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老眼。  作者: 鳥田 エリ
2/3

【中編】

 スティホーム3日目


 茂じぃがスーパーにもカラオケにも、老人会にも行かず(やってもいないが)家にお篭りをはじめて数日がたった。

 昼間は誰もおらんからと、リビングの50インチの4k8kスーパーハイビジョンテレビの前に、座布団を敷いてデンと陣取って過ごしている。

 ちなみに茂じぃの部屋の四畳半の和室に置かれているのは、ただの14インチの液晶テレビ。断然、迫力が違うわい。


 茂じぃがホームスティ、いや、すてぃほーむするようになってから息子の弘一も、茂じぃのテレビの前をたびたび横切り家の中をウロチョロするようになった。

 仕事にも行っているのかいないのか、はてさて、自分の真似でもし始めたのか?

 しかも、いつもの派手なシャツと破れたジーンズの出勤スタイルではなく、終日パジャマ姿である。

ときどき難しい顔をしては、電話で何やら話していよるが……。

 茂じぃは目は老眼だが耳はそれほど遠くない。

よくよく会話の内容に耳を澄ましてみると、何やら部下に指示を出しているらしい。

(これが、今話題のテレワークというヤツか……)

 しかし、弘一のヤツ家ではだらしない無精者じゃが、こうやって仕事となるとパリッとして頼もしいのう。さすが小さくとも、べんちゃー企業だか何だかの社長をやっとるだけのことはあるわ。

 

 ある朝、弘一は、ダイニングのテーブルの上にパソコンを出して、上半身だけワイシャツにネクタイに着替えてきた。

「これから大事な取引先との商談があるから、声出さず音出さずに、大人しくしとけよ。おやじ」

 そういって、リモコンを押してブチッとテレビを切りよった。

 わしは歳の割に歯も丈夫じゃわい。ポリ…!と口の中に残るおかきを噛みくだいて最後にした。

 茂じぃの鎮座した座布団の位置からパソコンの画面は覗けない。

 弘一は眉宇を引き締め真剣な眼差しで、画面の向こうの相手に身ぶり手ぶを交えて、熱烈に何かを説明し売り込んでいるようだ。

(これがいま流行りの、オンライン・ミーティングというヤツじゃな)

 朝から晩までテレビのお守り……いや、テレビにお守りしてもらっている茂じぃの頭のなかには、次々に新しい言葉が上書きされていた。更新ではなくあくまでも上書きなので、覚えるたびに直近の知識は忘却の彼方に消えてゆくのだけれど。

 しかし、息子の仕事っぷりを家のリビングで目の当たりにするとは、85年間生きてきて思いもよらぬ光景じゃ。

 よくよく見ると凛々しくて堂々としていて、アイツ、外ではやることはキチンとやっとるんじゃのう。

 そうそう、トヨタカ商事のトップセールスマンじゃった、わしの若い頃にそっくりじゃ。

「おやじ、何見てんだよ」

 いつの間にかオンライン・ミーティングとやらは終わっており、パタンとノートパソコンを折りたたんで立ち上がった弘一の下半身はパジャマのままだった。

「下はカメラに映らないから、何でもいいんだよ!」

 たったいま、大きな商談をまとめた漢の下半分を見て、摩訶不可思議な時代が来たなぁと茂じぃは思った。

「あ、そうそう、駅前のアオンのフードコートの客と、三井戸信用金庫の行員にコロナが出たって噂だから、おやじもフラフラ出歩いて近寄らずに、家で大人しくしとけよ」

 知らんけど。と、大阪人が参考までに聞いといてやという時に使う言葉を残して、弘一はパソコンを抱え二階へと上がっていった。


なにもせず、たとえ息だけして過ごしていたとしても、時間が来れば腹は減る。

 いつもの茂じぃなら、老人会仲間のトシやカズと、夜はスナックになるが昼はワンコインで定食を食わせてくれるような店で集まったり、年金支給日前で金欠になると、嫁の順子さんがおにぎりと簡単なものを用意しておいてくれたりするので、それを有り難くいただいていた。

 しかし、最近の順子さんは忙しいのか、茂じぃがすてぃほーむしていることなど忘れてしまっているのか、昼食を用意してくれる気配はまったくない。

 茂じぃのお腹がグーと鳴った。ビデオ通話は終わったので、腹を鳴らしても屁をしても文句も言われんじゃろと、ごそごそ台所で食い物を物色していると、名前の覚えられん上の孫が二階から下りてきた。

