蝦蟇
剣に生きる、ということは甘いものではない。
ダヌアが言っていたように、日々畑を耕している農民の暮らしが楽ではないように、剣で生計を立てるということは背中を狙われ続けるということである。
取り立てて因縁があるわけでもない相手と戦い、殺し、名を上げる。確かにまともではないし、偉くもない。
そして、名を上げれば当然の様に背を狙われる。
「……殺気を隠す気が無いな」
ドミノ共和国とのごたごたが終結し、ようやく日常が戻ってきた。
俺は今日も木刀を振っている。朝の陽ざしと共に目を覚まし、剣を振るう日常を満喫する。
その中に、狂った獣のような気配が紛れていた。
「俺でなくとも気付けるぞ、抜き身の狂気は」
「流石に、そこまで盆暗ではなかったか。安心したぞ、死神」
朝日の中に照らされる草原の中で、周囲の空間をきしませるような異物がそこに立っていた。
血に飢えた獣、という言葉はあるが実際の血に飢えた獣はここまでではない。
食っても食っても満たされない、そんな残虐さは目の前の『彼女』にはなかった。
「正直、遠目で見て落胆していたのだ。あの首を並べた男にしては、平凡すぎるとな」
背の高い女だった。多分、ブロワよりも背が高い。その一方で、おそらく十四歳程度の幼さだと察することができる。
長い髪の毛は銀色で、風もないのに波打っている。
その喜びに満ちた顔は、何かにとりつかれているようだった。
「故郷の老人たちとさほど変わらん、つまらん男かと思ったぞ」
「楽しい男じゃない。だが、話は早いつもりだ」
俺は中段に木刀を構える。
彼女が何を望んでいるのかなど、気配を感じるまでもなかった。
「そうかそうか……それはよかった。あの枯れ木共同様に、ご高説をほざくのかと思ったぞ」
「そういうことは、戦った後でやるものだ」
「ふん……流石はこの国最強の男、余裕があるな。その余裕、命尽きる前まで残っているかな!」
※
「とまあ、そういう子がこの辺りにいます。皆さん、注意してください」
朝の稽古を終えて、午前の指導を始めていた俺は、皆に注意を喚起していた。
驕るだけの強さのある少女であり、はっきり言って化け物だった。
「殺すことなく、適当に寝かせてきたのでまた来ると思います。もしも俺がいない間に出会ったら、人通りの多い場所へ逃げてください」
ああ、やっぱり、という顔をほとんど全員がしていた。
確かにソペードの護衛という立場を狙って、この学園で指導を行う前から襲われることは多かった。
ここ最近では、それは更に多くなっている。こうして朝の稽古中を狙う輩も珍しくないのだ。
ただ、指導を受けている面々は楽観している。自分にもそういう時期があったなあ、身の程知らずだったなあ、という顔だ。
確かにそれはある。俺にもそういう時期はあったし、師匠にもあったようだ。であれば、他の誰にあっても不思議ではあるまい。
しかし、そういう問題ではなかった。殺さずに倒しておいてなんだが、どう考えてもまともではなかった。
「相当な実力者でした。それに、一人でもなかった。彼女達五人は、全員が実力者です」
彼女ほどではないがかなり強い気配が、彼女を見守っていた。
そして、銀髪の彼女が敗北すると同時に駆けだして俺を狙った。
「全員若い女性であり、相当な腕前でした。相性こそあるとは思いますが、トオン様やスナエ様でも確実に勝てると言い切れる相手ではありません。私は午後から首の供養をしに行くので、戻るのは夕方ごろです。それまでにここに来たらその時は……待ってもらうか帰ってもらってください」
あの五人は確かに強かった。
はっきり言って、あれだけ強い集団を見たのは近衛兵達以来だった。
「……エッケザックスを持っている俺なら、勝てるんじゃないか?」
「勝てる、とは言い切れません。祭我様、貴方はまだ経験が足りない。貴方の強みは対応できる状況の広さにある。しかし……それはつまり、相手の情報をある程度把握して初めて意味がある。貴方自身、私と戦って理解している筈。二度目があるとは限らない」
「……二度目があるとは限らない」
