目標
状況はいいのか悪いのか。そこまで悪くない、とソペードの当主は考えている。
少なくとも大前提は崩れていない。アルカナ王国は健在であり、つまりソペードもまた健在である。
ここからカプトの切り札の同類が現れて、何もかもを破壊されてしまうということはないのだ。
「とはいえ……レインか。誠意を尽くすしかあるまいな」
ソペードの当主としても、レインは娘とまではいかずとも親戚の子供ぐらいには愛着がある。彼女を差し出せばいいとは、毛ほども思っていない。仮に言い出す馬鹿がいれば、その首を落とすぐらいには怒るだろう。
問題は、山水に自分達がどんな策を用意できるかである。山水は戦闘面ではまったく隙が無いが、その一方で戦略面では疎い。理想を言うのなら、山水個人とソペード、そしてアルカナ王国全体の利益になる策を見つけたいところである。
もちろん理想であって、不可能なら妥協点を探るところだ。流石に小娘一人を守るために、何万もの将兵を危険にさらすべきか、と言われると否である。少なくとも、山水は嫌がるだろう。
「前提を整理するか。まずどう転んでもアルカナ王国がドミノに滅ぼされることはない。他の国がこちらに攻め込むとしても、カプトの切り札がドミノ側の侵攻を抑えるからな。加えてレインの暗殺に成功することはあるまい。サンスイは妹以上にレインを守っている、アレを突破する手段を持っているのならば、とっくに使っているはずだ」
究極的に言えば、レインが死んでも困るのは山水と、山水が人の世にとどまる理由を失うことで自分の手元を離れるソペードだけである。
少なくとも国家の利益には何の関係もない。
亡命貴族たちは考えの甘い夢を見ているが、それは絵に描いた餅でしかないのだ。
「つまり、我らの成すべきことは『敵の首魁を殺す』か『敵の首魁に復讐を諦めさせる』かのいずれかになる。とはいえ下手に現政権に倒れられても、それはそれで不利益だ。欲を言うのであれば復讐を止めさせたいところだ」
敵の首魁を殺すだけなら簡単だ。山水を送り込んで使い手を殺させればいい。仮に山水に殺せないなら、誰がどう頑張っても殺せないだろう。
幸い、防御に優れた神宝であるパンドラはディスイヤにある。ダインスレイフは殺傷能力に長けているが、当たらなければ意味がない。山水を斬れる剣士など、この世界には師匠であるスイボクぐらいであろう。
「王家の目論見は察しが付く。究極的には敵の首魁である四つの神宝の所持者を配下にしたいのだろう。とはいえそれはどうでもいい。王家にしてもそうなればいいと思っているだけだからな、流石に見栄で全面戦争など望むまい」
変な話だが、山水が許されているのはどれだけ強くとも『理想の剣士』どまりだからであり、その山水をソペードが保有しているからこそ『天災魔導士』である正蔵も許されている。
会議でも明言していたが、山水をソペードが保有しているからこそ、各貴族や王家もこぞって危険な個人を自己責任の元でも雇おうとしているのだ。普通なら、正蔵など真っ先に殺しているところである。
その点でもソペードは一番の当たりを引き、バトラブはそれに次いでいる。
「しかし、ダインスレイフの持ち主に諦めさせるとなると難しいな。そこは国主としての理念に期待するしかあるまい」
おそらく、ダインスレイフの持ち主は現政権を維持するために皇族を殺しているのではない。皇族を皆殺しにするために、旧政権を打倒したのだ。
神剣エッケザックスが最強を求める者を使用者と認めるように、ダインスレイフは復讐を求める者にこそ力を貸す。
つまり、皇族や皇帝に個人的な恨みがあり、それを果たすために国ごとひっくり返したのだ。
もちろん、それが成功したということは、帝国に対して同じことを考えている輩が多かったということである。
要するに神宝云々は勝因の一つでしかなく、反乱の火種はそこいらに存在していたのだろう。帝国は滅ぶべくして滅びたのである。
「放置した場合、国王の言うようにレインを見逃すことはないな。なにせレインは、所詮は直臣の娘でしかない。成功するかどうかはともかく、殺しても国家間の問題にはならない。山水に奴が殺されるだけだ。そして、その可能性を認識しても諦めない可能性が高い。レインを殺すことに成功している場合、既にほかの全員に復讐を果たしており、復讐を果たせるならば死んでもいいと思っている可能性もあるな」
その辺り、本人に接触しなければ優先順位がわからない。
