禍門
本日、コミカライズが更新されます。
よろしくお願いします。
「流石だったなスイボク!」
「ああ」
「あんなことができるのは、お前だけだ!」
「そうだろう」
「我も鼻が高いぞ!」
一国を滅ぼした後に、スイボクとエッケザックスは共に道を歩いていた。
以前と変わらず、エッケザックスは無邪気にスイボクをほめたたえる。
最強の神剣は、最強の剣士に心底惚れこんでいた。
「なあスイボクよ、これからも一緒に旅をしような!」
「もちろんだ」
「お前以外に使われるなど、もはや考えられん」
「ああ、俺もお前を誰にもやりたくないぞ」
「我らは最強の剣と最強の剣士として、この星に君臨し続けるのだ!」
しかしその一方で、スイボクの顔は晴れなかった。
(なぜだ、なぜ先のことを考えると憂鬱になる?)
自分のことを全肯定してくれる神の剣に対して、空返事しかできなかった。
(この日々が、最強であり続けることが、なぜ嫌になる? これが俺の千五百年目指した、理想の在り方のはずだ。それを五百年ほど続けているだけだ、なぜ先が嫌になる?)
疑問が重なり、心の中に積もっていく。
自分自身への不可解さが、居心地の悪さになっている。
(俺の二千年が、全部間違っていたとでもいうのか? そんなバカなことがあってたまるか! 俺は誰よりも真摯に修行し、誰よりも術を学び、誰よりも多くの敵と戦い、誰にも負けたことがない! それが間違いであるはずが……ない!)
『スイボク! お前は何を得意になっている!』
『どれだけの術を覚えたところで! どれだけの鍛錬を積んだところで! お前が何を成したというのだ!』
『所詮お前など、ただの暴れん坊だ! お前は未だに、村の大人を殴り殺した悪童のままだ!』
『スイボク! お前はちっとも成長していない!』
(フウケイ……)
『仙人は俗人を導くという使命がある! 驕った俗人へ罰をくだすことも仙人の務めだが、それは妄りに術を使っていいということではない!』
『俗人を相手に武を誇ってどうする! なんの意味もない! 百年も鍛錬できない未熟者を相手に、仙人が本気になるなど大人げないにもほどがある!』
『天地を動かせる我らにしてみれば、俗人の国など虫の巣となにも変わらんだろうが!』
(なぜだ、なんであいつのことを思い出す……)
肯定の言葉がむなしく、否定の言葉が懐かしかった。
そんなはずはないのに、どうしても懐郷の念が堪えない。
「ん?」
「どうした、スイボク」
「妙な気配を感じる、明らかに人間の物じゃない」
その思考を終わらせたのは、強烈な違和感だった。
この時代のスイボクは不惑の境地にたどり着いていなかったが、それでも強烈極まりない気配が近づけば気付く。
「たぶん、お前と同じ八種神宝だ」
「なんと……ではスイボク、少しばかり寄り道をしてくれんか?」
意地悪く笑うエッケザックスは、スイボクに提案をする。
「我が自慢の主を、他の七つに見せてやりたいのでな!」
「……そうだな」
八種神宝の使い手とは、強烈な感情の持ち主である。
双子将軍もそうだったが、強い心を持つからこそ人は強くなれる。
そしてそういう相手と戦うのは、とても楽しい。
興味がわいたスイボクは、エッケザックスの提案に乗ることにしていた。
「会ってみるか、八種神宝とその主に」
※
カプタイン・イーゼルは、少数の精鋭を連れて帝国へ向かっていた。いきなり本陣を攻め落とすのではなく、各地の領主に会い、奮起を促すつもりだった。
暴政に苦しめられている領主たちに慧眼があれば、帝国の正当なる後継者とともに立ち上がる筈だった。
「先日の不穏な天気が嘘のようだな」
乗馬して精鋭の先陣を進むカプタインは、晴れやかな空に帝国の未来を重ねていた。
重苦しい暗雲は消えて、太陽は明るく大地を照らしている。暗黒時代が終わり、黄金の時代が来るかのようだった。
『ああ、そうだな。正直に言えば、同胞の仕業かと思ったほどだ』
カプタインの腰に下がっているダインスレイフは、気を緩めている主に対して可能性を提示していた。
「同胞……天候を操るという、反逆の天槍ヴァジュラか?」
『圧政をしいている皇帝ならば、ヴァジュラの使い手と敵対することもあるだろう。実際に奴の使い手が都市を壊滅に追い込んだ、という話もよく聞くからな』
「確かに、天候を意のままに操ることができるのなら、それぐらいはたやすいのか」
