序章Ⅰ
長いっす
扉を開けた先は、見知らぬ場所。
と、言ってしまえるが、端的に言えば森だ。
周りが果てし無く木で続き、日光を遮り、倒木には苔が生えている。たった少しの木漏れ日は神々しさを放っているようだ。
目線を落とし、自分の視界に下半身が目に入ると思うと、さっきとは別の服を着ていた。
僕の手には先ほど買った、カップ麺を入れたレジ袋さえ持っていなかった。
「あぁ、そうか……」
この手慣れた感覚も、独特の雰囲気も、ずっと僕の体験してきた世界だ。
ただ、これまで強制ログアウトという方法で現実に戻ったことはあったが、このように強制的にログインさせられることはなかった。
クリアによる一時的なログアウトだったからだろうか。
とりあえず、目の前にあるのは森で、自分のいた世界とは全く違う世界観であるのは間違いなかった。どういうわけか、Life起動時のサポートシステムも作動していない。
なにが起きているのか全くわからない状況だった。
少し合間を開けて特に考えることもできなかったため、一時ログアウトしようとした。
ーーログアウトー
Life上のシステムにより、このゲームからのログアウト方法は念じるだけとなっている。
他にもこのゲームにはあらゆるコマンドが存在しない。それこそがこのゲームと現実との境界線を、より分かりづらくしている。
HPバーも、MPバーも、レベル表示も、普通のゲームに備わっているような視覚的なパラメーター情報すらない。
この世界は本当にゲームなのだろうか。
数十秒したが、なにも変化が起こらない。
基本十秒ほどで、瞬きするような感覚に近いほどにあっさりと現実世界に戻る。そのことに関しては、特に例外はなかった。
ただ、なにも起こらないし、変わらない。
その時間は長かった。
そして、初めに唱えて五分は経ったであろう頃には、近くの切り株に腰をかけていた。初めからおかしかったが、考えないようにしていた。
だってこのゲームは、世界は、僕がさっきクリアしたばかりのLifeなはずだ。
ーー何が起きているんだ……ー
おもむろに僕は歩き始めた。
神々しく光る木漏れ日を縫いながら。
周りはどれだけ経っても変わらない。ループしているかのように同じ光景ばかりが目に入る。
その感覚がゲームとは思えないのはもともとなのだが、この頃は現実よりも現実であるような気がしてならない。
虫の鳴き声も、葉の風に揺られて鳴る葉音も、新鮮味を無くしてきた。
途中にはちょっとした水場があった。その場所だけ夕暮れをはっきり感じさせる色をしていた。
そこから反射する光が少し眩しく感じた頃には、水場を覗くようにして見ていた。この水場が透き通るような透明であることがよくわかった。
「………えっ…」
その透明度が光を反射し僕の顔を写した時、思わず息が漏れた。
そこに反射した顔は、僕にとって理解し難いものだった。
僕のアバターは本来僕自身、つまり現実の体そのままであったからだ。その時点で不明瞭な点は数多いが、そんな話はとうに完結している。
ここで問題なのは僕が誰なのかだ。
元々自分で言うのも何だが、凛々しい顔立ちでもなく、紳士的な振る舞いもできない、根暗な高校生であった。
前髪は目が隠れるほど長く、局所的に短いところはあれどロン毛とは言えないくらいの黒髪だった。
だからこそ自分の特徴と言えるものなどすぐ出て来るものじゃない。
ただ、この顔は違った。
白に近い鈍く輝く銀色の髪がスラーっと伸びたストレートな髪。顔も言わずもがなと美しい。
今思って見れば体の感覚さえも違った。
そんな容姿に似つかわしくないものといえば僕のこの精神と、この古ぼけた服くらいだ。初期装備としてはこのようなものが一般なのだろうが、ここまで似合わないのはやはりこの顔ゆえというものだろうか。
どちらにせよ、自分がここまで美しいと思える自惚れは初めて感じるものだ。
その水場近くで揺られ落ちてくる葉が水面を揺らし視界がぼやけたころ、やっとのこと膝をたてて立ち上がった。
言葉絶えて三分ほどである。
重くなっていた足をゆっくりと進めて行き、森の散策を続行した。どれだけ進んでも同じ景色が続くばかりだ。
そんな中、木漏れ日が鈍く光を失いかけると、暗くなった視界に何か人工物が見えた。
