憧憬
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「下界からすげえ剣士が来たってよ」
「へえ、下界から? 珍しいねえ」
「何言ってんだお前、最近はしょっちゅうだぜ? 俺なんて、この間下界へ家建てに行ったんだからよ」
「そういや、チンドン屋が下界で芸を見せたら大儲けしたらしいぞ」
「チンドン屋の芸でか?! 世の中わからねぇもんだなあ……それじゃあ俺も一丁、降りてみるかねえ?」
「いやいや、まず降りるのが無理だろ。お前まさか、石舟を盗む気じゃねえだろうなあ」
大八州で町民が世間話をしていた。
最近の話題は下界のアルカナ王国とかいうところのことである。
「盗むんじゃなくて借りればいいじゃねえか、それなら下界にも降りられる。知ってるか、下界じゃあチリ紙の浮世絵が大金に化けるらしいぜ!」
「あほか、そりゃご法度だぞ。下界に大八州のもんを無許可で売ったら、それだけでとっつかまちまうらしい」
「はあ? 宝貝でもなんでもない、ただの紙だぞ? 春画でもなんでもなく、ただの浮世絵が御禁制って、そんなことあるか? カチョウ様がそんなことおっしゃるか?」
「いや、それがな、下界の国で駄目なんだと」
「なんでだ?」
「知らねえ」
実情を聞いたら呆れるかもしれないし、そこまでしなくてもと思うかもしれない。
だとしても、国家の恥なので知られない方がいいだろう。とんでもなく馬鹿馬鹿しい話であるし。
「っていうかよ、そもそもなんでカチョウ様は下界を助けようとなさったんだ?」
「助けるってお前……金もらって仕事をしておいて、それはねえだろう」
「いやいや、下界で何が起きたって、なんの関係もねえだろう? この間だって、あのスイボク様が下界の国を滅ぼしたじゃねえか」
「ああ、漫談みてえに滅ぼしてたな」
スイボクに限らず、天地法を修めた仙人に挑めば国は滅ぶ。これはとても当たり前のことだった。
スイボクが邪悪だとか罪深いとかではなく、ケンカを売った方が馬鹿だという認識である。
「いやな、なんでもスイボク様のお弟子が、アルカナ王国に仕えているらしいんだよ」
「……は? なんで仙人様が、俗人に仕えてるんだ?」
「未熟なのかい? ほら、あのゼン爺さんみたいに、歳くってないってだけみてえに」
「それがな、まだ若いがちゃんと仙術も使えるらしいぜ」
「へえ~~じゃあなんで仕えてるんだ? 騙されてるのか?」
仙人とは長く苦しい修業を越えて、人間を越えた超人である。
未熟ならともかく、ちゃんと術が使える仙人は尊敬を通り越して崇拝の対象である。
神様が人間に丁稚奉公するなんて、意味が解らないだろう。
「カネ目当てなんじゃねえか? ほら、邪仙なのかもしれないだろ」
「馬鹿言うな、仙人が俗人のカネなんて欲しがるか?」
「第一、脅して分捕った方が早いだろ」
「……まあスイボク様のお弟子だしな、何考えてるのかわからねえしな」
スイボクが仙人らしからぬ男であるということは、大八州で有名である。
スイボクなら国を滅ぼしても仕方がないし、その弟子なら人間に仕えても仕方がないのだろう。
「まあ仙人様からすれば、俗人に仕えるのも俗人を統治するのも、世話みたいなもんなのかもな」
「いやはや、ありがてえ話だ。まさに天は人を受け入れるって奴だな」
「そうそう、天っていやあ今度の花火大会! 下界の復興が済んだんで、盛大にやるってよ!」
「そいつぁ楽しみだなア! 俺は武神奉納試合なんぞよりも、花火の方が大好きだぜ!」
「下界から火薬も沢山もらえるってよ! 花火職人どもも大忙しだってよ!」
※
「花火大会があるんだとよ」
「なんのことだ?」
「知らん」
いよいよ近づいてくる武神奉納試合。
予選も始まるかという段階になって、いよいよ大八州の道場は色めきだっていた。
老いも若きも、新しく武神としておさまるスイボクや山水への挑戦に胸をときめかせていた。
それはアルカナ王国から訪れている雷霆の騎士も同様なのだが、法術使いとして訪れている聖騎士団長はのんきだった。
まあ武神奉納試合の結果など、カプトに属する彼には何の関係もないので仕方がないのだが。
「知らんのなら、いちいち話題にするな」
