挫折
うむむ、熱いなあ、青春しているなあ。正直拍手したくなるほど名演説だった。
ハピネ・バトラブはテンペラの里から出てきたという少女たちを説得していた。
確かに興奮している彼女を諭すなら、同胞の協力も必要だろう。彼女が疲れて寝ている間に外堀を埋めるのは正しい判断だった。
「ぷふふふ」
その一方で、お嬢様の邪悪な笑みが不安を誘う。
格下に見ているハピネが更に格下の田舎者に同情しているところが、愉快で愉快でたまらないのだろう。
「私、負けたことないからあの子の気持ちがさっぱりわからないの、残念だわ、共感できないわ」
俺の隣にいるブロワも嫌気がさしている顔をしていた。
確かに俺もブロワも殆ど負けたことがない。というか、護衛の俺達が負けたらお嬢様生きてない。
だから負けられるわけではないのだが、その辺りの理由があってお嬢様は本当に、その辺りの挫折がないのだ。
今彼女達が味わっている挫折からの共感を、完全に他人事だと思っている。
負け犬が傷をなめ合っているのだと見下していらっしゃる……。
「大体どっかの里で引きこもっていた連中が強いわけがないじゃない」
お嬢様、俺はどっかの森で引きこもっていたのですが、それはどうなのでしょうか。
とはいえ、悪意を抜きにしても、あながち間違いでもないように思える。
少なからず、彼女が里で無敵だったのは、里が閉鎖的で安定していたからだ。
良く言えば技術が発達して多くの者に普及し、悪く言えば競技化や形骸化が進み誰もが同じ動きをするようになったのだ。
彼女の強みが異常な反射神経と集中力によるものなら、同じ流派の相手を何人相手取っても同じように倒せるのだろう。
言い方は悪いのだが、彼女たちの里は長く安定して平和だったのだ。おそらく武術をしているといってもそれだけで、戦争を意識したことはあるまい。
まあ、それを含めても彼女は異常に強いのだが。
「だいたい、そこまでして生かす価値があったのかしら。サンスイ、その辺りはどうなの?」
「ランという狂戦士は頭抜けていますが、他の面々は普通ですね」
ランの取り巻きである四人は、希少魔法、あるいは拳法の使い手としてそこまでではなかった。
おそらく、選りすぐりでもなんでもなく、彼女の強さに心酔しただけの子供なのだろう。
「狂戦士……伝説に語られるほどの化け物と聞くけど、トオンの妹でも勝てたのよね? じゃあ精々粛清隊や親衛隊程度かしら?」
「いいえ、それより数段上ですね。親衛隊と粛清隊、その全員を相手取って相打ちになる程度には強いです」
俺の評価を聞いて、流石にお嬢様もブロワも蒼白になっていた。
そりゃあそうだ、俺があしらいスナエにさえ負けたのだ、そこまで脅威に思われなくても仕方がない。
「彼女の強みは、俊敏性と反射神経による回避力です。聖騎士の様に法術で身を固めるか、神降ろしで肉体強度の底上げをしない限り、武装した程度の人間では耐えられません」
どうやら再生能力を持っているようだが、『魔法』の直撃から即復帰できるほどの無茶苦茶さではあるまい。
つまり、当てれば倒せるが、当てることができない。
単純に速度が上がっているだけではなく、その速度を制御する反射神経も向上しているのだ。
彼女自身よりも速い雷や熱も、狙う人間が並みの反射神経では命中させることができまい。
確かに、歩兵相手にはほぼ無敵だろう。
神降ろし以外では、数で押して力尽きさせるしかない。
法術使いは耐えられるが、攻撃手段が限られるからな。
「とはいえ、まだまだ粗削り。彼女が自分を制御できるようになれば、飛躍的に強くなれるでしょう」
彼女に必要なのは、自制心だ。それを養うことができれば、おそらく俺や祭我以外では太刀打ちできなくなるだろう。
神降ろしの集団でさえも、地に倒れ伏すに違いない。攻撃力が上がるわけではないから、法術使いは流石に無理だが。
元々強すぎる悪血を宿す彼女だ、制御できれば更に強くなって当然であろう。
「それはつまり……サンスイ、お前と同じ領域になるという事か?」
「それは流石にないぞ、ブロワ。俺が言うのもどうかと思うが、そこまでは無理だ」
理屈の上では追い付いてくるが、それはあくまでも理屈でしかない。
自分で言うのもどうかと思うが、そう簡単に修行が『成る』わけがないのだ。
「ただ、一つ抜けた実力者になるだろう。それは確約する」
まあ、飛んでいる敵に反撃できるか、という問題は付いて回るだろう。
それは俺も苦手なので、余り強く言えないが。
「切り札に準ずる実力者……バトラブに新しい戦力が……。ま、まあ私には貴方たち二人がいるからいいけど」
まあ、その辺りを言い出したら、俺の師匠なんて切り札全員を相手にしても勝てるレベルだと思います。ディスイヤの方はよく知らんが、たぶん師匠なら倒せそうだ。
