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地味な剣聖はそれでも最強です  作者: 明石六郎
人の怒りと神の怒り
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天地

本日、コミカライズが更新されます。

 スイボクの山彦の術を聞いて、本当に逃げた者はほとんどいなかった。

 ほとんど、というのは、国境沿いにいた外国の者は逃げたということである。


 スイボク自身もわかっていることだが、普通の人間にとって逃げるというのは高確率で野垂れ死にをするということである。

 田畑を捨ててでも逃げるというのは、一般的な意味では最終手段と言っていい。

 逃げた方がいいといわれただけで、はいそうですかと逃げるわけがない。


 加えて、この国には通信技術が無かった。

 仮に電話や無線通信技術があれば、国中にスイボクの声が響いていたことを知って、一応念のため逃げようという者もいただろう。

 だがそれができなかったため、近くの誰かがいたずらをしているとしか思えなかったのである。


 なまじ魔法を知っており、どの程度のことができるか知っているので、本当にそんなことができるとは思っていなかったのである。

 しかしそのことは、空を暗雲が覆った瞬間に、後悔へと変わった。


「今、昼だよな? なんでこんなに暗いんだ?」


 仙術によって構築された、あまりにも巨大で分厚い雲。

 それは完全に日光を遮断し、昼であるにも関わらず夜のように真っ暗にしていた。

 それは曇った夜同様に、一切の明かりが無く、この世の終わりを暗示しているようだった。

 いや、はっきり言えば、明示だった。割とはっきり、明示だった。


「おいおい、日食か?」

「何言ってやがる、こんなに長々と日食が起きるかよ」

「おい、そういえばあの訳の分からん声が聞こえてから、ちょうど七日じゃないか?」

「まさか、アレが本当だと?」


 国民の誰もが、貴賤の区別なく息苦しさを感じていた。

 不安に押しつぶされていたのではない、もっと具体的に息苦しくなっていったのである。

 耳が痛くなり、呼吸が荒くなり、頭が痛くなってくる。


「ま、まさか……これは、そんな?」


 知識のあるものは、それが何なのか知っていた。あるいはその症状を体験したことがあった。

 高い山に登った場合に生じる、気圧の低下による肉体の不調だった。


「馬鹿な、ここは低地だぞ……なんでこんなにも息苦しくなるんだ……」


 現在この国の空気は、すべてスイボクの支配下にある。

 仙術による気象操作は重力の変化によるものであり、雲を動かすとしても念動力などではなく、気圧の低い場所を作ってそこへ雲を誘導させることによって成立する。

 よって、急激な気圧の低下を起こした場所こそ、スイボクが雲を誘導している場所に他ならない。

 今回の場合は、帝国全土の地表付近だった。


「な、なんだ?」


 火をつけて空を仰ぐものは、暗雲が接近してくることに気づいていた。

 本来ありえざることだが、雲が雨になることなく、雲が雲のまま地表に落下していたのである。

 距離や大きさによって速度はわかりにくいが、それでも雲が目に見える速度で下へ向かっていることが分かってしまう。


「お、終わりだ……世界の終わりだ」