恐る恐る長く伸びた草むらをかき分け、進み行った。
そこには石造りの苔の生えた小さな入り口らしきものがあった。
そこから覗く続いた道は暗く、先が見えない。
緩い傾斜がそのまま暗闇まで続いているのはわかったが、その道幅が横二人になって通れるかどうかの狭い道だった。
ーー……入るか…ー
意を決して、身をかがめ右手を石垣につけながらすり足気味に進んだ。
あかりも何もない中、右手だけを頼りに進んだ。
下に行くにつれ温度が下がっていき、半袖だとなかなかの寒さを感じる。
目では見えないが自分の吐息が白くなっているくらいに寒くなってくる。
右手で岩肌を感じ、左手で肌を擦りながらいくと少し開けた空間にたどり着いた。
後ろを振り返ってももう光は見えてこない。
とりあえず、どのくらいの広さの空間なのかがわからないため、この先に行きづらい。
この場で引き返してもいいのだが、なにぶんすでに外も暗くなっている頃だろう。なら少々危険でもやる価値はある。
少し息を吸ってなるべく声量を抑えるようにして言葉した。
ーあっっ、
その声は反響するように、どんどん小さくなって消えて行った。
声量を抑えてもなお、かなり響いたように感じた。
それだけこの空間が広いということだろう。
広さが確認できたところで少しずつ壁沿いを歩いて行った。
ただ数歩すると、空間のひらけた方向から何かの物音がした。
何かが寄ってくるような、足音だろうか。
その音がどんどん近付いてきていた。
何だかわからない恐怖があるからか、とりあえず息を殺してその場にとどまる。
ただ、正確にこちらの方に近づいてはいる。
となれば原因はただ一つしかないだろう。
息を呑み、右手で辿った道を足早に戻る。
ただの一本道を駆け上がるにしては、過去最高に速い速度を放っていた。
後ろから着々と近づいてくる何かを背にただ走った。
行きとは裏腹に帰りは速く、出てから少し離れた茂みに身を沈め、荒げた息を沈めながら静かに待った。
しばらくして自分が出てきたところから何かが出てくるのが見える。
そこから半歩するくらいに出たところで、視界が暗い中確認できたのは「それ」の身長ぐらいだ。
顔までは見えないがおよそ入り口の半分の大きさしかない。
そして、その姿は人間のそれではなかった。人間ではないと言い切れれば動物の形をしているのか、と聞かれたとしても、そうでもない。
強いていうならばモンスターだろうか。三頭身ほどの身長に、手には武器らしきものを持っている。
シルエットから言って仕舞えば、ゴブリンによく似ている。
ならば、この世界というのはいわゆるファンタジーな世界なのだろうか。
そして、入り口から数歩の範囲をうろちょろし、周囲を見渡すような仕草を見せた。
何も無いということを確認すると振り返り、また何かの入り口へと入っていった。
ほっと息をつき力を抜いたところで、右手側から茂みが揺れる音が聞こえた。
「はぁ、はぁ、」
右側から何かが飛び出し、入り口正面に位置取った。
その姿はさっき見たものとは裏腹に普通の人間の姿に見えたが、手には弓が握られていた。
その入り口に向けて弓を構えている。
弓を引いた右手は少し震えているかのように見えた。
右手が弓弦を離したところで、弓矢が空を切る音が聞こえた。
すると穴が一瞬ひかり、何かのエフェクトが現れた。
そのシルエットが穴を覗き込み、入ってから数秒。
「…や、……やった……。よっ、しゃぁぁ」
穴から大きな声が響き渡っている。
ーーいや、これはでかすぎ……ー
そう思い、しばらくしてそこから出てきた声の持ち主は、手に何かを持って走りさっていった。
その後にはゴブリンが来ていただろうが、僕はもうそこにはいない。
僕の前方にはさっきの声の持ち主、多分男がいる。
途中まで走ってかき分けて来た草の後を追って来ていたが、たどるうちにすぐ目の前にその男はいた。
ただ、もう別に息を潜める必要も、隠れる必要もないが、まだそれをしようとは思わなかった。
それにしても道が長い。
暗い中、ただ草むらをかき分けているだけである。
どこに進んでいるのか、すでに進んだ道なのかもわからない。
すると、目の前に明るいものが見えて来た。街灯だろうか。
期待に身を寄せていたが、そこに待っていたのはただの野営道具だった。