『制限がかかっている現状では、その程度が関の山だがな。元々人間に使う武器ではないし、限度もある。そこを工夫で何とか出来るのも、ヴァジュラの強みではあるが』
一万年前のことを思い出しつつ、それ以降の変化へ心をはせていた。
「工夫? 天候を操作するに、工夫の余地があるのか?」
『奴は天候を操作する機能を持っているが、地形そのものを変化させられるわけではない。だが長年の経験で、氾濫や土砂崩れを起こすにはどこへ雨を降らせればいいのか、都市へ効果的な気象変化などを教えることができるのだ』
「それは、恐ろしい話だな……」
『天候に対しては、抵抗の余地がないからな。使い手を殺しても、既に起こってしまった天候は変わらない。ヴァジュラの気象操作は時間がかかる分、変更も難しいからな』
「ヴァジュラの使い手が殺される? 天候を操作できるのなら、安全な場所にいればいいだろう。そんなことがあり得るのか?」
『それがそうでもないのだ』
元は竜と戦うために生み出された己たちが、今は人間同士の殺し合いに使われている。
その運命の皮肉さに、ダインスレイフはいつも陰鬱になるのだ。
『軍勢を率いているお前とて、できることなら自分の手でかたき討ちをしたいのだろう』
「それは……そうだな」
『ヴァジュラの使い手の中には、自分が死んでもいいと思っている者も多かった。我の使い手と同様に、強大な何かへ反逆すれば、そこで終わってもいいと思っていた』
「それだけ多いのか? その割には、逸話が少ないと思うが……」
『大きな力の流れへの反逆こそが奴の力の源だ。だがそれは、お前が想像するような『強大なもの』に限らない』
自分たちという強大な道具が、何の力もない貧民や奴隷にさえ運命を覆す力を与える。
それを悪と断じる人間も多いが、実際に虐げられている者を知るダインスレイフは違うと思ってしまう。
『山奥の小さな村でさえ、階級意識というものはある。たかが百人もいないような辺境でも、人は虐げることがある。お前から見れば卑小で矮小で、どうでもいいようなことだろうが、その村に属する者にとっては強大な運命なのだ』
「……」
『その村を滅ぼしたいと、虐げられている者が想像する。人為とは思えない天災で滅ぼすことで、喜ぶと思うか? 我もそうだが、ヴァジュラの場合も使い手が無用なことをする。人間はな、死ぬところが見たいのではない、殺したいのだ。殺されることで絶望する、身から出た錆で死ぬのだと教えてやりたいのだ。その結果自分が死ぬことになったとしてもだ』
新しい人生を想像できない、悲しい人々が多くいる。憎い相手や抑圧された環境を破壊して、その後のことを望まない者がいる。
幸福がわからない、知らない人間が確実にいる。
『我の最初の使い手もそうだった……ローランやシャークは望んで旧世界に残ったが、フランベルジュは……最後まで、苦しみ悲しんで……本当に、我が使い手ながら、哀れな人間だった』
「……ダインスレイフ」
『すまん、水を差すつもりはない。我が主よ、お前の復讐を否定するわけではない。ただ、復讐や反逆に小さいも大きいもない。我らは手抜きをしない、使い手たちが本気であり本心である限り、我らは全力で使われる』
「頼りにしているぞ、ダインスレイフ」
長く生きているがゆえに、愚痴が長くなっている。
それを自嘲するダインスレイフは、いったん黙った。
ただでさえ心労をため込んでいる使い手に、さらなる負担を強いることは彼女の望むことではない。
(我自身、疲れているのかもしれないな。今度エリクサーに会ったときは、たっぷりと慰めてもらうか……)
黙ってなお、彼女の心中は静かではなかった。
(八千年……神の宝であり器物でしかない我にとっても、長すぎる時間だったということか。いや、こう思っているのは我だけか……人に近づきすぎた、親身になり過ぎた報いだな)
長く生きたが故の摩耗、それを考えるとどうしても一人の人間に行き当たる。
(そういえば、セルはどうしているのだろうか。時折奴の作った宝貝を見るが……まだ生きているのか? 奴に使われていたことが、エリクサーの人格へ影響を与えたとは思うが……)
そんな彼女の心中を察してか、カプタインも黙り込む。
もとより行軍の最中である。意気を示すために先頭を行っているが、狙われても不思議ではないのだ。
周囲を警戒するのは、当たり前のことである。
「む! 全体、止まれ!」
ちょうどその時だった。
人里から遠いはずの野道で、明らかにこの付近の者ではない格好の者が現れた。
