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地味な剣聖はそれでも最強です  作者: 明石六郎
はじめてのおつかい
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責任

 結局、貴族と言っても人間である。

 愛する妻や娘から『お腹がすいたわ』とか『何でもいいから食べたい』と言われれば、料理の手伝いをせざるを得なかった。

 朝になっても潮風が直撃する『台』の上で、貴族たちはもそもそと料理の準備を始めていた。


 料理は単純、ジャガイモの煮物である。

 当然、本職の、超一流の料理人たちの手際は違う。彼らは下ごしらえを他人に任せて、自分は仕上げだけということはない。彼らは仕込みがどれだけ料理で大事か知っているし、そもそも最初にはきちんと料理の練習としてジャガイモなどの皮むきをしている。

 決して専門技能ではないが、それでも皮むきの速度は圧倒的だった。


 料理人たちは口々に親戚を罵る。それこそ、見習の料理人へ向けるような、厳しい罵倒だった。

 皮をむくのに指を切る、そもそも包丁の握り方を知らない、皮をむくのに実を切りすぎる、芽を処理していないなど。とても初歩的なものだった。

 それをとがめられて、なんで自分たちのような貴人が、そんなことをしなければならない。確かに親戚には専門家がいるのかもしれないが、自分たちはこんなことをしたいわけではない。

 実際、怪我人を含めた五人の料理人は、他の素人全員の、その倍の速度で調理を進めていた。素人を参加させる意味が、正直分からない。

 だが、それじゃあ何をするのかという話である。何もせずに黄昏ているだけなら、女衆から顰蹙を買うだろう。

 そうして、黙々と料理が作られていく。出来上がった料理は、いかに最高の料理人が作ったとはいえ、手間暇も材料も悪い代物。とてもではないが、彼らの舌を満足させるものではない。しかし、それでも腹は膨れていた。