結局は野宿しなければならないということなのだ。
ひとまず彼が見える位置かつ、ある程度周囲が見える木に登って一夜を明かそう。
木に登るのは得意ではないのだが、地に背を貼って寝るよりかは不安定でも少しの安全を確保できる木の方がいい。
そのうち、彼は荷造りをした後テントに入って行くのを見たところで僕も目を閉じた。
ーグゥルルルル
何かの鳴き声がする。
何度もなんども、低く威嚇に満ちた音がする。
そしてゆっくりと目を開けた。その視界は特に朝というわけでもない、早朝ほどの明るさ。
そんな中、木の下に数匹の犬らしきものがたむろっているのが見えた。
さっきの威嚇に等しい鳴き声は、彼らのものだったのだろう。
こうなってしまっては降りるわけにもいかない。朝になるまで待つしかないようだった。
その時、犬の中の一匹が木に登ろうとして幹に爪を立てた。
身長の二倍ほどのところまでは登りつめていたが、その努力もやむなしといったように。ただ、その犬にしては大きな体がもう一匹の犬に覆いかぶさる形で落ちていった。
そして、そこからでた大きな雄叫びは向こうで寝ていたらしい彼を起こした。
「はぁぁ、ねみぃ………」
テントから顔を出し、背筋を伸ばして大きくあくびをしていた。
とてもじゃないが用心がなっているようには見えない形だ。
またもや彼があくびをしたかと思う頃、木の下にいた犬らしきものはテントの方へと向かっていた。
取り敢えず、降りられるこの機会を逃さないべく、なるべく速く、丁寧に降りた。降りる途中で確認したところ、犬らしきものはだいたい四匹くらいがテントの方へ向かっていた。
地に足をつけたところで唐突に犬が奥の方へ走って行くのが見えた。
同時に微かだが、彼が最低限の荷物を持って奥の方へ進むのも確認している。
その放っていったテントの中には、昨日走って持って行っていた何か水晶らしきものまで残っていた。
他にはバッグであったり、ランプらしきものであったり、僕がわからないものもたくさんあった。
ここで見ておくのもいいのだが、僕も彼を追わなければ、安住の地が見つからない。
ここにある適当なものと、武器を持って彼らのつけた茂みの跡をたどろう。
これまでは広い範囲でしか周囲を観察してこなかったが、よくよくみるとこちらが見えるギリギリの範囲で何物かが覗くすがたがみえる。
今手に取っているものと、さっきのものとを見てもわかるように、この世界がファンタジー世界を表したものならば、モンスターがここら一体にたくさんいるということだろう。
だとすれば、こちらが弱る機会を狙ってる可能性が高い。少なくともいきなり襲ってくるようなモンスターが多いわけではないらしい。
日の出の頃、正面が木の合間を縫って少し明るくなっているところが見えた。朝日がそこに当たっているだけかもしれないが、取り敢えず今はこの茂みから抜けておきたい。
方向は間違っていないはずだから、こっちに行けばなにかしらあるのには代わりないだろう。
すると、その方向からさっきのとは比べ物にならない大きな雄叫びが聞こえた。
他にも何かが空を切っているらしい重い音がいくつも聞こえ、何かをぶつけるような低く鈍い音も聞こえる。
そこが見える範囲に行くと、そこにはさっきの犬型のモンスターが横たわり、血に染まった剣を持つ重装備の男が二人いた。
昨日見たものとよく似ている光とエフェクトが見えたかと思うと、彼らの持つ剣の血も犬型のモンスターも消え去り、そこにはバッグにあるような水晶らしきものが残った。
その水晶らしいものはここにあるものより明らかに小さい。
これはなんなのだろう。
二人の男たちの奥にはいわゆる村があるように見えた。
夜の安心が保証されると感じ、少し心に余裕を持ったところで緊張が解けてしまう。足を滑らせ、草を揺らすように音が出てしまった。
それと同時に、二人の男が互いを見合って臨戦態勢に入った。
「……そこにいるやつ、出てこい!」
「……隠れても無駄だ!」
潔く、荷物を置き、両手を上げて立った。
そして、彼らはもう一度両者を見合った。
「……何者だ、」
「……ここらじゃ見ない顔だが、」
僕自身特に身の内を知られて悪いわけではないだが、言ったところできっと理解されない。