俺の場合派手な技が使えないが、師匠の方は派手な技を使わないだけで使えるのだ。その辺りの差も、とても大きいだろう。
「ただそれも、彼女次第ですね。彼女がもしも友からの言葉も聞かずに暴走するようなら……お嬢様の判断によるところでしょう」
防御力そのものはそれほどでもないため、俺にとっては比較的容易な相手だった。
言い方は悪いが、今の彼女では俺に届くことはあり得ないのだ。
「……貴方がそこまで言うのなら、私も積極的な命令を出す気はないわ。あくまでも、消極的な対処に留めなさい」
暴れるなら殺せ、という命令はソペードらしからぬご命令である。
とはいえ、流石にバトラブとしての判断をしたハピネに対しては、それなりに配慮しているのだろう。
それを強者の余裕と取るべきか、それとも貴族としての常識的な判断か。
少なくともお嬢様は、ランという少女を『殺してもいい相手』から『警戒が必要な相手』という方向へ変化させていたのだ。
うむうむ、その辺りは間違えない。お嬢様の一線ということだろう。
「それにしてもテンペラの里……そんな里があって、そこを貴方のお師匠が壊滅させたことがあるなんて、不思議なものね」
それに関しては全面的に同意である。
この間も、八種神宝のうち七つに遭遇したが、全員が師匠を知っていたからな。
千年引きこもっていた師匠が放浪していた時の残滓が、この世界に結構残っているのだなあ。
「二千年前の話ですからね、彼らの名が知られていないのも当然でしょう。私が生まれる千五百年前の話ですから、想像もできない年月です」
「……そうね、そうだったわね」
お嬢様が少し引いて、やや羨んでいる。
確かに不老長寿ってそう思われるものだし、仕方がないのだろう。
※
結局、その日はランが目を覚ますことはなかった。
おそらく、生まれて初めてすべての力を使い果たした彼女は、丸々一晩寝ていたのである。
「う……う……」
そして、目を覚ましても中々起き上がらなかった。
他の四人に支えられて、何とか起き上がった次第である。
彼女の気配はとても弱弱しく、見ていて痛ましいほどだった。
「はら、へった……」
失った肉体を修復するために大量の栄養を使用したらしく、燃えたつ銀色の髪が失われたままの彼女は空腹を訴えていた。
もう何をしに来たのかわからないほど、彼女はここにきて散々である。
「うめえ、うめえ」
最初は仲間に匙を持ってもらい、スープにパンを溶かしたものを食っていた。
それがだんだん活力が戻り、自分で食い始めると、肉や魚を要求し始めた。
暴れた時のために俺と祭我が彼女を見守っているが、凄い食べっぷりである。
学園長先生は大盤振る舞いしているが、確かに見ていて気持ちよくなる食べっぷりだった。
「んんっ!」
のどに詰まりそうになりながらも、なんとか平らげると一息ついた。
彼女にしてみれば、栄養枯渇状態から復帰するために必死だったのだろう。
「悪血が少し減ったな……食事を活力に変えるために消費したと見える」
「そんなこともわかるの?!」
学園長先生の視線が熱い。
しかし、気配を感じるに彼女は無意識で狂戦士としての力を発揮していた。
物にもよるが、食事によっては消化に体力を使うこともある。だから消化に良いスープとパンを食べさせていたのだ。
しかし、その栄養によって力を取り戻した彼女は自分に食事をするための体力を取り戻させたのだろう。
呆れるほどの生命力である。
「とにかく、今の彼女はまだ悪血の回復が追いついていません。髪を見れば一目瞭然だとは思いますが、今の彼女は誰でも取り押さえることができます」
「な、なんだと?! どういうことだ……な、髪が?!」
長い自分の髪を、今更確認するラン。
その所作には、どう猛さはない。ただ戸惑っているだけだ。
そんなことは、気配を感じなくてもわかる。
「エッケザックスから説明を受けているように、貴女は無意識に『魔法』を発動させ続けていた。それの根源だった悪血が尽きたことで、強化状態の証明だった髪の色が『戻っている』んですよ」
もちろん、本人にしてみればずっとその色だったので、戻ったという認識はないのだろうが。
「それが証拠に、普段よりも力が入らないでしょう」
「これはまだ本調子じゃないからだ!」
「まあそれはそれであっていると思いますが……」
もちろん、一晩寝たことでかなり回復しているとは思う。しかし、昨日ほどの生命力は感じられない。
少なくとも、あふれ出るほどには吹き上がっていなかった。
「私は、弱ってなどいない! 見ていろ!」
んん! と、顔を真っ赤にして力を込める。
ただ力んでいるだけにも見えるが、『魔法』の種類が単純な活性化だけに、正しく発動しようとしている。
周囲は戸惑っているが、俺が静観していることで安堵もしている。依存ともいう。
まあ俺なら抑えられるという確信もあるのだろう。
「はあああああ!」
