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フデは特に問題を起こすこともなく、白黒山水の屋敷に辿り着いていた。
もちろん大八州の人間が無許可でアルカナへ降りることはご法度ではあるが、敵対国家というわけではない。むしろアルカナ王国にとっては、文字通り頭が上がらない国民を無碍に扱うわけもない。許可されて入国している人間がとても多いこともあって、彼女もそれに紛れてしまっていた。
「失礼するが、スイボク様のお弟子であるというサンスイ様のお屋敷はどちらか、教えていただけませんか?」
「ああ、アンタ大八州の人だねえ? アンタんところの大工さんが、怪物どもに壊されたここいらを直してくれてねえ。どうだい、今晩は泊っていかないかい?」
そして、行く先が白黒山水の屋敷ということも大きかっただろう。
これがディスイヤだった場合何か売りに行くのかと聞かれるところだったが、大八州の流れを組む山水の屋敷に行くのなら誰も怪しむことはなかった。
「い、いえ! ご親切はありがたいのですが、急ぎの旅ですので!」
「そうかい。それじゃあサンスイ様のお屋敷だけどね、たしかあっちの方にあるよ。木やら紙やらで出来ているお屋敷って噂だよ」
「間違いありません、どうもありがとうございました」
フデが剣士らしい姿をしていたことも、彼女の怪しさをぬぐっていた。
山水の所へ剣の修業に行くのだな、と誰もが納得したのである。
「さて、間違いなく大八州の大工が作ったお屋敷だな」
遠い下界で見つけた、大八州風の御屋敷。間違えようもなく、サンスイの住まう豪邸だった。
しかし長旅の果てで目当ての場所に着いた彼女の顔は、とても苛立たしいものだった。
「仙人と言えば庵に住まうのが道理だろうに……! こんな贅をつくした屋敷で住まうなど!」
仙人とは粗末な小屋で、質素な生活をするもの。
大八州の頂点に座するカチョウでさえそうなのに、千年も生きていない若き仙人がこんな大きな屋敷で暮らすなどおこがましい話であった。
「さて、私のことが既に知られているかもしれないし、ここは変装を……」
彼女も馬鹿ではない。目立つ格好で屋敷に入っても、場合によってはつまみ出されるだろう。
目立たない格好で入り込み、山水という仙人がどんな修業をしているのかを知る。
その上で、正しく判断して行動するのだ。使命感に燃える少女剣士は、持ち込んだ変装用の服に着替える。
顔まですっぽりと隠して、どこにいても不自然ではなく、しかも体形さえ誤魔化せる。
小太刀を懐に忍ばせて、竹で出来た縦笛を吹きながら彼女は山水の屋敷へ入っていた。
別の場所ならともかく、山水の屋敷では彼女の変装はとても馴染んでいた。
笛の音もでたらめではなくちゃんとした曲調であり、だからこそとても自然だった。
(ふっふっふ……まさかこんな時に父から仕込まれていた【尺八】の技が生きるとは……!)
なので、とても目立っていた。
(一体誰なんだろう……)
(一体なんなんだろう)
山水の屋敷にいるのは、ほとんどがアルカナの国民である。
始めてみる格好のフデに対して、話しかけることができないものの注目しきってしまっていた。
フデの格好はいわゆる『虚無僧』だった。顔どころか頭まで藺草で作った深編笠をかぶり、綿の服を着て、尺八を吹きながら歩く。
とても素晴らしく完璧に虚無僧なのだが、あいにくと誰も虚無僧を知らなかった。
(恰好からして多分大八州の方なんだろうが、話しかけにくいな……)
(なぜ歩きながら笛を吹いている……旅芸人か?)
話しかけがたい雰囲気を出していたので、ある意味では成功だった。
突如現れた虚無僧は、無人の野を行くがごとく、ひたすら前に進んでいた。
(ふふふ……潜入は成功だな!)
なお、フデがかぶっている深編笠は視界が悪いので、自分が注目されているとはわからなかった。
四方八方から視線を集めているのに、威風堂々たる歩みを見せていた。
前しかろくに見えないが、それでも彼女の脚に迷いはない。
彼女にとっては慣れ親しんでいる臭いや音が、その方向からしてくるからだ。
(おお……さすがは荒ぶる神の流れを組む道場だ……!)