ただ言わないよりかはまだ良いだろうか。
「日本人だ……」
「…に、ほん……?」
とりあえずのように両者は見合い、少しの間話し合っていた。
すると、村の方から大きな叫び声が聞こえてきた。
「だぁから、俺は!!!」
少ししか聞いてはいなかったが、この声質はさっきまで追っていた男の声だった。
その声は前の二人にも普通に聞こえる大きさだったようで。
「…あいつまたやってんのかよ……」
一人の小声を微かに聞き取ることができた。どうやらあの男はなんらかの常習犯らしい。
一息ついて彼らが振り返り、とりあえずというようについてこいと合図した。
少し広めの道を通り村の家々を縫って進んで行くと、少し小高い丘の上にこれまでの民家よりかは一回り大きい家が建っていた。
そこに着くまで幾らかの村人らしき人を見てきたが、若い者はあまりいない。
僕が見た限りではあの男と彼らくらいだ。
「ここが村長の家だ」
二人のうちでも背が少し高く、ぼさっとなった髪の男が誘導する。もう一人の方も180近くはありそうだが比べる相手がなかなかに高い。
そのもう一方の男は、耳打ちしたかと思うと家を回って家の側面を通って去ってしまった。
「村長を呼んでくるから少しここで待っていろ」
そういうと、上半身に着飾っていた装備が有無を言わせず一瞬にしてなくなってしまった。
思わず口がでそうになったが、この世界の常識がどのようなものかわからない今、迂闊な行動は避けたほうがいい。
そして、その場を振り返りるとこの村全体が見渡せるほどに狭く、集落のように見えた。
そんな中で生活していると思うと、我々都会人は感銘するほかない。
「入ってこい」
ドアを少し開け、顔を出して静かに言った。
言われるがまま、その家に立ち入った。
「だぁから、俺は、ゴブリンを倒したんだって!」
家に入ると、一際大きな声で言い放っていた。
ゴブリンとはやはりあの空間にいたモンスターのことだろうか。
「あいつのことは気にしないでくれ」
いつの間にか僕の隣にいたのは、待っていてくれといった人とは違うもう一人の方だったが、装備をしている時には気づかなかったこの体型。あの大きな装備には不釣り合いな細さだ。
なら、あの男が大声で話していたのは背が高いゴツい体型の人ということか。
そういって家の奥に案内されると、そこにはたった一人、いかにも村長らしき人が座っていた。
その人は年を取っているでもなく、若いわけでもない。いってしまえば中年男性くらいだろうか。
「とりあえずそこに腰をかけてくれ」
隣にいた男は村長の横にいき、耳打ちしてその背後に立った。
その言葉を聞き、村長は少し頭を抱えていたがすぐに持ち直した。
「まず聞きたいのだが、君はどこから来た?」
一度聞かれた質問ではあるが、二度いったところで返答は変わらない。
「遠くからやって来ました」
「そんな軽装備でか?そんな装備じゃこの森は抜けられないだろう」
やはりそれだけ大きな森であったのか。
僕がいたあの場所はまだ村に近いところだったのだろうか。
「ええ、何故でしょう。遠くから来たこと以外は全く覚えていないのです」
「記憶がないのか?」
「…はい」
そう答えると何やら向こうの方で言い合っている様子だ。「上位魔法が、、、」やら「また奴らの、、、」という言葉が小声で飛び交う。
そして、一回の咳払いとともに話し始めた。
「わかった。なら、覚えている範囲で最初の記憶を教えてくれないか?」
「…既に周りが木に囲まれてて、そのほかに何もない森でした」
言い終えて村長が、ならば、と言いかけたところで、またかというように大きな声が聞こえて来た。
今度はドタバタと床を鳴らしながらドアを突っ切っていったようだ。
「すいません、村長」
そういって入って来たのがさっきまであの男と話していた男だ。
「アランめ。またあいつは……」
「仕方ないですよ、今回ばかりは。きつく言って置きませんと」
「クロークを何百匹と倒したという嘘ばかりか、次はゴブリンですもの」
僕を挟み、部屋の入り口と村長側とで話が進む。
「ああは言ったものの、アランが覚えているものとはな……」
この人たちは、何かかみ違えているようなきがする。
「…どうかなされたんですか?」
「いや、なんでもない。騒がしくて申し訳ない」