 雲が落ちてくるということは、空が落ちてくるということと同義である。

 空を仰ぐ者たちは、誰もが腰を抜かしてしまっていた。


 だがそれは表にいた者だけではない。

 家の中で震えていた者たちも、さらに腰を抜かしていた。


「終わりだ! 世界の終わりだ! もうだめだ、神が怒っているんだ!」


 海底火山の噴火に伴って、大地が激しく揺れ始めた。

 大地が活発化し、身震いしていた人間などよりもはるかに揺れていった。

 通常の地震とは異なり、十数秒でおわることなく、継続して揺れ続けていた。


「い、家が崩れるぞ! 家を出るんだ!」

「山が崩れる! 山から離れるんだ!」

「く、雲につぶされる!」

「霧みたいなもんだ、いいから早く走れ!」


 誰もが手に灯をもって、這う這うの体になりながら逃げていく。

 しかし、どこへ逃げればいいのかなど誰にもわからなかった。

 彼らにとって世界とは生まれた場所だけであり、隣の町さえ遠い場所のことだった。

 知っている限りの世界が滅ぼうとしている、世界そのものが滅亡に向かっている。

 誰もが死にたくない、救われたいと願っていた。


「あ、ああああ! 雲が、雲があああああ!」


 ついに暗雲が地表に達した。

 文字通り、文字以上に、暗雲に包まれた帝国。

 もはや五里霧中どころではなく、国土雲中、万里雲中である。


 天動法、轟雷


 その雲の中を、縦横無尽に輝く閃光が駆け巡っていく。

 太陽の光を遮断する暗雲の中で、雷光が竜の群れのように暴れていた。


 だがそれはただ恐ろしいだけだ。

 音と光が、人間や獣を恐怖に陥れるだけだった。

 時折何かに命中することはあっても、それは極めて些細だった。


 天動法、弾雨


 巨大な雲の内部で構築される、巨大な氷塊。すなわち、雹である。

 それがまさしく雨あられとなって、雲の上部から下部へと落下していく。

 非常に珍しい天災が、意図して国家全体へ降り注がれていく。

 

 地動法、濡紙(ぬれがみ)


 阿鼻叫喚の声がかき消されるほどに、大地がうなりを上げる。

 一枚の紙がくしゃくしゃになるように、地表がその形を変えていく。

 地表に固定されていた、自然物と人工物の一切が歪んで、ねじれて、破壊されていく。


 地動法、裂絹(さけぎぬ)


 布が力任せにちぎられるように、地表が裂けて破れていく。

 あらゆるものを飲み込み、埋めていく。


 それは遠慮なく振るわれる、天地法を修めた仙人の本気。

 剣士であることと関係のない、スイボクの仙人としての本気。


 過ちであるとして、山水に引き継がれなかった『最強』の枠からはみ出た力だった。



 皇帝の居城はただ美しいだけではなく、防衛機能を持った要塞でもある。

 しかしその要塞が、未曽有の天変地異によって破壊されつつあった。


 落下してくる巨大な雹は屋根を破り天上に食い込み、大地が揺らぐことによって城の基礎が崩れて壁面に亀裂が走っていた。

 何から何まで崩壊していく城の中で、奥の奥にいる皇帝は籠城を決め込んでいた。


「だめだ、だめだ、だめだ!」


 彼は何が起こっているのか、誰が怒っているのか把握している。

 彼は皇帝でありながら自室に一人でこもっていた。それだけではなく、部屋の中に会った家具をすべて扉の前において、皇帝の部屋に相応しい巨大な扉を開かないようにしていた。

