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旅館

エブリスタさんで書いた掌編小説です。

毎日1話掌編を執筆してました。いくつかの掌編小説集からの抜粋です。

お題を元に執筆していますのでどんなお題を元に書いたのか予想しながら読んで頂けたら幸いです。

 「いらっしゃいませ」


 本来なら、そう言われたはず。女将は私の顔を見ると、最後の“せ”を言い終える前に、言葉を詰まらせた。接客のプロ。旅館の女将とも有ろう人が、笑顔を凍らせ、言葉を詰まらせる程――


 私の顔は酷いもの、なのかもしれない。


 我に返った女将が、仲居を通じて私の部屋案内をする。普段から洋服を着て、クリスマスも祝って、実家も今時の、和室の無いフローリングの家で、部屋の中も普通にカーテンやテーブルなどで、“和”なんて一切感じた事の無い私。


 でも、選んだのは、何百年と続いて来た、純“和”の老舗旅館。なんだか、笑える。






 人生最期の旅行に選んだ旅館、なのに。






 それとも、日本人として生まれた私は、どれだけ“洋”を真似した現代日本の環境で育ったとしても、日本人のDNAが刻み込まれているから、こういう旅館を選んだのかしら。


 ――そんな哲学めいた事も考えてしまうのは、死ぬ事を覚悟したから?


 多分。私の遺書を読んだ人によっては、同情を買うのかもしれないし、良くある事の一つだ、と軽く流されてしまうのかもしれない。それは、どちらでも構わない。


 私が死んだ後の事なんて。


 社内恋愛の不倫の末に、奥さんに知られて会社を退社する事になって、彼から別れを告げられる。


 なんて事、昼ドラでさえ、流行らないかもしれない。そんな流行らない事をしっかりやって……


 挙げ句、死のうなんて、馬鹿げているのかしら。


 別に、他人にどう言われようと構わない。どう思われても構わない。もう、関係ないもの。


 ただ、死ぬ前に、思いきり贅沢したかった。一流ホテルに泊まる、とか、ブランドのスーツを買ってみる、とか。色々考えた末に、何故か辿り着いたのは、この旅館に泊まる事。


 彼への当て付けに、彼からプレゼントされた下着とツーピースとバッグと靴で死んでやろう、と、持って来た旅行バッグに押し込めて。


 選んだ場所は、この旅館だった。


 多分、夜は満天の星が見える。という謳い文句に惹かれたと思う。学生時代、卒業旅行で、女友達と星空を眺めて他愛ない話で盛り上がった事をふと、思い出していた。


 死ぬのに、場所とか、学生時代とか、思い出して選んで馬鹿みたいなはずなのに。贅沢して、彼への当て付けで死ぬはずなのに。


 気付いたら、旅館の予約を済ませていた。


 もう冬も差し迫ったこの時期だから、簡単に予約が取れたのか。平日だから、簡単に予約が取れたのか。それも解らないけど。


 気付けば、この旅館に来ていた。


 仲居さんはとっくにいなくて、ただただぼんやりと外を眺めながら、彼との思い出を振り返る。


 大人で優しくてプレゼントも必ず用意してくれた。奥さんは恐いだけで癒されない。と言っていた。


 それなのに。何故、彼は私と共にいないのかしら。私が別れを切り出されているのかしら。


 「お客様、お食事の支度が出来ました」


 はっと我に返ると、座って窓辺に腰を掛けて外を見ながら、時間が過ぎ去っていたらしい。


 振り返って卓上を見れば、温かそうな鍋や刺身に山菜や天ぷらが並べられていた。夕食は、7時頃と伝えておいたから、もうそんな時刻なのだ、と知る。


 到着したのは4時を回った頃だから、3時間近くも過ぎた、という事。


 私がぎこちなく笑みを浮かべて礼を述べると、仲居は窓に目を向けた。闇が広がる外の世界に、白くチラチラしたものが見える。


 「あらまぁ、初雪だわ」


 今年は長い夏が終わり、短い秋だったらしく、もう雪が降り始めて冬になってしまったようだ。


 「お客様、海が鳴くのをご存知ですか?」


 不意に尋ねられた質問が、私の事でもなくて旅館の事でもなくて、そんな事だったから、私は少し考えてから首を振って「知らないわ。どういう事ですか?」なんて問い返していた。


 旅行ですか?

 お寛ぎ頂いてますか?


 そんな問いかけだったら適当に相槌を打って、追い払えたのに。海が鳴く。なんて有り得ない表現をされて、気にならない程、私は世の中をどうでもいい、と思ってなかったみたい。


 なんだか少し悔しい。


 世の中に興味がある私自身が。そんな興味を惹く言い方をする仲居が。


 「私は海辺の町で育ちまして。冬は海が荒れるんです。風が強くて。まるで海が鳴くような凄い風の音。……その音が鳴ると、私の家も含めて、多くの家が漁師をやっているのですが、生きる事を改めて覚悟するんです」


 「生きる覚悟?」


 「ええ。海は自然。自然の前では人間はあまりにも小さい存在。ですから、何が起きるか解らない自然を相手に、生きる覚悟をもう一度持つんです。自然に感謝し、敬意を払って共に生きていけるように。……私は若い頃、あの町が嫌いでした。田舎臭いし。魅力が無くて。でも」


 「でも?」


 仲居が口ごもる。


 「お喋りが過ぎましたね。どうでもいい話をお耳に入れまして」


 「いえ、構わなければもう少し聞かせて下さい」


 途中で終わると、気になる。


 「私はある時、疲れ果てまして。死ぬつもりで町へ帰りました。何も変わらない町。でも、心身共に草臥れた私の目に、生きる覚悟をする父の背中が入りました。……それを見て、ああ生きるってなんて難しく大変な事なのだろう。死ぬってなんて簡単な事なのだろう。って思ったのです」


 「死ぬって簡単?」


 「もちろん、死ぬ事を決意するのは大変ですし、実行も大変でしょう。簡単と言ったけれど、簡単じゃない。そう決意するだけの何かがあるんです。それでも死ぬ前に、ちょっとだけ視点を変えたら、生きる事を模索したくなりました。模索を始めたら、死ぬよりもっと大変だった。って事です」


 私は、はっとした。まるで自分の事のよう、だったから。







 私は生きる事を模索していない。






 死ぬ事も大変だし、決意も大変だった。だけど、その前に、必死に生きる事を模索していなかった。


 もがいてもがいて模索して。それで何も無かったなら、生きる道が見えなかったら、その時に死を選んでも良いんじゃないか。


 もう少しだけ、生きる事を足掻いてみよう。もがいてみよう。


 それでもダメなら、その時、死のう。


 「雪を見ると、どうしてもその時を思い出してしまうんです。誰彼構わずでも無いですけれどね。長々と失礼しました」




 ……純“和”の旅館に来る事は、私の価値観を変える為に、無意識で自分が欲した生きる事への、模索の一歩だったのかもしれない。


 私は今でも時折、この旅館に泊まりに来る。その時の仲居に、私が死ぬつもりだった事は、最初からお見通しだった。と後から聞かされて、顔から火が出たのは、言うまでもない。

本作品のお題は「初雪」でした。

作品中に必ずお題を入れてありますので、気になる方はお題を探しながら読んでみて下さい。

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