やはりよそ者はお呼びではないらしい。
「なら少し席を外していいですか?」
「トイレならここを出て右だが……」
少し会釈して部屋を出た。
もちろんトイレに行くためというわけではない。ちょっとした忘れ物を取りに行くだけだ。
あの時は何だかわからなかったが、きっとそうに違いない。
ドアを開け、さっきまで辿っていた道を追っていった。
途中にはやはり人が多いわけではない。
「こう、なんで、いつもいつも、、」
向かいには石を蹴りながら項垂れるアランと呼ばれる男がいた。
大きく石を蹴り飛ばし、僕の方まで石が飛んでくるとアランは顔を上げた。
「あ、すいません、」
「……いえ、大丈夫です」
アランも自分みたいな新参者がいて、見知らぬ者がいて驚いた様子だ。
ただ一瞬の間もすぎ、会釈してまた歩き出した。
アランという男は、これまでよく見えていなかったが案外年齢は近いような気がした。もしかしたら同年代かぐらいとしかわからないが二十歳前後だろう。
背も170くらいはある活気溢れる青少年に見える。
そんな彼がさっきのような姿をしていると、似合うような気がしない。
そして森と村の境界、さっきまで僕と二人の男がいた場所。ここに置いてきた彼の荷物が、誰にでもない彼に必要なものだ。
「おいおい、こんなとこに人がいるぜ?」
森の方から大型な人のシルエットと、野太い声が聞こえた。その背後にも同じように体つきのいい人のシルエットがある。
「なんでこんなとこに人が……」
そう言いかけた時、少し間が空いた。
着実に距離感を狭めて行く中、背後にある村を見つけたのだろう。
「なんだ?廃村か?……………いや、人がいやがる」
「こんな森の奥に村があるとはな」
シルエットがまばらに見え始めてきた頃に、その仏頂面と髭面が目に入った。雰囲気だけしかわからないが普通だとは思えない。
ただならない空気が漂っていた。
「ちょっとどきな」
その一人が肩を掴み、横に退けるようにして突っ切っていった。
なんとなくだが、ここを通してはならない気がした。
「ちょっ、と待て。……何の用だ、」
あれ以来張り上げていない声を振り絞り、その内の一人の腕を掴んだ。
その腕は常人の二倍ほどの太さを図り、一概に掴めるものではなかったが、自然と力が発揮できていた。
「なんだ?この手は」
そういうと僕の手をおおっぱらに振りほどき、睨みを効かせた。
「この村に入られたくない理由でもあるのか?」
「そういう、わけじゃない…」
相手の迫力も、言葉も、久しぶりの感覚で萎縮しかねない。
「じゃあなんだってんだ」
「……この村で、何する気だ…」
「お前なんかの一村人に何ができる?俺らは2級ライセンスを持ってんだぞ?」
おおっぴらに高々と言い放つ男はやけに自慢げである。
それがきっとカーストを生む何かなのだろう。
「そんなの知らない……」
「は?」
威圧的な言葉の前に、未だに目を合わせられない。
「拉致があかねぇな。……行くぞガット」
「……わかった、カネアツ」
一人がこっちを見て、哀れんだ目を向けてきた。その目はとても冷たい。
膝を落とし、一瞬腰が抜けたように、そんな恐怖を感じざる終えなかった。何もできない無力感が自分の体を妨げる。
地面を見つめたままただ突っかかることしかできなかった自分を悔やみ、遠くから聞こえる野太い声も今は耳を通さなかった。
あの日、僕が世界を救ったと思った日。
何もかもを失って、何もかもを悔やんだ。
それでもう、十分だったはずだろ。
村の方から荒げた怒気と、即座にやってきた装備を着た二人の口論から始まり今では火がつき、煙が立ち上っている。
スペル:炎蛇・ファイヤーブレス
仏頂面なカネアツと呼ばれた男はそう言葉に唱えると、どこからともなく現れた炎の咆哮は、まさに魔法そのものである。
もう一人の髭面のガットと呼ばれた男はそのサポートをしているようだ。
「くそ、こいつら……」
炎の魔法の前に先ほどまで高く立ちはだかっていたその体も、地に着くしかなかった。
「無力なゴミどもはそうやって地に膝立てて、頭さえ下げてりゃいいのよ」
ただ突っ立って、見て見ぬ振りをするほどもう僕は意気地なしじゃない。
無理矢理にでも体を動かした。
「ちょっと、待てって」
「あ?……さっきの野郎じゃねぇか」