カプタインは臨戦態勢にはならないものの、部隊の動きを止めていた。
「一体何者だ」
こちらへ襲い掛かってくるつもりなら、わざわざ姿など見せなかっただろう。
だが不信極まりない相手だったことで、彼は馬を止めて威圧しつつ問いただしていた。
「俺はスイボクという。八種神宝、最強の神剣エッケザックスの主だ」
現皇帝ディスプレイが求めている神宝。その所有者を名乗る男は、ダインスレイフに負けぬ荘厳さをもった剣を見せた。
「なんと?!」
「ダインスレイフの主はお前か?」
「如何にも、我が名はカプタイン・イーゼル。復讐の妖刀ダインスレイフの主だ」
突如現れた神宝の使い手に対して、彼の部隊はあわただしくなった。
カプタイン自身も興奮を抑えられず、下馬をしてスイボクのもとへ歩み寄った。
「久しいな、ダインスレイフ」
「お前か、エッケザックス」
二つの神宝が人間の姿になり、再会の喜びを分かち合っていた。
特別仲が良くなかったとしても、同じ使命を帯びた道具が邂逅するのは感慨深いものである。
「今回は将を主としているのか?」
「いいや、国を追われた皇位継承者だ。今は国を取り戻すために戦っているので、将でもあながち間違っていないがな」
「国盗りか、中々楽しそうだな」
「そういうお前は……まさかとは思うが」
ダインスレイフはエッケザックスの主だという、ややけだるげな表情をしている男を見る。
ちょうど先ほどまで思い出していた、ある男と似通った雰囲気を感じさせる者だった。
「ふっふっふ……そうとも、その通り! こやつこそ、我が永遠の主! 歴代最強にして永劫に最強であり続ける、絶対無敵の剣士! 仙人にして剣士、スイボクだ!」
「長命者が、お前を使えるだと?!」
普段の覇気が収まっているスイボクは、紹介にこたえることなくダインスレイフの主を見ていた。
少々残念なことに、彼の好みではない。好奇心が刺激されることが無い一方で、己同様に神宝を持っている男を観察していた。
しかしカプタインの方は、そうもいかない。これから自分が成すべきことを考えれば、強い戦士は一人でも多く必要だった。
「スイボクと言ったか……貴殿はもしや、イーゼル帝国から来たのではないか?」
「ああ、その通りだ。今しがた、そこを出たところだ」
なまじ自分が神宝を持っているからこそ、スイボクの状況を勘違いしていたカプタイン。
彼は全力で、スイボクを己の軍勢に参加させようとしていた。
「現皇帝、ディスプレイ・イーゼルはエッケザックスを求めていると聞いた。それを持つ貴殿へご迷惑をかけなかっただろうか?」
「ああ、かけられたぞ。ずいぶんとまあ、どうしようもない男だったな」
らしくもなく、陰鬱な表情だった。
最強の剣士にふさわしくない、影のある顔だった。
「そうだったか……実は私は、その男の甥なのだ。叔父が迷惑をかけてしまって、本当に申し訳ない」
「気にするな、お前には関係のない話だろう」
もう済んだことだ、という雰囲気になっているスイボク。
しかしカプタインにとっては、済んだことでも何でもなかった。
「いいや、謝らせてほしい。それは私の非力によるものだ」
「ほう」
「ダインスレイフが言っていたように、私は国を追われた男だ。もしも私に父ほどの力があれば、あの暴君の好き勝手にさせることはなかったというのに!」
「……ああ、お前は毒殺されたという前皇帝の息子か」
「そうだ」
浮浪者同然の格好をしているスイボクが、皇位継承権を持つカプタインを『お前』呼ばわりである。
もちろんエッケザックスを持っているのだから、それなりの男ではあるのだろう。だが神宝を持っているのはカプタインも同じだった。であれば、暴言を吐かれるいわれはない。
主に従って下馬した彼の配下たちは、思わず顔をしかめていた。
「そういうことなら、謝罪を受けておこう」
叔父の不始末を甥が詫びる、というのはスイボクとしては受け入れることのない話である。
しかし自分が不甲斐ないせいで迷惑をかけたというのなら、それは理解できることだった。
「だが気にすることはない。俺はもうイーゼル帝国を去るところだ」
「……そうか」
ここで、スイボクは気づいた。
目の前の相手が、自分を憐れんでいるということに。
「おい、お前なにか勘違いを……」
「貴殿の無念は察するに余りある。最強の剣を持ちながら、討てぬ相手がいるというのはさぞ歯がゆかろう」