「おい、お前ら。わかってるな?」

「何がだ」

「夜の仕込みを始めるぞ」

「今朝食を食べ終わったところだぞ?!」

「何を言っている、もう昼だぞ。それに、今から準備をしなければ、まともな夜食にならない」


 ある意味で、一番幸運なのは料理人だろう。なにせ、一応とはいえ能力を発揮する機会があったのだから。

 如何に調味料も調理器具も乏しいとはいえ、安全で衛生的な料理が用意されていたのは彼らの功績である。

 その上で、周囲へ具体的な命令ができたのも彼らだけだった。

 他の面々は、何かを指示しようにも、何も思い浮かばなかったのだ。

 よって、朝は料理の手伝いをし続けることになり、夜になってから相談をすることになっていた。


「どうする?」

「あと三日もここで耐えねばならないのか……」

「そうではない。一週間後に来るのは補給であって、救援ではないのだぞ」


 薄暗く、風の漏れる小屋の中で、男たちは相談する。

 その会議を、女性たちも不安げに見守っていた。


「一週間後に来るであろう補給の船、おそらく大八州の空を飛ぶ舟だろうが、その舟に何としても乗り込まねばならない」

「そんなことは当たり前だ、何を握らせてでも……」

「だから、何を握らせるのだ。我らはそういう話をしているのだ」


 賄賂を渡せば、自分たちを乗せてくれるだろう。

 そう信じるしかないわけであるが、今は手持ちがない。

 なにせ拉致されてここに来たのである、財産が没収されている以前に財布もない。

 文字通り、着の身着のままである。


「……服か?」

「バカを言うな。一週間も潮風にさらされた服を、一体どこの誰が欲しがる」


 とても真っ当な理屈を口にするデザイナー。

 そもそも、一週間以上も着られ続けた服など、そうとう汚いに違いない。


「……オペラ歌手がいたな」

「私の歌が分かる教養の持ち主なら、そもそも私をこのままにしない」

「それもそうだな……」


 確かに一角の専門家がいるのだが、賄賂となると難しい。

 値千金の絶技を持ってはいるのだが、この場合は『現金化』か現金そのものが望ましい。

 なにせ、この場で誰が歌っても絵を描いても、それがすごいのかどうかわかるには、一定の教養が必要なのだ。

 彼らにもそれなりに常識はある。超一流の歌手が歌ったからと言って『感動しました、貴方をこの船に乗せて、遠くへお連れしましょう』という展開にはならない。

 むしろ、貧乏人に俺の歌が分かるものか、とさえ思っているのだから無理もないが、この場合とても正しい。

 誰だって、よくわからない歌よりも現金が嬉しい。


「大衆向けの芸術を志している者などいないだろう。この場で技能を発揮できるものは何人いるのか、それを確認しようではないか」


 音楽家は無力だった。なにせ、楽器が無いし、作曲した楽譜を渡されても困るわけで。

 画家も無力だった、画材が一切ない。

 建築家は無力だった。そもそも、設計が専門である。

 舞台監督も無力だった。自分が演じるわけではない。


「私なら、詩をしたためることはできるな」


 そう言ったのは、詩人だった。

 簡単な筆記用具はあったはずなので、それを使えば一応『作品』を生み出すことはできる。


「それが無学な輩に伝わるかは疑問だが。なにせ、字が読めるのかも怪しい」

「……いや、もうそれしかないのではないか?」

「そうだな、それにサインを添えれば、多少は価値があるだろう」

「それを売らせれば……」

「その場合、まず一旦相手が帰ることになるぞ。また一週間待つことになる」


 素人には価値が分からないものを渡した場合、相手がその価値を確かめるために一旦帰らなければならない。

 それはさらに一週間、ここへ残る時間が延びるということである。現時点でもつらいのに、二週間も残るなどあり得ない話だった。


「しかしだな……」


 誰もが口にしない、一番簡単で、一番不可能な行動。

 実力行使で舟を奪って帰還するという、正に強硬策だった。


 それができれば話は早い。なにせアルカナの領海である、東へ進めば陸地にはつく。

 空を飛ぶ船を占領できれば、帰るのに航海術は不要である。

 問題は、そんなことをアクリルが想像していないわけがない、ということだった。

 この場の面々は幽閉されているが、その一方で拘束されているわけではない。暴れようとおもえば、いつでも暴れることができるのだ。

 戦闘の素人とはいえ、多少は魔法が使える大人の男が五十人ほどいる。そんな島へ、無防備な作業員を送り込むだろうか。

 そんなわけがない。そこまで都合のいい妄想を、彼らは抱かない。


「筆記用具はあるんだったな、私は一応手紙を書いておく」

「誰にだ?」

「私が肖像画を描く予定だった隣国の貴族へだ、救援を求めておく。我らを逃がすとなれば相当のわいろが必要だろうが、手紙を送るぐらいなら少々のわいろでも十分だろう」

「……その手紙が届くまでどれだけかかる」

「わからんが、一応念のためだ」


 そう、この場の面々は覚悟を始めたのだ。

 この離れ小島に、年単位で住むことになることを。



 結局、補給の船は本当に来た。

 食料が無くなる一日前に、余裕をもって訪れていた。

 空を舞う輸送船、その荷物を下ろし始めたのは。


「おい、お前ら。急いで降ろすぞ」

「おっす!」



 数十人の、屈強な男たちだった。

 荷下ろしが非常に巧みということで、ディスイヤの船乗りだと思われる。

 誰がどう見ても、貴族が殴り掛かって勝てる相手ではない。


「どうする?」

「どうするもこうするもないだろう……」


 このまま待っていれば、それこそ何も起こらない。

 多くの詩をしたためた紙の束を、一人の詩人が代表らしき男に差し出した。


「そこの者よ」

「ん、あんだい?」

「私はディスイヤ貴族であり、名の知れた詩人だ。これはただ紙に字を書いただけのものだが、私のことを知る者なら、相応の高値で買い取ってくれるだろう」

「へえ」


 どうでもよさそうに、彼は首をかしげていた。

 本当にそんなものに価値があるのか、彼にはわからないのだろう。


「で?」

「これを差し出すので、我らを船に乗せて欲しい」


 誰もが、彼の反応を見ていた。

 どうか、自分たちを信じて欲しい。その詩を受け取って、空飛ぶ船に密航させてほしい。

 受け取らずに帰られては、それこそ何もできなくなってしまう。


「そうか、この紙切れが金貨に化けるんだな?」

「そう、その通りだ!」

「ありがとよ」


 詩集を手にした彼が支払ったものは、鉄拳だった。