「お兄ちゃん、どうしたんや?」

 男の子の孫なのでお兄ちゃんと呼んでいる。

「どうしたって、ガッコ(大学)も休みだからお昼作りにきたんや。なんや、じぃちゃんも腹減ってるんか?」

 茂夫はコクコクと頷いた。

「ちょっと待っとき」

 そういって、孫は冷蔵庫を開けて手際良く野菜を切り、お湯を沸かして袋ラーメンを2つ茹でる。

 野菜入りラーメンに生卵を落とし鉢に移して出来上がり。

「じぃちゃん、食いや」

 そう勧められて、ズズッと湯気の出るラーメンの汁をすする。歳の割に歯は丈夫といえど、やはり柔らかい野菜によく茹でた袋麺は、ジジィの口に合う。

 しかし、茂じぃの時代は“男子厨房に入らず”といって、料理は婆さんに任せきりじゃったが、最近の男子は違うのか?

 もしや、厨房に入って簡単な料理ぐらいできないとモテないのか?

 これが“料理系男子”というヤツかと、茂じぃはまたまたテレビで仕入れて上書きされた言葉を反芻した。


 いっぱいになった腹をさすりながら、ほんわかと満たされて、久しぶりに孫とゆっくり話したい気持ちになった。

「お兄ちゃんは、就職は決まったんかの」

「まだだよ。今年二回生だし」

「おお、そうか、そうか。ところでお兄ちゃんの……その、名前は何じゃったかの?」

 茂じぃは今更ながらの質問を改めてしてしまった。

「玲音だよ、玲音れおんライオンみたいでカッコ悪いだろ?

だから、じいちゃんもべつに覚えなくていいよ」

 そう言い残して、二人分のラーメン鉢を流しの水に浸けると、孫はは自分の部屋のある二階へと上がっていった。

『玲音』じゃなと、茂じぃは今度こそ忘れぬように、何の予定も書き込まれていない手帳に孫の名前を書き留めた。


 夕方、ガラガラと茂じぃの和室の開戸が全開にされ、ドン!とピンクのカゴが目の前に置かれて中身が跳ねた。

 カゴの中身は、乾いた洗濯物である。

「はい、じいちゃんのぶん!自分のものは、自分でたたんでちょうだいねっ」

 母親のように茂じぃに指図するのは、女の子の孫の……、ひまわり、いや陽葵ひまりである。

 すてぃほーむ10日目。このやり取りももはや日課になってきて、長いものには巻かれろと、茂じぃも洗濯物たたみに慣れて“スピード感をもち”つつある。

 陽葵のヤツ、まだ高校生だというのにしっかり者に育ちよって、一家の主婦のように家事を取り仕切っとる。


 そういえば、一家の主婦……、といえば弘一の嫁の順子さんじゃが、最近めっきり姿を見ない。いったいどういうつもりなんじゃろう?

 すてぃほーむしてみて、息子の弘一が掃除機をかけていたり、孫の玲音が料理系男子だったり、陽葵が洗濯を取り仕切っていたりして、家族のみんなが平等に家事を分担していることは分かったわい。

 しかし、最も家事を担うべき立場の嫁の順子が、どこで何をしているか茂夫にはまったく掴めていない。

そして、気がかりなことに……。

 嫁の順子は、舅の茂夫からみても、口元に黒子があり、細身のわりに乳の大きい色っぽい女である。

 たまに洗濯物のカゴの中に、順子の制服の純白のナース服やストッキング、片方だけでも鼻と口を覆うマスクになりそうなサイズの大きいブラジャーが間違えて紛れ込んでいることがある。

 それらを手に取って、どうやってたたむべきかと考えあぐねていると、現役ではないが男である茂じぃの脳裏に嫌でも変な妄想が浮かんでくる。


 白衣のナース 禁断の夜勤

 イケナイ人妻 不良主婦


 もちろん、50インチの4k8kテレビジョンが映し出す昼のドラマや……、

 家族の誰もが絶対にリビングに降りてこない時間帯にコッソリ試聴した有料チャンネルの情報が、頭のなかで上書きされてはいるのだけれど。


 しかし、茂じぃの時代にも“昼下がりの団地妻”や“よろめき主婦”など、その手のドラマは定番だったし。


【不倫】に没頭している人妻が下着と制服の着替えだけを取りに、知らぬ間に家に戻ってきている。


 茂じぃのしわしわの胸に宿った疑惑の芽はだんだんと育ち、蕾となり、日増しにどんどんと膨らんでゆくーー。




……そう、順子がいま一番あやしい……!




                  【 続く 】


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