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空転

 正直に言えばそこまで慌てる必要もないと思っている。

 確かに肉欲とは程遠い身ではあるが、俗世で生きている以上気づいたら五百年経過してて全員墓の中、ということはないと思っている。

 もちろんそれは、焦りという感情が薄い自分だからなのかもしれない。

 だからこそ、俺はこの二人のペースに合わせることにしていた。


「パパ! ほら、何かないの!?」


 ブロワの実家へ向かう馬車の中で、レインは俺のことをしばいていた。

 レインにこんな積極性があるとは、父親として微妙にショックである。

 もしかして、学校で友達からいろいろ言われているのだろうか。それを思うと、多分お友達の意見が正論なので、父として申し訳ない気持ちである。


「レイン、ブロワの服装に関してはさっき褒めたぞ」

「何度も褒めてよ!」

「いや、それはちょっと……ブロワがきついと思うぞ」


 当然ながら、そうした経験が一切ないブロワの服装のチョイスは、お嬢様やメイド達によって行われていた。

 こう、年相応、性別相応の格好はとても魅力的に思えた。

 なので、そういう格好は初めてだが、似合っている、綺麗だぞと心から褒めていた。


「……ねえ、本当にいいの?」

「レイン、お前はちょっと静かにしていなさい。ブロワは今すげえ浸ってるところなんだ」


 馬車に乗っている俺達三人は、正直に言って色恋沙汰に疎い。

 レインは年相応で、俺もある意味年相応で、ブロワにとっては自分の主であるお嬢様がすることで自分には関係ないことだと思っていた。

 なので、知識としては知っていても、俺たちは全員色恋沙汰の経験がない。


「ねえ、本当にいいの?! ブロワお姉ちゃん!」

「レイン、本当にそっとしてあげなさい……」


 俺の隣に座っているブロワは、外を眺めたまま顔を真っ赤にしてプルプルと震えていた。

 さっき俺に褒めてもらったことが照れくさいやら恥ずかしいやら嬉しいやらで、感情の処理ができずにこうやって浸っていたのだ。

 その辺りの機微は、流石にレインにはわかるまい。


「ほら、嬉しそうににやにやしているだろう?」

「そうだけど……いいの? せっかくお嬢さまがいないのに」

「ブロワは今人生で一番喜んでいる所なんだ、邪魔しちゃいけないぞ」


 口角はこの上なく吊り上がり、眼は現実と夢を行き来して、更に心拍数は全力疾走しているかのように鳴り響いている。

 一言でいうと、初々しく喜んでいる。なんともまあ、褒めたこっちが心配するほど大喜びしていた。

 こういうのもちょろいというのだろうか。しかし、他の誰が彼女をちょろいと言ったとしても、俺だけはブロワの事を簡単に口説ける女とは思うまい。


「レイン、ブロワは俺と違って、本当に人生をお嬢様に奉げてきたんだ。ブロワが正気になるまで浸らせてあげようじゃないか」

「……わかった」


 ブロワは、今全力で青春しているのである。

 少し遅くなったけど、少女漫画のヒロインのように、恋に夢中なのだ。

 無理もない、彼女はこれまでずっとお嬢様の護衛という過酷な任務に就いていたのだ。

 なんだかんだと五年間苦楽を共にした同僚と一緒に、初めてのおしゃれをして旅行をする。いいじゃないか、こういう時ぐらいお姫様として扱っても。


「はぁ~~~」


 幸せそうなため息がブロワの口から洩れている。人生で初めて、こんなに喜んでいる女性を見た。

 レインもお嬢様から離れて自己主張しているが、ブロワだって相当抑圧されていたのだろう。お嬢様の元を離れたことで正に脳内はお花畑なのだ。

 とまあ、客観的に考えてしまう。少し喜びすぎな気もするが、ブロワが此処まで喜んでくれたことはとても嬉しい。

 

