援助
一つ、旧政権の亡命貴族たちに評価できる一点があるとすれば、それは諜報力ということになるのだろう。
少なくとも彼らは、山水の元に皇族の生き残りがいることを探し当てたのだから。
その彼らが次にやったことは、当然山水の情報を集めて口説く準備をすることだった。
その結果得られたものが、まったく望ましいものではないことに憤慨せざるを得なかったのだが。
「五百年以上生きる仙人……我が帝国が始まる前から研鑽していたという、飲食も情欲もない剣士……」
こんなの、どうやって口説けというのだ。
こうなると、あのソペードさえも当人に意思の確認をしていたことが理解できる。
あの場にいない男ではあったが、国家をして軽く扱える男でないらしい。
「こんなのどうやって口説けばいいの」
親戚や故郷があるとも思えない。あったとしても、既に滅びているだろう。というか、故郷に執着があるのなら五百年も修行しない。
彼は偶々山奥で子供を拾って、その子供を育てるために山を下りたのだ。そしてある意味では、既に武芸者としては頂点に達している。
ソペードという大貴族の令嬢の護衛として同じ屋敷に住まい、地方の領主とはいえ同じくソペード本家から目をかけられている貴族の娘と結婚が概ね決まっており、今では弟子をとることも許されているという。
一応念のため、自分の護衛に確認したハリは『それ以上の境遇を想像できない』という分かり切った回答をもらってしまっていた。
「それでも……それでもその気にさせなくては……」
ハリは護衛と共に、彼がいるという王立学園へ向かうほかなかった。
※
「あれが最強の剣士ですか……」
実際に野原で指導しているところを見ることになったハリとその護衛一行。
最強の魔法使いの『爪痕』を見た身としては、目の前の彼の地味さになんとも言えない感情を抱くしかなかった。
ある意味予想していたことなのだが、剣に関しては素人である彼女は目の前の光景がそんなに凄いとは思えなかったのだ。
訓練用らしき布を巻いた棒で、生徒らしき剣士たちを叩いているだけだった。
正直、やらせの様に全員が呼吸を合わせているようにしか見えない。或いは、乱戦に見せかけた型稽古か。
「とはいえ……彼が最強の剣士であり、皇女様の保護者であることは事実。彼を口説き落とさねばなりませんね」
もちろん、軽く見るつもりなどない。彼の凄さが自分にはわからないというだけで、少なくとも彼に敗北したトオンを相手に、自分の父の護衛達はまるで歯が立たなかったのだから。
彼が強いことは事実で、同様に一定の発言権を持っている。それならば、何としても祖国奪還に協力してもらわねばならない。
「行きましょう、帝国を取り戻すために」
修行が終わったころ合いを狙って、レインと一緒にいた山水に声をかける。
ずっとこちらに気付いていたのか、護衛を連れたハリが前に現れても驚いていなかった。
その上でやや迷惑そうな顔をしている。
「失礼します、サンスイ殿。私はハリ、帝国の貴族です」
「どうも、白黒山水と申します」
「以前、貴方やお弟子のトオン王子を相手に、我が父が衝突してしまいました。そのことでまず謝罪を」
これに関しては、父親も焦っていたことだった。
呪術で脅されていたとはいえ、『公正』な場で彼は多くを認めてしまっていた。
その事実をまず謝らなければならない。
その上で協力を取り付けなければならないのだから、彼女の常識から言っても相当難しい一件である。
「既に裁かれたこと、気になさらず」
「寛大な心に感謝を……レイン様、貴女は出自に関して知っていらっしゃいますか?」
「……パパ、この人怖い」
「落ち着きなさい、パパも一緒だから」
知らなかったとはいえ、次期皇帝になるべき皇女からパパと呼ばれていることにやや不快感を感じないでもない。
しかし、そもそも森の中で狼に食われるはずだった彼女を救ったのも、紛れもなく彼だ。であればその点はどうしようもない事であろう。
第一、ソペードのもとで彼女は不自由なく育っていた。彼自身の格好はともかく、レインの格好は王国基準ではとても良いものだったので、その辺りは察することができる。
少なくとも、彼は知らぬとは言え皇族の娘にふさわしい、不自由のない暮らしをさせていたのだ。仮の父としては十分であろう。
「レインの出自に関しては聞いています。ドミノ帝国の皇族だとか」
「ええ、その通りです。そして、我らの希望でもあります」
王国と違い、帝国は特に皇帝の権力や権威が強い。
その皇族が不在では、ただでさえ数が少なくなった亡命貴族たちも、まるで統率が取れない。
誰かが頂点にいなければ、亡命貴族たちは組織だった活動ができないのだ。
