弊害
山水と同世代の天狗、フサビス。
アルカナが良く知る縮地法や内功法を基本とする剣士ではなく、錬丹法を修めた医者だという。
スイボクと山水しか知らなかったアルカナにとって、初めての『弱い長命者』だった。
「法術の治療に興味があるので、交流には私も積極的に参加させていただきたいですね」
毎度のことながら、国外からくる人間にとってはカプトの法術が魅力らしい。
それは今に始まったことではないが、まさか長命者にまで興味を持たれるとは意外である。
他に魅力はないのだろうかと想うと、切なくなる学園長だった。
「ええ、フサビス様。そう言っていただけると嬉しいです。なにせ国からは、大天狗の参加が許されなかったので」
「それは正しいでしょう。年齢を重ね過ぎた長命者は、それはもう……いえ、言うまでもないと思いますが」
年齢を重ねると精神が不安定になるのではない。
年齢を重ねても解脱しない長命者は、そもそも最初から人間性に問題があるのだ。
その最たる例が
「場合によっては邪仙の方がましですね。アルカナでは大罪人であろうフウケイ殿も、大八州では信仰の対象になっていましたから。その一方で、スイボク殿は……居合わせましたが、アレは本来許されないことです」
フサビスはスイボクの荒ぶる神たる由縁をみた。
気に入らないことがあれば、一国が相手だろうと容赦はしない。
誰が何人相手だろうと、その縄張りごと滅ぼす。
「天地法を修めた仙人は、みだりにその術を用いてはいけません。俗世そのものをたやすく滅ぼせるからです。私が修めている錬丹法も、ご存知の様に人の欲を駆り立てすぎる。虚空法も悪用しようと思えばキリがない。集気法、縮地法、内功法に留まればその限りではありませんが、その上位に位置する術に達したものは慎みを持たねばならないのです」
そしてそれは、恐ろしいことにスイボクに限った話ではないのだ。
習得に尋常ではない時間をようし、準備にも気が遠くなる時間を必要とするとしても。
それでも天地を動かせるなど、人間の領分を超えすぎている。
「ですが、上位に位置する長命者の中でも長老ほど、術を意のままに扱え過ぎてしまうのです。だからこそ、錬銀炉のような物さえ俗世に売り出してしまう。たかが当座の資金に困った程度で……」
「そうね、ディスイヤにも大天狗が売った宝貝はいくつかあります。どれも非常に強力で有用ですわ」
「人が生まれて死ぬのは普通のこと、その理由など些細な話。それはそうですが、天狗や仙人が争いを誘発するなどあってはいけないのです」
ある種の選民思想であり、上から目線だともいえるだろう。
だがその一方で、俗世の立場から言えばそっちの方がありがたい。
「とはいえ、元をただせば大天狗が一万年前になすべきだったことを、今のアルカナに担っていただいた話。私もこの国の復興には、全力を尽くす所存です」
「そう、そこもお伺いしたいのよ」
一万年前、人類が逃げ出した旧世界のでき事。
まさに先史文明、神話の時代の物語。
それを知りたいと思うのは、学者としては当然であろう。
「八種神宝たちも滅亡寸前の世界しか知らないし、それよりも昔のことを知っているのは大天狗や旧世界の怪物の指導者たちだけ……是非風俗や歴史をお伺いしたいわ!」
「……余り期待しない方がいいですよ。大天狗はその指導者たちとともに、世界樹、人面樹の元で修業に勤しんでいたそうですから」
とはいえ、一万年前の文明を継承しているのは、おそらく秘境セルのみ。
確かに当時の資料も探せば見つかるだろう。探すのに何百年かかるのかわからないが。
「ともかく、私の専門は医療です。その範囲であれば、お力になれるでしょう」
「それで、実は……」
「なんでしょうか」
※
学園に設けられた巨大な講堂。宝貝による拡声器が取付られており、大きな声を出さなくても最後部までちゃんと伝えられるようになっている。
ある意味普通の講堂なのだが、中にいるのは生徒ではなく殆どが貴族の大人だった。
もちろん大人だって勉強してもいいのだが、やたらと圧力が高い。これが向学心なら天狗も鼻高々なのだが、あいにくと違うようである。
「ええ、ごほん。仙術も修験道も長い年月をかけて交流したため、用語も含めて差異はほとんどありません。ですので、基本的なところから説明をさせていただきます」
これから何が始まるのだろうか。
概ねを察しながら、フサビスは修験道の解説を始める。
