荒野
「カプトの切り札、興部正蔵か……」
ある意味、極めて分かりやすい最強の男。
一流の魔法使いの、その一万倍もの魔力を持つ、世界最強の魔法使い。
山水にはスイボクという師匠がいるため、厳密には世界最強でも国内最強でもないのだが、彼の場合は正しく世界最強だろう。もしも彼より強い男がいたら、この星はとっくに砕けている。
そんな彼を思いながら、馬車で祭我は色々と考えを巡らせていた。
「どう思われますか、エッケザックス殿。一万倍もの魔力を持つ最強の魔法使いについて」
「どうもこうもないわ。スイボクやサンスイ以上につまらぬ男よ」
興味はある一方で、嫉妬の対象とも思っていないトオンは、エッケザックスに話しかけていた。
実際、増幅器としての役割が大きいエッケザックスにとって、最初から最強で増幅する意味もないほどの男など、いたら困る相手だ。
「それはお前も同じであろう、そもそも目指す『最強』が違いすぎる」
「ごもっともですね、確かにアレに憧れることはない。ただ恐怖し、無関係でありたいものです」
ある意味では、祭我や山水がいた世界では『一般的』な最強といっていいだろう。
相手の攻撃の届かない高度から、一方的に攻撃を仕掛けることができる爆撃機。
護衛の『戦闘機』さえ付ければ、この世界では並ぶ者のない脅威と言える。
その一方で、まともに運用するには単独では無謀が過ぎるともいえる。
「やはり、サンスイ殿やスイボク殿のような最強を追い求めたいものです」
「……サイガはこれからだ、そうでしょう兄上!」
明かされた各家の切り札たち。その中で劣った扱いをされているのが、自分の夫になる男だということでやや不満そうなスナエ。
確かに多くの強い男がこの地にいるが、自分が惚れた男はやはり彼なのだ。あんまり安易な扱いは受け入れかねる。
「……そうだな、お前の惚れた男はまだまだこれからだ。きっとあっという間に強くなるだろう」
「そうですよね!」
その言葉が嬉しい一方で、祭我は何とも言えない気分になっていた。
結局自分は、これから先どれだけ修行したところで、『傷だらけの愚者』に及ぶことはないのだろう。
「最強とは理想であり目標、最も強いということではない、か……」
「深い言葉だったな、改めてそう思うぞ。兄弟弟子、良き薫陶を得たものだ」
「ええ……俺はあの言葉がなかったら、きっと無意味にしょげていたと思います」
だがまあ、それだけだ。火力、威力、攻撃力、破壊力。
それはそれで有用だとしても、自分が目指す最強ではない。
もちろんそれは、隣にいるエッケザックスと共に目指すものだ。
「エッケザックス、今回の件には山水も正蔵も手が出せない。だから……俺とお前の出番だ」
「うむ! その意気だ!」
「今回の任務をちゃんと達成すればいい。それで十分、俺は最強の切り札だ」
全ての力を出し切る必要はない。
今自分の中にある沢山の選択肢。その中で、その場その場で最適な技を使う。それが自分の強みだ。
そして、大事なことは求められたことを達成すること。
成功すれば、それがギリギリだったとしても余裕だったとしても、等しく評価され名声を得ることができるのだ。
「トオンさん、スナエ。二人も協力してほしい」
「ああ」
「当たり前だ!」
とはいえ、さしあたりこの国一番の危険物に会いに行かねばなるまい。
世界最強の魔法使い、傷だらけの愚者、不毛の農夫、戦術爆撃機、興部正蔵に。
※
「凄いな……」
何十万もの兵士ごと、破壊しつくされた地形。実際に目の当たりにすると、感嘆の言葉しか出てこない。
常人の一万倍以上もの魔力を持つという魔法使いの、その破壊の痕跡を前に、四人は言葉を失っていた。
「スイボクと共に多くの地を長く巡ったが……これほどの力は見たことがないぞ」