「サンスイ殿、レイン様と我ら帝国貴族の為に、叛逆者たちを誅するべく立ち上がっていただきたい」
確かに亡命貴族たちは、程度の差はともかくアルカナ王国に保護されている。
このままいけば、この国の貴族の中の誰かと結婚して、そのまま流れに組み込まれていくのだろう。
それはそれで楽な人生だ。そして、それまでには持ち出した財貨も持つ。
だがそれは、負け犬の発想だった。今後ドミノという国が、自分達以外によって運営されていくなど許せない。
「そんなことを言われましても……」
「貴方のご意見は、四大貴族や王家であっても軽く見られておりません。貴方が反逆者を打つべしとおっしゃるなら、アルカナ王国も重い腰を上げるはずです!」
「貴女たちには申し訳なく思うのだが……レインはその……ある程度の教育をしているものの、人の上に立つ者としての心構えとかがないのです」
「そこはご安心ください、宰相として我らが支えましょう!」
当然だが、流石に五歳かそこらの少女に政治や軍隊を任せるつもりはない。
そこは当然、経験のある貴族たちが補う。それは帝国でもたまにあることだった。
彼女に期待しているのは、あくまでも旗印としての役割なのである。
「宰相……」
「むろん、良からぬ想像されているでしょう。ご安心ください、我らに私心はありません。これもすべては帝国の為、そして王国の利益にもなるはずです」
彼女は本心からそう言っていた。下心がないと言えばうそになるが、それでも利用しつくすつもりはなかった。
このままドミノを反逆者の手に渡せば、間違いなくドミノは駄目になる。
事実として、この王国に侵攻している。おそらく、国力が更に弱ったところを他の国から食い荒らされるはずだ。
レインはソペードにとって養子に近い。その彼女を軽んじるつもりはないのだ。
「そうですか……」
「ぜひ力添えを!」
「私はソペードに仕える一介の護衛にすぎず、如何なる出自を持つとしてもレインは私の娘でしかありません。新政権から命を狙われるとしても、それだけの事です。少なくともソペードは、レインを新しい皇帝として認めることはないでしょう」
その言葉は全面的に正しかった。『少なくともソペードは』どころか、すべての家がレインを皇帝に仕立てることに否定的だった。
そんなことをしても、王国の為にならないと全員が否定していたのだ。
「貴方はそれでよいのですか! 本来であれば、帝国の臣民から崇められるべきレイン様が、王国の一貴族の嫁程度に収まって、それでいいのですか!」
「本来なら狼に食われるところでしたし、帝国が健在ならばレインなど見向きもされなかったのでは?」
「そ、それは……」
「私はレインの現状に満足していますし、レインの将来に関しても不満はありません」
仙人としての無欲さが、分かり切ってはいたが立ちふさがっていた。
「帝国貴族としての誇りがあるのなら、他所の国の貴族に養育された娘になど期待せず、独力で国家の奪還に勤めるべきでしょう」
「それができるなら……」
「できないなら諦めるべきです。自分の力で手に入れられないものを維持しようというのは、分不相応というものですよ」
睨むだけで殺せるならば、という視線を送るハリ。
それに対して冷ややかに受け流す山水。
仮に問題が起きれば、不利になるのは一方的にハリ達である。
そもそも、山水を前に問題など起きようもないのだが。
「長く生きている貴方から見れば、私達の問題などどうでもいいのですか? 国家の正統なる所有者がどうなっても、俗世の事だからと切り捨てるのですか?」
「土地に正統な所有者などいませんよ。貴女の先祖にしても、以前の『所有者』から奪っただけの筈です。軽く見るも何も、おかしなことが起きたわけでもないでしょう」
要は縄張り争いに負けただけ。
餌場を追われた動物は、程度はともかく困窮する。
そんなことは当たり前で、だからこそ人間も動物も縄張りというものを大事にしている。
負けて追い散らされた彼らが、当人として何とかしたいと思うのは当たり前だ。
ただ、特別ではないというだけで。
「レイン様には義務があるのです! 皇族として、帝国を率いるという義務が!」
「そうおっしゃるなら、貴女には皇帝を守るために最後まで抵抗する義務があったのでは? また負けた時、レインを置いて別の国へ逃げ出すのでは?」
「貴方もご存じのように、この国には国を焼き尽くすかという最強の魔法使いがいるのですよ! 負けるはずがありません!」
「貴女は『自分の国』を焼き尽くしたいのですか? 貴女の言葉を聞いている限り、皇帝になったレインを宰相として支える力があるように思えない。貴女には何もできないのですから、大きなことは言わないでほしいですね」