「待てというに」
悪いことに、カプタインは本気になってしまっていた。
本気でスイボクと自分を重ねてしまっていた。
「俺は別に、悔しい思いなどしていないぞ」
「いいや、悔しかろう。私も神宝たるダインスレイフを持っているから分かるのだ!」
「待て、俺は既に……」
そして、言ってはいけないことを言ってしまった。
「如何に貴殿が素晴らしい剣士だとしても! 如何に神剣が魔法を増大させても! イーゼル帝国は、及ばぬほどに強大なのだから!」
「なんだと貴様!」
スイボクは、一瞬で激高していた。
「何を勘違いして、ふざけ切ったことをほざく! ぶっ殺すぞ!」
先ほどまでの陰鬱さが、一瞬で蒸発していた。
「待て、我が主よ! エッケザックスの主に、そんなことを言ってはいかん! それは禁句も禁句だぞ!」
今にも殴り掛かりそうなスイボクと、その剣幕に驚くカプタインの間にダインスレイフが挟まった。
「今すぐに謝れ!」
「だ、だが?」
「神宝の使い手はこだわりも強いのだ! 全力で謝罪しろ! 今すぐに!」
ダインスレイフが大慌てでカプタインを咎めていた。
それを見て、スイボクも殴るのをいったんやめている。ただし、今にも爆発寸前だった。
「しかし彼は、帝国から逃れてきたのだろう?」
「そういうことを言うなと言っている!」
「私は彼の力になりたいのだ、決して乏しているわけでは……」
「お前がそう思っていないだけだ! 相手が馬鹿にされたと思っている時点で、許されないほどに侮辱なのだ!」
諭しているダインスレイフの方が、カプタインを殴りそうな勢いだった。
普段は静観や諦念を見せている彼女の、あまりの必死さ。それを見てカプタインとその手勢は困惑さえしている。
「とにかく相手は怒っているのだ! 謝るのが筋だろう! すぐ謝れ!」
「だが、なぜ怒るのだ。私はおかしなことなど……」
「お前の復讐を否定するようなものだ!」
「!」
「エッケザックスの主の『最強』を否定するということは、そういうことだ! お前も『復讐は空しいからあきらめろ』だの『周囲を巻き込んでまで仇討ちをするな』だの『私欲で戦争を仕掛けるな』だの『どうせ勝てないんだからあきらめろ』だの『お前の親はそんなことを望んでいない』だの言われれば、激高もするだろう!」
すさまじい形相で、しかし自制して動きを止めているスイボク。
今にも殴り殺してやりたい激情と、相手の謝罪を待つべきだという理性が、脳内で激しく火花を散らしていた。
憤死寸前の赤い顔で、それでもダインスレイフの説得を待っていた。
「謝れ、我が主、カプタイン・イーゼル! 最強の矜持に泥を塗ったことを、誠心誠意謝れ!」
「……すまない、無神経だった。私の言葉を撤回する、許してほしい」
その時のスイボクたるや、振り上げた拳の振り下ろし先を見失った、の限度をはるかに超えたものだった。
見開いた目が赤く染まり、食いしばった歯は砕けんばかり、汗が体温で蒸発し湯気となっている。
ただ怒っただけで、ここまで人間が変貌するだろうか。そう思ってしまうほどの形相だった。
言語を失ったかのように、喉の奥から奇声が漏れている。本当に、非常に危ないところで、なんとか持ちこたえていた。
その彼へ、カプタインはなんとか言葉を選んで、説得を続けていく。
「……私は、父を殺した現皇帝を討ち、玉座を奪わねばならない」
慎重に、しかし不退転の覚悟でスイボクを説得しようとする。
「だが皇帝である叔父に比べて、私は余りにも非力だ。多くの者の力を借りねばならない」
浮浪者同然の格好をしている相手へ、謝罪と懇願を併せていた。
「どうか、この私に力を貸してほしい! 最強の神剣の主、スイボクよ!」
顔から火が出そうなほど怒っているスイボクは、なんとか我を治めようとしていた。
だがどうしても、目の前の相手への憤怒が抑えられなかった。
「お前は……!」
仮にアトリエやスタジオが、己と戦う前に似たようなことを言っても、ここまで怒ることはなかっただろう。
だがすでに結果のはっきりしている状況で、見当違いに見込み違いをされれば、人類史上最も自負心や自尊心が強いスイボクは我慢が出来なかった。
「お前は~~~!」
何とか、何とか、何とか、何とか。
「俺のことを、知らないな。ならば仕方がない、そう仕方がないんだろうとも……!」
我慢しようとは、した。
「知らないのなら、教えてやる……いやというほど、しっかりな!」