思わず尺八を吹くのをやめ、深編笠を持ち上げた。
その視界に映ったのは、一心に剣の修業をしている剣士たちだった。
人種や服装こそ違えども、それは彼女の実家と同じだった。
木刀を手にして汗を流し、素振りや型稽古、試合などを行っている。
彼女が驚嘆したのは稽古の内容ではなく、剣士たちの質と数である。
武神奉納試合を行う神社同様の、砂利の敷き詰められた屋敷の庭。
その中で稽古をする剣士一人一人が場数を踏んだ剣士たちであり、その人数たるや百にも届きそうである。
これが何かの大会ではない、平常だというのが恐れ入る。こんな道場、大八州にはあり得ない。
「流石は下界の大国、大八州とは人口が違う……いや、それだけではないか」
空に浮かぶ大八州では戦争など他人事だが、下界では常に戦乱があるという。
であればこの場の彼らも、常に戦場で命を賭していたのだろう。
道場稽古や野試合とは違う、命をかけた殺し合い。敵の装備や人数さえも全く定まっていない、本当に何でもありの戦場を越えて、彼らはここに至っているのだろう。
雷霆の騎士がそうであるように、彼らもまた百戦錬磨。
仙人が長く統治している、平和な楽園で剣を学んでいたことに恥じらいさえ感じるが、その一方で奮い立たせる。
(否! 私だって遊びでここに来たわけではない!)
深編笠をかぶり直す。
尺八をしまって、懐の小太刀を確認する。
(今までだって、剣で遊んできたことはない! 私だけではなく、道場の誰もが真剣に剣術へ打ち込んできたのだ!)
ここまで歩いて、仙人らしい人物に会っていない。
ここにいるはずなのだから、探し当てねばならない。
(常在戦場の覚悟だ! 武人とはそうでなければならない! 道場で稽古をしていたからとか、家でくつろいでいたとか、そんなことは言い訳にならない!)
見つけ出して確かめるのだ。
本当に山水という仙人が、妻と逢引きをするような軟弱者なのかを。
(私がたまたま訪れた時でも、気を抜かず修練を積んでいるはずだ! 仙人らしく瞑想をしているとか、剣士らしく素振りをしているとか!)
彼女は歩いていく。
流石に建物の内部へ入ることはないが、壁で囲われている内側を探っていく。
そうしていると、裏庭に辿り着いた。
「いよいよ明日だな、ブロワ」
「ああ! 明日の為に調整はしてきたぞ!」
そこには山水とブロワがいた。
とても浮かれた顔をしている、たるみ切った若い夫婦にしか見えない二人がいた。
「実はな、ブロワ。お前に声をかけた時点でだいたいの準備が終わっていたから、やることが無くて逆にもどかしい想いをしていたんだ……笑ってくれ」
「そんなことはないぞ! 私だって三日前から楽しみで眠れなかったんだ! なので睡眠薬を処方してもらった! これで今日はぐっすりだぞ!」
「そうかそうか……本当に、もう明日なんだな」
「そうだぞ! 明日だぞ!」
敷地を囲う壁と建物の隙間にある、わずかな空間。
そこで顔を赤くしながら盛り上がっている二人。
それはとても初々しく、とてもではないが子供のいる夫婦には見えなかった。
「サンスイ! 私はとても期待しているからな! ものすごくとても期待しているからな! 本当に頼むぞ! 本当に引くぐらい人脈を使っているんだから、これで詰まらなかったら最悪だぞ!」
「それはもうばっちりさ! 滅茶苦茶楽しみにしてくれ!」
そんな二人を見つけたフデは、思わず建物の陰に隠れた。
そして、その建物の壁に爪で傷を作ってしまう。
「う、羨ましい~~!」
とても素直に本音が出ていた。
彼女も年頃の乙女なので、言ってはいけないことを言ってしまうことがある。
「ち、違う! 今のは心の迷いだ! 私は剣術一筋だ! とにかく、あんな堕落した男がフウケイ様の後を継ぐなどあってはならない!」
懐から小太刀を抜いて、深編笠を投げ捨てる。
「覚悟!」
草履をはいた足で庭を蹴り、勢いよく飛び出していた。
※
「うわあ……凄い!」
一方、その反対側で二人を見守っていたのが、レインとジョンだった。正しく言うと、レインがジョンを誘っていたのだ。
レインは目を輝かせて親を見ているが、ジョンはとても気まずそうだった。
山水のことだから自分たちのことを把握しているだろうが、それでも見ていて楽しいものではない。
「あの、レイン嬢……?」
「なに、ジョンさん? ほら、いいところだよ!」
「そうかもしれないけど、いいところだからこそ見るのは止めた方が……」
仮にドゥーウェなら大喜びしていただろうが、結構まともなジョンにそんな趣味はなかった。
