公衆
「それでは、今までの試合を解説させていただきます」
前代未聞極まりない、狂戦士を招いた公開試合。それを見た観客たちは、冷や汗を拭いながら息を整えていた。
どうやら、狂戦士が実際に俊敏な姿を見て、珍しいもの見たさは満足したらしい。
その一方で、その狂戦士をあしらった俺に対して畏怖を抱いている。
まあ、首を並べて残虐性をアピールするよりはマシだと思いたい。
「まずは、なぜ彼女が走り回るのをやめたところから」
俺はコロッセオの観客たちに説明を始めていた。
俺の指導を受けている面々も一緒なので、一石二鳥である。
「観客席の皆さんも、後ほど実際に試していただきたいのですが、立っているままに拳を突き出しても、強く相手を叩くことはできません。肩と肘だけを動かしても、それは強く相手を打てません。それどころか、相手を押すことで逆に後ろへ押されるでしょう」
当たり前だが、腕の力だけで相手を攻撃しても、あんまり強い打撃にはならない。
これは剣を使った場合も同じことで、座ったままでも立ったままでも、腕だけ動かして攻撃しても意味がない。
「これは、腕の力だけで相手を叩いていることもそうなのですが、はっきり言えば腕の重さだけしか使えていないからです。皆さんでも重いものを押すときは、直立したまま腕だけで押すのではなく、自分の体重を押す物に預けて力を込めるでしょう。拳で殴るという行為も、剣で斬るという行為も、自分の体重を上手く使った方が威力が増すのです」
なんか、とんでもなく基本的な解説が始まったので、誰もが逆に驚いている。
そりゃあそうかも知れないけど、だからなんだよ、という感じだった。
そういう基本的な所から話をはじめないと、伝わらないものは伝わらないのだ。
「しかし、これは当然不安定になることを意味しています。例えば重いものを押している時に、その重いものがいきなり壊れたり予想外に動いてしまうと、人間は簡単に転がります」
体重を使う、ということは体が不安定になるという事。
端的に言えば、相手の方向へ体勢を傾けているということである。
「もちろん、体幹を鍛えればある程度姿勢の変化に対応はできます。ですが、それでも限度はあります。変な話ではありますが、殴るにせよ斬るにせよ、過度に相手へ体重を委ねるのは危険です」
ランは常に全体重を込めながら突っ込むように打っていた。
確かに威力はあるだろうが、俺を殺すとしてもあそこまでの力は必要ないと思われる。
「そして、それは攻撃に限りません。話は大分変りますが、観客の皆さまは『走る』と『歩く』の違いをご存知ですか?」
本当にコロコロ話が変わるので申し訳ないが、素人ゆえに許していただきたい。
「答えは単純です、左右どちらかの足が常に地についていれば『歩く』双方の足が浮いている瞬間があればそれは『走る』です。そして……歩いている人間と走っている人間なら、走っている人間の方が転ばせやすい」
もっと言うと、転んだ場合酷いことになりやすい。
全力疾走している人間が何かの拍子で転べば、片膝をつく程度では収まらない怪我をすることもあるだろう。
もちろん、ランは前回り受け身などによって体が止まることを避けていたが。
「私は彼女の動きを目で追えていました。なので、私は彼女の『歩幅』もわかった。それはつまり、彼女の攻撃のタイミングがほぼ読めるという事」
俺は一人で走り幅跳びをした。
あえて普通の人間にも見える速度で動いて、大きく飛んで見せた。
「主導権を握っている時、彼女の攻撃は常に完璧でした。それはつまり、攻撃の前段階も完璧だったという事。つまり、彼女は私の視界から消えることができれば必ず……完璧な攻撃を行うための、完璧な予備動作を行い、完璧な予備動作を行うための事前準備を行うという事」
完璧な予備動作。それはつまり、何度やっても同じ行動になるという事。
どこをどう狙おうと、その攻撃の直前には、直前の更に直前には完璧な準備が行われる。
俺が何度も走り幅跳びをしたことで、コロッセオの中の誰もが理解していく。
そう、走り幅跳びを始める助走も、走り始めと飛ぶ直前ではまるで違うのだ。
「いくら彼女が超人でも、狂戦士でも、ただ身体能力が高いだけ。走っている限り、走りながら戦う限り、地に足が付いていない一瞬がある限り、絶対に動きを変えることができない一瞬がある」
もちろん、口で言うのは簡単だが、彼女の速度域を完璧に認識したうえで、一度も失敗することは許されない。
一度でも失敗するのなら、天才の彼女はその失敗を確実に狙うだろう。
「だからこそ、私はその機をとらえることができる。それを直感的に理解した彼女は、腰を据えて戦うことを覚えた。ある程度近づいてから構えれば、私は彼女から機を読み取ることは難しくなる」
俺は、走り幅跳びと同じ助走から拳を撃つ。
その後で、立ったままの状態から拳を撃つ。
その二度で、観客たちもなんとなく理解してくれていた。
「そして、彼女は足を止めた状態から攻撃することもできた。私が縮地で移動することができても、彼女の反射神経なら移動した後を狙うこともできた。私の縮地は、一瞬で遠くへ移動する技。移動した後で攻撃の動作をしなければ、彼女へ攻撃を当てることはできない」
一度、短い距離を縮地で移動した後、あえてゆっくりとした動きで拳を撃つ。
遠くへ移動できることと、早く動けることは違う。彼女の方が俺よりも早く動けるのは、ある意味当然だった。