何気に、俺に会う前の祭我はスナエと戦って勝っている。それはとても驚異的なことだ。
祭我はあらゆる魔法を習得できる資質を与えられているが、見ただけでコピーできるほどインチキではない。
火の魔法と法術だけで戦って、その結果勝利したのだ。
それは、この二つが揃っていることが神降ろしと戦う上で有効に働いたからなのだろう。
だが、何事にも相性というものはある。
「貴方も私の同胞ならご存じの筈。貴方は強いが、隙がある。その隙をつき貴方に有効な攻撃が可能な使い手がいないとは限らない。貴方は何でもできるが、専門家には及ばない」
できるだけぼかして話す。
その上で、祭我が戦うことを止める。
はっきり言って、あの五人と戦うことは許可できなかった。
「そもそも戦う必要がない、彼女たちは私と戦いたがっている。貴方達もご存じのはずです、私と戦って一度負けたぐらいで、納得できるわけがないと」
こういうとき、地味だと本当に困る。
正蔵の様に派手なら、一度の敗北で何もかも納得できるが、地味な決着だと中々納得できない。
敗北を認めることができても、実力差がわかりにくいのだ。陸上競技とか球技とは違うからなあ。
俺の場合、一瞬で気絶させる分尚の事理解できないし。
「私が高齢で体調に問題があるのなら、なかなか立ち会うことはできません。しかし、幸いにも私はそうではない。それなら、できるだけ立ち会うべきだと考えています」
まあ、お嬢様の護衛をしているときに現れたら、その時は容赦などできないが。
「とはいえ、彼女たちは本当に危険でした。ある程度の分別はあると思いますが、もしもの時は逃げてください。この学園を守る義務は、貴方達にはありませんから」
その言葉を聞いて、教員が青ざめているが知らん。
そもそも、彼女達に限らず今後も継続的にそういう襲撃はありうるのだ。
その辺りは宣伝した学園長先生が悪いので、警備に投資していただきたい。
「もしも逃げられないときは、エッケザックスの指示に従って動いてください。下手に戦って、ケガをすることはありませんから」
※
※
※
午後になり、学園の外ではいつも通りの訓練が行われていた。
「まったく、失礼よね! サンスイってば、調子に乗ってるんじゃないかしら?」
ハピネ・バトラブは怒っていた。自分の夫になるはずの男をとことんないがしろにしているからだ。
同じく四大貴族の切り札だというのに、彼が祭我を軽く見ていることが許せない。
もっとこう、太鼓判を押すべきなのだ。
「なによ、あの首だって半分ぐらいはソペードの騎士がやったに違いないわ!」
「その理屈はおかしいと思います、ハピネ様。それでも二百人以上を一人で斬首していることになるんですけど」
ハピネの言葉に対して、ツガーはやや気が引けながらも答えていた。
「と、とにかく、サイガは強いんだからその女たちが来たんなら全員相手をしてあげればいいじゃない」
ハピネの言葉には、確かに祭我も同意したい。
しかし、山水の言葉を認めないのは余計未熟なことだとも思っている。
「私は反対です! 危ない事なんてしないで、逃げるべきです!」
ツガーは制止していた。
元々消極的ということもあるのだが、彼女は山水が逃げるべきだという言葉に賛成していた。
「戦わないといけない時があるとは思いますけど、逃げていいって言ってたんですから、逃げた方がいいです!」
素振りをしている男二人は苦笑する。たしかにそれがいいのだろう。
だが、師匠自身挑まれたら応じる男であるし、そもそも追いかけてきたらそれまでではないだろうか。
「ツガーよ、その言葉は正しい。しかし、逃げるに逃げられぬ時もあろう。逃げにこだわって袋小路に追い込まれてはたまらんはずだ」
「それは、そうですけど……」
語気の荒いツガーをスナエは諭していた。
自分自身がそういう性質であっただけに、逃げることが難しい相手がいることを知っているのだ。
そして、山水自身がそれをできないと感づいているようでもあった。
「いっそ殺しておきなさいよ! 気が利かないわね!」
ハピネが憤慨する。殺せるときに殺しておけ、という言葉は真理だった。本人も後悔しているようだったし。
