談合
星血を代々宿す亀甲拳の使い手たち。
未来を予知し、過去を知る。それを拳法に活かしてきた彼らは、拳法以外の面でも未来予知を可能にしていた。
白く染まった髪を伸ばしたままにしている老人、亀甲拳の長は見たくないものも予知していた。
「大変申し上げにくいのですが……ランが帰ってきます」
その一族の家長が里の各家の長を集めて、そうした報告を苦悶と共にしていた。
それを聞いて、集められた彼らが全員苦悶したとしても、それは当然と言っていい。
この場に集った各流派、各家の主たちは、拳法だけを誇りとして生きてきていた。
悠久の時を越えて受け継がれてきた拳法、その使い手として強さを矜持としていた。
それを、偶々偶然生まれてきただけの子供に、拳法もへったくれもない滅茶苦茶な動きをする少女に、圧倒されて叩きのめされてしまった。
もちろん、彼らも人間であり領主というわけでもない。普段は自分が食べる分を維持するために野良仕事に精をだしているし、山水やスイボクのように朝から晩まで素振りだけをして生きているわけでもない。
千年以上の歴史を持つと言っても、別に千年生きている仙人がいるというわけでもない。
しかし、それでも『拳法』という確かな力を信じて、彼らは今日まで生きてきたのだ。
それを、全員、全部、ただの天才に打ち砕かれたのだ。正直に言えば、彼女が出て行って安心した家ばかりである。
追手を差し向けて殺そうなどとは、夢にも思っていなかった。
なかったことにして忘れたい。それが里全体の総意だった。
「私の予知は絶対ではありませんが……確実にこちらへ帰ってきます」
当たり前だが、星血による予知は変わるものと変わらないものがある。
例えば明日雨が降るという予知は確実にそのままである。それこそ、仙術やヴァジュラを用いない限り、予知したところで結果は変わらない、変えられないからだ。
逆に、山水と祭我が戦った時の様に、人間の行動の様なものは観測することによって大きく変わってしまう。
予知を見て予知能力者が行動を変えれば、それを見て相手がまた別の動作をするからだ。
つまり、予知能力者が予知を元に行動することで、未来は変わる。という当たり前すぎることが亀甲拳の基本である。
そして、直接的な攻撃力や防御力に一切影響を及ぼさない『拳法』だからこそ、余り強いとはされていなかった。
しかし、こういう時は確実なものだと思われていた。つまり、あの怪物が帰ってくるのだと誰もが意気消沈していたのだ。
「どうする」
誰かがそう言った。誰もが黙っていた。
そもそも、山水やスナエに負けるまでのランがそう言っていたように、里の誰もが彼女に及ばず、総がかりでも倒すことはできなかった。
猿山の大将と言えばそうかもしれないが、結局のところテンペラの里では彼女は絶対無敵にして人畜を脅かす害獣だったのである。
それが、分家の娘を率いて去っていった。なのに帰ってくる。もはや気力が持つわけもない。
「しかも五人だけではなく、里の外の者も含めて、です。加えて……その中にはエッケザックスの所有者もいます」
ざわり、と集められた家長たちは更に困惑していた。
家長たち自身、余り信じていないことではあったのだが、千年以上前にこの里を単独で壊滅させた『個人』がおり、その彼は神剣エッケザックスを持っていたという。
そんな馬鹿な話があるか、と誰もが信じていなかったが、奇しくもランの誕生によってそれは絵空事ではないのだと思い知っていた。
つまり、テンペラの里を二回壊滅させて余りある戦力がこちらに向かってくるということである。
「皆さん、如何しましょうか」
「どうするったってお前……」
この里はぬるま湯だ、ランはそう言っていた。それはそれで、間違いではない。
スイボクは言っていた、最強とは目標であり、何かを目指して達成できればそれで十分だと。
この里の人間たちは、当然拳法が使える。それを拠り所にしてもいる。ただの事実として、とても強い。
しかし、必死ではない。ランの様に、外の世界で自分を試したいとは思っていない。
この閉ざされた里の中で、気心の知れた相手とほどほどに競い合い、子供に引き継ぎ、師である父を敬う。そういう生活をするだけで十分楽しい。
それを壊した彼女を、今更受け入れる気にはならなかった。
かと言って、ではどうすればいいのかという話になる。迎撃する、拒絶する、そんなことをすればどうなるのかなど、むしろこの里にいる人間の方が嫌というほど知っている。
「一つ救いがあるとすれば、彼女は外の世界で狂気を抑える術を学んだということです。少なくとも、敵対的な対応を控えれば暴れ出すことはないでしょう」
外の世界には、彼女でも倒せない相手がいる。
このテンペラの総力を越える力が存在し、彼女を殺さずに抑えることができる。
その事実を受けて、各家の家長たちは何とも言えない顔をしていた。
それを喜ぶ一方で、喜んではいけないのだと思っていたからだ。
「私は……彼らを迎えるべきだと思います。少なくとも、戦うべきではない」
悔い改めたからと言って、今更優しく受け入れるべきだ、とまでは言わない。
とにかく相手に話が通じる以上、話をするべきだと言っている。
もちろん、今更彼女に対して戦う気骨が、この場の面々に残っているわけではないのだが。
「それはいいけどよ……あってどうするんだ? 今更何しに来たんだ?」
「それはわかりません。そうしたことは、今の時点では予知できないのです」
予知によって変化しうることは逆に予知しにくい。
少なくとも、実際に行動が起きる三日前の時点で、何もかもを見通すことはできない。
こちらの対応で彼らの反応が変わる、という証明でもある。
「少なくとも、エッケザックスの所有者が以前に現れた時の様な事にはならないでしょう」
なんとも最悪なことに、こちらがどう対応しても絶対に態度を変えない相手がくる、という場合は逆に予知の精度は非常に高いのだ。
今回はそうした最悪は発生しない。皆にそう伝えて、亀甲拳の家長はなんとかなだめようとした。
「そうは言っても、なあ?」
「ああ……なんていうかなあ」
もしも何かの間違いや奇跡でも起こって、彼女達が謝罪しに来たとしても、正直顔だって合わせたくない。
ランを含めて五人全員の事を忘れて、なかったことにしたい。
怖気づいていると言われればそうだが、実際それだけ忌避の対象だったのだ、ランに関しては。
「仕方ありませんな……ではこの一件に関しては私が全て引き受けましょう。その代わり、ランについていった四人に関しても、私の裁量に任せていただけますね?」
どうせこうなるだろうと、予知するまでもなく亀甲拳の当主は見抜いていた。
事実として、彼の言葉に対して他の誰もが沈黙し、消極的な賛成を示していたのだから、その慧眼は正しかったと言える。