墜落
筋力、攻撃力、破壊力、殺傷力。その一点において、山水はお世辞にも高いとは言えない。
ほぼ無敵に思える彼の最大の弱点は、堅牢を極める相手には逃走することしかできないということだ。
とはいえ、相手が普通の装備をしている普通の人間なら、その戦闘能力は十全に発揮される。
一万もきたら流石に話は別かもしれないが、そこまで動かせるなら自力で祖国を奪還しているだろう。
「はぁ……」
にもかかわらず、山水の表情は浮かないものだった。同時に、ブロワも話を聞いて絶句していた。
改めて、武門に忠義を誓うことの辛さを痛感していたのだろう。
「パパ、元気出して」
「うん……元気出すよ」
なんとか気を取り直して、レインの手を引きながら山水は他の『黒い髪』に『黒い眼』をした集団に合流していく。
「へえ……この人がソペードの切り札か。聞いてた通り、本当に若く見えるねえ」
カプトの切り札『傷だらけの愚者』興部正蔵。
「俺がアルカナに受け入れられた理由、か」
アルカナ王家の切り札『異邦の独裁官』風姿右京。
「なんでへこんでるんだ……」
バトラブの切り札、瑞祭我。
「すこし、自分の律義さに嫌気がさしまして」
国家を揺るがす個人が四人、この場にそろっていた。その姿を見て、権力者たちは息を呑む。
改めて認識するのだが、彼らは同一の人種であり同一の国家から来た男たちだった。
「貴方がドミノ共和国最高議会の議長、風姿右京様ですね? 私はドゥーウェ・ソペード様の護衛を務める白黒山水と申します。こちらは、娘のレインです」
「……いかにも、右京だ。それにしても」
紹介された娘に対して、膝を折って視線を合わせる右京。
その目には観察する酷薄な雰囲気があった。それを察して、レインは父親のすぐ背後へ隠れていた。
その姿は、彼の憎悪の対象である皇帝とは似ても似つかないものだった。
もしも、万が一でも、彼の面影を見ていれば少なからず可能性がない、とは言えなかった。
「お父さんに似て賢そうだ」
「ははは……最近は、私のママは誰になるの、とか生意気なことも言い出しまして」
朗らかに笑いながら、右京は国家の未来に思いをはせていた。
この娘の子供か孫が、自分の子供か孫に嫁いでくる。
それまで国体が維持できればの話ではあるが、それまで持てばいい方だろうとも思っている。
なにせ、建国して一代で滅ぶ国などいくらでもあるのだから。
「ほう、いい相手でもいるのか? 大事にしてやれよ、金目当ての女でも死なれると気分が悪いもんだぞ」
一時期、帝国内の一地域でモテモテだった右京は、最近冷静になって『よく考えたらあいつらは全員金目当てだったな』と振り返ることができるようになっていた。
『おいおい、ハーレム主人公かよ、やれやれだぜ』と調子に乗っていたのだが、ご都合主義でもなんでもなく、全員雨を好きな時に降らせることができ、日照時間さえ操れる右京を切実なほど必要としていたのだ。つまり、有力者から金をもらって右京の女をしていたのだ。
まあ、それでもいい気分になっていたことは事実だし、金で繋がっていたと理解してもやっぱりあの当時は楽しかったわけで。
そもそも自分も女をアクセサリー感覚で『身に着けて』、『見せびらかして』いた。そんな彼女達との打算に満ちた関係でも、第三者に奪われると怒りに染まるのだ。
「見ての通りの素寒貧です、そんな大したものはありませんよ」
「そうか……体が財産ってことだな」
「ええ、ここまで育ててくださった師匠には感謝の言葉もなく」
微妙に噛み合ってないようで噛み合っているような会話は、仙人とは限りなく遠い俗世の頂点に座する右京の人柄を表しているようだった。
とはいえ、その会話は安心できるほど穏やかなものだった。この二人の決裂は、即ち二つの国家にとって望まない決着にしかならない。
「……私の娘を諦めてくださって、感謝しています」
「勘違いすんなって、もしも復讐の対象だと思えば……その時は何処にいる誰になんと言われても、絶対に諦めない」
わずかに、覇気がにじんでいた。
山水の『地味さ』とは対極の、『わかりやすさ』が彼から発せられていた。
泣きそうなレインをさすりながら、山水は彼の無害さを感じ取っていた。
「杞憂だった。びくついていただけで、最初から俺と君は敵でもなんでもなかっただけだ」
「そうですか、ではこの幸運に感謝を」
「お互いにな。お前の娘を殺すのは、それこそ国を亡ぼすより難しそうだ」
