見本
本日コミカライズが更新されます、よろしくお願いします。
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山水は倒した相手をジョンやレインのところへ縮地で移動させた。
それはつまり、今は相手をしたくないということであろう。
とはいえ、ジョンにしてもレインにしても、この女性をどうすればいいのかわからなかった。
「レイン嬢。あまり近寄らないほうがいいと思います」
「大丈夫だよ、暴れたらパパがまた縮地で引き寄せると思うし」
「……ひどい話ですね」
あえて屋内に入らず、屋外で話しこんでいる二人。
縮地の原理をよく知るがゆえに、山水の縮地で移動できる場所でだけ待機している。
とはいえ、屋内に入らない限り、よほど遠くにでも移動しなければ問題ではない。
「そういえば昔の銀鬼拳ラン様も、サンスイ殿の縮地と発勁に手も足も出なかったといいますが、確かに私も何もできないでしょうね……」
「そんなことよりも、この人どうしよっか?」
「そもそも誰なんですかね、この方は」
切りかかられるのが珍しくない山水である。大八州から来たであろう彼女にも、何か理由があるのかもしれない。
これが下界の民ならジョンの判断で殺してもさほど問題にならない。貴族である山水に切りかかっている時点で、どこの誰だったとしても殺されて当然である。
しかしマジャンや大八州の民であれば、殺すのは問題であった。少なくとも、ジョンの判断で殺すのはまずい。
「まあ本人にお伺いしましょう、そろそろしゃべれるようになると思いますし」
悶絶してまともに呼吸できなくなっている女性ではあるが、気絶しているわけではないし出血しているわけでもない。
ある程度の時間を置けば、自然に回復して話ができるようになるはずだった。
「……う、ううう」
実際、彼女は起き上がった。
よろよろと力ない所作ではあるが、寝そべっていた状態から地面へ座り込む。
その上で、なぜか短刀を抜いていた。
「……あの、何をするつもりですか?」
「見ればわかるだろう、腹を切るのだ」
話にならなかった。ジョンもレインも、何がなんだかわからない。
「……あの、お姉さん」
「なんだ!」
「止められると思わないの?」
「貴様たち! 切腹を止めるとはどういう了見だ!」
人の家の庭で腹を切ろうとはどういう了見なのだろうか、二人にはむしろそちらのほうが分からない。
暗殺に失敗した刺客が自決するのはある意味当たり前だが、それは美化されているわけではない。こんなに堂々と自決する上に、それを阻止しようとしたら怒るなんておかしな話である。
「貴様らには情けというものが無いのか?!」
「殺し屋に情けを持てという、貴女のほうが無茶だと思うんだが……」
「私は殺し屋などではない! 私が金銭を受け取ってここにいるとでも思っているのか!」
「それではどのようなご用件で?」
「切腹するものに、そんなことを聞くな!」
厚かましいというか図々しいというか、あるいは価値観の相違が激しい。
彼女は自分の行動が正しいと信じて疑っていないが、レインもジョンもそれを正しいとは思えなかった。
「……大八州だと失敗したら自殺するのが格好いいってことなのかな」
「そうかもしれませんね……随分お手軽な……」
「剣士の死にざまを、そんな風に俗な言い方で歪めるな!」
さて、どうしたものだろうか。
よく考えたら自殺してもそんなに困らないので、止めなくてもいいような気がしてきた。その一方で、このまま死んでも何もわからないままのような気がする。
少なくともレインにもジョンにも、決断はできないところである。
「おお、こんなところにいたのか、レイン!」
そう思っていたら、決断できる立場の人間がやってきた。
アルカナ王国四大貴族ソペード家次期党首、トリッジ・ソペードである。
「死ね!」
火鼠の衣を着ている彼は、火尖鎗を手にジョンへ襲い掛かろうとした。
機能を封じていた布から解き放たれた燃え盛る槍は、さながら小さな火山のように噴煙を発している。
「あ、危ない?!」
レインだけでも抱えて逃げようとするジョン。その髪はまたも銀色に燃えていた。
しかし、次の瞬間トリッジが消えた。
持っていた火尖鎗ごと、その場から消え失せていた。
「……パパだ」
「そうみたいですね」
直後、再封印された火尖鎗と一緒に、崩れ落ちるトリッジが表れていた。
やはり牽牛で引き寄せられて、織姫で戻されたのだと思われる。
火尖鎗も仙人である山水にはなんの影響もないので、何もできずに戻ってきていた。
