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意味

 楽しい体験だった。


 ランにとって、目の前のすべてがとるに足りない存在だった。

 彼女にとって、目の前で行われている戦闘のすべてが止まって見えていた。

 凶憑きである彼女は、目の前の彼らの試合が、なぜ成立するのかわからなかった。


 なぜ、あの時ああ動くのか。なぜ、こう動けばいいのにそうしないのか。なぜ、あの動きに気付かないのか。

 修行して到達したわけではなく、生まれながらにそうだった。だからこそ、彼女は他人と価値観を共有できなかった。

 彼女は特別だった。数千年間行われてきた、隠れ里の中で鍛えられてきたいくつもの拳法が通じなかった。

 そして、誰もが彼女を恐れた。偶々偶然、神の意志によって生まれたような存在によって、自分達の鍛錬のすべてが否定されたのだから。


 彼女は外を求めた。新しい刺激を求めて、広い世界へ駆け出していたのだ。そして、その先でこんなうわさを聞いた。

 アルカナ王国には、とんでもなく強い男がいるらしい。

 彼女は、世界の広さを思い知った。

 世界には、自分の拳を叩き込んでも倒れない敵がいる。

 自分を一瞬にして気絶させる敵がいる。

 この世界は素晴らしい、この世界はとても楽しい。


 熱中する彼女は、遂に力尽きる。

 退屈から抜け出すことの代償は、自分が最強であるという自尊心を欠くことになるのだと気づかぬうちに。


 ケガを治せなくなったランは、手配されていた法術使いによって治療されていた。

 燃え尽きた彼女を見て、テンペラの里の四人は愕然としている。確かに世界の広さを知るつもりだった。世界にはまだ見ぬ敵がいると思っていた。

 だとしても、まだ里を出て一年と経過していない。にもかかわらず、早々に底を見せてしまっていた。

 自分達が信じていた者が、脆く崩れ去る。

 千年不敗を謳っていたテンペラの里の武術を蹂躙した彼女さえ、到底及ばないというのか。

 だとすれば、本当に、自分達の先祖はいったい何をしていたというのか。


『なあ、エッケザックス。世界は広いな』


 神の剣は、遥か過去の言葉を思い出していた。

 この広い世界に生まれ、長い時間を生きて、限りなく強くなって。広い筈の世界を歩きつくし、老いて諦めることもできずに、もはや誰とも競えなくなった男を思い出していた。


「我が主よ、ここはスナエの所に行くが良い」

「あ、ああ……」


 神降ろしを使えるものの、未だに巨大な獣になることはできない祭我は、戦闘を終えたスナエに走り寄っていった。


「大丈夫か、スナエ」

「ああ……やはり強敵だった。とはいえ、神降ろしの敵ではないがな」


 もちろん、長い時間巨大な獅子になっていたスナエの疲労は濃かった。

 その体には少なくない痣があり、内出血をしていた。

 その傷に苦しんでいるスナエは素直に祭我にもたれかかり、その好意に甘えていた。


「兄上の手前、負けるわけにはいかなかった」


 神降ろしは最強でなければならない。それは幻想だということはわかっている。アルカナ王国には、自分が勝てない相手が多すぎる。

 だが、神降ろしは最強でなければならない。特に、神降ろしを絶対視しながら、それになれない男の前では。


「どうだ、お前の妻になる女はカッコいいだろう?」

「ああ、嫉妬するぐらいカッコよかった」

「そうか、それはいい気分だな!」


 スナエは祭我に支えられながら、他の法術師の所へ行く。

 全身に打撲を負った彼女は、やはり治療が必要だった。


「むむむ……なんかいい空気ね……でも、割り込みにくいわ」

「まあまあ」


 ハピネとしては面白くない話だ。最近、自分の影が薄いような気がしてならない。


「っていうか、エッケザックス。もしもサイガが戦ったらどうなってたの?」

「ぬ? まあつまらんことになっていたであろうな」


 ただの事実として、神降ろしの肉体よりも法術の壁や鎧の方が頑丈である。それは、魔法を喰らった場合どうなるかを考えれば自然なことだった。

 つまり、エッケザックス云々を抜きにしても法術の鎧で身を守れば、祭我はケガをすることはなかった。だが、神降ろしを公衆の前で使えない縛りがある以上、どう考えても攻め手に欠けていた。