 普段から運動をしていない彼にとっては、重労働どころの騒ぎではない。肉体の限界を超えており、その代償として肉体が苦痛の悲鳴を上げていた。


 だがそれは重要ではなかった。

 彼は現状を正しく認識しているからこそ、城が倒壊することや国家が滅亡するという小さなことよりも

もっと大きなことに気付いていた。


「殺される、殺されてしまう!」


 このままだと、自分が殺されてしまうということに。


「あの時のように、あの時の兄上のように!」


 皇帝が殺されるわけがない、という妄信を彼はしていない。

 他でもない彼自身が、実の兄である前の皇帝を殺させているのだから。


「私は、家臣に殺される!」


 なにもなくとも、城が崩れて死ぬだろう。

 だが城につぶされることは、とても想像することが難しい。

 彼にとって一番現実的な死とは、皇帝の死に様とは、家臣に裏切られて死ぬという様だった。


 天地が震え、人界を脅かす最中でも、彼が恐怖する脅威とは家臣に他ならない。

 大帝国の皇帝は、家臣に裏切られて死ぬ。それが彼の想像する、唯一の死だった。


「嫌だ、嫌だ、嫌だ! 私は、皇帝なんだ、皇帝なのに!」


 皇帝なのに、家臣に裏切られて死ぬ。

 皇帝だから、家臣に裏切られて死ぬ。

 その両方が、彼の中で渦巻いていた。


 死にたくない、死にたくない、死にたくない。

 生きていたい、もっと命令したい、もっと崇められたい、もっと法律を決めたい、もっと戦争をしたい、もっと皇帝らしいことをしたい。


 自分が憧れた、自分が夢見た、自分が尊敬した。

 誰もが憧れて、誰もが夢見て、誰もが尊敬した。

 兄のように振舞いたい。


 現皇帝が兄を殺して帝位に就きたいと思ったのは、兄が素晴らしい皇帝として慕われていたからだった。

 自分が皇帝になれば、自分も兄のようになれると信じて疑わなかった。そして実際、彼の周囲はそうなっていたのだ。

 だがこうなっては、殺されるしかなかった。


「死ぬのは嫌だ!」


 国中の誰もが知っていて、彼自身もよく知っている。皇帝を殺せば、天地は治まるのだと。

 そしてこの城の誰もがよく知っている。この城に招かれた浮浪者が、皇帝を相手に啖呵を切ったことを。

 因果関係だけははっきりしているのだ、本当に皇帝を殺せばあの剣士の怒りは鎮まるのだと。

 皇帝は誰よりもわかっている。この状況で、自分が殺されないわけがないと。

 誰も自分を庇わないし、大急ぎで殺そうとするのだろうと。


 それを理解しているので、彼は部屋に籠城している。

 しかしその守りも、段々と破られつつあった。


「ひ、ひいい!」

「皇帝陛下! 皇帝陛下! どうかご無礼をお許しください!」

「今そちらに伺います!」

「そこにいらっしゃるのですね、陛下!」

「ああ、よかった! そこにおわすのですね!」


 部屋の前に、臣下が集まってきた。

 揺れる城の中で這うように進んできた彼らは、部屋の扉があかないことで皇帝の存在を確信していた。

 確信した、というのは少し違うかもしれない。なにせ彼らも必死だ、そうであってほしいと祈りながら荘厳な扉を打ち破ろうとしている。


 皇帝の寝室といえば、本当に最後の最後の時に皇帝を守る部屋である。

 今まさにその時なのだが、悲しいかな地震を想定していないこの城は、地盤が崩れたことによって建物全体でゆがみが生じている。

 扉というものは建物のゆがみに対して敏感であり、皇帝が入るまでは持ちこたえていたが、揺れが続いている現状では既に扉としての体を失っていた。

 決死の覚悟で扉を破ろうとする面々が、適当な道具を手に揺れる城を足場にして、お世辞にも効率的ではない方法で破壊するのに時間はかからなかった。


「陛下!」

「く、く、くるなあああああ!」

「陛下、お覚悟を!」

「どうかご理解ください。これは帝国のためなのです!」


 ある者はいびつな笑顔を、皇帝を縊り殺せることへの愉悦を。

 ある者は赤くなった憤怒の顔を、帝国を滅亡に追い込んだ皇帝への激情を。

 ある者は青ざめたままの泣き顔を、ただ死にたくないという生への執着を。


 兵士も文官も、例外なく皇帝に襲い掛かっていく。

 彼らは皇帝を殺すためだけにここに来ていた。


「わ、わた、私はぁあああ!」


 皇帝は瞬間的に、欲しいものがよぎっていた。

 運動神経というものを持たなかった自分が、最後まで真似できなかった兄の美点。

 ただ一人の男としての強さ。それがあれば、この状況にも多少の抵抗ができたのだろうか。

 ただの一人も自分の命令に従う者がいない、権力者の落日。

 栄華と衰退を全身全霊で味わうことになった彼は、恐怖と激痛と絶望の中でその生涯を終えていた。


「は、はやくこの死体を晒せ!」

「神の怒りを鎮めるのだ!」

「この国が亡ぶ前に、城が崩れる前に!」


 他の者は、それどころではなかった。

 皇帝を殺しても変わらず地面は揺れ、城も傾きつつあり、外では嵐が吹き荒れている。