「修験道は旧世界を起源としています。仙気、験力を宿しやすい生物である人面樹の元で、我らが主である大天狗セルが学んだ術です。大変歴史のある術でして、旧世界で生まれた大天狗は聖杯エリクサーを神から賜った時既に悠久の時を生きており、多くの長命者から兄として恐れられ嫌われていました」
兄に恨みでもあるかのような語り口だが、実際大天狗は一万年経過しても弟分や妹分から嫌われている。
それでも生きる気力を失わないのだから、やはり最強の意志力を持っているだけのことはあるのだろう。
「修験道は集気法を基本としています。これは周囲から力を集めつつ、周囲の気配を濃く感じる力です。この『周囲』というのが大事でして、どれだけ広範囲から力を集められるかで習得度を測れるほどです」
学術的にとても大事なことを話しているのだが、一部の教員以外は話を聞いていない。
好まれていない、望まれていないことを話しているとわかっていた。
ただ、彼らが望んでいることを今話したくないわけで。
「私が修めている錬丹法は、集気法の純粋な上位互換とされています。これは集めた力を凝固させ、実体として留めることができます。皆さんもご存じであろう蟠桃や人参果もこれにあたり、生産には本来膨大な時間を要します。そして、使用には専門的な知識を持つ仙人や天狗、巫女道の使い手の立ち合いが必要です」
非常に性質の悪い話なのだが、蟠桃も人参果も非常に美味で、食べ過ぎなければ美容にも効果を発揮してしまう。
そして、食べ過ぎれば死ぬ。法術では治療できず、専門家の迅速な対応が必要なのである。
アルカナ王国は緊急事態ということで兵士に配っていたが、あれは本来あり得ないほど危険なことなのだ。実際、少なくない兵士が副作用で苦しんだし、それを横領させ受け取った貴族にも苦しむものが出た。
自業自得だが、笑えるものではない。
「私は修験道という大きな学問の中でも、医学を専攻しております。錬丹法を修めつつ、いかに病気や怪我を効率的に医療するかを研究しており……ごほん、若いころには体型の調整や傷跡の修復、皮膚の鮮度を保つことなどを目的としていました」
目が輝いた気がした。
フサビスもそういう時期があったので、覚悟の上ではある。
なお、彼らや彼女たちの中には、シェットもこっそり紛れていた。
そう、紛れていた。彼女はちっとも目立っていなかった。
「錬丹法、金丹の術!」
天狗の修験服を着ている彼女は、そのまま術を自らに施す。
集まってくる膨大な力を制御して、自らの体系を最適なものに調整する。
それは、スイボクや山水と同様の効果だが、彼女が使用するとまた別のどよめきがあった。
美しい、色気がある、瑞々しい、整えられている。自然なままのようで、人の理想を追求している。
男が見ほれ、女が嫉妬し憧れる。まさに美女が出現していた。
「私は自分の体に術を施し、金丹による成長を調整した結果、現在の肉体にしました」
なりました、ではない。しました、である。
彼女自身を含めて、人間が求める夢を彼女は達成していたのだ。
どれだけ金銭があっても、容易ならざるもの、己自身の節制だけが意味を持つもの。それが健康と美容である。
スイボクは、やれ運動しろ、やれ肉を食べ過ぎるな、やれ寝ろ。とまあ、さんざん節制を語った。
それを万人が達成できたわけではないし、それを持続するとなると更に稀有である。そこで、美の専門家が現われた。
さて、誰もが彼女に期待するだろう。カネさえ積めば、努力しなくても健康で美しくなれる方法を。
「では実演しましょう」
熱く痛い視線を感じながら、彼女は素肌を晒した。
修験服を着ていた彼女は、『色気のない下着』を着ている己を晒していた。
決して、彼女自身の色気は失われていない。
「錬丹法、金丹の術!」
豊満だった肉体が、ゆっくりと調整されていく。
手足が伸びて身長が調整され、その代わり『脂肪』が減っていく。
彼女の肉体は、運動的な美に切り替わっていた。
「皆さんもご存じだとは思いますが、成長には栄養が必要です。適度な栄養が無ければ、背は伸びません。もちろん、同じ物を同じ量食べても、成長の度合いには差が生じます。私は自分の体の成長を調整し、ある程度の幅を持たせることができたのです」
流石に人間の限界を超えた大きさにはなれないし、逆に小さくなりすぎることもできない。
もちろん、人間以外になることもできないし、性別を切り替えることもできない。
だがそれでも、彼女の容姿は周囲からは羨望の目で見られていることに変わりはない。
「とはいえ」