苛烈さと穏やかさは、互いに理解を交わしていた。
おそらく、妥協しないと決めたことに関しては絶対に折れないであろう双方は、しかし剣を向け合うことはなかった。
「……普通の仙人だな」
「ああ、普通の仙人だ」
「普通の仙人ねえ」
「はっはっは! 娘を守るために頑張るいい男だな!」
改めて、右京の所有している神宝たちが人間の姿で、スイボクの弟子を見る。
二千年前、普通の仙人からは程遠かった彼を知る四人は、普通の仙人である山水に対して驚いていた。
「えっと……八種神宝の方々ですね。師匠を、スイボクをご存じなんでしたか」
「然りだ、我こそは八種神宝の中でも最大の機能を誇る天槍ヴァジュラ! その偉大さに驚くが良い、スイボクの弟子よ!」
改めて、四つの神宝の中で最も必要とされていることを再認識していた彼女は、上機嫌でかつての怨敵の弟子を下に見ていた。
実際、背が高い彼女から見れば山水はとても小さい。下に見るのが当然だった。
「は、はあ……」
「だから間違っても、仙術で天候操作などするな! 良いな!」
「え?」
「だから、貴様の師がやったように我が呼んだ雷雲を操作して逆にぶつけるような真似をするなと言っている!」
「……師匠、そんなことができたんですか?」
それみたことか、とエッケザックスは呆れていた。
確かにスイボクはそれをしたことがある。今でもできるだけの能力があるだろう。
だが、弟子にはまったく伝えられていなかった。
その事実に、彼女は自分の元持ち主が切り捨てたものの多さに呆れていた。
「したとも! その結果我は破損したのだぞ?! 天を操る我が、雷を帯びたエッケザックスによって破壊されたのだぞ?!」
お願いだから、もう我を壊さないでください。
そう切実に訴える女性に、山水はすっかり呑まれていた。
そもそも、やれと言われてもまったくできないのだが。
「おかげで創造主たる神の元へ帰ることになったのだ! 故にアレ禁止! 良いな、スイボクの弟子よ!」
「ご、ご安心ください、天槍ヴァジュラ様。私はアルカナに属する者、どうして同盟国の国主の武装を壊しましょうか」
「言ったな! 言ったからにはあれは駄目だぞ! 良いな!」
必死過ぎる発言を聞いていて、不思議そうに正蔵は首をひねっていた。
実際、彼の目線からすればドミノのやっていることは不合理だったのだ。
「あのさ、議長様。なんでヴァジュラの天候操作で要塞都市を攻めなかったの? 雨をざんざか降らせれば軍隊なんか動かさなくても勝てたじゃん」
当人も大規模すぎて融通の利かない使い手であるだけに、その点がわからなかった。
気候を自在に操れるならば、それこそ軍隊など動かさなくても楽に恫喝できたはずである。
にもかかわらず、なぜそうしなかったのだろうか。
「ああ、それか」
「あ、主よ! 態々他の者に我の機能を教えることもあるまい!」
「別に隠すことでもないだろうが……こいつの気象操作は、あくまでも操作なんだよ。例えば快晴の空に雲を生み出すことはできないし、真夏に雪を降らせることもできないんだ」
必死の嘆願をはねのけて、右京は自分の神宝の機能を説明していた。
確かに天候操作によって都市を攻略するのは、革命中でもよくやった手である。特に籠城しやすい城を落とすには、処理の限界を超える雨を良く降らせていた。
しかし、結構条件が厳しいのもこの槍の力なのである。
「周囲に雲がないのに雨を降らせようと思ったら、海の上で雨雲を作るところから始めないといけない。当然、一日二日かけて発達させる必要があるんだ」
その言葉を聞いて、今すぐにでも好きなだけ国家滅亡級の魔法を使える正蔵は納得していた。
そんなに時間がかかるのでは、水攻めは好ましくないだろう。
「おまけに、視界内の雲しか操れないから一々現地に赴く必要もある。手心云々じゃなくて、普通に無理だったんだよ」
仮に天候を操作して持ってきたとしても、正蔵に持ってきた雲を吹き飛ばされておしまいだったとは思われる。
それはそれで、死人が出ずに済んだのかもしれない。
「あ、主よ……我はそれでも最大規模の神宝なのだぞ?! コイツがおかしいのだ、神はこいつに力を与え過ぎたのだ!」
涙目になって抗議するヴァジュラ。
しかし、それを無視する右京。他の神宝たちもどうでもよさそうに見守っていた。