「が、がふ……サンスイのやつめ……抜き打ち試験は合格だ……腑抜けているのかと思ったがな……ふん!」
ソペードは武門の名家なので、当主やその親族といえども『殴られて当然の理由』があれば殴ってもいいことになっている。
具体的には、先に剣を抜いたときである。当主が剣を抜いたのだから、おとなしく斬られるべきだという軟弱さはない。先に抜いておいて、斬れないほうに問題があるという価値観であった。
「トリッジ様、当主様や先代様と同じことを言ってる……」
「そ、そうなんですか……」
なお、その傘下であるジョンとレインは、ソペードの価値観や行動原理にも疑問を感じていた。常識を疑うのは大事である。
大八州もおかしいとは思うが、ソペードも同じぐらいおかしかった。
「と、とにかくだ、ジョン! 貴様レインとどういう関係だ! 羨ましい! 死ぬか? 死んでみるか?」
「トリッジ様、やめてください。ジョンさんは変な人じゃありません!」
「……そ、そうか」
冷静になったトリッジは、今にも自決しそうな女性をようやく見つけていた。
「なんだ、この女性は。見たところ大八州の者のようだが、来るという話は聞いていないぞ」
「それが、その……先ほどサンスイ殿に切りかかり、返り討ちにあったのですが……事情の説明もせずに腹を切ると……」
「なんとも非常識だな」
そうかもしれないが、それを彼が言うのは間違っていた。
切りかかった相手はジョンだったが、使おうとしていた武器は火尖鎗である。場合によっては、屋敷が全焼していたかもしれない。
「……なあジョンよ」
「何でしょうか、トリッジ様」
「もしも彼女をうまくやり込めれば、レインは私を見直してくれるだろうか」
「それは言わなかったほうがよろしいかと……」
トリッジの言動は悪い意味で血統を感じさせるが、これでもソペード家の次期当主である。
駄目なときは駄目だが、ちゃんとしたときはちゃんとしているのがソペードの本家。その実力が今発揮されようとしていた。
なお、すでに取り返しがつかないことになっている。
「そこな者よ、今の話に違いはないか?」
「ない!」
「潔いな。だが我が直臣であるサンスイへ刺客として切りかかったのだ、如何に大八州の生まれであっても無罪放免とはいかぬ」
「その責任は、私一人でとる! このまま腹を切るゆえに、止めないでいただきたい!」
非常識な少年と非常識な女性の問答。
当人たちは極めてまじめだが、ジョンもレインもその視線は冷ややかである。
「自決するなら止めはしない。だがしかし! 我らソペードは相応の対応をさせてもらおう!」
「どういうことだ、私が腹を切って死ぬというのだぞ!」
「大八州ではどうだか知らぬが、ここはアルカナ王国ソペード領地だ! いかに大恩ある大八州の民とはいえ、治外法権など認めていない! 腹を切ってもそれはただ刺客が自決したとしかとらえん! 責任を取ったとは思わないことだ!」
ソペード領地にはソペードの法があるという、ソペードの次期当主。
なお、一応言っておくが、トリッジの行為も違法性が高い。
「ここで剣を抜いた張本人がなんの弁明もしないのならば、我らソペードは卑劣な暗殺者が送り込まれたのだとしか思わない! その方が自決をしようが何をしようが、身元を調べて責任を追及させてもらう!」
ここまで説得力にあふれた説得を、説得の正当性がない人物がするとは思えなかった。
レインもジョンも、ただただ見守るばかりである。
「……ぐ」
「それが嫌ならば、ちゃんと説明をしてもらう!」
「……承知した」
まさに快刀乱麻を断つ、話は劇的に進んでいた。良くも悪くも、ソペードらしい力強さであった。
「まずは私の出自から……大八州は赤丹の、光景流剣術道場五十五代目当主の娘、フデと申します」
やはり大八州の出身者らしい。光景流とは聞いたことが無いが、たぶん剣の流派の一つなのだろう。
何もかもが予想通りだが、一つおかしなものがあった。
「……話の腰を折って申し訳ないが、フデとやら。その方の父は光景流の、何代目の道場主なのかもう一度言ってくれ」
「五十五代目です。我が流派は成立してから千五百年ほどの、比較的新しい流派なので」
千五百年の歴史を持つ道場が、比較的新しいとはこれ如何に。
アルカナ王国の建国以前から生きている山水でも五百歳なので、彼の人生の三倍以上の歴史がある。
普通なら盛っていると思うところだが、なにせ大八州はこの世の天界である。長く平安を保ってきた土地なので、それぐらいの歴史があっても不思議ではない。
