休日
指導をするからには、当然成果が求められる。俺がトオンを鍛える以上、トオンは今まで以上に強くなっていなければならない。
とはいえ、元々国一番の強さを持っていた彼である。元々の段階でも近衛兵と戦っても普通に勝てただろう。とはいえ、俺が指導している今でも、俺に勝てるほどでもない。順位という意味ではさほどの変化はないのだ。
となれば、俺の説明を信用してもらうしかなかった。
「我らも素人ではない。トオンの動きがお前に近づいていることもわかる」
「無論、お前には及ばないこともわかる。お前には常に余裕があるが、トオンにはそれがない。それをお前が危ういということも、よくわかるつもりだ」
お兄様とお父様は、現在縄でぐるぐる巻きに拘束されていた。理由はお察しである。
ともあれ、お嬢様の屋敷でお父様やお兄様、トオンと俺、ブロワとレイン、当然お嬢様も含めたソペードの面々は話をしていた。
レインは行儀よくお座りをしている。実に礼儀正しい。
「今が肝要ということもわかるが……余り甘やかしては限られた寿命の人間に、お前の剣術を学ばせることは難しいだろう。そこで我らから提案がある」
「ドゥーウェ、これは提案だが……一度、ブロワとサンスイに休暇を出せ。その間、護衛をトオンに任せるというのはどうだ」
ソペードの最有力者であるお二人がそんなことをおっしゃった。それを聞いて、誰もが驚きを隠せなかった。
俺達二人を一時護衛から外すこともそうだが、お嬢様に集った悪い虫であるトオンを護衛にするということも意外だった。
というか、結構冒険をしているとも思う。
「よろしいのですか、ご隠居様、ご当主様。知っての通り、狂戦士であるランはもうすぐこの学園に戻ってきます。何かあれば、抑えることができるのはサンスイだけなのでは」
ブロワの言葉ももっともだった。
というか、学園でも結構指導をしているので、その辺りの事も心配である。
「だからこそ、だ。狂戦士を生かすという決断をしたのは、我ら権力者側だ。その始末を付けられるサンスイの意思を無視して、今も自由な行動をある程度許している。それは、ドゥーウェの護衛でしかなかったはずのお前に、多大な負担をかけていることだろう」
「ドゥーウェの護衛であるお前には、生徒や傭兵の指導をする義務はない。にもかかわらず、お前はそれを請け負い、多くの成果を出している。それはありがたいが、お前の師匠から許可を得ているとはいえ、お前に負担を押し付けすぎているともいえる」
おお、とても嬉しい言葉をいただけた。
「それに、サンスイもさることながら、ブロワには昔からとても大きい負担を強いている。娘の我儘で、サンスイ以外に同僚のいないお前は、とても負担が大きかっただろう」
「サンスイの場合寿命が長いこともあるが、お前は一番多感な時期に娘に付きっ切りで護衛をすることになってしまった。もちろんそういう契約ではあったが、それを成し遂げ続けているお前には、個人として休暇が必要だろう」
その言葉を受けて、ブロワは顔を抑えながら静かに泣いていた。
よほどその言葉が嬉しかったのだろう、実際負担も大きかったし。
冷遇と厚遇を激しく使い分けるお二人なだけに、こうした言葉をいただけると本当にうれしく思える。
「ブロワ、お前はサンスイとレインを連れて、一度実家に帰れ。つまり結婚の挨拶をきちんとして来いということだ」
「安心しろ、既に向こうの両親へは話は通してある。養子であるレインに関しても、出自やら将来に関して伝えたところ、むしろ嬉しく思っているようだったぞ」
今更だが、俺はブロワの両親に関して詳しくない。
地方領主という事だけは聞いているが、はたしてどんな人物だろうか。
俺の義理の父や母になる方か……。
それなりに礼節をもって接することが大事だろう。
「お父様、お兄様。私の護衛の予定を勝手に決めないでくださいまし」
やや腹立たし気なお嬢様だが、それでも俺やブロワの休暇に不満があるわけでもなさそうだった。
少なくとも、お嬢様も俺やブロワへ休暇をあげることにさほどの不満もないのだろう。いい機会だと思っているのかもしれない。
「そうは言うが、こういうことは我らが決めねばどうにもなるまい」
「お前にそうした計画性があるとも思えんし、ブロワにもサンスイにもそんな余暇はあるまい」