 もちろん占術によって予知できれば相手の動きはわかるのだが、山水が証明したように相手の動きを見てから対応できるものには、その予知に対応しようとした動きを上回られてしまうのだ。

 それに、エッケザックスを奪われるという最悪の事もありえた。彼女は『資格』があるだけに、返す刀でばっさりとやられていた可能性もある。

 もちろん、神降ろしを初歩とはいえ使用できる祭我が、それをエッケザックスで強化すれば、速度域で彼女に完敗するということはないのだが。そして、火の魔法の攻撃力は、凶憑きの再生能力を突破するには余りある。


「無論、我がいる以上負けはないがのう。勝ちもなかろうよ」


 なんだかんだ言って、祭我がスナエに勝てたのは、神降ろしの爪や牙よりも法術の鎧が固く、図体が大きくなって回避力が下がる神降ろしでは火の魔法をよけきれなかったからだ。

 正しい意味で極めて相性が悪かったとしか言えない。


「……そんな」


 極めて分かりやすい敗北だった。誰がどう見ても、完璧な敗北だった。

 スナエの神降ろしが派手であっただけに、テンペラの里の四人は完全に理解してしまっていた。

 これから先、何度戦ってもスナエには勝てないと。

 相手の動きを覚えることによって、ランは圧倒的な強さを誇っていた。

 だが、それはあくまでもテンペラの里でだけの話でしかなく、この世界では絶対無敵でもなんでもないのだった。


「まあ、テンペラの里の拳法では凶憑きに対抗するのは難しかろう。決まった型のある動きではあっさり憶えられるし、そのまま応用で倒せる……はっきり言えば、凶憑きが無敵と思われていたのも、環境のせいであろう」


 凶憑きは弱いのか強いのか。その答えは簡単である。エッケザックスが保証するほどに強い。

 体術を基本にして戦うものには、殊更に強い。ひたすらシンプルに超人である彼女は、正に人間技では対抗が難しい。


「加えて言えば、この場の面々が知っておるように、個人の強さと集団の強さは必ずしも一致するものではない。集団で一人を潰す、というのもあれはアレで訓練がいるものじゃしな」


