武道
読者の皆様、お久しぶりでございます。
更新を再開させていただきます。
久しぶりなので作風などが変わっているかもしれませんが、どうかご容赦ください。
空に浮かぶいくつもの島々、大八州。
そのうちの一つに、大八州の主であるカチョウの暮らす小さな家があった。
カチョウの弟子であるスイボクとゼンも一緒に生活をしている。
ゼンからすればとんでもなく過酷な環境であるが、フウケイと一緒に暮らしていたこともあってある程度耐えられてはいた。
そのように仙人が三人暮らしているカチョウの家はとても粗末なものだったが、その粗末さに見合わぬ堂々たる来客がぞろりと並んでいた。
お行儀よく順番待ちをしているとかではない。
扇状に並ぶ彼らは、武士のような荘厳なる礼服を着ていた。
その服に見合うだけの迫力を持つ彼らは、全員が成人以上の年齢である。
それぞれが脂の乗った全盛期の現役剣士、剣術道場の師範、あるいはさらにその上の引退した先代師範たちである。
一人前以上、一流以上の剣士たちが勢ぞろいしていると言ってよかった。
彼らは質素な服を着ているスイボクやカチョウの前で両ひざをつき、頭を下げている。
「スイボク様……この度はお願いがあって、ここに参上いたしました」
「聞こう」
「我らに稽古をつけていただきたい」
最前列にいる、白髪の男性たちが代表して願いを口にしていた。
彼らの言葉を受けて、すぐそばにいたゼンがスイボクに耳打ちをする。
「フウケイ様はこういうお願いを断っていました。武神奉納試合以外では俗人の方と戦わなかったんです」
「そうか……」
「ゼン殿のおっしゃる通り……フウケイ様はそのような方でした。いろいろとお考えがあったのでしょう。しかし我らはそれを神聖視し、勝手に崇めていました。近くにいないほうがありがたいと……」
フウケイと面識のあるはずの俗人の年長者たちは、恥じ入っていたがそれを隠してはいなかった。
「フウケイ殿へ無理に要求をするべきだった、とは申しませぬ。しかし貴方が受けてくださるのなら、こんなにもありがたい話はありませぬ。どうか……お願いいたします」
「無論である。指導しよう」
スイボクの言葉は最高の返事であった。
剣士たちはそれを喜んでいたが、意外には思わなかった。
このお人なら受けてくれると信じていた。
「武術に限らず、術とは最善を尽くすこと。武術とは勝つために最善を尽くすことと見つけたり。次の祭りでサンスイに勝ち、儂に挑み勝ちたいのであろう? そのために儂と戦い、儂の剣を知りたいのであろう? 望むところである」
快活に笑うスイボクであったが、ゼンは少し不安そうである。
以前の彼ならば、フウケイに勝ったスイボクが負けるなど想像もしなかっただろう。
だがガリュウがサンスイに勝ちかけたこと、手傷を負わせたことを想うと安心できない。
「師匠。私は彼らに稽古をつけますゆえ、しばらく離れます」
「……そうか。それでは丁寧に教えてやれ」
「はい!」
さすがにカチョウの家の前で剣術指導をするわけにはいかないので、スイボクは剣士たちを伴って下がっていった。
それを見送るカチョウは、何とも言えない顔をしている。
ゼンが思わず聞いてしまうほど、彼の顔は雄弁だった。
「カチョウ師匠、何をそんなに心配なさっているんですか?」
「うむ、少しな……」
※
スイボクと一流の剣士たちは、そろって別の島にある大きな道場に移動した。
見学希望者も多くいたのだが、そこは鶴の一声で黙らせた。
スイボクが許しても他の剣士たちの気が散るという理由である。
広く清潔な木製の道場の中。
そこには本来指導をする側であるはずの剣士たちがずらりと並んで座っている。
流儀も剣術の流派も全く異なる、一流であること以外になんの共通点もない彼らは……。
訓練用の木刀を持ちながら、真剣な表情でスイボクを見ていた。
現在彼は金丹の術を用いて、体格を青年にしている。
それでも見た目通りではないとわかるほど、油断も隙もない風格をしていた。
「誰でもよいぞ、かかってくるがよい」
自信満々に笑うスイボクは、挑発気味に相手へ出てくるよう促した。
すでに順番を決めていたらしく、この場で最も年長であろう、長い白髭を伸ばした老剣士が立った。
以前はフウケイを相手に勝負をしたこともある熟練の剣士であった。
「おねがいします」
「うむ」
達人同士の立ち合いであろう。
普通に考えればにらみ合い、けん制し合い、細かく動き合うはずだった。
だが老齢の剣士はそれをせず、中段に構えてから一気に突いた。
「きぇい!」
老齢を感じさせないほどの刺突。
木刀であるとはいえ、当たれば胴体に突き刺さるのではないかという威力を感じさせた。
しかしスイボクはその刺突の流れを逸らしつつ、自らも下がりながら回避した。
型稽古のような、息を合わせたかのような、お手本のような回避だった。
技としてみれば誰もが知っている、刺突の回避法である。重要なのは老剣士が虚を突くような、予備動作のない刺突を仕掛けたにも拘わらず、あっさりと合わせて回避したことだろう。
刺突を空振りしたことで、老剣士の体は前のめりになり、死に体となった。ここからどう動いても勝つことはできまい。
老剣士は一本取られたことを認めて、頭を下げた。
「お見事……もう一度おねがいします」
「うむ」
スイボクと老剣士は再び向き合う。
そして今度はスイボクの方が先に動いた。
体幹の動きは最小限に、お返しのように刺突を繰り出した。
老剣士の衰えた体に触れる形で停止したそれを、老剣士は生唾を呑みながら見届ける。
(機先を制された!)