「痛めつけてやんねーとわかんねぇのか」
脅迫じみたその言葉から行動に移すまで間はほぼなかった。
スペル:炎蛇・ファイヤーブレス
そう唱え、カネアツと呼ばれた男の前から、直径2メートルほどの円柱形の炎が発現した。
足腰を奮い立たせる、この正面に発現した炎。
熱く燃え盛り、魔法というものを肌で感じた気がした。
そして、さっきまでの自分への劣等感が焼き切れた気分だ。
その間、発現から1秒と経たずに10メートルはあろう距離を詰めた。
ーー何も心配することはない。こんな経験は何度もあったはずだー
そう言い聞かせ、赴くままに体を動かし避けた。
「……は、ははは。なに、避けてやがんだ。お前程度の分際で」
低く重い笑い声は、寒気に満ちている。
さっきまでの炎が嘘のように。
スペル:凍結・フリーズ
その詠唱をガットという男から聞いたと思うと、さっきと同じ魔法が聞こえ始めた。
スペル:炎虎・ファイヤーメイデン
いや、少しだけ違う。何か違う。
そう思った頃には足元が凍りつき、頭上から熱気を感じた。
見上げると、さっきとは全く別物。虎を模した炎の塊が天高くから降り注いでいた。
さっきの魔法とは比べ物にならないほどの圧力を感じ、その単体で動物のような動きを空中で見せてている。
明らかにこれはただ僕を殺したいだけじゃない。苛立っているからでもない。
自分の存在を強調し、アピールし、圧倒的な力で屈服を促すためだ。
そんな人間を僕はいくらでも見てきた。
そいつらと結局同じなんだ。
「じゃあな。これで終わりだ」
ならば、そんな奴らに僕は負けてはならない。
肩に下げていたバッグからテントに置いてあった短刀を取り出し、ただ自らを信じ唱えた。
スペル:無尽・エンハンス
降り注ぐ炎の虎が短剣先端に着こうとしたとき、短剣を避けるようにして炎が消えていった。
地面に着く前に炎もろとも熱さだけを残して消えた。
「おい、カネアツ。あ、あいつ……」
「あ?………は?」
ありえないかのように口を開け、目に見えるほどに怒りが充ち満ちている。
「……お前……」
ゆっくりとこっちに向かい、今までにない無言の圧力があった。
ただ、その圧力にもう厚みはない。
僕に触れることもない。
僕の前まで来ると胸倉を掴み、氷で身動きできない体を無理やり剥ぎ取り、掴み上げた。
「お前程度の分際デェェぇぇぇなにやっ……」
すると、いきなりさっきまで怒りに満ちていた顔も硬直し、動かなくなっていた。
そう思ったところで、男はいきなりグラスが割れるかのように全身が崩れ、眩しい光が現れた。
その後、そこにはなにも残らず、残った氷だけが寒さを強調した。
自分でもわからない出来事に困惑しながらも、何かに似ていると感じた。
たった2回しか見たことはないが、モンスターが消滅するあのエフェクト。それに酷似しているようだった。
つまり、俺がカネアツなる男を殺したのだろうか。
「くそっ、こいつ……」
残ったガットという男が悔しながらも横を通り、村を出て行こうとした。
しかし、もうすでに装備を着た二人の男は回復している。
そしてしばらくし、ガットを拘束し終えた。
すると、さっきまであまり外に出ていなかった村人たちが出て着ていた。
きっと村に関係ない人が入って、こういう事態の時に被害が出ないように警戒しているのだろう。
僕が入って来た時もそうだったように。
僕が疲れ、氷の地面に腰を下ろした時、その村人たちはみんな揃って拍手してくれた。
この村に脅威が去ったことからか、やけに皆が他人事ではないような気がした。
「いや〜、さっきの拝見させていただきました」
「そんなにも若いのに、素晴らしい」
初めてあった時とは打って変わってはいるが、別に悪い気はしない。
「あ、失礼。私の名前はカイン。カイン=エレフロットと申します」
装備がいつの間にか消え、背の高いガタイの良い男が名乗った。
続いてあの装備を着ているには細い男が名乗った。
「では、私も。私の名はキッド=クラナル」
それを言い終え、少し間を開けたところで。
「私たちの村を救ってくれた、あなたの名前を教えてくれませんか?」
「名前…………」
僕の名前は現実の世界でも、あの世界でももう捨てた。
「僕の名前は……………………………ミラン」