ごほん、と咳払いをする。
「幼年の時期から長期的に私が施術するならともかく、成人の体系を著しく変化させることはできません。金丹による肉体の調整に耐え得る肉体を持つのは、それこそ天狗や仙人だけです」
仙人も天狗も、ある意味超人である。
不老長寿に始まり、環境適応や病毒耐性など、枚挙にいとまがない。
本来猛毒である金丹を摂取しても薬効を得るだけであり、赤粥に至っては食べるとか食べないとか以前である。
「肉体を過剰に変化させることは、それこそ健康を損ねます。何事も、日ごろが大事、一事が万事です」
出た結論は、スイボクと一緒だった。
長期間節制しましょうね、という面白くもなければ参考にならない意見だった。
美しくなるためとはいえ、何百年も修業はできない。
とはいえ、それを実際にやった彼女を想うと、中々言えないのだが。
「とはいえ私も天狗、大天狗の弟子でもあります。世界最高の宝貝職人の弟子として、それなりに『化粧』に関する宝貝も制作しております」
服を着なおして取り出したのは、一枚の皮だった。
「これは果実の皮を使って作った宝貝です。ご存知かとは思いますが、サンスイは石化を隠すためにこれを使って覆っているわけですね。『肉付きの面』という宝貝の素材であり……当然、肉付きの面そのものも作れます」
フサビスの指示に従って、数名の教員が彼女の前に立った。
男女合わせて五名ほどの教員たちに、フサビスは宝貝の『仮面』を張り付けて、更に化粧を施していく。
「分類としては義肢に近いですね。腕や足の場合は見た目よりも動作が重要ですが、顔の場合は見た目が重要です。どちらが重要かと言えば手足なのかもしれませんが、顔もまた人が人らしく生きるためには必要不可欠ですね」
じゃん、と並んだのは『同じ顔』だった。
男女を問わず、顔の大きさを問わず、誰もが『同じ顔』になっている。
それをみて、一部の女性が席を立ってしまっていた。
遠めに見ても、その顔が美女に分類されるからだ。
「希望される方は……」
まだ最後まで言っていないのに、挙手する女性が多数出ていた。
むしろ、あげていない女性の方が少ない。
「ど、どうぞ、実際に触ってみてください」
この宝貝を触っていいですよ、触感も再現しているんですよ、表情も変えられるんですよ、と言おうとしたフサビスは驚いてしまった。
施術するなんて、一言も言ってないし言うつもりもなかったのに。
ともあれ、挙手した女性たちは行儀よく並びながらも、教員の顔に張り付いている仮面を引っ張ったりしていた。
痛覚がつながっているので教員たちも辛そうだが、つらそうな表情をしていることさえ驚きである。まさに魔法のような顔だった。
「では肉付きの面を外しますね。これは施術の際に調整ができ、仙人や天狗でなければ外せないようにできたり、普通にはがせるようにもできます。こうした技術も、大天狗が私の師匠であるフカバーと共同で開発したものです」
皮だけとはいえ、顔を調整できる。それは女性にとっては求めていた解答そのものだった。
「他にも毛髪や胸部などを補う宝貝は数多くあります。何か質問があ……」
「おいくらで、販売の予定ですか?」
まだ最後まで言っていないのに、挙手せずに質問してくる貴人がいらっしゃった。
しかし、それを誰も止めていない。誰もが同じことを考えているのだろう。
「ええ……大八州や秘境では比較的安価で手に入ります。質の差はありますが、割と大量に出回っていますね。ただアルカナ王国では、販売が禁止されております」
ただ、それは政府の方も同じなわけで。
「なにせ変装という意味ではこの上ありません。実際大八州でも、これを用いた犯罪がたまにありますので。アルカナ王国の政府がこれを禁止したのも、ある意味当たり前でしょう」
マジャンの密偵はこれを使って人種そのものをごまかして、他国の密偵をだましたこともあった。
顔というのは人間を判別する大きい要素であり、これを『完全』にごまかせてしまうと防諜も減ったくれもない。
便利というのは、正にもろ刃の刃なのだ。
「なので、販売の予定はありません」
「手に入れる方法は?」
「……禁制と言ったはずですが」
欲しがる気持ちは分かるのだが、禁制の品であるため議論の余地はない。
第一、禁止だと言い出したのはアルカナ王国の方なのだし。
「どうしても欲しいとおっしゃるのなら、政府の許可をいただいてください。正式な理由もうかがわれるでしょうから、よくご理解のほどを」