「パパは、嬉しくないの?」

「もちろん嬉しいぞ、お嬢様が一緒にいないだけで凄い快適だ。こうやって、お前やブロワと一緒に、気兼ねなく旅ができるのは幸せに思っている」


 お兄様とお父様に感謝しなければな。二人がいつもと違って楽しそうにしているところを見ているだけで、満たされていくものを感じる。


「レインはブロワが幸せそうだと嬉しいだろう? 俺だって二人が楽しそうにしているだけで幸せだ」

「そうかもしれないけど……」

「気を使ってくれてありがとう。今回の旅行では、三人でいっぱい楽しもうな」


 そう言って、レインの頭を撫でる。

 こういう時に『パパ、抱いて』となるのがナデポというのかもしれない。

 もしかしたら、祭我も似たようなことがあったのだろうか。

 レインは普通に嬉しそうにしているので、その手の邪念を断つ。

 ここで俺が気にしなければならないのは、今ここにいるレインとブロワの機嫌だった。


「……うん!」


 なんか新婚旅行というか、家族サービスの様な気がしてきたぞ。

 まあ実際家族旅行だし、レインは五年前から俺の娘だったし、今更違和感はないが。

 ただまあ、お嬢様がいないだけでここまでのびのびできるのかと思うと、つくづくお嬢様は他人を抑圧して、気を使わせていたのだなあ。


「じゃあパパ! ブロワお姉ちゃんにキスして!」

「キスぅううう?!」


 凄いうろたえている顔を真っ赤にしたブロワが、淑女にあるまじき醜態をさらしていた。

 服はいいものを着ているのに、所作にエレガントさがない。

 こういうのをギャップ萌えというのだろうか、微笑ましいを通り越して涙がにじみそうである。

 なにせ俺は、彼女と五年の付き合いだ。俺にとって彼女の五年間は『設定』ではなく経験として知っている。

 今まで、よっぽどそういうことを我慢していたのだなあとしか思えない。

 こうなると、ブロワの事を恋愛対象を通り越して娘のように感じてしまうのは、五百年も生きているからなのだろうか。

 実際には娘でもなんでもないので、そういうことをしても抵抗はないのだが。


「ま、待ってくれレイン! 今そんなことをしたら! 私は恥ずかしくて死んでしまう!」


 祭我を初めて見た時も、物凄いテンプレ感で『ああ、異世界に転生したんだなあ』と昔を懐かしんでいたが、今も似たような状況だった。

 乙女心を全開にしていて、実際にそれが許されているブロワは、それはもうオーバーリアクションをしていた。

 こういうのを、キャラ崩壊というのだろうか。とても懐かしい。


「ええ~~? そういうことを言っている時ほど、してほしいってお嬢様が言ってたよ?」

「お、お嬢様のおっしゃっていることも間違いではない! 実際に、してほしいとも思っている! というか憧れている! だ、だが……だが! まだちょっと早いんじゃないだろうか……」


 段々声が小さくなっていく。そうだよな、コイツもまだ未成年だもんな。

 意中の男と密室で一緒にいる、というのはさぞテンパるだろう。


「こういうことはだな……というか、その……サンスイが、ちょっと、怖いというか……」


 色々極まりすぎて、感情の収拾がつかなくなっているのだろう。

 そういうことがまだわからないレインに対して、説明ができなくなっている。

 もちろん、レインに察することなどできるわけもなく……。


「すまん、サンスイ……ちょっとこの馬車から出てくれ……お前と一緒にいると思うと、胸が苦しくて、苦しすぎることになりそうだ……」


 語彙も崩壊しているブロワ。この場にお嬢様がいたら、さぞ腹筋が崩壊していただろう。それぐらい彼女は体を張っていた。もちろん、笑いを取るために道化を演じているわけではないのだが。


「み、見ないでくれ……こんなカッコ悪いところを、お前に見て欲しくない。ちょっと頭を冷やすから……」

「ああ、わかった。レイン、俺はちょっと御者さんと話をしてくるから、ブロワと一緒にいてやってくれ」


 レインは不満そうだが、ブロワが本当に興奮しすぎているので、それを無言で受け入れてくれていた。

 実際、ブロワも人生で初めて自分の感情をもてあましているので、なんで自分がこんなことになっているのか、自分でもわかっていないのだろう。

 そうなれば、少し時間も必要に違いない。


「さてと……どうも」

「いやはや、大変ですなあ……」


 毎度のことながら、ソペードの馬車を運転するご年配の御者さんである。

 彼も思うところがあるのか、馬車の中の騒ぎで目を潤ませていた。

 この御者さんも、俺達の事を良く知っている分、思うところがあったのだろう。

 考えてみれば、この人とも結構な付き合いであるし。


「ですが、皆が楽しそうで何よりです。ええ、そう思います」

「……そうですね」


 皆洒落にならないぐらい、お嬢様のせいで我慢していたのだなあ、と思うとお嬢様の存在感が浮き彫りになっていた。

 そうだ、俺たちはこの旅に限っては、あえて危険地帯を横切るとか山賊を狼の餌にするとか、そんなことをしなくていいのだ。

 これが自由ということなのだろうか。そう思うと、今からお嬢様との合流が怖くなってきた。その辺りは、トオンに期待するしかない。多分、俺がどれだけ修行してもお嬢様を満足させることはできないと思うし。


「できれば……レイン様の妹や弟も、この馬車に乗せたいですなあ」

「ははは……それじゃあ急がないと駄目ですね」

「ええ……本当に、人の一生などあっという間ですから」


 馬車の中では、相変わらず新婚旅行的な状況に耐えられず悶絶しているブロワと、それを見てちょっと不満そうにしているレインの気配が漏れていた。

 というか、多分御者台に座っている御老体も察していることは間違いない。それぐらいわかりやすく、二人は興奮しているようだった。


「ブロワ様も大変ですなあ、恋人と母の両方をしなければならないのですから」

「それは……まあそうかもしれないですね」


本人としては甘酸っぱい初々しい恋人関係を少しずつ詰めていきたいのに、レインは理想の夫婦をしてほしいのである。

 その辺りは、どうしようもなく立場の差があるのだろう。

 その点、俺はどうすればいいのかわからないところである。

 そういう意味でもこの旅行で、二人のために色々頑張らねばなるまい。


「サンスイ殿、今日は日暮れまでには街に到着するので、そこでもお二人の事をよろしく頼みますぞ」

「はい、では安全運転をお願いします」

「ええ、お任せを。これが仕事ですので」


 道中モンスターに襲われるとか、なんだかわからんイベントが発生するとか、そんなことは一切なく、俺たちはブロワの実家に向けて進んでいっていた。

 そして、特に面白ことが起きなかったとしても、レインもブロワも、とても張り切っていた。かなり空回りしているが、それでも旅を楽しんでくれているようで何よりである。

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