予感
強大すぎる力は、疎んじられる。それは祭我にもランにも言えることだった。それはそれで当然だと思うし、その最たる例が正蔵なのだろう。
山水が好きでもないドゥーウェに従っていることも、強い事だけでは何一つ生み出すことがないという事であり、身の程をわきまえて正しく従事しているだけなのだろう。
強すぎる者がその強さのままに生きれば、より強い者に倒されるか、或いは社会から排除されるだけだ。
そんな当たり前のことを、誰もが理解するしかなかった。
「なんで占術が廃れて、亀甲拳が残ったのかわかる気がする」
四人を残してテンペラの里を去った一行は、道中の山道で野宿をすることになっていた。
誰もが沈んでおり、特にランは祭我の横で彼の手を握っていた。
それに対して誰も文句を言わない程度には、彼女の悲しみに共感していた。
「確かに占術は便利だ。変えられない未来がわかることは、国家にとって有効だと思う」
自分だけが、未来を見ることができる。
自分だけが、未来を選ぶことができる。
それは亀甲拳も占術も、とても優れていることだろう。そういう意味では、文字通り他の【魔法】とは次元が違う。
しかし、個人の格闘技として使う亀甲拳はともかく、国家や団体の利益のために未来を探る占術は、それによって生じる損失や利益が多すぎる。
被害や恩恵と言い換えても違いはないだろう。はっきり言って、個人では支えきれないのだ。
「有効すぎて、荷が勝ち過ぎていた。あのお爺さんは……あの小さな里の運命を占っているだけでも辛そうだった。それが国家規模になったら……多分誰も耐えられない」
もしかしたら、耐えられる人間がいるかもしれない。
もしかしたら、その使命感に燃える人間がいるかもしれない。
しかし、それが万人とは限らない。
強大なものを相手にする魔法の資質を持っていたとしても、それにふさわしい人格の持ち主ばかりではないのは、祭我も良く知っている。
今回、五つの家に伝わる拳法の秘伝書を託された。
それは冊子のようにまとめられており、一つの拳法に付き五冊、計二十五冊になっていた。
それをすべて読んで、すべてを覚えられるわけではないだろうが、祭我個人だけではなくアルカナ王国全体への利益になるだろう。
しかし、占術と同じものである亀甲拳に関しては、普及することはためらわれた。
「変えることができない未来を知っても、ただ辛いだけだ。それが沢山の人の生死に関わるのなら……それはきっと、耐えられない」
祭我には未来を変える力がある。しかし、この世界の人間は亀甲拳が使えるのなら他の魔法も拳法も使えない。
そして、祭我でも国家のように強大なものを左右させる器量はない。
右京を見たからこそ分かるのだ、あんな必死になって国家を守ろうとする情熱は、自分にはない。
「例え国の偉い人から見て、どんなに必要とされても……これを得た人は不幸になるよ」
「私も、そう思います」
呪術師の家系に生まれ呪力を継承し、しかしふさわしい気質を持たなかった彼女は賛同する。
呪術が必要なことはわかっている、呪術がなくなっても似たようなことが行われることもわかっている。
しかし、それでもツガーは嫌だった。他人に恨まれ、恐れられる日々が嫌だった。
「兄も父も言っていました。呪術は忌み嫌われるためにあり、呪術師は恐れられる存在でなければならないと。そして仮に呪術師が役割を放棄したとしても……その仕事はなくならない。自分達が嫌がっている仕事を、他の誰かに押し付けてしまうだけだと……」
自ら進んで不幸を受け入れているのが、ツガーの生まれであるセイブ家なのだろう。
占術使いはその重荷に耐えかねたが、呪術師は未だにその重責を背負っているのだ。
それは、生半な覚悟で務まるものではない。
「この秘伝書自体は残すべきだ。でも……これを誰かに押し付けるようになったら、それこそ良くないことになる。いや……違うな。そうだろ、ハピネ」
「そうね、お父様に相談しましょう」
ここで勝手に決めるほど、事態は切迫していない。
少なくとも、今のバトラブの当主はとても信頼できる人だ。
結論を急ぐ必要は何処にもなく、帰ってから相談してもいい。
そして今の自分がそうであるように、未来の重さに耐える覚悟を持った時力、星血を宿す者もあらわれる可能性がある。
ならば、この成果を持ち帰るべきだった。
「相談か……考えたこともないことだ」
いっそ、狂戦士として、凶憑きとして、悪血を沸騰させればこんな気分は吹き飛ぶのかもしれない。そうなれば、そのまま不愉快な里を滅ぼせるかもしれない。
しかし、今更そんなことをする気分にはなれなかった。それは自制でも自重でもなく、自嘲や消沈によるものだった。
つまりは、拒絶することにも疲れ果てた旧知の老人を目の当たりにして、どれだけ自分が迷惑をかけていたのかを理解していた。
「私は……取り返しのつかないことをしたのだな」
