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地味な剣聖はそれでも最強です  作者: 明石六郎
人の怒りと神の怒り
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継承

「いよいよ君が、バトラブの当主になる。私の役割も、ようやく終わるというものだよ」


 いつもにこやかなバトラブの現当主は、いつも以上に微笑みながら次の当主である祭我へ話しかけていた。

 一方で祭我は、とても緊張した顔をしている。


「正直に言えば……私の任期にはあまりにも多くのことがあり過ぎた。もちろん君に非があるわけではないが、当主に就任した時はこんなことになるとは思っていなかった」


 ドミノの実質的な併合、マジャンや大八州との国交樹立、竜の僕との全面戦争。

 それらが彼の任期に、それも比較的短い期間に起こったのだから、本当によく国が残ったのだと思ってしまう。

 だがそれでも、国家は残った。過ぎてしまえば、いい思い出だ。

 喉元過ぎれば熱さを忘れるともいうが、忘れて困る熱さではない。


「そして……改めて、サイガ」

「はい」

「君は、よく成長してくれた。娘が君を連れてきたときは、お世辞にも四大貴族の当主にふさわしくなかった。だが君は成長し、バトラブを任せられる男になってくれたよ」

「そのことなんですが……」


 祭我は不安そうだった。

 なにせ彼はまだ三十にもなっていない若造である。

 その自分が、この国家の長に最も近い男になる。

 はっきり言って、不安で仕方なかった。


「まだ、早いのではないかと……」

「そんなことはない。いや、というよりは……今、君でなければならない」

「……国益のためですか」

「その通りだ。これは私や君の気持ちでどうにかできることではない」


 祭我がかつて望んだ、勇者や英雄という地位。

 それは決して、周囲から羨望を集めるだけ、楽しいだけの立場ではない。

 誰もが期待しているのだ、英雄が頂点に立てば、暮らしがもっと豊かになると。


「それにだ、君が思っているほど、四大貴族の当主とは特別ではない」

「そんなことは、ないと思います」

「違うとも。まじめにやってさえいれば、誰にでも務まる仕事だ」


 自嘲気に、皮肉を込めて、現当主はそういった。

 だがその言葉は、とてもではないが祭我には信じられなかった。


「そ、そんなことは……」

「では私に、何か特別な力があるとでも?」

「それは、違いますけど……」

「君も知っての通り、アルカナ王家も四大貴族も、カプトを除けば特別な血統でもなんでもない。ただ長く続いている家というだけだ。そしてそのカプトさえも、個人としては普通の法術使いと大差がない。私たちは、普通の人間だ。君たちと違ってね」


 切り札とされる者たちは、立場としては当主の下である。

 しかし戦闘能力は当然のこと、希少性を語るならば切り札のほうがはるかに上である。

 後継者問題に直面しているのは、当主ではなく切り札の方であるぐらいなのだから。


「確かに、特別ではないのかもしれませんが、その……優れていると思います」

「ははは……それは気のせいだよ。確かに君から優れていると言われるのは嬉しいがね、私はそんな大したものではない」


 祭我は現在の当主たちぐらいしか、実例を知らない。

 しかし当の当主たちにしてみれば、自分たちが先代たちと大差がないことはよくわかっている。

 仕事の結果を数字で比較してみれば、さほどの違いはないのだ。外交はともかく、内政をしていれば嫌でも比較することになるので、うんざりするほど理解することになる。


「私が現当主になったのは、単に先代の息子だったからだ。もちろん他にも少しは候補もいたが、そこまで大きな差があったわけでもない。もしも当主にそこまで能力が必要とされるのであれば、当主の息子という狭い枠の中で選べないだろう?」