「まあそうですけど……」
「それに、これはお前にとってもいい要件だろう。お前の選んだ男が、本当にお前を任せるに足る男なのか、我らに示すいい機会だ」
実際、お嬢様とトオンの関係について、試すようなことをするとは思わなかった。
確かにいい機会ではあるだろう。お嬢様も結構諦めていた節があるし。
トオンと結婚するために、お二人を俺に暗殺させる話まであったしな。
「サンスイはまだしも、ブロワは幼少の頃からドゥーウェを守っていた。昔から気難しかった娘の要望に応え続けてきたのだ。その代役を務められないなら……私情を抜きにも認めることはできん」
「確かに修行も完全とは言えないが、それを言い訳にして逃げることはないだろう。お前の修行が完成するまで、ドゥーウェを狙う者が待ってくれるわけでもない。それに、サンスイやブロワが離れたと聞けば、多くの者が妹を狙うだろう。それを修行の完成に役立てるぐらいの豪気さが欲しいところだな」
なんとも挑発的な口調のお二人だが、顔を見る間でもなくトオンは張り切っていた。とてもみなぎった状態で、自分の胸を強くたたく。
武門の名家の当主が、異国の王子である自分を試そうとしている。一人の剣士として、男として、やりがいを感じているのだろう。
「その言葉、この試練、とても嬉しく思っている! 数多の刺客、望むところ! 必ずやご息女を守り抜き、ご期待に応えて見せましょう!」
「ふん、いい威勢だ……我らとしては、娘をかばってお前だけ死んでほしいところだがな」
「我らが刺客を送ることもあり得ると思え。それでもなお、ブロワもサンスイも、娘を守ってきたのだからな」
お前をぶっ殺すことが目的だ、と殺意を隠さないお二人。実に大人げない。
とはいえ、実際にさっきも襲ってきたし、割と実際に良くあることだから困る。
「それから……これは一応念のために言っておくことだが……」
少々、思うところがあるかのような、個人に休暇を与えるとか、そういうレベルではなさそうなこと雰囲気で言い始めた。
「サンスイ。今回の休暇は、ソペードだけではなく他の四大貴族や王家にも話を通してある。仮に何かが起きたとしても、誰が何人死んだとしても、お前が予定通りの休暇を終えるまでは戻すことはないと思え」
「仮にお前が必要になることが起きたとしても、他の者を動かして対応する。これは国家の総意だ」
何やら、物凄い大仰なことになってきた。
良いのだろうか、そんな大きなことを言ってしまって。
「はっきり言うとだ……お前の言うように、我らアルカナ王国は、お前に対して大分甘えている。最悪の事が起きても、お前に任せればなんとかできると思っている。それはとても不健全なことだ。お前という個人に寄りかからねば国体を維持できないならば、それはもはや国家ではない」
「確かに、お前のことはとても信頼している。ただ強いというだけではなく、精神的な隙の無さや道理を通すところも含めて、お前に多くを任せてきた。お前には感謝しているし、これからも国家のために尽力してほしいと思っている。だからこそ、お前を使いつぶしたくない。お前にしかできないことがあるとしても、それは極力抑えるべきだと思っているのだ」
それはつまり、俺への負担を和らげたいという事だろうか。
あるいは、トオンに限らず多くの者で、俺の代わりができるのかを確認したいということなのだろう。
「他の家の『切り札』がいる今が好機だ。お前がいない間に何かが起きても、我らは滞りなく国家を守り切らねばならない。お前が一つの仕事についている間に、他の問題が起きても全体で補えなければ、国家として間違っている」
「お前がいなくても大丈夫である、ということを内外に示す意味もある。今回は急な話になってしまったが、今後も定期的にお前には休みをやるつもりだ。お前としても、たまには休暇があったほうがよかろうし、気配りを減らして家族と過ごすことも良いだろう」
あの、申し訳ありませんがそこまで言われて、能天気に休日を過ごすことなんてできないんですけど。
国一つ吹き飛ばせる正蔵じゃないんだから、そこまで重いものは背負っていないと思います。
「そういうことでだ、トオンよ。仮にお前が音を上げても、サンスイは助けに帰ってこないということだ」