 この場の近衛兵たちはそれを理解している。

 山水が多くの敵を相手に立ち回りをするが、アレは相手が集められただけの強者であるということで、集団としての強者ではないということ。

 仮に山奥で拳法を習得していた集団がいたとしても、だからこそ逆に、集団で個人を叩く訓練はしていないに違いない。


「凶憑きはテンペラの里では無敵であろう。しかし、その里から出ればその限りではない。それを良しと考えるか悪しと考えるかは……ランとやらではなくお主たち次第じゃな」


 最強の神剣は知っている、最強を求めることの無意味さを。

 復讐の妖刀が予言したように、最強を証明しようとしてしまえば哀しい事しか待っていない。

 世間知らずならばああして地に倒れ、真に最強ならば行き場を失うのだ。


「凶憑きが意識を取り戻せば、また戦いを求めるであろう。もしもサンスイが戻って己の主から殺すように命令されれば、その時は何もかもを諦めるしかあるまい」

「それは困るわ!」


 凶憑きは確かに強い。しかし、山水にとっては敵ではない。

 戦闘を求めるランが今日まで生きてこられたのは、結局のところ自分よりも強い敵と戦わなかったからだ。

 里を出て追いかけた四人が彼女に引かれたのは、その圧倒的な強さに他ならないが、逆に言えばその強さが通じない相手と出会えば、ランは只の乱暴者でしかない。


「何とかならないかしら……」


 それが困るのが学園長だった。

 少なくとも、生きている凶憑きはとても貴重であるし、他の希少魔法の使い手も逃したくないところだった。


「サンスイ君がいれば、いくらでも穏当に抑えられるのよねえ」


 山水はランを一瞬で気絶させることができる。その事実があるということは、彼女が此処で暮しても問題ないということである。

 もちろん、山水への負担は考えないものとする。


「そうは言うけど、あいつはあの我儘娘の腰巾着よ? 殺せって言われたらそれまでじゃない」


 ハピネの言葉を聞いて、祭我は思い出していた。ドゥーウェもソペードの当主も、不当な殺人は命じないと。

 要するに、山水もソペードも、殺していいと判断する一線に関しては価値観を共有しているのだ。

 そして、山水は自分を殺しに来た相手を態々殺すことはないが、ドゥーウェに殺せと命じられればためらうまい。


「そうよねえ……」


 凶憑きは、或いは狂戦士は長生きできない。

 先ほどもそうだったように、自分の限界がわからない彼らは、戦場で戦い続けているうちに力尽きてそのまま死ぬのだ。

 そして、山水が殺そうと思えば確実に死ぬ。その辺り、どうにかならないものだろうか。


「これが……私達の底……」

「これからどうすれば……」

「もう里に帰るの?」

「今更帰れないわ……」


 千年不敗を謳っていた自分達の故郷。

 その力がどれほどなのか、確かめるために彼女たちは世界へ出た。

 その答えが、自分たちはそこそこ強いけどもっと強いのが結構沢山いるという無慈悲なものだった。

 ものすごくしょうもない結論なだけに、彼女たちの失意は大きい。


 確かにランは意識を取り戻し次第、また暴れるだろう。

 そして、殺されるか取り押さえられる。そこに、彼女の勝利はあり得ない。

 自分達がどれだけやれるのかを知りたがっていたが、その答えがこれでは、救いはない。

 もうちょっと苦難とか冒険とかそういうイベントでもあれば別だったのかもしれないが。


「……そうだわ! 良いこと考えちゃった!」


 無邪気に笑う学園長。

 それが余り良く思えない辺りが、彼女を知る者たちからの評価とイコールだった。



「まずは、お疲れ様ね。ありがとうスナエちゃん。貴女がもしもその気なら、彼女は噛み殺されていたわね」

「……私もそれなりに思うところがあった。いつでも殺せる相手だ、今殺す必要はない」


 今現在、力尽きたランは学園内の医務室で寝かされていた。

 極度の栄養失調と、疲労。それによって、彼女はしばらくの間行動が不能だった。

 その彼女を前に、バトラブ一行は揃っていた。


 確かに危険人物ではある。凶憑きが、あるいは狂戦士が何を成したのかなど、この世界にはいくらでも記録がある。

 しかし、少なくともスナエでさえ、彼女に同情的だった。

 彼女自身、驕りをもって世界に挑み、男に負けて惚れ込み、その男さえ手も足も出ない相手を知った。

 彼女と自分、何が違うというのだろうか。

 殺されても文句の言えない女ではある。しかし、殺したいとは思えなかった。


「そう、それは良かったわ……その上で、一つ提案があるの。ハピネちゃん、貴女彼女の後見人になってくれない?」

「それ、どういう意味ですか?」

「簡単よ、この子をバトラブの客ということにしてほしいの」


 基本的に、ドゥーウェは反社会的な行為をしない。する必要がないからだ。

 はっきり言えば、彼女が退屈をしたなら、合法の範囲で残虐行為をする。

 態々法を犯すようなリスクは背負わない。

 バトラブが身元引受人になったなら、殺す必要がない相手を殺すことはないだろう。


「ヤですよ。なんで狂戦士を抱え込まないといけないんですか」


 一つの事実として、バトラブは閉鎖的ともいえる武門である。

 山水という存在がソペードにいたからこそ、祭我という異物を受け入れるに至ったが、基本的に身元も知れない相手を受け入れるということはない。

 ソペードならば、危険度が利益と釣り合うならば、それも一興と雇うかもしれない。

 だが、バトラブにそんな気概はないのだ。どちらが良いのかではなく、単なる気質である。

 そういう意味では、ハピネの言葉は極めて正しい。


「私のために、お願い」

「なんで学園長先生のために……」

「あらあら、いいじゃないの。意味があると思うわよ?」


 学園長は、自分の楽しみのためだと隠さなかった。

 それが意地の悪いところである。


「まず、この子は無自覚な希少魔法の使い手よ。悪血、だったかしら。魔力の代わりにその力が流れている。それも、普通とは段違いに」


 技術としてではなく、生体として無自覚に発揮される強大な力。

 それが希少魔法の類なら、他の誰かでも習うことはできるはずである。


「サイガ君。貴方なら、憶えることができるはずよね。貴方の中には、あらゆる力が流れているのだから」

「そうかもしれません……でも、俺にその気はないです」

「あら、どうして? 仮に貴方が狂戦士の力を再現できるなら、それは法術の鎧で髪を隠すだけで目立たなくなる。占術と同様に、貴方が人前で使える地味な術になるわよ?」


 確かにそうだろう。

 あるいは、神降ろしと同時に発動させて、更なる力を発揮できるかもしれない。

 法術と同時に発動させて、致命傷さえたちどころに治療できるようになるのかもしれない。

 しかし、それは全く新しい技術を学び直すということだった。


「俺は……山水に負けた後、新しい技術を学ぶことを恐れるなと言われました。でも……俺はまず、今習っている力をちゃんと自分の力にしたいんです。今また新しい技術を手に入れようとしたら、中途半端になってしまう……」