既に泣きそうになっているレインをあやしながら、山水は去っていく。
「貴方に……貴方に何がわかる! 我らの無念の、何がわかるのですか! 故郷を捨てるしかなかった私達の気持ちが、貴方にわかりますか! 神宝という理不尽な代物から逃げ出さざるを得なかった我らの心中など、貴方にわかるはずもない!」
「わかりますよ、顔を見れば誰でも。助けてもらって当然だ、奉仕されるのが当たり前だ、と思っている人が勝手な思い込みを裏切られたから癇癪を起しているだけじゃありませんか」
こうして、交渉は完全に失敗に終わっていた。おそらく、再開することはあり得まい。
「貴女たちが帝国を奪還するには、王国に多くを依存しなければならない。疲弊したドミノには、それは返せない。もちろん、『貴女』にも」
「それは相応の対価を、必ずや示しましょう! 国家百年の計です、あの反逆者たちとは違い、我らは必ずやその大恩に報います!」
「貴女は国家百年の計とおっしゃるが、王国からの負債を子孫に返済させようとしている。自分で何もできないからと、子孫に対して無計画な負担を押し付けている。それが『親』のやることだとは、私には思えません」
そう言って歩いていく彼の姿と、突き放されたハリの姿を見て、ソペードの令嬢は美しい顔をゆがめて笑っていた。
※
出世したいと思うものには二通りいる。
既に一定の職に就き、そこから上を目指す者。なんの後ろ盾も無いところから、成り上がりを目指すものだ。
その最たる例が白黒山水を含めた各家の切り札たちなのだが、その後を追う者たちがこうして学園近くの森に貧民街の如き様相を作っていた。
「いくぞ」
「おう!」
焚き火を囲む者がいれば、剣を振るう者がいて、それを見ている者もいる。
あるいは、酒を飲みながら昼間の修行を思い返す者たちもいる。
「っせい!」
「っは!」
片方は布を巻いた棒を振り下ろし、もう片方はそれを回避しながら手刀を入れる。
ある種の型稽古であり、全く珍しくない訓練だった。はっきり言えば、退屈な『道場稽古』でしかない。
この場に集まった者たちの多くは、こんな型稽古になんの意味もない、と断じてきた実戦派の面々である。こんな机上の空論に修行を費やすよりも、戦場に出て一人でも多く斬り殺す方が度胸が付く。そう思っている男ばかりだった。
「……駄目だ、呼吸を合わせれば難しくはないが」
「呼吸を読むとなると一気に難しい」
相手がいつ打ち込んでくるのか、ではない。
山水が言う所の、相手が攻撃の軌道を変えられないタイミングや、或いは相手が攻撃をしようと思ったタイミングを読まねばならない。
一人で行う型稽古は一種の素振りであるが、二人で行う場合は呼吸を合わせる意味がある。もちろん、呼吸を合わせること自体に意味はない。戦場で相手が呼吸を合わせることはないからだ。
そういう意味では、ハリが昼間の稽古を『型稽古』と思ったことは間違いではない。山水はあらゆる相手に対して型稽古の様な攻撃ができるということなのだ。
「行くぞ、と言わずにそちらのタイミングでやってくれ」
「ああ、わかった」
ある意味では、剣は度胸の様なところがある。
相手が完全武装をしているならともかく、お互いに刃物を持っているのならば殺傷能力に違いはない。
ならば、躊躇なく相手へ斬りかかっていく方が強いと、彼らは経験則で知っている。
それはそれで間違いではない。しかし、その上に山水は立っている。
即ち、一騎当千、万夫不当、百戦百勝の境地。男の夢である、最強の剣士という地平。
「……!」
「むっ!」
型稽古を真剣に行っている二人を、やはり真剣に見ている男たちもいる。
双方が緊張しているため、やはりびくびくと動きが固い。真剣にやっているからこそ、互いに力が入りすぎている。
その一方で、幾度となく山水の戦いを見た者たちの瞼には、その機をあっさりと捕えている山水の姿が写っていた。
おそらく、山水なら今打ち込むだろう、という姿が見えているのだ。
とはいえ、それは俯瞰して見た話である。いざ自分が、布で保護されているとはいえ棒を持った相手と対峙し、互いに機を読みあえばそんな風にとらえることはできない。
互いに機を読み取ろうとすると、どうしようもなく膠着状態になってしまう。もちろん、それはそれで一騎打ちなら問題ない。敵が一人しかいないなら、それはそれでいいのだ。だが、山水は口酸っぱく言っていた。戦場でそんなことをする暇はないと。
誰が何人いようと、囲まれようと、どんな武器を持っていても、それでも機を捕え続けなければならない。それが山水の立つ境地だった。
「あんな強い男がいたとはな」
「ああ、あんな奴がいたなんてな」