とはいえ、確認しなければ何もわからない。
「まあサンスイが我らよりも気が短いということもあるまい。交渉でダインスレイフを引き出せる可能性もあると言える。荒事は最終手段だな」
ありていに言えば、レインは皇族の恩恵を全く受けてこなかった娘である。
仮に他の皇族を見ても、何とも思うことは無いだろう。よって、向こうが諦めればすべての問題は解決するのである。
「……それにしても、王家側にもメリットがあったとはいえ、亡命貴族たちも役に立つものだ。戦争中に敵の首魁を殺すのと、戦争が終わった後に殺すのでは話がまるで違うからな」
当然だが、ソペードは負けた将には情を示すが逃げた将には厳しい目を向ける。
大局的に判断して正しかった場合は別だし、負けるにしても負け方はあるのだが、敵を見て一目散に逃げだす将は軽蔑することを隠さない。
よって、亡命貴族という存在そのものをソペードは軽蔑している。彼らをそれなりに受け入れているのは、彼らを逃がすために戦った将兵に敬意を表しているからに他ならない。
「せっかく奴の師匠に妹が接触し、色々とやらせたいことも増えたというのに」
よって、逆に言って成り上りたいというものを厚遇するのもソペードの気風である。
山水は贅沢を嫌い、夜は寝たがるので余り無茶はさせられない。しかし彼が鍛えた弟子たちが更に弟子を取り、一つの精鋭部隊を作れるようになればとは思う。
山水の師であるスイボクは大層悩んで今の境地に達したらしいが、そのスイボクの背を追う山水に迷いはほぼない。
「限られた寿命の中で生きるものが使えてこそ生きた剣か、流石はサンスイの師だ。良いことを言う」
カプトの切り札、興部正蔵。世界最強の魔法使いである彼の、その護衛達からは彼への敬意が薄かった。感じられないほどに。
無理もない話である。あの若さで空を飛べるという事は、国一つを滅ぼす力を持った男の護衛にふさわしい才覚の持ち主なのだろう。才覚相応の修練をしたのだろう。
にもかかわらず、どこの馬の骨とも知れぬ、偶々世界最強の魔力を持っていただけの男を守らねばならない。
それは、さぞ屈辱的なことに違いない。
「人は自分よりも優れている者を嫌いたがる。自尊心があればなおのことだ。そういう意味では、むしろバトラブの入り婿がおかしいのだ」
ある程度成功している人間は、自分とは違う種類の人間に嫉妬することはほぼない。
そういう意味では、魔法使いであるブロワは、希少魔法の使い手である山水に対して剣の腕以外では嫉妬をしなかった。
端的に言って、機能や役割が違うからである。実際、山水とブロワはお互いに役割を分けて連携ができていた。広範囲の多数を相手取るなら、ブロワの方が優れていたのである。
ソペードの現当主が就任したあの時、雷切の異名を得たあの日まで、あそこまで強いとは誰もが思っていなかったのだ。
「とはいえ、その頃にはブロワもあいつの見た目に不信感を感じ、なんとなく見た目通りの年齢ではないと察していたからな。日々鍛錬を欠かさぬこともあって、さほどの嫉妬はなかった」
五百年間日の出から日の入りまで修行していた。そんな男に、嫉妬を感じる方が間違っている。
生まれながらの才能ではなく、確かな師から指導を受けた結果技術として力を得ている。
そんな彼を、今は多くの剣士が慕いつつある。
確かに彼は遠い存在だが、たどり着きたくなる境地であると同時にたどり着き得る相手なのだ。
「生まれながらに最強の魔法使い。うらやましい相手ではあるが、憧れることはない。特に生粋の魔法使いからしてみれば、忌々しい存在だ」
彼の強さには近づける要素がまったくない。彼はただ強いだけで、それを他人に教えることはできないのだ。
そんな相手に、好感を持てという方が無茶である。近くにいるからこそ、悪い点がどんどん悪く見えてしまうのだ。
「バトラブの入り婿も、ただ才能があるというだけで誰にも何も教えることができん。そんな最強になんの意味がある。ディスイヤにいるであろう、パンドラに選ばれた者も同様だ。完全に唯一の存在など、ただ強いだけで終わってしまう。ただ強いだけの男が生み出す利益など知れている」
その最たる例がカプトの切り札だろう。吹き飛ばしても問題ない敵が攻めてくる戦争以外では、使い道など存在しない男だった。使われないことが幸運という、行き過ぎた最強だった。
