後悔
「ああ、クソ。失敗した」
帝都から、数台の護衛の馬車と共に議長用の馬車が出て行く。目指すはアルカナ王国のカプト領地だった。
相手にも思うところがあるのか、圧倒的に有利なはずが和平交渉を持ちかけてきた。
負けている上に、勝ち目などないドミノがこれを拒否するわけもなく、議長は自ら赴くことにしていた。
「気が大きくなってたな。内政チートでもしてる気分だった。いいや、この場合はまた別だな、どうでもいいが」
少なからず、想像しうる限り最強の軍隊を作れたことに対して、慢心と無関心さがあったのだろう。
もうできることは何もなく、後は現場に運用を任せる。そういう段階に達していると思っていた。
装備の優秀さが、兵士の練度を補うと思い込んでいた。いいや、実際補えていた。
「復讐を達成して、気が抜けてたな。ああ、馬鹿馬鹿しい。一つの国を統治したからって、後は作業ゲーだと思ってた……嫌だ嫌だ」
議長自身でさえ、振り返ってようやく自分の傲慢さに気付いたのだ。
きっと外交を任せていた男は、さぞ強気に出ていたに違いない。
「『亡命した貴族たちを引き渡していただきたい! もちろん、彼らが持ち出した財産も含めてです!』『そんな要求を呑むことはできない。彼らは犯罪者ではないのですから』」
馬車の中で小芝居を始める。
その所作は一々大仰で、大根役者極まりなかった。
「『彼らが持ち逃げした国富は、国民のものなのです! それが犯罪でなくて何だというのですか!』『それを決めるのは我が国では我が国の法です』『失礼ですが、我らの武力を軽く見ているのでは? ここで頷かなければ、貴国は後悔することになるでしょう』『それはどういう意味でしょうか、そちらこそ我が国の力を軽く見ているのでは?』『新興国と侮ったツケを……後で思い知ることになるでしょうね』」
芝居は終わった。
そして、皮肉にも概ね間違いではなかった。
強い軍隊はそのまま外交力に直結する。強い軍隊を持っているのであれば、強気に出ることは間違いではない。
しかしそれはあくまでも抑止力であり最終手段。余りにも短慮過ぎた。そう思う。あくまでも思い返せばだが。
「まあしょうがない。とにかく戦争を終わらせないとな」
『復讐するつもりはないのか?』
小ぶりな刀から女性の声が聞こえてきた。
この馬車の中には議長だけがいたため、当然人間の声ではない。
「訳の分からんことを聞くな、ダインスレイフ。俺にその気がないことは、お前が一番わかってるだろうが」
『……そうだったな。無粋なことを聞いた』
確かに働き盛りの男たちを大量に失った。そのことは申し訳ないと思うし、大きな損失だった。
だが、復讐しようとは思わない。彼らは侵略と略奪に赴いて返り討ちにあっただけだ。彼らに更なる攻撃を仕掛けても、それは復讐ではあるまい。
そして、ここから攻勢にでることは無謀どころの騒ぎではない。
『あらあら、一国の主に一番ふさわしくない神宝は、一々でしゃばるわねえ』
姿見というには小さい、人間の胸が移る程度の丸い鏡が輝きながら話していた。
その声は、議長の腰にさしてある妖刀を小ばかにしていた。
『そんなに復讐がしたいなら、また別の誰かを見初めたらどうなのかしら?』
『ご自慢のニセモノ兵が負けたことで気が立っていると見えるな』
『道具は使ってこそ、使われてこそよ! 偽物がどうとか、小さいことを言わないでくれないかしら?!』
その言い争いを、議長は黙って聞いていた。
女のケンカに首を突っ込むとろくなことにならないからである。
『使われたがっているのはお前もではないか』
『欲求不満じゃないわよ! 私は、貴女と違って沢山使われているのよ?!』
『役に立たねばそれまでだ』
『なんですって?! 今この国を守っているのは、ヴァジュラでもエリクサーでも貴女でもなく、この私の生み出した実像なのよ?!』