「いやいや、要はお祭りらしいんだよ。それもとんでもなく派手な」
「結構なことだ」
「そう、結構なことだ」
見た目の年齢こそ違えども、ともに長く国家に奉仕してきた男たち。
重責から一時解き放たれている二人は、道場の中で稽古を行っている面々を見ていた。
武骨で真面目で、花火大会だとかお祭りだとか、そういう者とは無関係な面々を見ていた。
「この国は、本当に楽園だな」
スイボクや山水同様に、ただ強くなりたい面々が剣を競っている。
それは争いではない、殺し合いではないのだ。
彼らは合理を求めてここにいるのではなく、利益を求めているのでもなく、個人の嗜好としてここにいるのだ。
仮にここを止めても、なんの不利益もないのだ。
「そうだな」
近衛兵も、聖騎士も違う。どちらも必要だから存在しているし、そこでの訓練は仕事だった。
個人の武勇を競うのは本当に稀で、団体での軍事行動への訓練が主である。
そうしないと、戦争に勝てないからだ。
もちろん、この場の誰もが大真面目に頑張っている。
だがしかし、大真面目に趣味へ没頭できることこそが、この国の平穏さを物語っていた。
「お前の言うように、ここは楽園だ。我らの国などどれだけ強大でも、ここに比べれば野蛮なだけだろう」
「スイボク殿やサンスイ殿の方が異端なのだな。こうして長命者が統治している国は、繁栄を謳歌している」
この道場で訓練を積んでいるのは、裕福な豪商の子供とかこの国での特権階級の生まれというわけではない。
たいして裕福ではない農民や町民が、特に利益を生むわけでもない趣味に没頭することができる。
それもこれも、この国が長期的に安定しているからである。
それは単純に外敵がいないからではなく、天災が生じえないからだ。
通常なら干害や水害などの天災は、人間の自由になるものではない。
それに関連する食糧危機や、伝染病の蔓延などが社会を脅かす内憂になり得るのだ。
しかし、この国でそれはない。この大八州では、天災とは人災そのものである。
仙人が怒ったり仙術を失敗したりしない限り、災害など起こりようがないのだ。
だから食料も安定しているし、それが平民文化の華やかさにつながっている。
そう、この国での文化は、裕福な階級が楽しむ高級品ではない。平民でも楽しめる、大量生産品なのだ。
軍隊や戦争を必要としている国の軍人には、それがとても眩しく映る。
「で、お前さんはそれを見に行くのか? 楽しいらしいぞ」
「行かん。余人が楽しむのは結構だが、紛れる気はない」
「つまらんなあ……俺は行くぞ、行っちゃうぞ?」
「好きにしろと言っているだろう!」
若者に対して老人が誘惑をしているようだが、老人が老人を誘惑しているのである。
まあ、性質の悪さはそう変わるものではないのだが。
「聖騎士殿! 雷霆殿に無礼はおやめください!」
凛とした雰囲気のある、少女剣士という出で立ちの少女が注意していた。
「……おい、誰だ?」
「この道場の主の、孫娘殿だ。名前はフデという」
聖騎士隊の隊長は、ハトが豆鉄砲をくらったような顔をしていた。
なにせ年頃若い娘である。その彼女が、顔を赤くしているのだ。邪推するには十分だろう。
「おいおい、お前そんなところまで剣聖殿の真似をするのか?」
「何の話だ!」
「いや、サンスイ殿もブロワって娘と結婚しただろう? お前も若返ったんで、歳の差がある娘と……」
ふざけ半分、真面目半分で隊長は訪ねてしまう。
からかわれていると思ったのか雷霆の騎士は怒っているが、フデもまた顔を赤くして怒っていた。
「ち、ち、違います! 失礼です、無礼です! 私が女で小娘だからと、なんでも色恋に絡めないでください! いくら年長者で場数を踏んだお方で、雷霆殿と親しいとはいえ、私はともかく雷霆殿へ侮辱は止めてください! 私はただ、雷霆殿を尊敬しているだけなのです!」
耳まで赤くして、手をぶんぶんと振っている。
むきになって否定する姿も可憐で、山水や雷霆の騎士のような老成した精神を持つ者にはない、瑞々しさがあった。
「そう、私は雷霆殿を尊敬しています! 雷霆殿は立派で、素晴らしくて、強くて、かっこよくて、最高の剣士です!」
それを見て、聖騎士隊長はただニヤつくばかりであった。
