04.
運動着が土で汚れてしまったので、叩いて落とす。
水場に行って顔などを洗って、なんとか見映えを整えておく。
「ふう」
一息つく。
まだ授業は続く。
次は……剣術の授業だ。
「……ふぅ」
ため息が出てしまう。
「あら? そこにいるのは……」
「え? あ、姫殿下……!」
唐突に声をかけられて驚いたけど、その声の主の姿を見てさらに驚いてしまった。
そこにいたのは、テリア・ファーレス・エデルビア第一王女殿下。この国の姫君で、僕と同学年の生徒だ。
学園では王族に恥じない聡明さと優しさ、気高さを併せ持っていると称えられている。
「立ってください、クレッグ・ヴィシテン。ここは学園、皆平等の生徒なのですから」
「は。ですが……」
慌てて膝をつく僕に、姫様がそう言う。
けれど、はいそうですか、と容易く立ち上がれる訳にはいかない。
いくら国立の学園でも、王族を一人で行動させる事は絶対にしないし、させることなどあってはならない。
そのため、姫様の周囲にはいつも侍女二人、護衛の騎士が五人もいる。
今もそうだ。
姫様のすぐ後ろに侍女二人が付き従っていて、左右と僕の後ろに騎士たちが展開している。
強い視線を感じる。
騎士たちは僕の一挙手一投足を監視しているし、侍女の二人も僕を睨み付けている。
「聞こえなかったのですか? 私は立ってくださいと言ったのです」
「す、すみません。立たせていただきます」
視線の圧力が強まる。
でも、姫様の、王族の言葉に従わないのも不自然だし、不敬だ。
ゆっくりと立ち上がる。
「学園ではわたくしもあなたもただの生徒。膝をつく必要はありません。いいですね」
「はい……」
そう言うのはいいんだけど、周囲の方々はそうは思っていない。
カチリ、と金属音が聞こえる。
「運動着が汚れているようですが、何かあったのですか?」
「こ、転んだのです」
「……転んだ、ですか」
僕の言い訳に、姫様の眉間に皺が寄る。
「あなた、小さい子供ではないのですから転ぶなどと……鍛練が足りないのではなくて?」
姫様は、呆れていた。
「あなたの御両親は類い稀なる才能をたゆまぬ努力でさらに鍛え上げ、高い実力と気高き精神を兼ね備えた高潔な方々でした。御父様である国王陛下の覚えもよく、幼かったわたくしの危機にもその身を呈して護って下さりました」
父さんは実力もさることながら、人柄も良かったと多くの人から聞く。
何故伝聞なのかというと、両親は仕事で家にいることが少なかったから。たまに家にいても道具の手入れだったり、何か書き物をしていた。
ただ、ほんの僅かな時間だけれど、僕と遊んでくれたし、僕の知らないことを教えてくれた。
それ以上に他の家の子供たちと触れあうことの方が多かったけれど。
特に、王子殿下と姫様は両親の働きを評価して下さっている。
「あの素晴らしいお二方に、引き取られた恩はあなたにはありませんの? ご息女たるあなたのお姉さまはたゆまぬ努力を続け今では学園でも上位の実力者。たかだか数年の違いですが、あなたは下から数えた方が早い劣等生」
……勉強は、頑張っているつもりだ。
座学の成績は、学年では真ん中あたり。
でも、選択肢のなかった選択授業の成績は壊滅的だ。
「人より劣っていると言うのなら倍以上の努力をなさい。修練を積み上げなさい。転んで泣くような軟弱な心を捨てて、強くなりなさい」
姫様……。
僕は、劣っていますか?
僕は、泣いていましたか?
「もっと精進なさい。あのお二人の名に泥を塗る人間を、私は許しません」
そう冷たく言い放ち、姫様は踵を返す。
侍女二人も僕をキツく睨んだ後、すぐ姫様に追従する。
そして、左右にいた騎士たちも続き、僕の後ろにいた騎士三人は、
「身の程を弁えろよ、養子」
「あの人も、な~んでこんな能無しを引き取ったんだかね?」
二人が、僕に対して吐き捨てながら去っていく。
最後の一人は、僕の前に立って、襟首を掴んできた。
「姫様が寛大だからと言って調子に乗るなよ? お前など両親の功績がなければこの場に存在できないんだからな。これ以上姫様のお心を害することのないよう、虫のように隅でじっとしてろ」
歯を剥き出しにして威嚇──いや、恫喝してくる騎士。
彼は苛立ちを隠そうともせず、乱暴に僕を突き飛ばしてから急いで姫様の後を追って走っていく。
それを見送りながら、僕は、
「……なら、そっとしておいてくれ」
弱々しく、愚痴を言うことしか出来なかった。