ドミノ帝国はそこそこの大国で、それゆえに多くの国と国境を接していた。
それ故に、今回の敗戦は、本来なら多くの侵攻を許しかねなかった。
しかし、それでもウンガイキョウによって量産された武装によってか、諸外国は静観を貫いていた。
『やれやれ、小さい道具は心まで小さくて困る。そうであろう、我が主よ』
ひときわ装飾が多く、神々しくも大きい槍が喋っていた。
馬車の中で立てかけてある天槍ヴァジュラは、二人の言い争いに対して呆れているようだった。
『ふん、最近は城の中で机仕事ばかりで、お前もご無沙汰だろうに』
『そうよ、戦争中は活躍したからって、いい加減にしてちょうだい!』
『やれやれ、小さい道具は気が短くて困る。大局を見よ、これから先を思えば我らの中で最も有用なのは我であるのだぞ? 短いスパンでしか物事を考えない輩は困るな』
馬車の中は、更にうるさくなってきた。
そして、最後に議長の隣に置いてある小さな杯が三人に負けない声でしゃべり始めた。
『みんな元気いっぱいで結構! それでこそ栄光ある八種神宝! そしてその主がいる限り、気持ちで負けなければ敗北はない!』
完全にずれたところで大喜びしている聖杯エリクサーに対して、ますます議長は閉口する。
さっきまで一人芝居していた身ではあるのだが、もうちょっと静かにしてほしいところである。
『我らが主の王道はまだ始まったばかり! であればここで引くなどあり得ない! そうであろう、我らが主よ!』
「当たり前だ、ここで投げ出すようなら新政権なんて放り出している」
一つ当たり前のことを言うのであれば、議長の目的が帝国の打倒であり皇族の皆殺しならば、彼が新政権に関わっていることがおかしいと言える。
確かに議長本人に戦闘能力はほぼないが、ダインスレイフとそこそこの財貨があれば、各地に隠れ潜んでいる皇族を殺して回ることはさほど難しい事ではない。
帝国の打倒には『革命軍』という戦力は必要だったが、一度体勢を倒せばそれ以降は『新政権』など足枷以外の何物でもない。
「俺は確かに権力に興味がないし、民衆だって全員が善良というわけでもない。態々国中の民衆に気を配るほど政治家としての使命感があるわけがない。だが、俺が彼らを利用したことは事実で、彼らのおかげであの皇帝を引きずりおろすことができているんだ」
新国家の樹立、それはもちろん甘言でしかない。貴族を倒し皇帝を引きずりおろせば、すべての問題が解決すると言ったのも一種の詐欺だ。もちろん全員が全員信じていたわけではないが、多くの国民はそれを信じていた。
「彼らも血を流して、その結果俺は目的を果たした。これで無責任に何もかも放り出すのは、余りにも不義理ってもんだ」
明晰な頭脳があるわけではないし、内政に優れたインチキ能力があるわけでもない。
しかし、だからといって何もかもを放り出すわけにはいかない。
自分と協力して帝国を倒した民衆には、昔よりはマシだったと思ってほしい。
偽りなくそう思っている一方で、そこまでの熱意があるわけではない。
「今までは八公二民とかだったから、ハードルは低いしな。負けた責任は外交任せてた奴に取らせるし、ここを乗り切れば……戦争での傷がどうにかなれば、まあどうにかなるだろ」
戦争に勝てれば何もかもが解決するとして、それは不可能になった。それじゃあ仕方がない、諦めて時間をかけて解決するだけである。
『うむ! やる気があるのはいいことだ! 復讐を殆ど達成しているからといって、腑抜けたのかと思ったぞ! 感心感心! やる気がある限り、我は一生ついていくぞ!』
「それはどうも……大体、まだ何も終わってないからな」
皇族を全員捕まえて、皇帝の前で全員殺す。そして、最後に皇帝を殺す。それでようやく復讐は達成される。
はっきり言ってあの連中が一人でも生きている限り、何も終わらないのだ。
「どの段階からでも一発逆転はあり得る。それは俺が一番よく知ってるんだ」