「ともかく、我が流派に限らず大八州の剣士は、武神たるフウケイ様を永年目標としてきました。ただ、私が物心ついたときにはもうすでに大八州を去っていたのですが……」
四千五百年という長い人生のほとんどを、大八州で過ごしていたスイボクの兄弟子フウケイ。
無尽蔵の境地に達した彼はスイボクに挑むため下界へ降り立ち、そのまま帰らぬ人となった。
スイボクには遠く及ばなかったものの世界で二番目に強い男であったし、ほかでもない八種神宝たちもスイボク以外で竜をせん滅できる唯一の男と評していた。
邪仙ではあったというが、悠久の時を武にささげたことは疑いもない。そのことを知っているアルカナの面々は、ただ黙って聞くだけである。
「フウケイ様を討ち取ったスイボク様と、そのお弟子であるサンスイ殿が大八州に帰還され、冷めていた剣への情熱がよみがえっていったのです。その上で、下界からも実力のある剣士をお迎えし、武神奉納試合が例年以上の盛り上がりを見せていたのですが……」
フデは、顔を赤くしていた。
それが憤怒とは別種の興奮だと、三人にはわかっていた。
「こともあろうに! 青丹で行われる花火大会で、武神の座に就くサンスイ殿が逢引きをするというのです!」
花火大会がなんなのか知らないので何とも言えないが、楽しそうな催しだとは察していた。
なぜなら、彼女がとても羨ましそうにしていたのである。
「軟弱です! 惰弱です! 仙人が、武神が、そんな、そんな……年頃の若い男女が、互いの愛を確かめ合ったり恋を伝え合うような祭りに参加するなど、あってはなりません! どうせ花火なんて口実です、互いの顔を見合って夢中になるに決まっています! 風情も何もあったものではなく、健全さも質実剛健さもない、色恋に溺れるだけです!」
憤慨している彼女の熱弁を聞いて、レインは目を輝かせていた。
「ねえねえ、ジョンさん! パパは海だけじゃなくてそんなところにもブロワおねえちゃんを連れて行くんだね! すごい本気だよ!」
山水が何やら面白そうなお祭りにブロワを連れていく予定である。
ただそれだけでも、レインはとてもうれしそうだった。
「だから駄目なのです!」
レインが喜んでいる、それ自体が駄目だとフデは言い切っていた。
「大八州の中でも選び抜かれた剣士の中でも、さらに勝ち抜いたものだけが挑むことが許される相手。それが武神なのです! その武神が、仙人が、軟弱な若者に交じって遊んでいると知られているのですよ?! それを許していいのですか!」
凄い無茶な理屈ではあるが、気持ちはわからないでもない。
自分たちが大真面目に修行している間に、戦う相手が遊び惚けていたら腹も立つだろう。
それが一般の参加者ではなく、優勝者と戦うはずの『王者』ならばなおのことだ。
「もちろん私も、すべての仙人が模範的だとは思っていません。ですが武神だったフウケイ様は、邪仙ではあったものの素晴らしい武人だったと聞いております! その座を預かる者には、相応の節度が求められるはずです!」
かなり潔癖なことを要求しているフデ。
しかしレインもジョンも、自分たちの『王者』ともいうべきトリッジを見てしまうと、うかつな反論ができなかった。
「頂点に立つ者は、ただ強いだけでは駄目なのです! 多くの武人の見本となるべく、行住坐臥の言葉通りに、何時如何なるときでも武神としての振る舞いをしなければなりません!」
ふむふむ、と頷いて聞いているトリッジ。
当人の感情はともかく、言っていることはもっともだった。
果たして彼は、それに対してどう答えるのだろうか。
「なるほど、それは確かだな。だがその程度はどうなのだ」
「程度、ですか」
「例えばそこにいるレインだ、彼女はサンスイの養子だぞ。フウケイ殿が家庭を持ったという話は聞いていないし、それはそれで問題なのではないか?」
「いえ、それは問題ありません。彼女は元々森で拾われたのでしょう? 育てられなくなった子供を仙人が預かるというのはよくある話です。スイボク殿も元はそうだったと聞いています」
「そうなのか?! スイボク殿が孤児?!」
これには三人とも驚きである。スイボクがカチョウの弟子だとは周知されているが、孤児だったとは信じられなかった。
なにせ、当人がアレである。孤児だったのは四千年前の話だろうが、まるで孤児らしさが無い。
「いえ、孤児というか……子供だった時に村の大人を木刀で殴り殺してしまって、手に負えないからとカチョウ様に預けられたそうで」
「なるほど!」