長い頭髪の根元から、燃え広がるように銀色へ染まっていく。
それはつまり、彼女が自らを強化しているということだろう。
しかしそれは、今の彼女には更なる消耗をしているに等しい。
「……!」
当然の様に、彼女は力尽きた。椅子に座ったまま、机に突っ伏した。
そして、髪の色も戻っていく。強化を仕切れずに終わったのだ。
「わ、私は……私は……ここまでなのか?」
それは、弱気だった。
もはや強者ではないのか、という困惑であり、失意だった。
人生初めての挫折であろう。
「青春だなあ……」
考えてみれば、俺の人生に挫折ってあっただろうか。
ずっと修行漬けだったし、負けたことないし、大切な誰かを失ったこともない。
そのあたり、想像はできるが共感はしにくい。
「ラン……大丈夫?」
「もうちょっと休まないと」
「そうだよ、意識ははっきりしてる?」
「なんで寝てたのか、憶えてる?!」
中々凄惨な戦闘だったと聞いている。
レインが見て居なくてよかったと思えるような、鬼と獣の一騎打ちだったのだろう。
「……もっと、もっと飯を……」
尋常じゃない消化吸収能力だな、素直に凄いと思うぞ。
お腹からまた音が鳴った。また空腹になったらしい。
というか、トイレにもいきたそうにしている。
「新陳代謝を活発にする効果もあるのか、狂戦士には」
なんか寿命とか短そうだな、狂戦士。
三十かそこらで天寿を全うしそうなほど生き急いでいるように見える。
「あらあら……それじゃあもっともってくるわねえ」
学園長先生、ランがたいそうよく食べるので大喜びである。
とはいえ、ランは同郷の少女たちに支えられているので、余裕など欠片もないのだが。
まあ、食欲があるのに不健康ということもあるまい。
「今のが、悪血の起動か……」
一方で、祭我は彼女が力んだところを見ていた。
実際に悪血を昂らせるところを見たことで、なにか感づくものがあったらしい。
後で練習するつもりだろう。多分、数度練習すれば勘はつかめるはずだ。
問題は、彼女に自分を制御させる気を起こさせることなのだが。
「今の貴女は弱り切っている、しばらく休息が必要でしょう」
「くそ……」
「疲労や失意、陰鬱な気分になることも人生の初体験でしょうが……その上でよく聞くことです」
こう言っては何だが、きっと彼女の人生でいくらでも言われたことなのだろう。
自分でも、正直言ってて彼女に伝わる自信がない。
「貴女は昨日、私と戦い敗れ、スナエ様とも戦い敗れました。そのことは忘れていないでしょう」
「……」
「貴女は強い。この地に訪れて急激に弱くなったというわけではなく、ただ及ばぬ相手が現れただけ。今の貴女が何度挑んでも、私にもスナエ様にも勝てないでしょう」
激高はなく、反論もない。
ただ静かに、自分に何が足りないのかを聞こうとしていた。
「貴女に欠如しているもの。それは……」
「それは?」
「待つ心、自分を抑える心です」
その言葉を聞いて、テンペラの里の五人は目を見開いていた。
そりゃそうだ、全員言われていたに違いない。
「とはいえ、それの何が強さにつながるのか、今の貴女には理解できないでしょう。勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなしとは言いますが、負けた原因がわからないことはあるものです」
というか、ぶっちゃけ俺の場合は彼女を初手で失神させたからな。
俺が何をしたのか、彼女にはまるで分らなかっただろう。そう戦ったからな。
つまり、自制心はあんまり関係ない。うん、俺の修行が足りないな。もっと修行しよう。
「ですが、今待つ心を養わなければ、立ち上がることもできないことは事実。苛立ちを拭うためにも戦いたい気持ちはわかりますが、今は同郷の四人と共に体力の回復に努めてください。」
「今まで、里の連中はずっと私に我慢しろと言ってきた。それは私の強さを前にして、奴らこそが耐えられなかったからじゃないのか?」
「それもあると思いますよ。貴女は強く、余人には抑えることが難しい。ですから貴女に自分で押さえて欲しいと思っていたはずです」
「だったら、そんな弱い連中に合わせる必要はない筈だ!」
それも一理ある。なぜ人は強くなりたいのか、その根源に彼女は触れているのだ。
「好きに生きたい、好きに戦いたい。それもまた強き者の特権でしょう。ですが、このまま負けて無様を晒すことを、貴女が覚悟しているとも思えない」
彼女はまだ、恐怖を知らない。
俺と戦う前の、俺の生徒たちと何も変わらない。
自分の意のままにならぬことがこの世にあるとは、思えないし我慢できない。
ただ彼女の場合、我慢することがヒトよりも難しいのだ。
「貴女が自制心を覚えれば、少なくともスナエ様には勝てるようになるでしょう」
「……お前には、勝てるのか?」
「その難しさは、貴女が自制心を学ぼうと思えばわかります」