「誰もが目指すことができてこそ『最強』だ。唯一無二の存在など、死ねばそれでおしまいだ。替えの効かん個人では、国家百年の計など成り立ちようがない。そういう意味では、隣の国の方がまだマシだ。四つの神宝に一人ずつでも所有者を選ばせれば継承できるからな」
※
同時期、王立の学園前にて。
「あの……失礼ですが、より激しい特訓を望みます」
そんなことを、山水から指導を受けている男が言い出していた。
既に幾度となく山水に挑み、その強さが骨身にしみている男が、自分よりも年下に見える山水に頼み込んでいた。
その言葉を聞いて、山水はやや申し訳ない気分になる。確かに気持ちはわかるが、それでも剣の道に近道はない。
結局、どれだけ時間が割けるのか、という我慢比べになってしまう。
その最たる例が自分であり師匠である。その現実を思うと、目の前の豪傑に何とも言えない感情を抱いてしまうのだ。
「どうか、私に指導を!」
「そうおっしゃる気持ちはわかりますが、厳しい訓練は我が流派にはありません。信じていただけないとは思いますが、私は師匠と試合をしたこともないのです」
「そ、それは……」
ソペードに所属する最強の剣士、童顔の剣聖、白黒山水。
その彼は、事実として最強の剣士だった。それは嬉しいのだが、一角の者ほど手応えの無さを感じていた。
最強の剣士の指導が、ある意味普通すぎたのである。
素振りを行い、姿勢や動作の矯正をする。それが済めば、試合形式で実行できるのかを確認する。
それ自体は正しい。しかし、それが既にできている者ほど、更に高みを求めていた。
「それでは、手合わせを願います」
自分達でも格下相手ならできていること。
相手が攻撃を始める前に動き出し、攻撃をする前に叩く。
あるいは、攻撃を外したことに気付く前に敵を打ち据える。
それを、どこにでもいる誰に対しても、何人が相手でも普通に行えるという武の極み。
腕に自信がある、故郷に帰れば敵はない。そんな自分達が、束になっても遠く及ばない剣士。
その彼に、より多くの指導をしてほしかった。
「試合ですか?」
「一対一という贅沢は申しません。何でしたら、見ているだけでもいい。貴方が戦うところを、もっと見ていたい」
山水にしてみれば、彼らと自分との違いが分かってしまう分、意味がないと思ってしまう。
少なくとも立ち会っている『彼ら』も、或いは見ている『彼ら』も、凄いと思ってもわかってはいない。
それが気配で分かるからこそ、意味がないのではないかと思っていた。
実力の差を分かってもらうため、実際に実行するとどうなるのかを見てもらうために、あくまでも見せただけなのだ。
仮に何度も戦って見せたところで、意味があるようには思えない。
さらに言えば、自分と戦って機を見るのはほぼ不可能に等しい。そもそも今の自分は、機を完全に我が物としている。その自分を相手に機を探るのは、一定の水準に達している今の彼らでも難しいのだ。
あるいは、普通の人間の頂点に立つ近衛兵の統括隊長でさえも、その気配を嗅ぎ取ることができなかった時点で無理だったのかもしれない。
「そう言ってやるな、サンスイ。お前は見切りが早すぎる」
そう思っている山水へ、ソペードの先代当主が観客席から助言していた。
「お前は指導者としては未熟だな。立ち会うことで得られる物も確かにある」
「ですが、それは危険が伴います。その苦痛に見合うとは思えません」
「それでいいのだ、お前は気配に敏感なのだからわかるのだろう。天才だったブロワにも、お前の師にもない、がむしゃらに最強を求める本物の熱意を」
「それは……」
「応えてやれ。お前の師がお前に背を見せたように、最強の剣士としての戦いをな。そう遠慮をすることはない。お前は達観しているのかもしれんが、そこにいる男たちはこの一瞬こそすべてなのだ。軽く見ずに、全力で向き合え。それが誠意というものだ」
全力で修練したところで、実戦で機を得られる者は限られる。
仮に機を得たところで、それを常にこなせるわけではなく、失敗すればそれは死を意味する。
ならば、凡庸で平凡な剣の方が正しいのではないか。そう思う彼を、叱咤していた。
「剣に生きて剣の果てに死ぬ。少なくともお前はそうなのだろう」
「それは当然ですが……」
「そいつらも同じだ、ならばやるべきことは決まっているだろう」
「……わかりました、そのように応じます」
腰に差していた木刀を引き抜き、既に闘志を燃やしていた者たちに宣言した。
「痛くします、痛いだけかもしれません。それでもいいのなら、かかってきてください」




