に着いた時には既に夕方で。応対した妻は、私の顔を一切見なくて。それでも良かった。妻の顔を見て私は、安堵した。
言葉や態度になかなか表す事が出来ない私だが、妻を愛している事を精一杯伝えた。
「君がいないと、ダメなんだ。帰って来て下さい!」
玄関先で花とケーキを見せて土下座した。それだけ妻が良い、という事を知ってもらいたかった。
「そんな事をされても、騙されないわよ。浮気を隠す為でしょ!」
尖った声と口調の妻に
「浮気などしていない。本当に君だけだ」
私は拙く言って、妻を抱きしめた。妻は暴れたけれど、ギュッと抱きしめてキスをする。ようやくおとなしくなった。
妻は、相変わらず顔を背けたままだったが「帰ってもいいわ」と言った。
帰宅した私は妻に、彼女との事を全て話した。
「君と付き合う前とはいえ、既婚者と恋愛関係に陥った事を君が知って、君が去って行く事に耐えられなかった。そんな事になったらどうしよう。と不安で、恐かった」
私が素直に吐露すると、妻はしばらく黙っていたが、小さな声で言った。
「ごめんなさい」
と。
やはりダメか。と落ち込む私に、妻が続けた。
「実は、家出してから少しして、あの女性にまた会った。気になって聞いたら全て話してくれた。知りたくなかったけれど、浮気じゃなかっただけ、良かった。と思った。でも素直に帰れなかった」
妻の言葉に、私は驚いた。
互いに向き合った私達の心は、また距離が縮まった。そして私は、妻に感謝を込めて腕を振るった。
お題は「教室」でした。
【過ぎ行くアテナ】という女性が既婚者で男性が独身の不倫の話をエブリスタさんで書いたのですがその後の話という位置の作品でした。まぁその作品を読まなくても分かる内容にしたんですけどね。
小説家になろうさんでは男性が浮気している作品が多い夏月なので、逆の作品もあるにはあるよ的にここへ入れてみました。