その言葉を聞いて、素振りをしている面々は背筋に寒いものを感じていた。
なにせ、彼らにとっては冗談でもなんでもないからだ。
「ははは! ハピネ殿、我らが師は率先して人を殺さぬ男だ。我らはそういうところにほれ込んでいるのだよ」
素振りを続けながら、トオンは笑い飛ばそうとしていた。
そもそも気付いているのだろうか。他ならぬ祭我こそ、三度も挑んで殺されずに済んだのだということを。彼の善意で生かされているだけだということを。
「……む?」
人の姿になっていたエッケザックスは、学園に向かってくる気配を感じ取っていた。
その気迫は猛烈であり、なによりも人間とは思えない声を発していた。
「きぃえええええええええええええええええええええええええええええ!」
奇声を発しながら、肉食獣の様な速度で走ってくる銀髪の少女。
その姿を、素振りしている多くの者たちが見ていた。
即ち、己たちの師があしらった少女たちの襲来である。
師の忠告をありがたく思いつつも、或いは今の自分ならばと思っていた面々は、しかし銀髪の彼女の狂相とあふれ出る生命力に身をすくませていた。
あれは、余りにもわかりやすい強者であると。
「あの男は何処だあああ!」
軽くひねられた、打倒されて生かされた、放置された。その事実が彼女の強者としての自尊心を著しく踏みにじられたようだった。
「出てこい、死神ぃいいいい!」
「お、おちつけ!」
「そうよ、落ち着きましょう!」
「ああ、人の前だぞ?」
「気持ちはわかるけど……駄目」
五人の若い女性が、もつれあいながらも山水を探していた。
その姿を見て、学園長は目を輝かせていた。
どう見ても、この周辺の人間ではない。それはつまり、希少魔法の使い手かもしれないということだった。
「あらあら、もしかしてサンスイ君が言っていた拳法家の子たちかしら?」
「あの男は何処だあああ!」
「まあまあ、落ち着いて……お茶でもどう? それともお食事の方がいいかしら?」
そこは年季の違いだろうか。或いはすきっ腹に対して昼ご飯の残り物の匂いが魅力的だったのだろうか。
少女たちはとりあえず叫ぶのを取りやめて、野外に設置されたテーブルの上で食事をとることになった。
パンとシチュー。香り立つそれを、五人の少女たちは食べ始めた。
そんな彼女達を、誰もが警戒しつつ見守っている。
一方で、エッケザックスはやや冷ややかだったが。
「おかわり!」
「はいはい、いくらでもありますからねえ」
とりあえず子供にはご飯を食べさせたがるのが、年寄の人情である。
銀髪の少女はやたら食べているが、それでも学園の規模から言えば大した量ではなかった。
「……ありがとうございます」
「いいのよう、どうせ余り物だし」
少女たちを、学園長は改めて見る。
基本的に茶色の髪をしており、肌はこんがりと焼けて小麦色に近かった。
これは人種的というよりは、単に暖かい地方の出身なのだろうと察していた。
「そうだ、食ってなかったから負けたんだ。しっかり食えばあんな奴に……!」
銀色の髪がうねる。銀髪の少女は、山水への闘争心を一切失うことなく燃え上がっていた。
その一方で、周囲の目は暖かい。山水に一度負けたということは、何度戦っても負けるということなのだから。
「それで、皆さんは何処から来たのかしら」
「……人里から隔離された、隠れ里です」
少女の内の一人がそう答えていた。
具体的な名前は避けていたが、とりあえず秘境の住人らしい。
「私達はその隠れ里の住人であり、長く下界と交流をすることがありませんでした」
「私達は代々伝わる拳法を学び、伝えることを続けていました」
「ですが、私達は思っていたのです。千年不敗を唄う我らは、ただ戦っていないだけなのではないかと」
「そして……ランが生まれました。伝説にある、隠れ里の開祖と同じ髪の色をした、最強の拳士が」
一息ついたのか、食べるのをやめた銀髪の少女、ラン。
その彼女は野望を語っていた。その眼には、あくなき夢が輝いていた。