そういう意味では、さっさと殺すべきなのだろう。だが、そんなことをすればモチベーションが下がりかねない。
やるからには、最後まで気が抜けないようにするべきなのだ。
『その意気だ! 我は応援するぞ!』
「そりゃどうも……とにかく、向こうがどう要求してくるかだな。土地の切り取りぐらいならいくらでもいいんだが、多分神宝の要求だろうしな。そうなったら……多分ヴァジュラか」
『……待て、我が主よ。我が耳が確かなら、この天を操る槍を敵国に差し出すと言わなかったか?』
天候を支配する機能を持った槍、天槍ヴァジュラ。
その力は確かに強大ではあるが、基本的に認めた主以外には全力を出すことはない。
「仕方ないというか、普通じゃないか? 例えお前を使える者がいないとしても、俺が使えることが問題なんだし。敵国が持っていて、一番厄介に思うのはお前だろう」
『くくく、違いないな、天槍よ。これからはこの妖刀ダインスレイフが主のもとで唯一の刃になるだろう』
『あらあら、強大な力を持っている天槍様は大人気ねえ、悪名高い実鏡は遠くから見ていることにするわ』
『お前と同じ主に仕えることができたことを、我は忘れない……我が主の臣民の為に、その身を奉げるのだ、ヴァジュラよ!』
ヴァジュラ以外、満場一致だった。
なまじこの場で最も強大な力を持つだけに、一切訂正の余地がないのだ。
『待て、他の神宝を差し出させる可能性もあるだろう?! 違うか、主よ!』
「そりゃあ、ウンガイキョウの可能性も無きにあらずだが……」
『主?! 確かにそうかもしれないけど、私を差し出したらこの国はガタガタよ?!』
「そういうわけで、ウンガイキョウはちょっと差し出せないな。とはいえ、他の二つは無いだろう。自衛ができるだけのエリクサーは持っててもそんなに意味ないし、ダインスレイフなんて国が持ってても仕方ないだろう」
幸い、向こうにエッケザックスがあることは調べてある。
エッケザックスは各神宝の機能を知っているので、アルカナ王国は誤解なくヴァジュラを求めるだろう。
『……ふふふ、主よ。盲点が一つあるぞ』
「なんだ、ヴァジュラ」
『四つの神宝と、それを扱える我が主を全て欲する可能性が残っているはずだ!』
「……それは無いだろう」
確かに、四つの神宝とその使い手がセットなら、それは喉から手が出るほど欲しいだろう。
しかし、仮にも議長はドミノの新政権のトップなのだ。敵国との戦争で勝ったとはいえ、国主と国宝の全てをよこせとは、普通は言うまい。
「そりゃまあ、条件次第なら俺は応じるかもしれないが、向こうが俺を信じないだろ。気象操作できる敵国の人間を国内に定住させるとか、正気じゃないぞ」
ヴァジュラの気象操作は、そこまで融通が利くものではないが、その効果は絶大だ。それの使い手を国内に抱え込むなどあり得ない。
「大体俺は革命家だぞ。革命家を自分の国に迎え入れるか?」
『あ、ありえないとは言い切れないはずだ! なにせ我が主は、四つの神宝を持つ異例の使い手だからな!』
「いや、その俺でもどうにもできないから降伏して講和しようっていうんだが……」
どのような原理かはともかく、アルカナ王国には戦術爆撃機級の戦力がある。
これ以上力を求めるなどあり得ない。少なくとも、ドミノ共和国からすればそうなのだ。
「言っちゃあ悪いが、その条件なら徹底抗戦するしかないな。今ウンガイキョウと俺が抜けたら、それこそあの皇帝の言う通りになる。それだけは避けないとな」
『主よ、この天槍だけ要求されたら応じる構えは、止めていただきたい!』
帝政ドミノを打倒した革命家、『異邦の独裁官』風姿、右京。
これから向かうアルカナ王国で何が待つのか、今の彼にはまだ想像もできていなかった。
「いや、だってもう天に挑むことないし」
『そこを何とか! 他の神宝を使い続けるのに、我だけ使われないなど我慢ならん!』