昼 その1
ここは片田舎の幼稚園。
『かえりのかい』が済んで、地区ごとまとまった子ども達がそれぞれ職員に引き連れられて帰る頃、私のしごとが始まる。
「はぁ」
再集合した預かりの子どもたちの出欠を確認し、場がひとしきり落ちついた後、見守りをいったん新人君に頼んで私はまた、テラスに出た。
今日もあの子は来ていないようだ。
預かりの子どもたちは二時過ぎから遊び出し、その後三時、お遊戯室でちんまりしたテーブルを前に、おやつの時間となる。
その少し前になると、お遊戯室外のテラスに、うろうろと落ち着かない影が射すことがあるのだ。
近所に住んでいる猫のうちの一匹らしい。
丸まるとした大きな三毛猫で、はちみつ色の目もまん丸くてあいきょうがある。
そいつが、身体を外壁やテラスの角にこすりこすりしながら、ずっと行ったり来たりする。
お天気のよい日にはほぼ毎日、ここに寄っていた。
最初に見たのは、二年前の春だった。
猫が嫌いな、というか今まで猫のいる暮らしをしたことがなく、どう取り扱ったらよいのか判らなかった私は、最初のうちは邪険に追い払っていた。
中に入られても嫌だし、第一、猫アレルギーの子がいてはたいへんだ。かじられてケガをするのも困る。
私には預かり保育中、子どもたちすべての安全を守る義務があるのだから。
しかしその猫は毎日のように三時近くにやってきては、お遊戯室の外ですりすりやってはこちらを見ていた。
弱り果てて主任に相談すると、年かさの主任はあっさりと言った。
「ああ、ミーコでしょ? おやつに来るんだから、外で何かあげてよ」
訊くと、私がこの預かりの現場に入るかなり前から、彼女(猫)はおやつを食べに来ていたらしい。
主任が、猫にあげてもだいじょうぶというお菓子の一覧をいくらか書き出してくれた。
さっそく、小さな皿にタマゴボーロとあまり塩けのないせんべいとを少しだけ取り分け、テラスのはしっこに出してみた。
猫はちろりと私を見上げ「やっと気づきましたか、やれやれ」みたいにひとこえ鳴くと、当然のように皿に近づいておやつを食べ始めた。
マナーはわきまえているらしく、猫は決して、屋内に入ろうとはしなかった。
子どもが近寄ると、さっと姿を隠してしまう。だから子どもらもすぐに興味を無くすようで、前からミーコの存在を知っていた年長の子でも、ちらっと見て「ああ」程度の反応しかしない。ほどよい距離感が、子どもらと猫との間にあった。
今年度になってからは、私はおやつの時間になると中の子どもたちを新人君にお願いして、ミーコの脇にしゃがみ込んで、食べ終わるまで見守るようになっていた。
「ほんと……」
あまりにも夢中でぱくついているミーコを見ながら、私はこうつぶやいてしまうのが常だった。
「おまえ、おやつが好きなんだねえ」
ミーコの頭を撫でると、そこからいつも日向の匂いがした。
それが近ごろ、ミーコはまるっきり姿を見せなくなってしまったのだった。
長い連休があって預かりも休止となっていたので、ミーコはここに寄るのをあきらめてしまったのかも知れない。
でも、何となくさびしい気もする。
私は、近ごろではこっそりとミルクを追加したり、家から用意していた猫用のおやつをあげたり、預かりのついでに猫を見る暮らしにもすっかり慣れてしまっていたのだから。
もしかして……私は急に不安になって、あたりを見回した。
「ミーコ、いるの?」
新緑の木漏れ日がちらちらと踊り、子どもらの声が遠く近く響く。
いつまで待っても、にゃあ、という返事はどこからも聞こえなかった。