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逢い引き

 「あ……」


 神社の境内にて、剣術道場で試合のある兄の勝利を祈願した帰り、りつの鼻緒が切れてしまった。貧乏侍の娘ゆえ、草履も亡き母の形見。困惑して立ち往生をしていると


 「どうしました」


 背後から声が掛かった。振り返れば、りつと同じくらいの年頃の男子(オノコ)。同じ武家の……それも貧乏侍の男子だろうか。笑みは無いものの、りつを案じているのが解った。


 「草履の鼻緒が切れてしまってどうしてよいやら難儀をしておりました」


 素直に告げると男子が


 「それはお困りでしょう。暫し(ワタクシ)の肩に手を置いて休まれよ。その草履もお貸し下さい」


 得心がいった、とばかりにりつの傍らで片膝をついた。


 りつは躊躇ったものの、このままでは歩く事もままならない。男子の言う通りにするしかなかった。父と兄以外の男子に触れた事のなかったりつにとって、肩とはいえ男子に触れる事は緊張をした。


 しかし男子はその緊張にまるで気付く様子もなく、りつの草履の鼻緒を直してくれた。おまけにそっとりつの足を取ると、履かせてくれた。顔を赤らめたりつ。しかし、おかげで歩く事が出来るようになった。


 「ありがとうございます。あの、お名前を」


 「大したことでは無いので。昔、父が母にやっていた事を見よう見真似でやったまで。歩くのに不便がなければそれで宜しいでしょう」


 後日、兄と共にお礼に伺おうとしたりつは、名前を訊ねたが、男子は告げずに去った。


 それから、というもの。りつはあの神社に毎日出掛けたが、鼻緒を直してくれた男子にはなかなか会えず仕舞いだった。


 十日経っても会えない事で、たまたま神社に来た人かもしれない、と肩を落とした。だが、その優しさはりつの中で鮮明かつ美しい思い出として、仕舞われていた。


 それから一月(ヒトツキ)余りのち。木枯らしが吹き始めた頃、難しい顔をしているその男子を、茶店でりつは見付けた。声を掛けようとしたが、あまりにも考え込んでいるような難しい顔に、躊躇った。


 そこへ「りつ」と声が掛かった。傘仕事の傍ら、用心棒もたまに務める父だった。


 「父上」


 「このようなところでいかがした」


 父の柔らかい笑顔に、りつも笑みを返しながら「あの……」と口ごもる。別に、きちんとお礼を言うだけの事。父に話しても問題は無いはずなのに、少々気恥ずかしい気がした。


 「父上こそ、このようなところでいかが致しましたか」


 「今日は出来た傘を納めに、な」


 父の言葉に、そういえば……とりつは思い出した。そんな話をしていた気がする。


 「私は、以前、鼻緒を直して頂いた方がいらしたので、きちんと礼を述べようと……」


 顔を赤らめる娘には気付かず、父は成る程、と頷いた。娘が難儀していたところを助けてくれた男子とやらに、自分も礼を述べようと思った。


 しかし。


 「その者は何処(イズコ)に?」


 父に問われて、彼の方がいた方へ頭を巡らせたりつの目には、もういなかった。


 「もうどちらかへ行かれてしまったようにございます」


 肩を落とすりつの頭をそっと撫でて、父は


 「とりあえず家に帰ろう。また会えるだろう」


 そう慰めた。りつも頷いたが、視線は見掛けた方を辿っていた。


 「今宵は冷えそうでございますね。湯豆腐でもお作り致しましょうか」


 やがて気持ちを切り替えたりつは、傍らの父に笑いかける。大きく頷く父と、たまたま帰り道で道場から帰った兄と三人で帰宅した。


 寒さが増して来たある日、寒稽古に出る兄を見送って父も用心棒として出向いたのを見送ってから、ふと思い立って、神社に足を向けた。


 居ないだろうとは思っていた。それでも、何故かその日は逢える気がしていた。するとどうだろう。神社に祈願し終えたのか、帰ろうとする者が、まさしくそのお方だったではないか。りつは、驚き、嬉しくなった。


