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地味な剣聖はそれでも最強です  作者: 明石六郎
白黒山水といふ男
478/497

山水

本日、コミカライズ一巻と小説三巻が発売されます。

どうかよろしくお願いします。

「確かに今の俺は幸せだ。君と結婚して家族もいて、誇れる仕事にも就いている」


「でもそれは、きっと、たぶん、絶対に……俺の故郷である日本でも得られたはずなんだ」


「俺が日本で大真面目に頑張っていれば、いい高校に入って勉強して、いい大学に入って勉強して、いい会社に就職して仕事をしていれば、きっと、手に入っていたものなんだ」


「むしろ、そっちのほうが絶対によかったはずなんだ。命を狙われることはないし、飯だってうまいし、いろいろと便利だし、娯楽だっていっぱいあったし……」


「それに、それに、それに……」


「五百年も頑張る必要はなかったんだ……」


「五百年だぞ? 五百年も頑張って、かわいいお嫁さんと娘が二人だぞ?!」


「俺は五百年も頑張って、その程度しか手に入ってないんだぞ?!」


「いいや、違う! 絶対に違う、そうじゃない、そもそもが間違ってる!」


「五百年頑張ったことに対して、五百年頑張ってよかったなんて思えることが、これからの人生にありえるのか?!」


「五百年分の苦労に見合う対価なんて、この世界には絶対にない! いいや、どこの世界にもあるもんか!」


「俺はこれからの人生で、どれだけ幸せなことがあっても! ずっと割に合わないって思いながら生きていくんだぞ?!」


「それなら、最初から、最強になんて憧れなければよかった……」



 穏やかな海の上で、小舟は穏やかに二人を揺らしていた。

 その中で叫んだ仙人は、自己嫌悪とともに吐き出せたことへの安堵があった。

 ありていに言って、山水は自分勝手な考えを抱き、それを自分勝手なままに発言したのだ。


「あのな、サンスイ……」


 妻は傷つくだろう。

 そう思っているからこそうかつには言えなかったが、どうしても言わずにはいられなかったのだ。

 もしかしたら、自分を抱きしめている妻は、このまま自分を放り捨てるかもしれない。


「それはな……」


 しかし、ブロワは憐憫の顔をしていた。

 世界でも屈指の実力者であり、なおかつそれを認められており、相応に高い地位に至っている男を憐れんでいた。


「今までお前に会ってきた普通の人が、みんな思っていたことだ」


 木刀一本で軍隊さえ蹴散らす、最強の剣士。

 その山水が五百年生きているということを知って、誰もがこう思う。

 とてもではないが、真似できないと。


 しかしそれは、一つの思考に集約される。

 そこまでして、強くなりたくもないし、成功したくもないと。

 五百年修行すれば『山水』になれると知っても、挑戦する前から諦めてしまうだろう。

 今の山水の地位を見て羨ましく思うことはあっても、五百年も努力してたどり着くに値するわけではないと思ってしまうのだ。


 特に、アルカナ王国の首脳陣はその理解が強い。

 まさに一番若さを必要としているであろうディスイヤの老体が、全力でそれを拒否していたからこそわかってしまうのだ。

 ヤモンドの皇帝は己が永遠の命を得て、永遠の治世をもたらすことをもくろんでいたが、そんなのはただ辛いだけである。


 永遠の若さや永遠の命を人間は求めるが、実際に不老長寿の仙人たちと親しくしていると、そんな気はなくなるのだ。

 鍛錬の果ての最強も無敵も、不老長寿も。やれば手に入るとわかってしまえば、労力を計算してしまう。そして想うのだ、苦労に見合わないと。


 秘境や大八州の場合は、仙人や天狗が社会の価値観に根付いているためその限りではないが、アルカナ王国ではそうでもない。

 だからこそ山水に永遠の奉仕を求めないし、後釜の育成にも悩んでいる。


「私の姉様を覚えているな? あの凄まじい執念を見せていた、シェット姉様のことを」


 誰もが最強を求めるし、誰もが成功を求めるし、誰もが幸福を求める。

 しかしそのほとんどは、途中で挫折してしまうか、最初から諦めてしまう。

 一言で言えば、割に合わないからだ。


 確かに最強になりたいし、成功したいし、幸福になりたい。

 だがしかし、実際に目標となりうる先駆者がどれだけいても、同じことをやっていると飽きてしまう。

 目先の楽な方向に流されてしまう。


「あの姉様が、お前の師匠から若さや美を保つ術を教わって、どうしていると思う? 生真面目にそれを頑張っていると思うか? 違うんだよ、全然そんなことはなかった。あれだけ執着していたのに、怖いほどに美と若さを求めていたのに……実際にそれを保つ術を知っても、それを全力で頑張るなんてことはしなかったんだ」