 あらゆる魔法の資質を持つとはいえ、別に現時点ですべての魔法を使えるわけではない。

 エッケザックスがスイボクと共に多くの使い手を見てきたとはいえ、増幅器でしかない彼女は指導することはできない。

 見本がなければ、流石に習得することはできないのだ。そして、習得出来てもそれは初歩的な物に限られてしまう。


「俺は、カプトで空を飛べるだけの使い手に手も足も出ませんでした。俺は所詮、浅い技をたくさん覚えているだけ……このままだと悔しいんです。今の目標は、空を飛べる敵に対処できるようになることなんです」


 祭我には目標が必要だった。

 なまじなんでもできるからこそ、どういう方向へ伸ばせばいいのかわからなかった。

 そして、今の目標は空を飛ぶ相手に対抗すること。

 言うまでもなく、凶憑きは飛行している相手に対抗できるものではない。


「うふふふ……サンスイ君を尊敬しているのね」

「……はい」

「それはいいことだわ。でもね、貴方はこの学校の生徒でもある以上、私の生徒でもあるの。だから宿題を出しましょう」


 それが、学園長の展開であることは事実。

 しかし、それは祭我にとって一つの答えになることも事実だった。


「その浅い範囲でかまわないわ。貴方は彼女から狂戦士としての力を学びなさい。その上で、それを『次の誰か』に託すのよ」


 悪血を流す者は、この世界に多くいる。

 才能が劣る故に自然に開花することはないが、それでも資質を持つ者は確実にいる。

 もちろん、全員が狂戦士としての力を望むとは限らない。

 呪術の資質を持つ者が、呪術を学びたいと思わないように。

 しかし、今現在は完全に選択肢が存在していないのだ。


「次の誰か……って、誰ですか?」

「誰でもいいわ。もしかしたら、今サンスイ君が指導している剣士の中にも悪血を宿す者がいるのかもしれない。そうでなくても、この学園にいるかもしれないし、この間影降ろしを学べなかった他の資質を持つ生徒の中にもいるかもしれない。でも、まずは貴方が彼女から盗みなさい。狂戦士の力を」


 なんでも憶えられる男、瑞祭我。彼は独自の戦闘スタイルを今も模索している。

 しかし、その強さは誰かに引き継げるものではない。加えて、何か一つを極められるわけでもない。だが、それでも価値はあるのだ。


「貴方が狂戦士を極める必要はない。とっかかりとして覚えるだけでもいい、浅くてもいい加減でも、適当でも未熟でもいい。それでも、彼女という天然の使い手の、無形の強さを形にしなさい。唯一の力を、武術に、学問に、技術に、資質さえあれば習えるものに落すのよ。初歩の段階でも貴方が憶えて、それを誰かに教えることができるなら、そこからまた新しい『希少魔法』が生まれるの」


 一人の教育者としての野望が、願望が、祭我には落雷の様な衝撃を与えていた。


「俺が、極める必要はないんですか?」

「ええ、貴方が極める必要はない。貴方が何もかもを完成させる必要はない。それは後進に任せればいい。それはきっと、今まで生まれてきたどんな狂戦士達よりも、強いだけだった戦士達よりも価値がある」


 極めなければ、意味がないと思っていた。

 極めた者だけが、指導する資格を持つと思っていた。

 完成した強さがなければ、指導ができないと思っていた。

 最後まで面倒を見なければ、指導者にはなれないと思っていた。


「貴方への課題よ、サイガ君。神降ろしと違って、狂戦士の力は政治的には縛りがない。だからこそ、一人でいいから悪血を宿す者に技術を託しなさい。貴方が、新しい『魔法』を起こすのよ」

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― 新着の感想 ―
[一言] 学院長酷え 幾ら希少だからとは言えコレって要約したら バドラブ後見→面倒は全てバトラブが対応 サイガに対しても先ずはコレをしたいという意見を上から命令でソレをしながら他事もやれ 自分は希少な…
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