「それは、まあ……」

「第一、それなら君を次期当主に指名しなかったとも」

「そりゃそうですね」


 あっさりすんなり納得してしまう祭我。

 少々自虐が入っているが、当主本人が後継者として自分を指名していたのだから、そこまで能力は必要なかったのだ。


「確かに、当主の権限は大きい。だからこそ多くの誘惑があるが、だからと言って『誘惑に負けない役人』が希少だというのは、納税している民衆に対して不誠実だろう」

「……はい、そうですね」

「君は今まで、次期当主としての分を弁えて行動してきた。であれば今後は、当主としての分を弁えて行動すればいい。それはそこまで、難しいことではないのだよ。むしろ、当主としての分を弁えずに行動しようとすればするほど、どんどん難しくなってしまう。自分で自分の、行動を制限してしまうのだよ」

「当主には、当主の分が……」

「思い上がってはいけない。当主というのはね、ただ単に命令する立場の人間というだけだ。命令したぐらいで、領民や臣下が都合よく従ってくれるわけがないだろう。もしもそうなら、とっくに犯罪など根絶しているとも」


 苦笑いをしながら、祭我は自分の過去を振り返っていた。

 日本にいたときの自分が、ただの一般市民だった自分が、一体どれだけ『お上』の指示に従っていただろうか。

 赤信号を渡ってはいけない、という程度のことさえ、守っていなかった気がする。


 そんな自分が『お上』になったとたん、民衆はみんな自分の言うがままに動いてしまう、責任重大だ、と思ってしまっていたのだ。

 凄まじいほどの勘違いである。自分のことを、あまりにも棚に上げている。


「政治でできることとというのは、優先順位を決めること程度だ。国防は大事だし、外交は大事だし、災害支援は大事だし、治安維持は大事だし、農業への支援も大事だし、不正の監視も大事だ。どれ一つおろそかにしてはいけないし、おろそかになればどうなるのかもわかっている。だが……予算も人員も有限で、全部を完璧に行うことは不可能だ」


 引退をまじかに控えた当主は、かつての自分を思い出す。

 自分が当主になったからには、旧態依然の体制を改革して、他の領民が移住したくなるほどの領地にしてみせると意気込んでいた。

 そのためなら、自分は身を粉にしても働いて見せると、力みに力んでいた。


「何も頑張らなくていいとは言わないが、当主一人が頑張ったぐらいで領地は良くならない。私たちが何を考えてどんな命令を下すとしても、実際に働くのは領民なのだ。領民の負担を度外視して、勝手な理想に走ってはいけない」

「ぐ、具体的に、どういうことでしょうか?」

「税金が倍になる、労役が倍になる、兵役が過酷になる、などだな」

「最悪ですね」

「そうだろう」


 常備軍を設立し、兵士たちに高価な武器防具をそろえる。そうすれば戦力は増し、他国からの侵略を抑止することはできる。

 そんなことはわかっているが、その予算は誰が払うのか。その兵士たちは、どこから集めるのか。

 税を多く納めることになるのは領民で、常備軍として過酷な鍛錬に耐えるのも領民である。


 国中の道を整備すれば物流が滑らかになり、結果として国が良く回るようになる。

 そんなことはわかっているが、実際に道を整備するのは誰なのか。

 国にある数多の道を、膨大な時間をかけて整備するという苦行を、大量の領民に押し付けるのである。


 末端の衛兵にも十分な給料を払い、なおかつ監察官を置けば、不正は著しく減り治安もよくなるだろう。通常なら手が届かない地方にも、賊を討つ軍を出せるようになるかもしれない。

 しかしその結果、他の予算が削られてはたまらない。

 治安の維持に費やす予算を十倍にして、犯罪率が十分の一にさがったとしても、その分のしわ寄せは必ず発生するのである。


「結局のところ」


 改めて、当主は目の前の後継者を見る。

 つい先日まで、己自身が頑張らねば国家が滅びるところだった、最強の剣の主だった男を見る。

 男子の本懐を成し遂げた、英雄を見る。


「自分が頑張れば頑張るほど、領民は幸せになっていく、というのは陶酔に過ぎない。自分がこれだけ頑張っているのだから、領地が良くなっていくはずだ、と決めつけるのは傲慢に過ぎない。自分がこれだけ領地を想っているのだから、領民は自分を支持しているはずだ、という期待はただの甘えだ」