 矛盾した話ではあるが、不老長寿を求める者がいるとしても、それを得るために悠久の時をかけるなど嫌がるだろう。

 何千年も若さを保つために、何十年も修行して、さらにその後も鍛錬を積む。それは決して、真似できるものではない。


「勘違いするなよ? 姉様は姉様で努力家だ、社交界で評価されるような振舞を必死で学んできたことはお前も知っているだろう。だが……姉様は私たちのような、武人としての鍛錬はできないお人なんだ。それは私たちも同じで、例えば……ああ、いや、それは重要ではないな」

(重複)


 ブロワは、山水を温かく抱きしめていた。


「お前の言うとおりだ、自分でもお前の五百年に報いれるほどの女だとは思っていない。むしろそっちの方が重くて怖い」


 山水の心配を明るく笑い飛ばして、そのうえで自分も笑っていた。


「そういうお前だって、私の十年に報いようと思っているのか? 私がお前と結婚したのは、私への報酬という意味もあるんだぞ。お前は昔とても豊かな国で、何不自由ない生活を自由に楽しんでいたそうじゃないか。幼いころから鍛錬を積んでいた私に、ねぎらいを込めて接するつもりはないのか?」


 そんな後悔は、山水だけのものではないのだと。


「お前も本当は知っているはずだ、苦労に見合った幸福なんて、どこの誰も持っていないんだって」

「……知っているよ」


 人間とは単純なものではない。

 ある一面では満足をして、ある一面では後悔をして、ある一面では嫉妬もする。

 だから嫌なことがあれば吐き出してしまうし、それで周囲を不快にさせてしまうこともある。


 ただの感傷であり、誰にでも起こりうること。

 普段から意識していることでも、ふとしたきっかけで深刻に思ってしまうこと。

 他人からすればどうでもいいことであり、当人にとってとても大事なこと。


「俺のこんな悩みなんて、実はたいしたことなんかじゃないってことも……」


 本当は、フウケイが襲来したときや、竜との戦争の際に不在だったことの方が重いのだろう。

 もちろんきちんと謝罪しているし、そもそも許可を得てのことである。

 たかが剣士一人が不在のせいで滅びたのなら、それまでの国。きっとソペードの当主はそういうだろう。

 だがそれでも。

 あの戦争で山水が最初からいればと、誰かが後悔していたかもしれない。

 あの戦争で死んだ人の中に、山水が助けに来てくれると思っていた誰かがいたかもしれない。


 それに比べれば非常に些細で、途方もなく個人的な悩みでしかない。

 解決の見込みは一切ないが、解決しなかったとしても誰も困らない。

 努力という過程と、幸福という成果。その双方の均衡が保てていないといっても、その幸福そのものが消滅するわけではない。

 たしかに釣り合ってはいないが、山水は間違いなく幸福なのだから。


「きっと俺に、悩む資格なんてないんだ」


 山水は数多の敵と戦い、そのすべてに勝ってきた。

 その中の誰が、苦労に見合う幸福を手に入れたのだろうか。

 あるいはそれを手に入れていても、山水に負けることで失ってしまったはずだ。

 生まれてこの方、苦労ばかりで何一ついいことが無く、そのまま山水に殺されたものがいるはずだ。

 そんな彼らを不幸なままにしておいて、なぜ嘆き悲しむのだろうか。

 そんな権利が、最強の剣士にあるのだろうか。


「いや、そんなことはないぞ」


 あるらしい。

 少なくとも妻は、悩んでもいいと言っていた。


「そ、そうか?」

「こう言っては何だがな、お前の悩みは量がすごいからな……」


 ブロワや周囲の人間からすれば、ある意味スイボクのように横暴な方がまともだ。

 確かにひたすら迷惑でシャレにならないが、四千年も努力して相応の実力を身に着けているのだから、百年も生きていない凡俗に対して上から目線になっても不思議ではないだろう。