「へえ……だから兵士に武器を配って……。そういえば、ウンガイキョウって金貨とかも偽造できるんだろ? だったらその力で他国から食料を買えばよかったんじゃないか? そりゃあ普通に泥棒みたいなもんだけど」
「それも無理だったのよ」
正蔵のもう一つの疑問、それに対してはウンガイキョウが、優雅さを保ったまま応えていた。
ヴァジュラと違って、自分の欠点を隠すつもりはなかったらしい。
あるいは、欠点を隠すのは道具として失格だと思っているのかもしれない。
「昔、我を使って金貨を偽造した人は結構いたわ。でも、我が金貨を複製すると、どうしても軽くなるのよね。秤を使えば簡単に見分けられるの」
何故通貨に金が使われ、それが世界全体の共通事項のようになっているのか。
それは金が錆びず、希少で、何よりも『重い』からである。
そのため、他の卑金属と混ぜた場合簡単に見分けることができたのだ。
「もちろん、贋金でも贋金と知って受け取る人がいないわけではない。でもね、今回は『傾いた国』を復興しなければならないほど大量の食糧が必要だったのよ? そんなもの、小売りで買ってどうなるものじゃないし、何よりも国境を越えられないわ」
当たり前だが、買った食料は運ばなければならない。しかも、他の国から自分の国へである。
右京が必要としているほどの量を持ち込むとなると、国境を越えられるわけもない。
中長期的に詐欺国家と思われるとかそれ以前に、実行不可能なのだ。
「それを、昔の我の主はやろうとして失敗していたわ。その辺りのアドバイスは当然するわよ」
「へえ~~」
簡単な説明ということもあって、正蔵は納得していた。確かに失敗することは目に見えている。
その一方で、祭我は自分の傍らのエッケザックスを見ていた。
山水に師事している身ではあるが、彼女から助言を受けることもしばしばだったからだ。
おそらく、右京が革命を成功させたのは、四つの神宝からいろいろと話を聞かされていたからに違いない。
「ヴァジュラ、貴女みっともないわよ。同じ八種神宝として恥ずかしいわ」
「黙れ! 小さい道具と違って、大きい道具には保つべき威厳というものがあるのだ!」
見栄を張ろうとして失敗している同僚に、ウンガイキョウは蔑みの目を向けていた。
色々空回りしている相手を客観視するに、呆れるしかないのだろう。
「あほくさいのう、お主そもそもそんなに大きくないであろう」
エッケザックスの言葉に、ヴァジュラが硬直していた。
そして、ウンガイキョウはその場から速やかに離れる。
どう考えてもヴァジュラが爆発する寸前だったからだ。
「え、そうなのか、エッケザックス」
「そうじゃぞ、主よ。この場に無い神宝は三つ。パンドラ、ダヌア、ノア。この三つは全部そこのヴァジュラより大きいのだ」
道具としては、一番小さいのが聖杯エリクサー。人が持てる杯なので、当たり前である。
これに次いで小さいのが、妖刀ダインスレイフ。こちらも短刀なので、そんなに大きくはない。
両手剣である神剣エッケザックスと、胸から上を写す大きさのウンガイキョウは、どっちもそう変わるものではない。
当然、儀礼用の槍であるヴァジュラは、このどれよりも大きい。大きいというか、長い。
「鎧と倉と船だからのう、全部槍より大きいのじゃ」
「そりゃそうだ」
八個の中では四番目に大きい、というのは大きいうちに入るまい。
その冷静なツッコミに納得する祭我だが、ヴァジュラはそうもいかなかった。
「な、な、何を言う! 天を思うがままに操る我こそ最大の神器! 道具としての大きさなど問題ではない!」
「小さいのう、器量が」
「小さくなどない! 我が大器がわからぬだけだ!」
少女と背の高い女性が言い争う、という状況にも周囲は慣れ始めていた。
ある意味、同じ存在だからの言い争いなのだろう。
「そういえば……質問されてばっかだったからってわけじゃないが、お前が俺の国の軍隊を吹っ飛ばしたのは知ってたけど、具体的にはどうやったんだ?」
「ああ、魔法だよ。俺は一流の魔法使いの一万倍魔力があるらしいんだ」
「……思ったより普通だな。てっきり、どっかのマンガやゲームのキャラの力が使えるのかと思ってたんだが。もしよかったらちょっと見せてくれないか?」
別に減るものではないのなら、という気安さで右京は正蔵に訊ねていた。
しかし、その言葉を聞いて『よく見ている』カプトの当主とパレットは嫌そうな顔をしていた。
確かに、上空への試射ぐらいならそんなに問題でもあるまい。