 誰かにお願いをして、『なんとかしてもらう』『なんとかさせる』ことしかできなかった、ただの指示者だった自分を笑う。

 そんな自分が、英雄に尊敬されていることを、誇らしく思う。

 悪くない人生だった、職務を全うできたのだから。


「君もサンスイ殿からこう言われたのではないかね、『一番大事なことは何かと聞くのは、ただの手抜き』だと。全部のことに気を回すのが面倒なので、一つのことだけに注意するだけで、自分はちゃんとやっているのだと思い込みたがっているだけだと」

「はい。剣の素振りで右手と左手のどっちが大事か聞いた時、歩くのに右足と左足で差をつけるのかと言われました」

「そのとおり、どっちも大事、何もかも大事なのだ。一つでもおろそかにすれば、そこからほころんでいく。それを忘れないことだ」


 剣の教えは、『まつりごと』にも通じる。山水の教えは、祭我によい影響を残していた。

 なるほど、ソペードの者が山水の元へ、子供を送り込みたがるわけである。


「まあとはいえ、最初から君のことはそこまで心配していなかった。最大の懸念だった、ご老体の後継者問題も解決した。私も憂いなく引退できる」

「……アクリルのことですか?」

「そうだ、彼女ならディスイヤを滞らせることなく、運営できるだろう」


 ディスイヤの鬼才にして奇行の女、アクリル・ディスイヤ。

 未だに接触が少ないので祭我には何とも言えないが、あまりいい噂は聞かない相手である。


「彼女はちゃんと、政治が分かっている」

「聞いた話だと、代官の方々はアクリルに怯えているそうですが……」

「それはそれで、上手にやっている証拠だよ。彼女の意のままに動かされているので、不気味に思ってしまっているだけだ」


 未だに意識の戻らない、ディスイヤの老体を当主は思い出す。

 自分の先々代から現役だった、長く自分とかかわってきた相手を思い出す。

 自分の失策を嘆き、己を鼓舞して奮い立たせていた、老人の哀愁を思い出す。

 当主たちと国王はその都度、他のディスイヤへ苛立ちを覚えていたのだ。

 間違いなく、代官たちはそれ以上だったのだろう。


「もしも彼女の命令が本当に間違っていれば、誰もその指示に従っていなかった。彼女の意図したとおりに皆が動いたということは、彼女は全体の意思をきちんと理解した上で政治をしたということだよ。決して独りよがりでも横紙破りでもなく、筋を通して納得させたということさ」

「……ディスイヤの人間を、老人から子供まで島流しにしたことをですか?」

「そうだ、それはディスイヤの代官の総意だった。彼女の命令が非道であるのだとしたら、その命令に異論を唱えなかった代官たちはそれだけ怒っていたということだ」


 ディスイヤの代官たちの中には、少なからずアクリルへ不満を抱いている者もいる。

 老体が倒れるまでほとんど何もしていなかった、放蕩な日々を過ごしていた才媛を呪いたくなる。

 だが彼女自身に忠義を向けている者が少ないからこそ、彼女の指示の正しさが浮き彫りになるのだ。


「それは代官だけではない、実行したのは別の人間のはずだからね。赤ん坊や子供ぐらいは逃がしてあげよう、と思う者さえ一人もいなかったのだ。それはもう、恨みに恨まれていた。おそらく彼女が指示しなくても、全員闇に葬られていただろう」

「……怖い話ですね」

「うむ、戒めるべき話だ。本来なら汚れ仕事に手を染めていた、ご老体こそが恨まれてしかるべきだというのに、芸術家として素晴らしいものを生み出し続けていた他のディスイヤたちが恨まれているのだから」