 だが山水はおかしい。五百年の修業を積み、他でもないスイボクから太鼓判を押されているにも関わらず、俗人に仕え従い雇われていたのだ。


 ある意味では、その点が特に理解できないのだ。

 なんでそんなにすごい男が、四大貴族の令嬢ごとき(・・・)に顎で使われているのか。

 もちろんそれなりに理由はあるのだが、それこそ全く帳尻があっていない気がする。

 そして落ち込んでいる今も、その点に関して本人はまったく気にしていない。

  

「お前はなんというか、スイボク殿の後悔を反映しすぎている気もする」

「……そうだな」


 山水は妻からゆっくりと離れた。

 船の中で起き上がり、周囲を見渡す。


 二千年ほど昔に滅びた、スイボクによって沈められた『大陸棚』を見渡す。

 海の生物にとって楽園と言える、生命の宝庫を眺めて浸る。

 今よりもずっと短気で、今よりもはるかに危険で、今とは比較にならないほど……弱かったころのスイボクの罪を見る。

 もはや罪とさえいえるのか怪しい、神の祟りを見る。


「師匠は俺を『最強の剣士』にしてくれた。それはある意味では、それ以前の俺の否定だ」


 スイボクはこれを後悔していた。

 一応、恥じていたのだ。あくまでも、一応だが。


 自分の弟子が社会と適応してくれるように願って、社会と隔離された森で丹念に育てたのだ。

 社会が受け入れてくれる、社会にとって有益な、社会にとって都合のいい剣士として。


「昔の俺がそのまま最強になっていれば、師匠と同じようなことをして……後悔では済まないことになっていただろう」


 世界最強の男であるスイボクは、師匠としても超一流だった。

 自分が実践できるわけではないが、多くの人々から尊敬されるにはどうすればいいのか知っていたのだ。


 昔の山水は、五百年前の山水は、スイボクに出会った時の山水は、お世辞にも他人から尊敬される男ではなかった。

 決定的に弱かったこともそうだが、精神的に未熟が過ぎた。自分の都合しか考えておらず、強い人間が強く振舞えば尊敬されると勘違いしていた。


 かつてのスイボクと、同じ勘違いをしていた。

 その失敗を引き継がせまいと、スイボクは山水に指導をしたのだった。

 世界にとっても山水にとっても、良いことだったのかもしれない。


「だけど、どうあっても後悔は付きまとう……」


 だが、『かつての山水』の残滓が。

 白黒山水に残っている、普通の日本人としての感性が。

 少しだけ顔を出して、ごく短い時間だけ悲しんでいる。


「そんなもんなんだろうな」


 そして人間らしさが抜けきれば、少し前のように未練を失って消え失せるのだろう。


「そうだろう、ブロワ」

「その通りだ、サンスイ。私もお前と似た者同士、気持ちはとてもよくわかる」


 後悔したくないとは思っても、結局後悔はしてしまう。


「私自身家族の為に奉公をした身だが、そのことを兄や姉が心の底から喜んでくれたわけではない、というのは知っているだろう。正直後悔したのだ、何もしなければよかったのか、私に才能が無ければ良かったのかと」

「それはそれで、君は自分の無力を呪ったはずだ」

「そうだな。私が無力であることで、家族は私を疎んじたかもしれない」


 役立たずは見捨てられ、自分よりも有能ならねたまれる。

 人間というものは、そういう風にできている。

 自分にとって都合のいい者しか、心底認めることはできない。

 そして、万人にとって都合のいい人間、というのは流石に存在しえない。


「もしも師匠が自分の反省を生かさずに、俺を俺のまま強くしていれば、俺は事あるごとに師匠を呪っていただろう。自分の失敗を笑う師匠を見て、なんで自分がした失敗を教えてくれないのかってな」


 そう、考えてみれば。

 とても根本的なことに、どうしても行き当たる。


「それにだ……そもそも、師匠は俺を強くするために、五百年をかけてくれた。もっと言えば、俺の本当の親だって十数年は育ててくれたのに、それに報いようと思ったこともない」