「ここで多くの将兵が散ったのか……私もここにいれば、有象無象扱いだったのかと思うと、胸が痛むな」
「王気を宿す者として、神降ろしを扱える者として言うべきではないが……神の御業としか思えん」
一騎当千、万夫不当、最強無敵。
その言葉の『現実』が、目の前に立ちふさがっている。
「俺達の世界では……こういう光景もよくあったっていう。他人事だったけど、でもこういう光景を見た人が沢山いたんだ」
対人戦の枠を大きく超えた大量破壊兵器。その結果を見て、一種の空虚さを祭我は感じていた。
まるで好きだったゲームが、一気に興ざめするようなゲームバランスの崩壊した、そんな感想を現実として味わっていた。
「この最強は……俺が目指すものじゃない。確かに強いけど……これは俺の好きな最強じゃない」
この力に、自分の知る『この世界』の全てが及ばない。
それこそ、地球の軍隊でも引っ張ってこなければ対抗できないだろう。
だが、それはあまりにも白けてしまう。これは、この世界にあるべきですらないと思う。
自分の事を棚に上げて、祭我はそう思っていた。
「そりゃそうだよ、俺もそう思うって」
バトラブの一向に対して、カプトの一行が現れていた。
五人の女性が護衛する、能天気そうな男。
黒い髪に黒い目。見た限りでは祭我や山水よりも少し年上に見える。
「初めまして、俺は興部正蔵。傷だらけの愚者って呼ばれてるよ」
顔に無数の傷跡の残る、気さくな男。
それが目の前にいる、世界最強の魔法使いだった。
「俺は……俺は瑞祭我。初めまして、正蔵さん」
「ははは、正蔵でいいって」
能天気な顔で笑う彼を見て、祭我は毒気を抜かれながらも握手を交わす。
その一方で、目の前の彼がその気になれば、目の前の光景を何度でも再現できるのだと思い直す。
「いやいや、年上の人にそんな……」
「ああ、そう? じゃあ『さん』でいいよ」
握手を終えると、目の前の光景を見る。
正蔵は自分で作った光景を見ても、誇ることもなく虚無を抱いているようだった。
「なんにもなくて怖いだろ?」
「はい……凄い怖いです」
「俺はさ、これをしてくれって頼まれて、それでまあやったんだ。でもさ……思ったほど楽しくなかったし、褒められてもうれしくなかったよ」
一つの事実として、正蔵の戦果は甚だしい。
彼一人とその護衛だけで、多くの将兵の命が救われ、その背後にある民衆の安全が保障された。
山水も祭我も、こうした対外的な功績は全くない。
強い札を持っていることの安心感、或いは優越感はあっても利益はもたらしていないのだ。
そういう意味では、国家の戦略的に考えて、目の前の彼は誰よりも貢献している。
「見たところさ、君も嫌なことがあったんだろ?」
「え?」
「ほら、挫折とかそういうの。俺も嫌なことがあったからさ、そういうのわかるんだよな」
腰を下ろして座り込む正蔵。
もちろん地べたで尻が汚れるのだが、それでもかまわず座っている。
「少なくとも、結構いろんな人からそういう目で見られることもあったしね」
「嫉妬、ですか?」
「うん、あとは怖がられたりね」
「それは……」
「だってほら、こんなバカが世界最強の魔法使いとか、嫌じゃん」
分かってるんなら、もうちょっと努力してほしい。
そういう視線を、正蔵の護衛がしている。
「俺だってさ、どっかの国に行ってその国一番の魔法使いに会ったとしてさ、それが俺みたいなバカだったら嫌だもん」
「そう、でしょうね……」
「でまあ、話は戻るけどさ、主人公だぞって思ってたのが抜けたんだろ? いい意味で」
世界は自分を中心に回っている。世界は自分に都合よくできている。
物事は全て自分を活躍させるためにあり、人物は自分を引き立てるためにあり、主人公に優しい緩い物語が、自分の人生である。
それを、きっと二人は同じように抱いていたのだろう。