(動こうとしたところを逆に動かれた! あれでは反応できまい!)
(まさに神域の武! サンスイ殿の師匠なだけのことはある)
(荒ぶる神という呼び名にふさわしくない、精緻なる剣術……お見事というほかない)
周囲の剣士たちは、老剣士を相手に見せたスイボクの機微を完全に理解していた。
わかり切っていたことであったが、百点満点の剣士、理想の剣士で理論値の剣士だった。
この大八州では戦争など起きない。だからこそ剣士たちは一対一の剣術を研鑽するようになっている。
一対一でしか使えない繊細な技も生まれた。だがそれも多くは『型稽古』でしか使われない。
理由は難しいからだ。
相手と申し合わせて練習する型稽古ですら高難易度の技……それも失敗すればそのまま負けるような技を試合で使う者は少ない。
まして、使って勝つものなど希少だ。たいていの場合は使って負ける。それも背伸びをして使ったことが原因で、勝てるはずの相手に負けるという醜態を侵すのだ。
だからこそ繊細な技の中でも、比較的簡単なものしか使われることはない。
だがスイボクとサンスイはそれを絶対に成功させる。
相手の呼吸や思考を読み合う試合の場で、達人を相手に超絶技巧の技を使いこなす。
まさに理想動であり理論値。
こんなやつを見たら、普通は『勝てるはずがない相手と思うだろうな』などと、剣士たちは他人事のように考えていた。
(あの試合を見る前なら、勝てるわけがないとあきらめて剣を捨てていただろうな。そうでなくとも現役を退いていただろう)
(いやまあよ。もちろん今だって結構面喰っちゃいるんだよ。でもなあ、あの試合を見た後ならイケるかも、とか思っちゃうよな)
(元より格上とわかっているから稽古を願ったのだ。頭で勝算を探っても、畳の上の水練にしかならん。この戦いをしっかり見ねばな)
壁際に並び、囲む形で観察する剣士たち。
彼らは自分の番が来ることを待つのではない。
むしろ自分以外の誰かが戦う姿をこそ、瞼に焼き付けようとしていた。
そのように向学心旺盛な剣士たちを、スイボクはむしろ嬉しそうに見つめているのだった。
※
スイボクと剣士たちの稽古は、一日目には何も起きず、ただ時間が過ぎていくだけだった。
二日目になっても、三日目になっても大したことは起きなかった。
稽古に動きがみられたのは、四日目になってからである。
まず攻略の糸口を見つけたのは、叙景流の剣士であった。
叙景流の剣術道場では、一定以上の体格を持たない者は入門すら許されない。
当然ながら、師範も門下生も体格のいい者だけである。
スイボクと向き合う叙景流の師範もまた大柄な男であった。
彼は大上段に振りかぶり、じりじりと間合いを詰めていく。
特に何の変哲もない、叙景流の剣士が何度も訓練して習得した動きであった。
今日まで何度もスイボクに挑み、そして破れた動きそのままだった。
だが彼の表情や気配からは、なにか勝機、希望を見出すことができていた。
ほう、と思いながらもスイボクは普段通りに向き合う。
「むん!」
大きく踏み込みながら、大上段から振り下ろす。
叙景流の得意とする技であった。
カチ当たればスイボクの頭を粉砕するであろう恐るべき一撃。
それに対してスイボクは、横に動きながら木刀を斜めにして『逸らす道』を作った。
真っ向から受け止めるのではなく、斜めに受け流す。ごく普通の対処法であった。
とはいえ『叙景流の達人』を相手に成功させるのはさすがとしか言いようがない。
(慣れた!)
一撃がいなされても、彼の体勢は死ななかった。
優れた体幹によって踏みとどまり、すでに動ける状況になっている。
(無作法だが……!)
彼は振り下ろした木刀を振り上げなおすことはなく、道場の床を削るように薙ぎ払った。
力がこもっておらず、足を打つというよりも足の指をたたくような技だった。
叙景流らしからぬ動きであった。
スイボクはそれを悠々と回避する。
体幹をそのままに、前に出ていた足を下げることで指を守ったのである。
(やはり……!)