むしろ、山水一家三人の気勢についていけなかった。ものすごく興奮している三人の熱気は、ジョンには暑苦しすぎた。
「ほらほら、ちゅーするかも!」
「いや、そんなことは……」
「そんなことないって! 絶対するって!」
まったく血のつながりがないはずの三人だが、その盛り上がり方には家族の絆を感じる。
だからこそ、疎外感があるので下がりたかった。なんで自分は、他所の家の色恋沙汰に巻き込まれているのだろうか。
別に三人が異常だとは思わないし、特に羽目を外しているとも思わない。だがそれを間近で見ていると現実逃避したくなる。
「ん?」
だからこそ、ジョンは気づいた。
自分たちとは反対側に、山水たちのことを見ている女がいると。
「誰だ……? 大八州の女性のようだが、その割には格好がおかしい」
一目では女性とわからない服を着ているうえで、顔を隠す意図しか感じられない帽子のようなものをかぶっている。
その上で、懐から小太刀を抜いていた。深編笠を捨てると、懐から短めの刀を抜いていた。
「まさか、賊か?!」
髪を銀色に染めて、前に出ていたレインのことを引き寄せる。
とっさの判断であり、彼女の殺気に押されてのことだった。
だが、だからこそ彼は見た。
強化された情報処理能力と動体視力が、山水の動きを捉えていた。
「覚悟!」
飛び出してきた女性が一歩目を踏み出すかどうかという刹那、山水の体がわずかに動いた。
膝を少し曲げて腰をやや落とし、両足を大きめに開き、左手を握りしめながら左ひじを曲げる。
「縮地法、牽牛」
握りしめた拳が腹部に接する形で、襲ってきた女性を縮地で引き寄せる。
「発勁法、崩拳」
触れたままの腹部へ、ねじりこむような打撃。
それに発勁を乗せて、女性へ痛烈な打撃を浴びせていた。
「縮地法、織姫」
何が起きたのかわかっていない、しかし口を大きく開けて体をくの字に曲げる女性。
肺の中の空気がすべて抜けて、そのまま呼吸が一時的に停止する。
その彼女は再び縮地させられ、山水とブロワの前から消えていた。
「……酷い」
ジョンは恐る恐る背後を見ると、そこには悶絶している女性がいた。
地面にゆっくりと倒れて、小太刀を手放してそのまま腹を抑えている。
「あ、あの、ジョンさん?! どうしたんですか?!」
何が起きたのかわからないレインは、自分がいきなり抱えられたことに驚いていた。
「いや、なんか……よくわからないけども……とにかく一旦運び出そう」
しかし彼女へ気を使う余裕がない。血の気が引く光景を見てしまったジョンは、悪血を鎮めて女性を抱える。
そのままふと後ろをみると、何事もなかったかのようにいちゃついている夫婦がいた。
「サンスイ……私は本当にうれしいんだ! こういう展開を待っていたんだよ!」
「ああ、俺もだ。よく考えたら五百年ぐらい待っていたんだよ」
「それはちょっとどうかと思うが! 私も結構待ったんだ! 本当に楽しみにしているぞ!」
山水はともかく、ブロワはまったく気づいていなかったらしい。
なお山水の足元は、発勁の反発によって軽くへこんでいた。
それを確認したジョンは、ブロワへ呆れるよりも山水に戦慄する。
「本当に浮かれているんだな……」
普段の山水からは考えられないほど、極めて効率的に倒していた。
最小限の動作からの攻撃であり、極めて少ない手数で捌ききっていたが、だからこそ粗雑に倒しているとしか思えなかった。
それはブロワに気づかせないための配慮というよりは、山水自身が今という時間を楽しんでいるから水を差されたくないというものだったのだろう。
それを察したジョンは、レインを連れて女性を運んでいく。
もう決して、振り向くことはない。
とても広い家を与えられた、この国最強の剣士。
五百年も修業していた彼が、自分の家の隅のとても狭い空間で、他の誰にも見られないように隠れてはしゃいでいる。
普段ならどんな挑戦者でも丁寧に応じている彼が、ただの邪魔ものとして排除する。それは理想的な剣士から、余りにも程遠い行為だった。
だが察するに余りある。
彼は今、師から授かった最強を背中から降ろして、傍らに置いている。
人生の絶頂を楽しむために、尊敬されなくてもいいと開き直っている。
そんな彼が少しでも雑念を抱かずに済むように、ジョンは無言で去っていった。
本日、コミカライズが更新されます。
どうかよろしくお願いします。
http://comicpash.jp/jimiken/