別に顔に傷を負ったわけでもない。恥を捨てれば、故郷に帰って適当なことを言いふらしてもいい。どうせ『童顔の剣聖』など、『雷切』など、誰も信じはしない。自分達自身が眉唾だと思っていた。
だが、そんな気分にはなれなかった。故郷に帰れば敵なしの男たちが、あえて国一番の剣士のもとにいる理由。
あの『手本』に、一歩でも近づきたいからだ。
「お前、どこから来たんだ? 俺は一応ソペードの田舎だ」
「俺はディスイヤ。あそこはどうにも、都会ほど臭くてかなわねえ。魚料理にも飽きてたしな」
「ディスイヤか、あっちはどっちかっていうと暗器使いが好まれるんだよな」
「俺はドミノだ。今あそこの国は、どいつにもコイツにもすげえ装備をくれてやってるからな……あそこじゃ出世なんてできねえよ」
少しずつ強くなっていると思っている。
最初は何がどうして山水に触れることもできないのかわからなかったが、彼の指導を受けて、彼の戦闘を何度も見て、その術理を理解することで俯瞰を得るようになっていった。
「来たばっかの奴と戦ってみたらよ、割とあっさり勝てたんだぜ。いや、お互い訓練用の剣だけどよ」
「だよなあ、訓練用の剣ならなあ……真剣同士だとどうしてもなあ」
「剣聖は図太いよな。どれだけの奴が相手でも、怯みもしねえ」
多くの者に魔法の素質があるとしても、誰もが魔法を学べるわけではなく、学んでも才能があるとは限らない。最初から素養の無いものもいる。
それでも男として力を求めて、剣を取った。そして、その頂点に巡り合う。
小柄な少年は、それなりの場数を踏み、それなりの自負を得た自分達の『剣』を見て朗らかに笑い、頭を撫でてくれる。
今そこにいる剣の神が、よく頑張って強くなったねと、初めて剣を握ったような子供に微笑んでいるのだ。
「なあ、知ってるか? 剣聖と同じ髪と顔をしている奴いるだろ、あいつは褐色の肌してる兄ちゃんと一緒に、今も個別で訓練してもらってるんだと」
「ああ、らしいな」
玉と石を隔てるもの。それは才能ではなく目的。
ただ金銭や地位を得るために剣を取った者と、強さの証明として出世を求め剣を取った者。
その差違は、壁にぶつかったとき登ろうとするか、他の道を選ぶかということにある。
どちらかといえば、他の道を選ぶ方が賢明だろう。金が目的ならば、そもそも剣を取るべきではない。それは安易な道だからだ。勝てない相手とは戦うべきではない。それも賢い生き方だ。
だがそれは、石の生き方である。玉の生き方ではない。
優れている者には二種類いる。片方は生まれながらに優れている者、もう片方は劣る身でありながら高みを目指す者。
そして時として、劣る身でありながら高みを目指す者の方が、有用な場合もあるのだ。
それもまた、『機』であることに変わりはない。
「中々の熱だな」
その『機』を見逃さぬ眼力もまた、必要になるものではある。
最初から優れている者は、わざわざ危険を冒さない。その必要がないからだ。
だが、機会を求めている者を、必要なとき用意する手腕。それもまた、備えである。
「も、元ソペード?!」
「四大貴族の元当主が、なぜここに?!」
全体を俯瞰するのは剣士だけではない。
政治に身を置くもの、或いは武将として戦場を支配するもの、どちらもまた剣士以上に広い目を持ち深く読む。
数名の護衛と共に現れた老雄は、目の前の彼らから熱意を感じ取っていた。
自分と、娘と、息子。この三人全員が最大の信を置く彼がふるいにかけた、剣の道に生きる玉たちを見る。
「自らの剣で立つ者に、ソペードは何時でも門を開いている。そして、必要な時はいつでも手を伸ばす」
瞼の裏に最強の剣士を焼き付けえた彼ら同様に、老雄の眼にはこの場に存在しないものを見ていた。
「お前達、見たところ路銀もろくに無い様だな」
見る限り、彼らはその日の宿泊費もなく、ほぼ共同に近い形で野宿をしている。
元々金銭に余裕がないにもかかわらず、少しでも彼の傍で鍛錬をしたいという想いを持っている者ばかりなのだろう。
「極めて危険な仕事を頼みたい。国家百年の計に関わる難事だ、もしもの備えとして、お前達を雇う」
雇う、という言葉には二つの意味がある。一つは日雇い、その場限りの雇用関係。
もう一つは長期間にわたる就職。この場に集まった者たちが望む、望んでいた、出世の糸口。
「この一件に、サンスイは使えない。危険故に全滅もあり得るが……生き残ったものには、サンスイからの今まで通りの指導に加えて、金銭の支給もする。お前達を新部隊の隊員とする」
ここから何が起きるのか、老雄は最も恐れるべき事態に向けて布石を始めていた。
「奴の指導が正しかったのかを確かめるためにも、その強さを実戦で証明してもらうぞ」