 当主はざまを見ろ、としか思えない。

 よく知らない祭我は気の毒そうな顔をしているので口に出すことはないが、それでも心の中でアクリルに感謝していた。


「この一件もディスイヤの歴史に刻まれる、悪しき出来事の一つというわけだ。後年の評論家や政治家たちは、さぞアクリルを叩くだろう。もしかしたら、わけのわからない理屈をつけて、彼女を悪人として仕立て上げるかもしれない」


 素晴らしいものを生み出す芸術家たちが、この世界から葬られた。

 それはそれで事実であり、この時代に生きていない者からすれば狂気の沙汰となるだろう。

 だがどうせ、この時代の人間にはどうでもいいことだ。


「しかし、それは気にしなくていいことだ。私たちが配慮するべきは、私たちに税を納めてくれている今の領民だ。後年の政治評論家には、適当なことを言わせておけばいい。どう書かれたところで、私たちに損はないのだからね」

「後年……」


 当主の、何気ない一言。

 後年の歴史家、という言葉に祭我は嫌な想像をしてしまっていた。



 悩むとすぐに他人へ相談するのは、祭我のいいところであり悪いところである。

 少し前までは、山水へ頻繁に相談し、呆れられていた。

 そのあとは自分の妻たちへ相談するようになっていたが、それでも今回は流石に聞けることではなかった。

 彼女たちに聞いても、何の意味もないからである。


「お久しぶりです、大天狗」

「おう、サイガか。すっかり良くなったみたいで何よりだな」


 彼の心中に生じた、『なんの意味もない不安』。それを解消できるのは、この世界でただ一人だった。

 王都近くに入り口を移した、秘境セルの主大天狗。暇を見つけて赴いた祭我は、彼の住まう秘境の中心で彼に深い礼をとっていた。


「はい、大天狗とフサビス様のおかげです」

「気にすんなって、大したことじゃない。それよりも……今日はどんな用事だ?」


 世界最高の宝貝職人、大天狗。

 積極的に作品を表に出すことはないが、新しい宝貝を作るのも、既に作っている宝貝を自慢するのも、宝貝を依頼されるのも大好きな男である。

 バトラブの新しい主になる男が、わざわざ来たということで期待をしているようだった。


「実は……聞きたいことがあるのです」

「ん?」

「これから、この世界はどうなってしまうのでしょうか」


 今のところ、アルカナ王国は安泰である。

 自分がバトラブの当主になっても、しばらくは問題なく国家運営されるだろう。

 少なくとも現時点では、目に見える破滅は存在しない。


 だがだからこそ、どうでもいいことを不安に思ってしまう。

 これから百年先どころではなく、千年二千年先を想ってしまう。

 自分の遠い子孫たちが、今の己たちを呪う日が来るのではないかと思ってしまうのだ。


「旧世界の怪物が、この世界に根を張りました。そしてアルカナ王国に、その根を払う力は残されていません。かつて人間と戦争をした竜やその下僕たちが、この世界で生きるようになれば……この世界はどうなってしまうのでしょうか」

 

 余裕ができた、暇ができたからこそ、どうでもいい不安が心を覆う。

 どうでもいいと分かっていても、不安は不安である。自ら最前線で戦い、旧世界の怪物の恐ろしさを知っているからこそ、その憂いを後世に残すことへ罪悪感を覚えるのだ。


「どうか教えてください。最初に神宝を授かった八人の一人、大天狗セル」


 一万年前、竜と戦った男へ問う。

 あまりにも漠然としている、未来への不安をぶつけた。


「ずいぶんと寝ぼけたことを聞くな、お前。まあこの時代に生まれたお前なら、そんな風に思うのも仕方ねえが……あの竜なんぞよりもな……」


 一息、ため息をつく。


「スイボクのほうが、ずっとヤバい」

「……そうですか?」

「本当に幸せもんだな、お前ら」

本日、4巻が発売されます。

よろしくお願いします。

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