「俺ってさ、世界最強の魔力を持っている魔法使いなんだよ。だからさ、こんなことができちゃうわけ」
目の前の光景を指さす。
そこには、何もない。そう、何もないのだ。
「ゲームだとさ、凄い魔法をどこでどう使っても、敵が死ぬだけじゃん。なんかのイベントでもないとさ」
「……」
「でも、現実ではこれじゃん。国一つ滅ぼす魔法を実際に使えるとさ、敵が死ぬだけじゃすまない」
もっと言えば、敵キャラなんて都合のいいものがいるわけでもない。
いくら倒しても自動的に生産されるキャラがいるわけでもないし、自分が都合よく倒せる強さの敵だけが現れるわけでもない。
「俺さ、この国に来て最初に魔法を使った時、村を一つ壊しちゃったんだよ」
よほど小さい村だったのだろう、と思うほどバトラブの一行は能天気ではない。
目の前の光景を見るに、使った場所が村だったので村が滅びただけで、街で使えば街が滅びるのだろう。
「でもさあ……俺は最初、自分が凄いとしか思ってなかったんだよ」
「きっと、俺でもそう思ってました」
「けどな……今は運が良かっただけだって思ってる。誰も死なずに済んだのは、運が良かっただけだってね」
結局、正蔵は目の前の光景を作るまでは誰も殺していなかった。
それは彼の功績ではなく、彼の周囲の功績なのだろう。
「俺はさ、それから結構経った後に村を見に行ったんだ。そしたら……大して変わってなかったんだよ」
正蔵は村を破壊した。
その復興に、とても多くの人たちが苦労していた。
にもかかわらず、正蔵が壊した村は壊れたままだった。
「『すみません、壊しちゃいました』じゃ、済まない事だったってようやく気付いたんだよ」
祭我は敗北から学び、山水は修行から学び、正蔵は失敗から学んでいた。
この世界は自分達の遊び場ではないのだと、自分にとって不都合なこともどんどん起こるのだと、そうやって理解したのだろう。
「そうですか……」
「それにまあ、これが俺の限界だ。俺は、こういう時しか魔法で戦えない。これより狭い範囲だと、魔法が使えないんだ」
「……これより広い範囲は?!」
「そりゃ余裕だよ」
国一つ滅ぼせる男は、いともあっさりそう言っていた。
一流の、その一万倍以上の魔力を持つ男は、通常の意味での限界をまるで見せなかった。
その言葉を聞いて、バトラブ一行は更に青ざめる。
「そんなに驚かなくても……だいたい、これはこれで、俺達の『最強』から言えばそこまでじゃないだろう?」
正蔵の言いたいことは、祭我にはわかる。
もちろん、他の面々には正しい意味では伝わらないが。
彼らの住む世界は、どんな人外魔境なのかと怯えている。
「アニメやゲームなら、これぐらいやる奴は沢山いただろ」
「それは、まあ……」
「それに、俺よりも強い奴だってきっといるし、もしかしたら現れるかもしれない。俺の最強なんて、不便なだけでそんなもんさ」
いても意味がない。それだけで、本当の『想像しうる限り最強』というわけではない。
正蔵は、自分のままならなさを思い知りながら、祭我に忠告をしようとしていた。
「それに、最強っていうならこれからくる奴の方がヤバいだろ」
「……誰のことですか? ディスイヤの切り札も、ソペードの切り札もここには来ないって……」
「帝国を滅ぼした、新しいドミノの王様だよ。最強っていうのは、強い奴を倒した奴が名乗るもんでもあるだろう? 国一つ滅ぼした奴が此処に来るし、お前とも会うんだろ?」
正蔵は国の大きさを理解している。
そこに住む人たちの命の尊さを知っている。
軍隊がやられ役ではないことも知っている。
その上で、その『国』を滅ぼした男を恐れている。
「気合入れてくれよ。俺は、そこに行けないからさ」
そこにいる自分の主を想って、愚者は目の前の彼に色々なことを任せていた。