 懐に詩集をしまう彼に対して、誰もが言葉を失う。

 詩人は殴られたまま、硬い地面に転がってしまう。


「お、おい貴様!」

「あん?」

「盗むとはどういう了見だ!」

「はあ?」

「それはただの紙の束ではない! その詩をしたためるのに、多くの苦労があったのだ!」


 作家である男が、大声で抗議する。

 確かにたかが文章かもしれないが、それを書くのにどれだけ心血を注いでいるのかわかっていない。

 字の書き方も分からない輩には、理解することもできない血のにじむような苦悩があったのだ。


「へえ」


 再びの拳。

 太い腕によって、誰にでもわかる拳が振るわれた。


「おい、とっとと帰るぞ」

「おっす!」


 荷物を運び終えて、誰もが帰っていく。

 それに対して、もはや誰も文句は言えなかった。

 そう、もはやこの場の彼らはディスイヤ家の貴族ではない。なぜなら、ディスイヤが彼ら全員を追放したのだから。

 その彼らが何を差し出しても、取引の相手として成立しない。

 なぜなら、殴っても誰も怒らない。分捕っても、誰も訴えない。ぞんざいに扱っても、誰からも罰されない。

 今まで暴力とは無縁だった彼らは、ようやく自分たちが暴力にさらされる立場になったのだと理解していた。


「ま、待って欲しい!」


 それでも、手紙をしたためた男が歩み寄る。


「どうか、この手紙を受け取ってくれ」

「手紙?」

「そうだ、これを名のある商人に渡してくれ! それだけでいいのだ!」

「大事なことが書いてあるのか?」

「そうだ!」


 心底からどうでもよさそうに、その手紙を放り捨てる。

 救いの願いを込めた手紙は、断崖から海に落ちていった。


「な、何をする!」

「別にいいだろう、『重要な手紙』なんて」

「い、意味が分かっているのか?! 重要な手紙なのだぞ!?」

「じゃあアンタらは、『ジュウヨウナテガミ』を読んだことがあったのか?」


 この場の面々がどういう罪状なのか知っているらしい彼は、そんなことを言っていた。

 それに対して、誰もが言葉を失っていた。


「ま、まて……それには、我らの運命がかかっていたのだ……だから、本当に重要だったのだ……我らが読まなかった手紙とは、わけが違うのだ!」

「だから、アンタらは『ジュウヨウナテガミ』の内容だって確かめなかったんだろう? なんでわかるんだ?」

「だから! それには我らの命運がかかっているのだ! 今までの手紙には、そんなことが書いていなかったのだ!」

「じゃあ今までの『ジュウヨウナテガミ』には、何が書いてあったんだ?」

「知るか!」


 苛立ちからの拳だった。

 軽蔑と憤慨が、強く腕を振るわせていた。


「お前らの命運なんぞ、知るか」


 どちらも苛立っていた。

 その上で、都合が勝ったのは強い方だった。


「まったく……あのご老体も代官様たちも可哀そうに。こんな自分のことしか考えていない連中の子守をしていたなんてな」


 流石に、そこまで言われれば。

 この場の元貴族たちも、無学ではないので行間を読んだ。

 彼が倒れた当主を慕っていたということと、その当主をないがしろにしていたこの場の面々を心底から嫌っていたということを。


 呆然として、立ち尽くすしかない。

 この島へ補給に来る者たちは、全員自分たちに対して嫌悪感を抱いているということだった。


 ここで、自分たちを甘やかし、庇護してきた老体への感謝や申し訳ない気持ちを抱くものが一人でもいただろうか。

 そんな精神的な余裕は、誰にもない。


「なんで……!」


 精神的に不安定な彼らはただ周りの相手へ、怒鳴ってもいい相手へ怒鳴るだけだった。


「なんでお前たちは手紙を読まず、会議にも出席しなかったのだ!」


 老いた男、老体の甥にあたる男が自分の息子へ怒鳴りつけていた。


「お前が手紙を読み、自ら会議に参加していれば、こんなことにはならなかったのだ!」

「ち、父上?!」

「お前があの頭がおかしい小娘を抑えていれば、こんな島に押し込められることはなかったのだ!」


 現状を解決できるわけではないが、確かに彼の息子には責任があった。


「な……父上も、一度も参加しなかったではありませんか!」

「黙れ! 儂はとっくに隠居の歳だろうが!」

「そんな……当主様からの手紙を読まなくていいとおっしゃったのは、父上ではないですか!」

「う……うるさい! お前ももう親だろう! 妻や息子がいるにもかかわらず、親がいいと言えばその通りにするのか!」


 なるほど、もっともである。


「ふ、ふざけるな! 政務など代官に任せればいいと、そんな雑事に構う暇はないと教えてきて、それで今更なんですか!」


 しかしそれは、一人か二人の問題ではない。

 この場の全員が気付くべきだったのだ。自分勝手に好きなことだけしていることが、周囲をどれだけ苛立たせるのか。


「どうするんですか、私の子供までこうなってしまって! 全部貴方のせいだ!」

「何を言っているか! お前は自分で考える力がないのか!」

「そういうのなら、父上は自分で考えてこうしていたのですか!」

「あ、当たり前だ!」

「じゃあどうしてこうなったんですか! なんで父上は自分で参加しなかったんですか!」

「うるさい! 親の言うことに逆らうな!」


 相手を罵倒することが目的となった、知性も品性もない取っ組み合いの応酬、親子喧嘩。

 余りにもみっともないそれは、しかし誰もとめない。


「お母さまが悪いんです!」

「貴女がやればよかったのよ!」


 他の誰もが、同じ理由で争っていた。

 誰もが、自分以外の誰かが悪いのだと罵り合っていた。


「兄上が演劇などしているから! 跡取りだったのに、何もしなかったから!」

「私が出ないのなら、お前が代理として出るべきだっただろうが! そうしていれば、こんなことにはならなかったのだ!」

「出ろと言ったのですか! 言ってもいないくせに偉そうに!」

「出ろと言えば出ていたのか!」

「では兄上が出ればよかったのです! 違いますか!」


 自分は悪くない。

 自分が悪いわけがない。

 自分が悪いなどあってはならない。

 今までは他の誰かが譲っていたが、誰もが同じことを言えば会話さえ成立しない。

 子供が泣き叫ぶ中、大人たちも泣き叫びながら責任を押し付け合っていた。


 これ(・・)が面倒だから、アクリルやディスイヤは彼らを見放したのである。


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