「千年不敗を唄っていたあの里に、私が生まれた。伝えられていた拳法のいずれも習わず、我流でありながら最強の私が生まれた。あの里には、もう誰も私に敵う奴はいない。だから、私は里を出たのさ」
一度の敗北などで折れることはない、輝く夢があった。
そして、それを他の四人も信じているようだった。
「私は、世界最強になる。この広い世界で、私こそが最強だと証明する!」
「馬鹿じゃないの、サンスイに五人まとめて負けたくせに」
ハピネが冷ややかなことを言う。
実際、彼女が世界最強ではないことは、山水との戦いで証明されている。
しかし、それでもランは勝利を確信した笑みを浮かべていた。
「私は負けることは嫌いだが、必ず上回っていた。もう一度戦えば、必ず倒せる。奴に後悔させてやるのさ、私を殺さなかったことをな……!」
「そうです、ランは私達四人が全員でかかっても勝てない強い拳士」
「彼ともう一度戦えば、必ず超えてくれます」
「最強の彼女こそが、あの里の存在意義なのですから」
「血を重ねてきた結果が、人間を越えた彼女なのです!」
五人全員が、次戦の勝利を信じていた。
その一方で、エッケザックスは五人に訊ねていた。
確認しなければならない、と口を出していたのだ。
「お主ら……もしかして『テンペラの里』から来たのか?」
その言葉を聞いて、五人は硬直してエッケザックスを見る。
誰もが知らぬその名前を口にしたエッケザックスは、ああやはりかと納得していた。
「やはりか、あの里の生き残りが再興させたのだな」
「どういうことだ、エッケザックス」
「我が主よ、テンペラの里とはな、二千年ほど前の時点で千年不敗を謳っておった隠れ里でな。希少魔法の血統を数多く保有しており、それを生かす体術を発展させておったところじゃ。その周辺では、テンペラの拳法家には関わるな、と言われていた」
うむうむ、と思い出しながら語っている数千年前から存在している剣。
そして、二千年前、という言葉を聞いて多くの面々が察していた。
「そこで、当時の我の所有者はその村の各当主と戦い勝利し、全員の看板を奪い打ち捨てたのじゃ。当然怒ってのう……住人の多くが逃がさぬと襲い掛かってきて、逆に蹴散らした。それ以降その地には寄らなんだが……まさかあの村から凶憑きが出るとはのう」
千年不敗を謳った、拳法家の住む隠れ里の住人。
彼女達が聞いたのは、千年以上前に里が壊滅したという衝撃の事実だった。
まあ、千年以上前に敗北しても、千年不敗には違いないだろう。
「マガツキ? なんだそれ」
「こっちの文化圏では狂戦士と呼ばれるの。要は希少魔法の使い手じゃ、それも天然の、のう」
エッケザックスは膨大な戦闘経験があり、それ故に大抵の事は知っている。
大興奮している学園長がメモをする中、当事者である銀色の髪の少女に向かって色々説明を始めていた。
「他の希少魔法同様に、千人に一人の割合で『悪血』と呼ばれる力を宿したものが生まれる。しかし、その全てが凶憑きになるわけではない。その悪血を宿す者の中でも、特に素質の強い者だけが、誰かにその力の使い方を学ばずとも発現させてしまうのじゃ」
カプトの切り札正蔵。
彼は魔法を使おうと思っただけで魔法を発現させてしまった。
程度はともかく、素養が強すぎる者はそうしたことが起こりうるのだ。
凶憑きとは、その中でも悪血を宿す者が成る症状である。
「悪血を強く宿しすぎると、闘争心が強く刺激されすぎる。なので興奮状態が収まらず、戦場で命尽きるまで戦い続けるのじゃ。これを凶憑き、あるいは狂戦士と呼ぶ」
その言葉を聞いて、マジャンの兄妹と学園長は頷いていた。マジャンの方では凶憑き、アルカナでは
「まあ、伝承の通り銀色の髪なのね!」
「うむ。つまり、ただの希少魔法の使い手じゃ。別に人間ではないというわけではないぞ。テンペラの里の外にも結構おる。珍しいというだけでの」
その言葉を聞いて、彼女たちは自分達が如何に世間知らずなのかを思い知ることになるのだった。
「人口が多ければ、その分凶憑きも生まれやすい。テンペラの里で凶憑きが知られておらなんだのは、人口が少ないんで里の中で生まれず、外部からその話を聞けなかったからじゃな」