「むろん、使える駒があるなら使えばいい。娘がそれを許すのであれば、自分の妹や共にサンスイの指導を受けている面々に協力を願うのも構わん。だが、サンスイとブロワだけは助けに来ない。例え助けを呼んだとしても、この男は拒否すると知れ」
あ、そっちがメインなんだ。
さっき言ったことは嘘ではないとしても、個人としてはトオンを困らせたいという事か。
色々な意味で、とても正直なお二人である。とはいえ、その点も含めて、トオンはとても嬉しそうだった。発破をかけてくれている、と思ったのだろう。それも間違いではあるまい。
「くっくっく……実に大任だ! これほどの重圧、故郷にあっても中々背負えるものではない! この責務、必ずや達成して見せましょう! 師の役割を引き継げるなど、この上ない光栄だ!」
「あらあら、私の事は無視かしら?」
「おっと、すまぬな。一人の男子として、武名をとどろかせることにはどうしても興奮してしまった。ドゥーウェよ、君との婚約の為にも、君を守ろう!」
つくづくいい男である。こういう、女性に気づかう姿勢は、俺にはないセンスだ。
調子のいいことではあるのだが、それでも言われると結構嬉しそうである。
というか、ブロワが言ってほしそうにしているし。
「ところで……参考までに聞きたいのだけど」
武に関しては完全に素人であるお嬢様は、興味を持ったのか俺に訊ねていた。
「今のトオンは、どの程度強いの? ハピネの婚約者よりは弱いらしいけど……あの狂戦士には勝てるのかしら」
「よほど調子が良ければ、勝算はありますね。ランも結構調子に波があるようですし」
ある意味では、ランのほうがよほど調子に波があるだろう。
精神的にムラがありすぎて、彼女はとても不安定なのだ。
それに、彼女は腰を下ろして戦うことを覚えてしまった。それは影降ろしの使い手であり、手数で優位に立ち回れるトオンにとってはむしろ有利な構えである。
そういう意味では、今のランは弱くなっている、ともいえる。
「まあランの方も心を鍛えれば、祭我……様にも勝ち目が出てきますね。それはとても難しい事ですが、何分彼女はこれから強くなるところですし」
そういう波のなさ、ムラのなさが俺への評価の一因だろうとは思える。
実際、スポーツ選手じゃなくて護衛なら、調子が良かったり悪かったりするのはいいことではない。
「……それじゃあ貴方の師匠であるスイボクはどうなのかしら。貴方も腕を上げているらしいけど、どうなの?」
「師匠はもう、次元が違いますから」
「……どういう事よ」
全員が俺を見ていた。
ある意味、俺を武の極みかなにかだと思っている面々なので、俺が師匠に勝ち目があると勘違いしているのだろう。
あるいは、俺よりも強い人を想像できないのかもしれない。
「百回に一回には勝ち目がある、時と状況や条件によっては勝算がある、百人揃えれば勝利できる。その程度では、実力差があるとは言えません。現に私は……その、近衛兵の方を倒せましたし、正蔵は軍勢をねじ伏せましたし、ランはランで里の者を壊滅させています。そこまでいって、ようやく実力差があると言えるわけです」
祭我が俺に勝ち目がある、というのも同じものだ。
条件次第では勝てる、ということは、彼は俺との間の実力差を埋めてきたということである。
「その上で……私は師匠に勝てる気がしません。何千回繰り返しても、如何なる条件であっても、私が何億人いたとしても、師匠の前では無意味でしょう。それほどに……私の師であるスイボクは、私を遥かに超えた剣士であり仙人です」
もちろん、そもそもの段階で俺が師匠の弟子であり、師匠が俺の完全上位互換であることも理由の一つではある。
俺にできることは全部師匠にできることであり、俺にできないことも大抵師匠ならできてしまうこともある。
経験に関しても、エッケザックスと共に千年もの間放浪していたことを思えば、俺とは段違いだろう。
「貴方が師匠に勝てないって……その言葉は散々聞いていたけど……貴方の強さを見るたびに本当か謙遜か、分からなくなるわ」
師匠に直接お会いしたはずのお嬢様も、そうではないお兄様もお父様も、とても疑わし気に俺を見ていた。
確かに俺は卑屈なところが結構あるが、こと戦闘能力という点に関して、嘘や誇張はないと信じていただきたいところである。