「理屈で言えば、彼女は待つべきでした。私の攻撃である発勁は、相手に触れさえすれば攻撃として成立するのですが、それでもやはり、動かなければ攻撃にならない。私の手が届くところは、彼女の手が届くところでもある。私が攻撃しようとするその一瞬を待てば、彼女は私に致命的な一撃を当てることもできた。彼女はそう思ったはずです」
これで自分は勝てるはずだと思っていたはずだ。
彼女は動作を完璧にこなすことができる。
背後だろうと頭上だろうと、瞬時に即座に反応して対処できたはずだ。
「問題は、彼女が狂戦士であり、常に興奮状態だという事。彼女は初めてこなすことでも完璧に行える、できないことなど人生では一度もなかったはず。実際、動作そのものは完璧でした。問題は、待つという行動そのものです。ある意味では、こちらに主導権を渡す行為が、どうしてもできなかった」
俺は木刀を手に持った。
それだけで、観客席全体に動揺が走っていた。
「この木刀は、ただの木刀です。しかし、この木刀でも当然、人を殺すには十分。そういう意味では、真剣と何も変わりません。ですが、人は心が乱れる。相手が鉄の剣をもっているというだけで、木刀を持っている相手よりも委縮してしまう」
まあ、だからこそ怖いもの知らずが強いということはあるのだが。
だが、怖いもの知らずだからこその弱点もある。
「もちろん、彼女は委縮などしません。興奮状態にある彼女は、私が何を持っていたとしても怯みはしない。問題は、彼女が待ちに徹さざるを得なくなった時。興奮状態にある人間が、相手を前にして『待つ』。それがどれほど難しいのか、それこそ誰にでもわかることでしょう」
待つ、という行為は大抵苦痛を伴う。
相手が今目の前にいるからこそ、短い時間だからこそ、苦痛に感じることもある。
「彼女は自分を抑えていた。今にも飛び出しそうになる自分を、なんとか抑えようとしていた。つまり、体をこわばらせていた。おそらく彼女は人生で初めて、意に沿わない行動をせざるを得なかった」
始めてやることを、人間は上手くできない。
同様に、好きでもないことをやろうとすると変に力が入ってしまうか、逆に抜けてしまうのだ。
「彼女は狂戦士だった、だからこそ恐怖を知らなかったが、抑制も知らなかった。もっと言えば、自分を抑制することが難しく、抑制に大きな労力を要するのです」
平たく言えば、彼女は待つのが苦手なのだ。
そうしなければならないと自分で強く思っても、どうしても堪えることができない。
そうする必要がなかったからこそ、慣れていないのだ。
「戦闘に限らず、体を最善に動かすには余計な力は込めてはいけない。強く意識しすぎると、どうしても体に余計な力が入ってしまう。彼女は待つ、ということができなかった。待つために、強く待たねばならないと、体をがちがちに緊張させてしまった。そんな状態で何をしようとしても、上手くいきません」
自由自在とは、なんでもできるという事。
つまり、攻撃したいと思っている時点で、守勢に回ったとき一気に崩れてしまう。
必要な時に必要な事ができることが強いのであって、攻撃しか出来ない彼女は、狂戦士であることに囚われている。
「我慢しなければならない、と思っている時点で未熟なのです。心の中で何かを思うとしても、それは行動に現れてはいけない。だからこそ、彼女は私の行動を見切ることができなかった」
俺は感情を制御している。
だからこそ、彼女は俺の行動を先読みできなかった。
「私の移動技である縮地には、予備動作がありません。ですが、予備動作がなくなったとしても精神的に殺気のようなものが漏れることもあるでしょう。彼女はそれを、狂戦士ゆえに感じ取ることもできる。ですが私にそれはない。私は彼女を殺す気がありましたが、一般的な意味での殺意が漏れ出ることはない。そこまで未熟ではありません」
心技体が極まるとはこういうことだ、極論すれば勇気さえ不要なのだ。
心が体と技の邪魔をする。だからこそ、心は透明に保たねばならない。
ねばならない、と思っている時点で未熟なのだが。
それはそれで強張りを生むので、自然にそれができなければならない。
自然体として、それを維持できるようにならなければならない。
自然体になる、自然体であり続ける。それが難しいのだ。
「彼女は意を発してから動き出し、私は意を発さずに動き出せる。それが私と彼女の差であり、どうしても生じてしまう遅れです。それを彼女が凌駕できない限り……私と戦う事さえ到達できないでしょう」
学園長が何故公衆の前で俺と彼女を戦わせたのか。それは極めて単純に、俺なら彼女を抑えられると証明したかったからだろう。
癇癪を起こして暴れ出したら、その時はどうするつもりだったのだろうか。
この学園も、バトラブも、ソペードも迷惑だったと思うのだが。
その辺り、信頼されすぎているように思える。
「ですが、もしもその一点を克服できたならば……彼女はこれまでの如何なる狂戦士よりも強大な戦士になるでしょう。それはもはや、狂戦士とは呼べないでしょうが」
彼女は自分の不自由さを認識した。
ここから先は、それこそ彼女次第だろう。
とはいえ、彼女にそこまでの価値があるとは思えないが。
それは、俺が仙人であり、未来よりも現在を重く見ているからでしかあるまい。
「そして、狂戦士に限らず……戦士にさえ限らないことですが、練習したことがそのまま実戦で行えなければ、それは修行が足りないと言えます。相手が初めて見る術理の相手だろうと、恵まれた資質を持とうと、怨敵だろうと無関係だろうが、振るう『剣』に乱れがあってはいけません。修行の一振り目も最後の一振りも同じものであり、実戦で戦う一人目も最後の一人も、同じように斬れなければならない。それを目指すことが、修行なのですから」