見るべきもの、はそこまでだった。
ここからスイボクは攻勢に転じた。叙景流の剣士も一太刀までは対応したが、二太刀目で一本取られた。
しかしそれでも、彼の顔は手ごたえを感じていた。
他の剣士たちもその表情の意味を察し、大きく頷いている。
希望というべきものが伝播し、攻略への一歩目を見出したのだ。
(なるほど、そういうことか……)
相手は理想の剣士。理想の剣士をどう倒す。
苦心していた彼らは、スイボクが剣士として戦うことの限界を理解した。
仙術を使わない限り、理想の剣士は理想の剣士でしかない。
木刀を爪楊枝で受け止めるとか、真剣を箸でつまむとかなどできないのだ。
同じ理由で、叙景流の剣士が全力で打ち込めば、真っ向から受け止めることはできない。
仮に受け止めることができるとしても、自分の手首を痛めてしまうだろう。
機先を制する形で突きを打ち込んだり、すれ違いざまの抜き胴を当てようにも、剣術の修練を積んだ大男が遠くから踏み込み打ち込んでくるのならそれも無理だ。単純に間合いが足りない。
であれば今やったように受け流すか、避けるしかない。
そう……理想の剣士といっても、剣士として戦う限り、身体能力は見たままだ。
木刀や手足が長くなることはないし、体が重くなることはないし、力が強くなることもない。
だからこそ叙景流の打ち込みに対して、受け止めることや機先を制するという選択肢はなくなる。
無理、と言った方がいいか。
(練習した打ち込みを完璧に回避される、というのは驚くだろう。だが何度も体験すれば、それに対して慣れるのも必然。そして……そこから次の動きにつなげることも可能になる道理だ)
スイボクとサンスイは、相手の攻撃に対して複数の対処法を身に着けており、それを完ぺきにこなせる。
受ける避ける流す。これらも特定の型を持たず、複数の方法で実践できる。
そこからさらに存在する攻防にも複数の方法を用意している、まさに無形と言っていい境地。
これを攻略するには同じ境地に立つしかないかと思われたが、それは違うと証明された。
(どの流派にも、対処の手段が限られる技が一つはある。それを起点にすれば、スイボク様であれサンスイ様であれ、次の動きを限定できる……型にはめてたおすことができる。もちろん容易ではないし確実でもないが、攻略の糸口はつかめたな)
(ガリュウのように何度も剣を交えることは非現実的だな。二太刀、三太刀以内で決着までもっていく……!)
(勝つぞ、絶対に!)
スイボクは少しだけ、心地の良い悪寒を覚えた。
目の前の彼らはやはり格下だ。今のままなら何度戦っても勝てるだろう。
だが何度も何十度も手合わせをしてやれば、自分に慣れる。複数の完璧な対応手段を持つ剣士を相手に、己の研鑽した剣術がどう通用するのか検証できる。
剣士として戦えば、そのうち負けるかもしれない。
(ガリュウの功績よなあ。我が弟子であるサンスイを相手に最高の勝負をした前例がいる、と知っていれば諦める気は失せる。己なりのやり方を探ろうという気が起きる。負けても心折れずに立ち向かえる。手強くなるのう……いっそ仙術で潰してしまうか? なんてのう……くくく)
負けるかもしれないと思うだけで恐慌手段に出る。
若いころの己なら迷わずそうしていただろう。実行した後で迷うだろう。
だが今の自分はそうではない。多少なりだが成長を実感できた。
(サンスイよ……儂もアレがやりたくなった。双方同等の条件で立会い、死力を尽くしあったうえで勝つ……そんな戦いがしたくなったのだ)
武術が勝つために最善を尽くすことだというのなら、この状況は武術ではない。
同志たち全体の成長を目指すために己をさらし、検証に付き合うことはその対極だ。負けるためにやっているようなものだ。
つまり武道であった。
※
スイボクの機を読み間を計り心を観る力を、剣士たちはしっかりと理解していた。
だからこそスイボクの間合いや力、速度をしっかりと把握し、対応しきれない動きを探り始める。
稽古はしっかりと前進をはじめ、剣士たちの顔に成長の喜びが漏れていた。
そのような道場を覗き見ているのが、カチョウでありゼンであった。
剣術に関してはド素人である二人は、稽古が前進していることなどわからない。
スイボクがひたすら勝っていて、なおかつ誰にもけがを負わせていない。なんとも安心できる稽古にしか見えなかった。
「カチョウ師匠、何をそんなに心配なさっているのですか? スイボク様がひたすら勝っているだけじゃないですか」
「うむ。スイボクが成長していて、儂もうれしい。しかし……心配じゃのう」
剣士たちの目が輝いていることはカチョウにもわかった。
彼らはきっと調子を上げていくのだろう。
それでもスイボクなら勝つ。
根拠などないが、カチョウはそのあたり絶対的に信じていた。
問題なのはスイボクではなく、ここにいないサンスイであった。
「最近サンスイは心を乱しておった……今のあの剣士と立ち会えば、負けてしまうやもしれぬ……」
ーーー祭りが近い。