山水もそうだが、実際にその力を示さないと、信用するには足りないのだ。
だが、なにせ軽く街を吹き飛ばせる使い手である。その脅威を思うと、軽々には許可できなかった。
「私も見たい。思えば、この眼で直に見たわけではないのでな」
国王の言葉ももっともだった。
確かに、直に見て生きているのはカプトの者だけで、他の誰もが死に絶えている。
実際に見なければわからないことも多い。一度見たら、二度見たいとは思えないのだが。
「……許可する。上空に向けて、火の魔法を撃ちたまえ」
「わかりました。ああ、祭我君、悪いけど頭上へ光の壁張ってくれない? ちょっと暑くなるからさ」
正蔵も山水同様に、命じられればためらわず動かなければならない。
嫌そうながらも許可が下りた以上、正蔵は魔法を使おうとしても呪術による安全措置は働かない。
それでもそれなりに知恵がついたのか、エッケザックスを持つ法術使いである祭我に防御を頼む。
「わ、分かった……!」
「正直、ちょっと楽しみだったりして」
「すげえの頼むぜ、景気よくな」
なんのかんのいって、それほどの大規模魔法を見るのは日本人三人は初めてだった。
それは、彼らが昔憧れたテレビのヒーローのそれであり、童心を呼び起こすものだったからだ。
元々この世界で生まれ育った面々も、頭上に展開された分厚い光の壁越しに、興味津々で空を仰ぐ。
そして、全員が後悔した。
「……なんじゃこりゃ」
右京は呆然としていた。
目の前に太陽が出現した、という表現以外何も当てはまらない。見上げている視界を炎が埋め尽くしていた。
エッケザックスで強化された分厚い法術の壁が、まるで障子紙の様に心もとない。
「よし……じゃあ上の方向にめがけて……!」
流石に、自分の魔法でパニックになることはもうない。
巨大な火の玉を自在に操作する正蔵は、自分の魔法を空の彼方へ放った。
それは、神宝たちをして唖然呆然とさせるものであり、ありえない一撃だった。
呪術の誓約を除いて、一切の制限がない最強の魔法使いの最強の魔法。
強力という一点を除いてただの火の魔法がはるか上空へと向かって飛んでいく。
そして、一流の魔法使いの一万倍の射程を誇る魔法が、一万倍の火力を発揮した。
夜に撃てば昼に変えるのではないか、という一撃が空を彩って、僅かな雲を散らし快晴に変えていた。
「これに殺されたのか、俺の軍は」
呆れてしまう威力に、右京は引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
確かに、こんな奴がいたら戦争などできるわけもない。
まさに、場に出せば勝利が確定する切り札だった。
「そりゃ勝てないわけだ」
その一方で、人生で初めて共感する。
多くの娯楽作品で、『常識外』の力で蹂躙される人々の、その慟哭を。
こんなものがいるなどと、想像できるわけもなかった。
想像できないものに殺される、世の不条理を理解していた。
「そんな大したもんじゃないって……確かに強いが、こんなもんだ」
常識外の力を持つ正蔵は、その敬意をどうでもよさそうにして、受け入れかねていた。
確かに強い、確かに凄い。しかし、だから何だというのだろうか。
結局神から受け取った力でしかない、凄いのは神でしかない真理。
さっきまで自分に向けられていた視線が変わってしまったことを嘆きつつ、正蔵は空を見上げていた。
「く、雲を散らすことはできても! 雲を操れるわけではない!」
「……いい加減にしろ、ヴァジュラ」
恐れおののきながらも強がっているヴァジュラを、ダインスレイフはいさめていた。
こんなもんと張り合っても、何一つとしていいことがない。はっきり言って、役割や規格が違うのだ。
ある意味、一番大したことのない力しかないダインスレイフは、この状況もあっさり受け入れていた。
「とはいえ、この威力だ。直撃すれば、ノアでも助かるまい」
「そうであるな、ダインスレイフよ。もし仮にノアが上空を飛んでおれば、今の炎で焼かれて神の元へ戻っていたであろうな!」
ダインスレイフの言葉にエリクサーも頷く。
一番頑丈なノアではあるが、あれだけの規模の攻撃を受ければ無事では済むまい。
その言葉に誰もが異論を言うことはない。
権力者も剣士も、魔法使いも子供も、誰もが今回の戦争を終わらせていた火の痕跡を眺めていた。
しかし、一番先に『何か』を見つけたのは一人の仙人だった。
「……空から船が降ってきてる」