「そういうことか」
「スイボクさんらしいね!」
子供のころから強くて、子供のころから凶悪だったらしい。実にスイボクらしい逸話であった。
そりゃあ一般の村人では、手に負えないだろう。なお、フウケイやカチョウでも手に負えなかった模様。
「ではブロワと結婚していることや子供がいることはどうだ? それに関しては、前々から知られているはずだが」
「それも問題ないです。俗人に仕えているのですから、所帯を持つこともあるでしょう。ですが、家庭を持つことと、色恋に溺れるのは全く別の話です」
わかるようなわからないような話しだった。
そこまでずれ切ってはいないが、基準は彼女の中にしか存在しないようでもある。
おそらく、彼女と違って『女性と結婚していること』や『実子がいること』にさえ腹を立てているものもいるだろう。
「ブロワという女性も、サンスイ殿が仙人であると知った上で結婚しているのですから、相応の節度というものを覚悟しているはずです! 少なくとも、今は大八州が直上にあるのですから、それなりに考えていただきたい!」
スイボク曰く、最強とは目標であるという。山水を鍛えるときには、尊敬される剣士になるよう育てたとも言っていた。
であれば、見方を変えれば堕落なのだろう。それはそこまで間違いではない。
「むう……」
ただし、レインからすれば腹立たしい話だ。
会ったこともない輩から、そんな言い掛かりをつけられて切りかかられてはたまらない。
一人の父親としてはようやくまともになってきたのに、理想の剣士像を押し付けられてはたまらない。
「あの! パパは今まで一生懸命頑張ってきたんです! たまに遊ぶぐらいいいじゃないですか!」
「駄目です! 一時遊ぶということは、それは事実として記録されます! 武神として目標になる彼は、一時も遊んではいけない、禁欲生活を送らなければならないのです!」
なぜ切りかかってきたのか、それはもうわかっていた。
要するに山水が堕落したと聞いて確かめにきて、実際堕落していたので殺そうとしたのだ。
ジョンは想う、実際堕落していたと。
とはいえ、こうなると重要なのはフデをどうするかである。
きわめて個人的に襲い掛かってきたので、だからこそトリッジの手腕が問われるところだった。
「フデよ」
山水の主となる少年は、果たしてどういう沙汰を下すのだろうか。
「なんですか。私は何も間違っているとは思っていません! 確かに自決するつもりではありますが、それは正当性を認めたわけではありません! 正誤と勝敗は別の物、あくまでも正しいと知った上で、敗北の責任を取るだけです!」
「サンスイが遊ぼうとしているのは事実だ。それを堕落ととらえるのは、あまりにも一方しか見ていない話だぞ」
「ほかにどう見ろというのですか!」
「ブロワだ」
とても厳しい目で見る彼は、一種の怒りをにじませていた。
「ブロワは仙人と結婚するのだから、相応に節度を持つべきだといったな。だが、それは余りにも勝手な話だ」
「何が勝手ですか! 仙人と結婚するのに、俗人と結婚するような気持では困ります!」
「ソペードは武門の名家!」
ソペード家の誇りである台詞を、少年は迷うことなく口にしていた。
「故に強者を重用し、武人へ敬意をはらい、功労者には報酬を惜しまないのだ!」
「だ、だからなんですか」
「ブロワもまたソペードの傘下であり、我が叔母であるドゥーウェ・ソペードの護衛を幼少の頃から務めた者だ! その役目を終えた彼女が幸福な日々を送れるように配慮するのは、主たる者として当然の心配り! そちらの言葉を借りるのであれば、ブロワと結婚する者には彼女を幸せにする義務がある! それをサンスイが怠ったのならば、叱りつけることもあり、場合によっては罰を下すことも当然のこと! サンスイはそれを果たしているだけにすぎん!」
貴人の護衛を務めることがどれだけ危険を伴うことなのか、想像できる彼女は黙ってしまった。
「それにガタガタ文句をつけるのなら、サンスイにではなくソペードに言え!」
彼女は自分が間違っていたと納得しているようだった。
非を認めて、別の理由で自決しそうな雰囲気さえある。
「で、どうだったレイン。褒めてくれてもいいんだぞ!」
私事では問題があっても、仕事の時ちゃんとしていればいい。
そんなことはないんだな、とジョンやレインは思っていた。
「私が間違っていました……!」
いや、そうでもない。ソペードの配下は、そう思ってしまっていた。
なお、これはディスイヤの配下たちも思っていることである。