 「あの」


 りつが声をかけると、相手は訝しげに首を傾げた。覚えていないらしい。りつは勇気を振り絞る。


 「あの、いつぞやはありがとうございました」


 お礼を言い、頭を下げると、ややして「ああ」と声が降ってきた。


 「いつかの鼻緒が切れて難儀していた娘さん、ですね」


 思い出した。という声音には、懐かしいという思いも籠められていた。


 「覚えていて下さいましたか」


 紅潮する頬に手を充てて、りつは少しだけ背の高い男子を見つめた。


 「申し訳ない。お礼を言われて思い出しました」


 額を掻きながら、苦笑する男子。でも思い出してもらっただけ幸せだった。


 「あの、こちらの神社には何しに詣られていらっしゃいますのか」


 他に尋ねる事はあるだろうに、りつはそんなことを尋ねる。男子は曖昧な笑みを浮かべて告げた。


 「ある事の祈願に」


 神社に詣でているのだから他に理由などない、と、りつは恥ずかしい問答に顔から火が出そうだった。


 「そ、そそそそそそうですよね。変な事を訊ねて申し訳なく……」


 消え入りそうな声で、もごもごと謝るりつに、男子は「いいえ、大丈夫です」と優しく労る声を出した。


 りつは更に真っ赤になりながら、辿々しく名前を訊ねたり、鼻緒のお礼をさせて欲しい、と言ったのだが、男子は困惑した表情だった。


 「お礼は本当に気になさらず。名は……太郎」


 名を名乗る時の間で、りつは偽名だと直感で理解した。りつを騙そうとしているのか。しかし、りつを騙すなら、もっと派手な名を名乗りそうだ。大名の子息辺りが名乗りそうな。


 そうならば、むしろ、名乗れぬ訳があるのだろう。とりつは思った。


 「太郎様。またこの神社に詣られますか」


 りつは偽名を受け入れて、気付かなかった素振りをみせた。


 「来る。しょっちゅうは来ないが、なるべく来るつもりだ。父上の為にも」


 太郎と名乗った青年は、睨み付けるように神社を見ていた。その目に、何故か哀しみが見えた。りつは、不思議な目をしていた太郎が気になって仕方がなく、それから、以前のように毎日、この神社にやって来た。


 今度は太郎に会えなくとも、太郎が願っている事が願うように、と毎日毎日。太郎に逢えると、共に祈願してから、少しずつ話をする事が出来た。


 それがりつにとって、何よりも幸せだった。







 りつが自分の想いに気付くのは、まだ先の事。







 りつは、話の中で、太郎が江戸の者ではない事。故郷はとても遠い事などを知った。そして、何か大願を秘めている事も。


 出会ってから一年が過ぎたある日、太郎が思い詰めた顔をして、りつの前に現れた。


 「これより先、もう、そなたには逢えぬ。ここで言葉を交わす日々が私の気持ちに少しだけ灯りを点してくれた。しかし、その日々に終わりが来た。いつになるか解らないが近いうちに、私は死ぬ。我が名を伝えておこう。元・赤穂藩、家老・大石内蔵助(クラノスケ)の子。大石主税(チカラ)良金」


 りつは、口を両手で覆い、声を上げないでいるのが精一杯だった。千代田の城の松の廊下にて刃傷沙汰を起こした浅野家の……


 りつは偽名を名乗った事。大願。全てを理解した。自分の恋心にさえも。


 時に元禄十五年――

 世に名高い元禄赤穂事件まで一月余りの事だった。

江戸時代・赤穂浪士事件の前日譚的な話でした。こんな話が大石主税にあったかどうかは知りませんけども。まぁ想像だったので。確か12/14まであと少しということころで思い浮かんだ話だったと思います。


お題は「木枯らし」でした。


こういう時代物もエブリスタさんではいくらか書いています。本当にアレコレ書き散らしてるなぁ……。

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