一言で言えば、そうなのだろう。
もはや帰る場所などどこにもない。少なくとも、それを哀しいと思うほどには、今の彼女は理性的であった。
暴力の衝動に身を委ねていた以前なら、考えられないことだった。冷えた頭で周囲を見れば、つくづく世界は狭苦しい。
「……サイガ、私は故郷を捨てた、故郷も私を捨てた。それがお互いの……いいや、里の為なんだろう」
テンペラの里は、彼女には小さすぎた。それは、とても後ろ向きな意味で真実だった。
既に牙を失っていた里は、彼女の様な『本物』を受け入れることができず、忘却という形でしか拒絶できなかった。
「情けないことに粗暴が極まってこうなったにもかかわらず、あの四人に報いるために何ができるか考えたら……彼女達がまた誇れるほどに、強くなるという事しか思いつかないんだ」
自分についてきた少女たち四人は、里で肩身の狭い思いをしながら残ることになった。
それは彼女達が強くなるために、指導を受ける必要があったからだ。彼女達が強くなることで、この秘伝書もより意味を持つのだろう。
だが、彼女達に里での安寧を失わせてしまったことも事実なのだ。
ラン自身は仕方がない、先日まで自分の衝動を抑える術を持たなかったのだから。
しかし、あの四人は違う。如何に彼女達が望んだことと言っても、道を誤らせたのはランだった。
だとすれば、彼女達に語った甘い夢を現実に近づけることでしか、報いることができそうにない。
「なあ……教えてくれ、サイガ。そうなったら……あの四人はまた私に憧れてくれるだろうか」
それしかできない。それしか思い浮かばない。
もしもそれで満足してくれなかったら、その時自分はどうすればいいのだろうか。
頭が冷えて尚、戦うことしかできない自分には、それしかできないというのに。
「私についてきたことを、後悔したりしないだろうか……」
祭我の手を、ランは弱弱しく握っていた。それを、祭我は強く握り返していた。
「わからない、でも一緒に頑張るよ。その夢が叶うように、俺も協力する。それが俺の為でもあるから。だから……もしも四人が満足してくれなかったら、その時は一緒に考えよう。どうすれば、あの四人に報いることができるのかを」
ランは今でも強い。
だが、それでも勝てない相手が何人もいる。
その数人を倒すことを諦めない。それが彼女の姿勢だった。
そうあることが、里で肩身の狭い思いをしている四人の心酔した、最強の女のあるべき姿だった。
「ああ~~ごほん! そのなんだ、サイガよ。私の夫になる男よ」
何やらいい雰囲気になっていた二人を、スナエは止めていた。どうにも、この二人の距離感が近くてこまる。
「修行不足を痛感していたのは、私も同じだ。今更ランを殺すつもりはないが、それでも王気を宿す者として、ランに勝てなくなったままというのは良くないと思っている。サンスイも言っていたが、私もランを生かしたものとして取るべき責任があり、それを果たす努力をするべきだ」
山水は言っていた。ランを殺さなかったことで、スナエにケガをさせてしまったと。
それはそれで真実だったが、スナエ自身もランを殺さずに済ませたことは事実だった。
今後彼女が暴走した時、止められないのは王気を宿す者として失格だった。
ランが強くなったのであれば、スナエも強くならねばならなかった。また暴れ出した時、自分の力で止められるように。
「兄が影降ろしをこの国に教える対価として、法術使いを私の故郷に連れていくことは知っているな? その際に同行するつもりだから、お前にもついてきてほしい。結婚相手として紹介する」
「な、なんですって?!」
ハピネが慌てるが、実際の所止めるのは難しい。
少なくとも祭我は彼女にも憎からぬ感情を抱いており、ハピネにもツガーにもある程度家へ挨拶をしている。
今回ランに対してそれをしたということは、遠出をするとしてもスナエに同じことをするのは当然だろう。
「今兄上の修行も一定の段階に達しようとしている。それが済めば、故郷へ帰ることにもなるだろう。それに……兄も兄で、ドゥーウェに関して報告するだろうしな」
少々気まずそうに、スナエはそう締めていた。どうやら、色々と思うところがあるらしい。
マジャン=トオン、彼の帰国と婚約相手の紹介が、マジャン王国にどれだけの物をもたらすのか、正直想像できた。
「おそらく、阿鼻叫喚の地獄絵図と化すだろう。それに、あの女は自分の持ち物を誇示する気質もあるからな。下手をすれば同行をしかねん」
マジャン王国に関しては、この場の面々は詳しく知らない。
しかし、トオンとドゥーウェに関しては良く知っている。
「……今から不安になってきたな。正直、私の報告の方が軽くすまされそうだぞ」
凶憑きと戦い、勝利したにもかかわらず殺さなかったこと。
勝手に婚約を決め、神降ろしを他所の国の人間に教えたこと。
それらがどうでも良くなるような混乱が、これから先待っているのかもしれない。