 この地獄を終わらせるために、彼らは皇帝の亡骸を城の頂上に掲げなければならない。


「いそげ、もう本当に、この城そのものが崩れるぞ!」

「わかっている、とにかくあわてるな!」

「くそ、殺す時に壊し過ぎた! 運びにくいぞ!」

「重いからな……くそったれ!」


 大嵐により城の上部は揺れ、地震によって地面そのものが揺れ、倒壊寸前になっている城は何がなくとも揺れている。

 それが重なることによって、城はもはや揺れていない場所がなかった。そんな中で、肥満体の成人男性の惨殺死体を運ばなければならなかった。

 そのうえ、城の頂上と言えば屋外である。あらゆる天変地異が襲い掛かってくる惨禍の中で、城の頂上に死体を掲げるのである。

 それがどれだけの難行か、走っている彼らをして想像をしたくないことだった

 だがしなければならないことだった。そうでなけば、帝国どうこうではなくこの場の全員が死ぬ。


 広大な城の、その階段を転がりながら駆け上り、一番高い塔の外に出たとき。

 一旦、そこで何もかもが止まった。

 相変わらず暗雲が立ち込めたままではあるが、天変地異のすべてが停止していた。


「おお……」


 この天変地異を引き起こした何者かが、一行の動きに気付いたようだった。

 あらゆる術がわずかな余韻だけを残しつつ、終息に向かっていった。


「神よ! どうか怒りを鎮めたまえ!」


 必死の彼らは、まるで迷信深い田舎者のように、生贄となった皇帝をささげていた。

 幸か不幸か塔の天井は崩れており、変に屋根へ上ることもなく彼らは頂上にいたのだ。


「神よ! どうかこの地を赦したまえ!」


 まるで神話のような光景だった。

 城の周囲だけ、雲が晴れていく。暗闇が解かれ、世界に光が戻っていた。


「ぬぅ」


 空から、神が下りてきた。

 少し残念そうな、嫌そうな顔をした神がそこにいた。


「ぬう……」


 そのすぐ脇には、火鼠の衣を着せられている、茫然としたサンキャの姿もあった


「……まだ使いたい術があったんだが」


 神の怒りは鎮まっていた。

 不満そうだが、怒ってはいない。


「おお、神よ!」


 その姿を見て、誰もがひれ伏した。

 今まで皇帝にしていたように、神を崇めたのだ。


「どうか、どうかお慈悲を!」

「ああ、もういい。そいつをお前らが殺したのなら、もう俺にこの国を滅ぼす理由はない」


 この国の民が、この国の長を不適格だとして殺した。

 今までの群れの方針は間違っていた、噛みついた相手に降参をする。

 それはスイボクの基準から言って、追い打ちができないことである。


 スイボクの価値観は、善悪や損得ではなく勝敗。

 勝ち負けでしか物事を見ない彼は、負けを認めた相手に振り下ろす拳を持たない。


「とはいえ、半端になったな……お前たち、俺に挑む気はあるか?」


 しかし、せっかく入念な準備を行って、上機嫌で力を振るっていたのだ。

 一月かけて滅ぼすつもりが、数時間で終わってしまえば破壊欲求が満たせない。

 やや未練がましく、スイボクは戦闘の意思を確認する。


「滅相もありません!」


 死相の出ている面々は、血相を変えて滅相もないと叫んだ。

 もう絶対に、何があってもスイボクと戦いたくなかった。

 そもそもスイボクがこの国を滅ぼそうとしだしてからは、戦いにもなっていなかったのだ。

 続けるというのは、文字通り亡国を意味している。


「残念だ……山彦の術!」


 本当に残念そうに、スイボクは終戦を宣言する。


「聞くがいい、この地の民よ! 俺はスイボク、天と地を揺るがした術者である!」


 ゆっくりと、雲が空へ浮かんでいく。

 積み重なっていた雲が、周囲へ散っていく。

 薄くなって、太陽の光を通し始めていた。


「貴様たちの主は、貴様たちの同朋が殺した! 故に、ここに俺とお前たちの戦いも終わった!」


 残念そうに、名残惜しそうに、スイボクは自分の作った雲を眺めていた。


「だがもしも、お前たちが俺に挑むのであれば、如何なる条件であっても受けよう! 俺はスイボク、世界最強の剣士にして、天地を操る仙人なり!」


 つい数時間前まで、この国の皇帝は絶対者だった。

 あまりにも強大な権力を持つがゆえに、反乱しようという意思は持てなかったのだ。

 それをはるかに上回るスイボクを前に、この惨状の責任を取らせようという者はなく。


 スイボクが感じられる範囲では、世界を滅ぼすのをやめてくれた(・・・・・・)、神への感謝の気配に満ちていた。


「ぬぅ」


 それに対する寂しさを、スイボクは最後まで術が使えなかったことだけなのだと己に言い聞かせて……。


『流石だ、我が主よ! お主の強さに、誰もがひれ伏しているぞ!』


 それを肯定するエッケザックスに対して、スイボクは強がりの笑みを浮かべる。


「ああ、その通りだ。俺が、俺が最強だ!」


 双子の将軍を倒したときとは違う、ごまかしの入った笑いをしていた。

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