 山水の苦悩は、結局自分のことしか考えていないことだ。


「俺の悩みは、やっぱり甘えなんだろう」

「そうだな、甘えだ」


 だがそれが白黒山水の地である。

 家族の前でいくら愚痴ったところで、咎める権利など誰にもあるまい。

 人間が自分の都合で悲しんで苦しんでも、勝手に嘆いて落ち込んでも、別に悪いことではない。


「いいじゃないか、サンスイ。妻である私にぐらい、たまに甘えても」

「そうだな」


 そう、山水は甘えたかったのだ。

 妻であるブロワに愚痴を聞いてもらって、慰めてもらいたかっただけなのだ。

 それが情けなくてみっともないことだと知りつつも、情けなくてみっともないことをしたかったのだ。


「……帰ったら、もうみっともないことはできないからな」


 山水は改めて遠くを見る。

 自分を遠くから見ているであろう、今も鍛錬に勤しんでいるはずの剣士たちを想った。


「ブロワ、バアスを覚えているか? 俺に向かって、もっと横柄にしろと言っていた男だ」

「ああ、覚えている。お前が消えかけていた時期に来た男だな」

「そうだ。思えば彼は、俺よりもよほど、苦労への報いを求めていたよ」

「努力して強くなって武勲を上げたのだから、もっと偉そうにしろと言っていたな。まあその程度で釣り合うとは思えないが……」

「彼は俺にただの強者としての振る舞いを求めていたが、俺に正調な仙人としての振る舞いを求める者もいるだろう。はっきり言って、そんなことに一々付き合うことはできない。俺は師匠や当主様の求めるようにしかふるまえない」


 山水は今回フデに襲撃された理由を、おおむね察していた。

 もちろんフデの名前に興味はないが、大八州から()刺客が一人で来るとしたら、自分の行動が不満だったことぐらいだろう。

 そしてそれ自体はたいして気にしていなかった。

 山水が気にしていたことは、今回の一件を聞いても動かなかった人たちへのことである。


「なあブロワ」

「なんだ、サンスイ」

「俺は、遠からず武神として戦うことになる」


 瞼を閉じれば蘇る、得難い強敵との死闘。

 ガリュウとの血沸き肉躍る、神域の戦い。

 殺したくないと思っても殺すことしかできなかった、最強の剣士との闘い。


 アレを求めて、自分に挑む者が現れる。

 それが雷霆の騎士なのか、あるいは己の弟子なのか、それはわからない。

 だが対戦相手や勝敗や、あるいは生死さえも重要ではない。

 その時、その戦いが、最強と最強のものでなければならない。


「俺は、その時には、絶対に無様はさらせない」


 今弱っている、そのこと自体は問題ではない。

 だが整えなければ、期待に応えることはできない。

 仮に勝つことができるとしても、彼らをがっかりさせることはできない。


「だから……今は君と楽しい旅行をさせてくれ」

「ふう……私もお前に甘えるからな?」

「ああ、もちろんだ。ガンガン甘えてくれ」


 最強とは目標と語ったのは、スイボクだった。

 各々によって理想像があり、最強に位置している者がどうふるまっても、文句を言われることはある。

 だがそれでも、最強の剣士が弱くなってしまえば。いざ本番というときに無様をさらせば、それに言い訳の余地はない。

 山水はいまだに、最強を背負わなければならない。それを降ろす気は、未だにない。


 いつか、負ける、その日まで。

 山水は戦って戦って、強くあり続けなければならない。



「ブロワ、実はこの後な……花火を見に行くんだ」

「ハナビ?」

「ああ、花火だ。楽しみにしてくれ」



 だがたまには、こういう日があってもいいだろう。山水は最強であり続けるために、今日だけは最強を休んで楽しむと決めていた。

次回から新しい章です。


人の怒りと神の怒り




「この国の王である余に逆らうことが、何を意味するか分かるか? この国のすべてがお前の敵になるということだ」


「俺を怒らせたらどうなるのか教えてやるぞ、エッケザックス」

「うむ、スイボク!」




次章で滅ぶ国は、今回山水が旅行している島とは無関係です。別件で滅亡します。

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