「そうかそうか、雷霆の騎士は確かに偉大な男だ。王家の誰に聞いても、彼を称える声が絶えんぞ」
「そ、そうですよね!」
「なにせ王家の切り札とされるお方は、よその国の皇帝だからな。余り身内として見られていないのだ。その点こいつは、正に王家の威信として長年活躍していたんだぞ」
「はい、ここに来ていらっしゃる他の近衛兵の方も、同じようにおっしゃっていました!」
自分の頭を押さえる雷霆の騎士。
過去の栄光を否定するつもりはないが、生き恥を晒している現状では言われたくない。
こうして若返っていることを過去の否定と考えている彼は、とてもいやな気分になっていた。
「きっと雷霆殿なら、武神奉納試合でも勝ち抜けます! そして、フウケイ様から武神の座を奪った荒ぶる神にも挑めます! そして勝てます!」
「フデ殿。持ち上げてくれるのは嬉しいが、そう簡単な話ではない」
流石に大言が過ぎたので、雷霆の騎士はそれを止めていた。
「サンスイ殿の強さは、私が一番よく知っている。彼は私などよりも優れた剣士であり、主に忠実な武人だった。今の私が彼に勝てるなどと、簡単に言ってほしくない」
「も、申し訳ありません!」
注意されたにも関わらず、彼女の眼は輝いていた。
「やはり優れた武人は、決して軽々しいことを口にしないのですね! 凄いです、素晴らしいです! 私も見習わせていただきます!」
頭を下げて去っていくフデ。
果たして何がしたかったのだろうか、そこを聞くほど二人は野暮ではない。
「……で、どこまで手を出したんだ?」
「お前は、本当にいい加減にしろ」
彼女が背を向けて歩いていくところで、たわいもない会話は再開した。
やはりからかうことは続行である。むしろ、火に油を注ぐことになったようである。
「いいじゃねえか、あの子にとっては一度の春だぞ? 幸せにしてやれよ、老人の余生なんだし可愛がってやれよ」
「猫か犬でもあるまいに」
「花火大会にでも誘ってやれよ、どうせ祭なんてそんなもんだろ?」
「だから、花火など見に行く気はない」
「あの子、もしかしたらお前を誘う気だったのかもしれないだろ? ほら、息抜きに」
「邪推するな。第一、誘われたとしても断るだけだ」
「お前本当に変わらないな」
昔から知っている友人が、何も変わっていない。
それが嬉しいようで、少し気の毒に思える。もちろん、雷霆の騎士ではなく少女の方が。
「知ってるか? サンスイ殿は花火大会にブロワちゃんを連れてくるらしいぞ」
「……なに?」
目を開いて、驚いた。
雷霆の騎士が知る山水は、積極的にそんなことをする男ではなかったはずである。
「あの人も色恋がしたくなったらしいぞ、けっこう下では騒ぎになっているらしいな」
「……あの、素朴な剣士が、か」
「ああ、いいことだと思うがな。特に、ブロワちゃんにはいいことだ」
「正直、残念だ」
憧れの対象が堕落した気がした。
彼には政略結婚があっても、剣だけの男であって欲しかった。
情けないところ、人間らしいところなど見たくなかった。
「だが構わない。あの方は剣を極めているが、私は甚だ未熟者だ。未熟な私が他のことに気をとられていては、同じく神へ挑む者たちへ申し訳が立たない」
「真面目だねえ……」
「私はこうなだけだ、それだけだ。ただ……」
老人らしいあきらめの混じった目で、遠くを見る雷霆の騎士。
「彼も私の同類だと思っていた。そうではなかったので、勝手に落ち込んでいるだけだ」
「……そうか」
寂しいという感情を出した友人の肩を、見た目通りの老人は叩いていた。
「ちょっと残念だったな」
「ああ、少しだけな」
そんな会話をしている老人たちは気付いていなかった。
去っていこうとしていたフデが、足を止めて自分たちの話を聞いていたことを。
「仙人が、色恋に……?!」
それは彼女にとっても、残念なことだった。
いやさ、それよりもさらに悪い感情が、彼女の中で沸き立っていた。
その次の日、彼女が旅支度をして消えた。
それを不審に思う者も多かったが、子供というわけでもないので放っておくことにしていた。
それだけフデという少女がしっかりしているということであり、一人で旅をするに十分な実力があると評価されている証拠だった。
本日のコミカライズは休載です。どうか今年もお願いします。




